今日の一日

0

    JUGEMテーマ:地域/ローカル

     

    (1)ガソリンスタンドで

     

    与儀公園の桜はピークを過ぎ、こちらは公園の焼きイモ屋。

     

     

    ガソリンスタンドの兄ちゃんによれば、こんな焼きイモ屋の軽トラが、火を噴きながら入って来たそうです。そしてオバハンが「満タンね」と(笑)

     

    また、ある日のこと。今度は軽自動車が、ボンネットから白い煙を噴きながら入って来たそうです。

     

    オバハンが「たいへんなってるさっ!!。何とかしてっ!!」と言い捨てて、自分は車から逃げたと(笑)

     

    なんか、楽しいですねぇ(^^)

     

     

    (2)御用聞きは知っている

     

    ある保育園の厨房で、この春から別の園の賄いを引き受けることになり、調理師達がその準備に取り掛かろうとしました。

     

    ところが、どう考えても厨房の能力が不足していて、「え〜、わからんよぉ〜」となりました。回転鍋を導入すればなんとかなりそうでしたが、置く場所がありません。

     

    この春、産休中だったスーパー調理師が帰って来ます。「あの人なら、なんとかするはず」と話がまとまり、調理師達は考えることをやめたのでした(^^)

     

    私の見立てでは、なんとかなるんじゃないかと(笑)

     

    設備の能力不足を創意工夫でなんとか解決する。小惑星リュウグウへのタッチダウンに成功した"はやぶさ2みたいです。

     

     

    (3)サンエー壺川店で

     

    こちらはサンエー壺川店の駐車場。

     

     

    2、3年前に、隣の敷地に駐車場を増設しましたが、いくらなんでも広過ぎです。ライカムになったつもりなのかな(笑)

     

    数年前、サンエーポイントについて考察したことがありました。

     

    サンエーのお買い物券はどうなっとるのか

     

    20万円分の買い物をして、やっともらえる千円のお買い物券。そのサンエーポイントが、千点貯まらなくても使えるようになりました。

     

    余計なことをしやがって。お買い物券を貰った時の感動が無くなるやないの(笑)

     

    レジのオバハンに「じゃあ千点貯めればいいじゃない」と言われましたが、途中で使ってしまうのよね、これが(^^)


    日本、韓国、沖縄

    0

      JUGEMテーマ:地域/ローカル

       

      韓国国会の文喜相(ムン・ヒサン)議長が、従軍慰安婦問題について「天皇陛下による謝罪の一言で問題が解決する」と言っちまいました。

       

       

      日本政府は撤回と謝罪を求め、自民党内部では報復処置を検討する動きがあるとのこと。

       

       

      隣国である韓国は、日本から見た貿易額では輸出が3番目で輸入が4番目。民間企業の感覚としては互いが重要顧客。「何で仲良くできんかなぁ」と思います。

       

      日韓の周辺にはアメリカ、ロシア、中国、北朝鮮とややこしい国があって、いずれも核保有国。アメリカは一応信用するとしても、他の3国は日韓両国に核ミサイルの照準を合わせているでしょう。私なら軍事基地と原発を狙います。軍事力が劣勢な者同士で喧嘩してる場合じゃないんですよ。

       

       

      慰安婦問題の日韓合意から3年。

       

      「最終的かつ不可逆的な解決を確認する」、「元慰安婦支援のために10億円を拠出する」、「国際社会の場で互いを非難することを控える」、「日本大使館前の慰安婦像については、韓国政府が解決する努力をする」

       

      いやぁ、このニュースを聞いた時には日本政府はよくやった、韓国政府はよく合意してくれたと感心しました。

       

       

      そして、記者会見で当時の岸田外相がこのように述べました。

       

      「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」

       

      「安倍晋三首相は日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」

       

       

      ところがです。合意の翌年、釜山の日本総領事館前の慰安婦像に、韓国の行政が設置許可を出してしまいます。

       

      その時、日本政府が発表した対抗措置は以下の通りでした。


      (1)駐韓国日本大使と釜山日本総領事の一時帰国

      (2)日韓通貨スワップ協定協議の中断

      (3)日韓ハイレベル経済協議の延期

      (4)釜山総領事館職員による釜山市関連行事への参加見合わせ

       

      やり過ぎですってば、これ。

       

      いいですか?。日本は謝罪する立場なんですよ。

       

      「慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」

       

      この文言を素直に読めば、釜山の慰安婦像に花を手向けてもおかしくありません。そうしろとは言いませんが、少なくともおかしくはない。韓国国民は「やはり、日本の謝罪は口先だけだったか」と思ったことでしょう。

       

       

      投稿のタイトルに沖縄を付け加えたのは、日本政府の謝罪の言葉から、「沖縄に寄り添う」を連想するから。「心にも無いことを言うなっ!!」と思いますからね。

       

      最近、私が嫌いな言葉をあえて使えば、日韓合意に「法的拘束力」はありません。法的拘束力を持たせるには、合意事項のそれぞれに「さもなくば」が必要で、それを含めていたら、合意には至らなかったでしょう。

       

      であれば、相互の信頼で合意を実行することになります。そして、日韓両国とも相手の信頼を裏切ることになりました。そこはお互いさまなんだけど、謝罪する立場にある日本の責任が大きいと私は思います。


      資料展「むかし沖縄」(3)

      0

        JUGEMテーマ:地域/ローカル

         

        二件の歴史資料を紹介して、終わる予定でしたが、もう少し。

         

         

        琉球侵攻(1609年)、琉球処分(1879年)、沖縄戦(1945年)。

         

        琉球侵攻から沖縄戦に至る歴史資料展は、琉球・沖縄とヤマトの関係を振り返る、良い機会になりました。

         

         

        良好な交易関係にあった琉球とヤマトは、薩摩の琉球侵攻により敵対することになります。しかし、敵対と呼ぶには琉球軍はあまりにも弱かった。「琉球は武器の無い平和な国」という噂もありますが、それは間違い。武器はあったけど、でも、弱かった。

         

        すべての兵士が鉄砲を構えてる薩摩軍に対して、琉球軍は「鉄砲もあるにはある」というレベル。主な武器は弓矢でした。また、実戦経験豊富な薩摩軍に対して、琉球軍は奄美や先島で、言わばアマチュア相手の実戦経験があるだけ。3千人の薩摩軍を見たとたん、戦意喪失したのは当然でした。

         

         

        薩摩は、直ちに琉球を併合することはせず、内政干渉もせず、琉球が交易で得た利益を搾取することに徹しました。それはまさに、生かさず殺さず。以降270年の間、琉球は支配されることに慣らされ、日琉は同祖であると思わされ、ついに琉球処分の日を迎えます。そして、琉球処分から66年後の沖縄戦。

         

        戦前の糸満市場の写真が展示されていました。

         

         

        そこには、懸命に働くことで苦難を乗り越えてきた沖縄の暮らしがありました。

         

        米軍の大艦隊に島を包囲された時に降伏していれば、せめて首里が陥落した時に降伏していれば、写真の人達が命を落とすことはありませんでした。

         

         

        大本営は第32軍の牛島中将に「本土決戦のための時間稼ぎをせよ」と命じましたが、時間を稼いで一体何をしてたのか。て言うか、「本土決戦」って本土と沖縄の間に線を引いてますよね。

         

        歴史資料展で思ったことは、ウチナーンチュは、一貫して従順であったということ。言い変えれば、与えられた環境を前提にして、そこで何とかやっていこうとする気質。それは、島で暮らすことと深い関係がありそうです。

         

         

        ところで、そこでポリポリと煎餅を食べてるナイチのネトウヨ君。「沖縄の基地が無くなったら、中国に侵略されてウイグルやチベットみたいになるんだぞ」と言うけれど、沖縄県が全基地撤去を訴えたことはありません。

         

        自分勝手に決めた前提に、自らツッコミを入れてるだけ。つまり、マスターベィションなのよ。センズリは一人でこっそりかきなさい。

         

        それから、ウイグルやチベットに関して、どれほどの知見があるのかは知らんけど、今、中国がやってることは、わずか140年前にヤマトがやったことと同じだからね。琉球の子孫に対する、口の利き方に気をつけなさい。

         


        おお。忘れるところでしたが、このポスター。

         

         

        首里城図の作者、年代とも不明ですが、ポスター左下に年代を知るヒントがあります。

         

        円鑑池(えんかんち)に浮かぶ弁財天堂(べざいてんどう)。その左手の建物には師範学校と記されています。現在の県立芸大の敷地です。

         

         

        師範学校は那覇西村で設立され、1886年にポスターの場所へ移転しました。そして、その年のうちに沖縄県尋常師範学校に改称されています。

         

        よって、首里城図に描かれているのは、1886年の首里城でしょう。琉球処分の7年後ですから、首里城に主はいません。

         

        (終わり)


        資料展「むかし沖縄」(2)

        0

          JUGEMテーマ:地域/ローカル


          二件目は、琉球人行列彩色絵図。1832年の作品で、尚育王就任を恩謝するために江戸に上がった使節団を描いたものです。

           

           

          琉球は18回も江戸に使節団を派遣しています。奄美の島々、九州西岸から瀬戸内海を経て大阪までが船。そこから先は徒歩でした。片道2千キロ。

           

          絵図全体はカメラに入りきらず、上の写真はその1/4ほどです。この時の使節団は総勢98人。路次楽隊(チャルメラ隊)や琉球舞踊の舞踊家らが参加しており、日本各地で琉球芸能を披露したそうです。

           


          琉球人行列彩色絵図が描かれたのは、琉球処分の47年前。このころ、日本と琉球の両方で活発に流布されていたのが日琉同祖論です。


          椿説弓張月 為朝実伝(ちんせつゆみはりつき ためともじつでん)

           

           

          源為朝(1139-1170)は平安時代末期の武将で、義経の叔父にあたります。戦に敗れて伊豆大島に島流しになりましたが、船が遭難し、琉球に漂着したとされています。

           

          尚巴志が琉球統一を果たす250年ほど前、舜天(しゅんてん:1166-1237)という初代の中山王がいましたが、その舜天が為朝の子で、その王統にはヤマトゥの血が流れていると。つまり、日琉は同祖なのだと。

           

          まあ、そんな本です。

           

          これは伝説とも言えない、後世の付会の説ですが、昔も今も、日琉が同祖であったほうが都合が良い人達がいて、今なお、それを流布し続けています。

           

          私が浦添市教育委員会と激論(笑)した投稿があります。面白いので読んでみて下さい。


          牧港「テラブのガマ」 


          (続く)


          資料展「むかし沖縄」(1)

          0

            JUGEMテーマ:地域/ローカル

             

            南風原の沖縄県公文書館に来ました。

             

            所蔵資料展「むかし沖縄」。

             

             

            沖縄の歴史資料の大半は沖縄戦で失われてしまいました。公文書館には戦禍を免れた資料や、ナイチや海外へ渡っていた資料が収集され保管されています。

             

            もちろん、貴重な歴史資料を散在させず、一ヶ所にまとめることで公文書館の役割は果たせているのですが、やはり質、量ともに「本来なら、こんなものではなかったはず」と思わざるを得ません。

             

            失礼を承知の上で言えば、展示にストーリーを持たせるだけの資料が無く「あるものを並べました」みたいなことになるんですよ。同じことを、県立博物館や本島各地の歴史資料館、首里城でも感じます。

             

            琉球王朝時代から引き継がれて来た、沖縄の歴史や文化の豊かな水脈が、沖縄戦のわずか3ヶ月で断ち切られてしまったことは、残念と言うほかありません。

             

             

            さて、今回の資料展は薩摩の侵攻(1609年)から沖縄戦直前までのもの。

             

            薩摩の侵攻以降、その琉球支配は270年に及びましたが、吉屋チルー、恩納ナビー、玉城朝薫、平敷屋朝敏らはいずれもその時代の人達。私達が意識している琉球の文化はその時代のものと言っても良いでしょう。

             

            そして、1872年の琉球藩設置から1879年の廃藩置県に至る琉球処分。首里城明け渡しを命じた処分官松田道之と随行者9名の写真が展示されていました。

             

             

            尚巴志が三山を統一を果たした1429年以降、560年続いた琉球王国は、この時、消滅してしまいます。

             

             

            琉球処分から沖縄戦直前までの歴史資料は、沖縄を日本に同化させるプロセスを示したものばかりで、正直なところ、気持ちが重くなるばかりです。

             

            とはいえ、それでは投稿にならないので、展示資料を2件だけ紹介しましょう。

             

             

            一件目は、宮城文(みやぎふみ:1891-1990)さん。八重山出身者としては初めて、沖縄県立第一高等女学校に進んだ女性で、卒業後、石垣島で教師になりました。

             

            沖縄県が彼女に嘱託したのは、標準語励行委員。

             

             

            これは「はぁ、そうですか」と、一旦横に置いときましょう。

             

            宮城文さんは女性初の石垣市議会議員になるなど、八重山のリーダーの一人として活躍する一方、郷土史家として生涯をかけて八重山文化の継承に努めました。

             

            「八重山生活誌」で第一回伊波普猷賞。

             

             

            更に、息子さんと共に石垣方言の研究に取り組み、彼女の没後に息子さんが完成させた「石垣方言辞典」は伊波普猷賞、ならびに吉川英治文化賞を受賞しました。

             

            標準語励行委員に任命された人が、石垣方言辞典を完成させるなんて。これは少し気分が良かった。こんなヒネくれた喜び方をするのは私だけかもしれませんが、「ざまぁみろ」みたいな気持ちです(^^)

             

            (続く)


            calendar
                 12
            3456789
            10111213141516
            17181920212223
            2425262728  
            << February 2019 >>
            プロフィール
            profilephoto


            念願の沖縄生活を始めて8年になりました。
            沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。
            Twitter
            お勧めの本と映画
            selected entries
            categories
            archives
            recent comment
            recent trackback
            profile
            search this site.
            others
            mobile
            qrcode
            powered
            無料ブログ作成サービス JUGEM