意味が分からんな(^^)

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    「放っておきなさい」と言われることが分かっていながら、グズグズ言います。

     

     

    (1)靴紐を結ばない女

     

    那覇空港の搭乗口通路で靴紐がほどけた若い女性がいたので、「ほどけてるよ」と言ったら「いいんです」と。

     

    「いいんです」(笑)

     

    きっと、それが彼女のスタイルなんでしょう。

     

    空港だから、ムービングウォークやら、エスカレーターやら、エレベーターがあり、そこへ靴紐が巻き込まれたら地獄絵になりそうです。

     

    あ?、ちょっと待てよ。ひょとして、彼女は靴紐をきちんと結べないのかな(^^)

     

    靴紐を結ぶのは簡単だから、こんな風に練習してみればいいのに(笑)

     

     

     

    (2)買物かごを使わないオバハン

     

    スーパーの買物かごを使わずに、カートに直接、商品を乗せるオバハンがいるのよね。

     

    今日、レジで私の前にいたオバハンは、20個ほどの商品をカートに乗せてました。前の客の計算中にオバハンはレジの台にせっせと商品を乗せます。

     

    オバハンの順番になりましたが、商品が離れた位置にあるので、レジ担当者がレジの近くに一つ一つ移動させます。

     

    考えてみて下さい。買物かごに入っていれば、オバハンもレジ担当者も一回で済む動作を、それぞれが20回。

     

    「待ってる客に迷惑をかけんなよ」と言いたい。

     

    て言うか、手間がかかると分かっていながら、何でそんなことをするのかな。

     

    寝てんのか?

     


    ペリー提督日本遠征記(3)西原〜旗立岩

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      西原町のキャンプペリーで野営を終えた調査隊は東海岸を北上しました。

       

      西原町から中城グスクまでの行程はハンタ道を歩くことになります。一昨年の今頃、私はハンタ道を首里から中城まで歩いているので、調査隊がどのあたりを歩いているのか、おおよその見当がつきました。以下の抜粋は、中城村新垣付近の描写と思います。

       

       

      (遠征記の抜粋)

       

      まもなくわれわれはまた湾をのぞむ分水嶺に達し、壮観な景色を堪能した。

       

      分水嶺は、すでに見たように東海岸にごく近く、そちらへ下る道は西海岸へ下る道よりもはるかに険しい。こちら側の土地はさらによく耕されていて、穀物もずっと豊かである。

       

      下方の山裾は美しい琉球松におおわれ、ところどころに穀物や野菜の段畑があり、麓の平地は約15マイルにわたって稲穂で黄金色になっている。散在する村落を数えてみると12ほどあり、なかにはかなり大きな集落もあった。

       

      北のほうには長い半島があって、われわれが湾の端だと思っていたところよりはるかに先までのび、島の南東に向かって突き出している。

       

      (抜粋終わり)

       

       

      新垣集落の東端にボージャーグヮ(坊主小)と呼ばれてる眺めが良い場所があります。新垣集落の子供達は、そこから崖下に降りるボージャーグヮミチを転がるようにして学校へ通いました。石段さえ無い、草を刈っただけの道でした。

       

      調査隊が気づいたように、このあたりの地形は、東海岸から急激に高度が上がり、西海岸に向かってなだらかに下っています。そのため、新垣集落は東海岸の崖上にありながら、そこを流れているアラカチガーラは普天間川となり、北谷で東シナ海に出ます。

       

      島の南東に突き出している半島は、もちろん、与勝半島です。

       

       

      (遠征記の抜粋)

       

      そこから、やや西に曲がっている道を2マイルほど進むと松林の中にそびえ立つ、奇妙な形の岩に出くわした。

       

       

      その頂は鋭いのこぎりの歯のようで、峰より70から80フィートも高くそびえていた。第二期石灰岩でできたその奇岩は、風化してハチの巣のようになっており、目をみはるようなおもしろい眺めを呈していた。

       

      私はそのてっぺんに登ってみたが、頂が尖っていて、足元は極めて不安定だった。

       

      そこは島のこの地区の最高峰だと分かり、両方の海岸をかなり遠くまで見わたすことができたので、私は旗を持ってくるように命じ、岩のてっぺんでそれを翻した。

       

      その間部下達は下で礼砲を撃ち、三度、歓喜の声をあげた。

       

       

      (抜粋終わり)

       

       

      この日、調査隊は中城グスクを経て具志川まで進みますが、私の投稿は、ここで一旦終わります。

       

      中城グスク以北は、私の訪問密度がガタッと低下するので、遠征記を読んでもその場の風景がリアルに思い浮かびません。いつになるかは分かりませんが、訪問密度が上がった時に、投稿を再開することにします。

       

       

      過去の投稿はこちらから。

       

      ハンタ道を歩く(1)首里城〜弁ヶ岳 

      ハンタ道を歩く(2)首里石嶺〜泉小 

      ハンタ道を歩く(3)幸地〜オキコ製パン工場 

      ハンタ道を歩く(4)坂田交差点〜南上原糸蒲公園 

      ハンタ道を歩く(5)東太陽橋〜安里村壱里山 

      ハンタ道を歩く(6)若南原〜新垣集落 

      ハンタ道を歩く(7)ツンマース、根屋、殿 

      ハンタ道を歩く(8)ペリーの旗立岩〜中城グスク 

      ハンタ道を歩く(9)Keep Going


      ペリー提督日本遠征記(2)那覇〜西原

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        ペリーが派遣した調査隊の行程図です。「ペリーの歩いた」とありますが、ペリーは同行しておらず、調査隊は士官4名と水兵4名に中国人クーリー数名を加えた編成でした。

         

         

        調査隊は那覇から東海岸に出て、宜野座村漢那まで北上しています。そこから山越えして恩納村名嘉真に出て、西海岸を南下する6日間の行程でした。

         

        私は石川で折り返したと過去に投稿していますが、私の記憶違いか、間違った情報によるものでした(^^)

         

         

        さて、那覇を出発して東へ向かった調査隊は首里城の横を抜け、弁ヶ岳を通り過ぎた先の丘にいます。


         

        (遠征記の抜粋)

         

        (弁ヶ岳から)半マイルも進むか進まないかのうちに島の分水嶺に達すると、眼下に、東に向かって壮大なパノラマが開けた。

         

        太平洋が水平線をなし、島から突き出している二本の岬の間には広々とした水面が望まれたが、それはバロウ湾らしかった。

         

        われわれのいるところと海との間には、丘が連なって円形闘技場のような形をなし、それぞれの丘は頂の部分まで耕地になっているため、まるで鮮やかな青緑の衣をまとっているように見えた。

         

        斜面には丁寧に段がつけられ、土地の傾斜を利用して灌漑用の雨を集めるようになっている。これらの絵のような丘は、風景の輪郭に多彩な変化を与えながら、約20マイルにわたって広がっている。

         

        西方には、これまで通ってきた郊外の区域がすべて見渡せ、はるか北西にはブロートン岬と思われる半島も見える。

         

        (抜粋終わり)

         


        当時の沖縄はすべての丘の頂まで、棚田(または段々畑)が整備されていました。農民は自分の土地でもない田畑で労働を強いられ、作物を物納していました。不便な場所でも農地にせざるを得なかったのですね。そして、皮肉なことに、そのような農地こそ美しい。

         

        私はこの場所に覚えがあります。弁ヶ岳を抜けて開邦高校の横を過ぎた先にある丘。火立毛です。

         

        私も「お〜、いい眺めだぁ」とは思いましたが、遠征記のように細部まで見ていませんでした。これは見習わないと。

         

         

        抜粋にある「二本の岬」は知念と与勝。バロウ湾は金武湾なので著者の勘違いでしょう。正しくは、もちろん中城湾。ブロートン岬は残波岬です。

         

        それから、冒頭の行程図で1日目の行程が中城までとなっていますが、正しくは西原町小橋川まで。野営の描写を見れば、背後に知念半島が見えてますね。

         

         

        調査隊はこの野営地を「キャンプペリー」と名付けました。この頃から米国では「キャンプ+人名」の命名法だったようです。探検旅行一泊目の高揚感なんでしょうが、「一泊しただけで名前を付けんなよ」と言いたい。

         

        この夜、調査隊の一行はガジャンの大群に襲われて、ほとんど眠れなかったようです。お気の毒ですね(笑)

         

         

        過去の投稿はこちらから。

         

        青い目が見た「大琉球」 

        ペリーの野営地


        ペリー提督日本遠征記(1)那覇港

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          「ペリー提督日本遠征記」を読んでます。

           

           

          合衆国政府がペリー監修の下、ペリーの日記やノート、公文書などを基に編集した遠征記です。

           

          ペリーは那覇を拠点に、浦賀へ2度、香港と小笠原諸島へ各1度の航海をしているので、那覇への寄港回数は計5回になります。

           

          この遠征記には美しい沖縄の風景が随所に描かれています。それを読むと大変気分が良いので、その一部を抜粋しました。コピペができないので時間がかかるのよ、これが(^^)

           

           

          (遠征記の抜粋)


          (1)那覇入港前

           

          海上から眺めると、この島の海岸は緑が美しく、鮮やかな緑の森や耕地があって彩り豊かである。雨のためにその風景の色彩はなおいっそう輝きを増し、豊かなイギリスの風景を思い起こさせた。

           

          水際からすぐに隆起している丘は島の中心に向かってしだいに高くなっており、ところどころ唐突におもしろい形の岩山が突出していて、かつて火山活動があったことが分かる。

           

          丘陵の頂きに沿って杉か松らしい森が広がり、傾斜地は菜園や穀物畑でおおわれている。丘の北側はさらに高くなっており、また海岸は岬が二ヶ所突き出し、その間が深い湾か入江になっていることを示している。 

           

           

          (2)那覇入港後

           

          艦が島にかなり近づいたので、湾の奥の那覇の町がはっきりと見えた。

           

          その正面にアベイ岬と呼ばれる岬が突き出していた。その岬は樹葉でおおわれ、突端のところに岩山がかたまっていたが、そこにある苔むした小塔と扶壁とがこの岬の名の由来であることは明らかだった。

           

          丘にはところどころ白い斑点が点在していて、はじめは住居かと思われたが、やがて石灰岩の墳墓であることが分かった。

           

           

          (3)那覇上陸後

           

          われわれはしばらく珊瑚礁の岸にもたれ、不思議な海中植物の美しい色や形状に見とれていた。

           

          珊瑚礁は円形の堤のような形を成し、まるで秋の森におおわれた小さな丘の連なりのようで、その中に澄んだ深い水をたたえていた。

           

          青、紫、薄緑、黄、白が華麗なぼかし模様になって波間にひらめき、崖の緑にはさまざまな形状の植物が群生し、海面下を流れる潮流によってできた谷に垂れ下がっていた。

           

          そのような珊瑚の森の間を、まじりけのないラピスラズリの矢のように、青い魚があちらこちらと行き交い、目のくらむようなエメラルド色をし、尾と鰭の間が金色をした魚がアラビアの物語にでてくる緑の鳥のように手をすりぬけていった。

           

          水はその深さを見誤るほどに澄みきっていて、まるで蔓植物の天蓋に腰をおろしているような気がしたり、また、向き合う二つの山頂の間にぶらさがっているような心持になったりするのだった。

           

          詩や寓話の題材となるあらゆる海の脅威のうちでも、この眺めは最も美しいものだった。

           

          (抜粋終わり

           


          突き出した二本の岬のうち、一本は先原崎。ペリーの地図ではアベイ岬と名付けられていて、大修道院を意味するそうです。

           

          現在の那覇空港の北端が先原崎。LCCターミナルの利用経験がある人は、LCCに到着したシャトルバスを思い浮かべて下さい。そのバスの真後ろの方向に先原崎灯台跡があります。

           

          さて、もう一本の岬はどこでしょう。まず波の上が思い浮かびましたが、先原崎と対比するには小さ過ぎますね。私の想像ですが、浮島全体を岬と見なしたのではないかと。

           

           

          波の上には宣教師のベッテルハイムが住んでいて、ペリー艦隊が那覇港に入港した際は、自宅にイギリス国旗を掲げて歓迎の意を示しました。

           

          ペリーはベッテルハイムの名前を知っているばかりか、彼が島民に嫌われていることまで知っていたようです。琉球に渡航した西欧諸国間で琉球の情報が共有されていたんですね。

           

           

          ペリーの艦隊は那覇港沖に停泊し、そこから小舟で上陸しました。私はその上陸地点を、上陸碑のある泊港と思っていましたが、士官達が乗った小舟がベッテルハイムが掲げたイギリス国旗を目指したため、最初の上陸地点は波の上になりました。

           

           

          過去の投稿はこちらから。

           

          泊港の風景(2)ペリー来航 

          ペリーの航海 

          テンペストの登場人物(1)ベッテルハイム(上) 

          テンペストの登場人物(1)ベッテルハイム(中) 

          テンペストの登場人物(1)ベッテルハイム(下)


          読谷の空は何故広いのか

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            座喜味城跡公園から真栄田岬方向を眺めています。


             

            本来なら恩納村や本部半島がくっきり見えるはずですが、梅雨明け前ですから贅沢は言えません。

             

             

            それにしても、読谷の空は広いわぁ。

             

            何でこんなに空が広いのか、私なりに考えてみました。超簡略化すると、読谷はこんな地形なんですよ(笑)。お皿を裏返したカタチ。

             

             

            海岸から斜面を登った所、つまり皿の底の部分に広い平地があります。

             

            高台の平地ですから飛行場にはうってつけで、かつて日本陸軍の沖縄北飛行場がここにありました。   

             

            CIMG4404smap2.jpg

             

            沖縄戦の後、こんな一等地を米軍が手放すはずがありません。この平地(皿の底)が読谷村民に返還されたのはつい最近で、2006年のことです。そしてその翌年、あの象の檻が撤去されました。

             

             

            私が農連市場に来る前、2010年の飛行場跡です。

             

            CIMG4404s.jpg

             

            まあ、道路と言えば道路ですが、信号も交差する道も無く、コンクリートの地面が延々と2km続いてました。暴走族対策で、舗装面がわざとデコボコにしてあった記憶があります。

             

             

            先程の皿をイメージしましょう。私は今、皿の底に立ってます。すると海は見えないわけですよ。そして、地平線(?)がすぐそこにあって、そっから上の全部が空(笑)。

             

            北海道の空も確かに広いのですが、あそこは広い大地のずっと先に地平線があり、それだけ空が狭くなってるわけです。その点、読谷はすぐそこからが空(笑)。読谷の空が広いわけです。

             

             

            さて今、読谷の皿の底には、村役場や野球場、陸上競技場、学校などが完成しています。今のところは必要な施設を並べてみた感じで、土地にはまだまだ余裕があります。

             

            その土地をどう使うか、読谷村は思案のしどころですね。おもろまちや北谷のような商業施設の街をつくっても、村民が買物するだけでは成り立ちません。かと言って、紅芋畑ではもったいない気がします。

             

            もっとも、元はと言えば読谷村民の土地。そこを空き地にしようが、紅芋畑にしようが、他所からあれこれ言われる筋合いはありません。村民が暮らしやすく、生活が潤うような土地活用法を、じっくり考えていただきたいものです。

             

             

            ところで観光客の皆さん。皿の底から海に向かう斜面(皿の名称で言えば胴の部分)は絶好の撮影スポットです。

             

            下り坂の先に広がる青い海。海岸から眺めるよりも、ずっと海が広く見えます。左右がウージ畑で未舗装の道ならなお良いでしょう。是非、絶景スポットを探してみて下さい。思い出になる一枚がきっと撮れるはずです。

             

            つまり、読谷は空も海も広い(笑)

             

             

            Twitterに湧き水の動画をツイートしました。読谷村伊良皆の上ヌカー。尚巴志の墓がある佐敷森のすぐ近くです。

             


            オモテの沖縄、ウラの沖縄

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              以前、沖縄のロータリークラブの例会に招かれて、私のブログに関連したお話をさせていただいたことがありました。

               

              講演のタイトルは「沖縄の不思議とその魅力」

               

              以下のように話を始めました。

               

              沖縄はわずか140年前までは独立国家。ヤマトとは異なる文化を持ち、それは今も深く受け継がれています。それはヤマトの人達にとっては異文化。カルチャーショックを受けることがしばしばあります。

               

              それが沖縄の不思議。

               

              私は沖縄に来たヤマトの人達に、沖縄で不思議に思うことがあったら、驚いておしまいにせず、その不思議を紐解いて欲しいと言ってます。理解が進むにつれ、その不思議は沖縄の魅力に変わります。そしてその魅力に気付いた人達は何度でも沖縄を訪ねたくなります。今日はそんな話をさせていただきます。

               

               

              なかなか上手いことを言うたなぁと思います(笑)。私がブログを続ける動機も投稿内容も、つまりこういうこと。「不思議」が大げさなら、「疑問」でも良いでしょう。

               

              疑問を解消しようと思えば、書籍や資料をあたったり、現地を歩いたりします。これが楽しくて楽しくて(笑)。そして、疑問が解消した時の、得も言われぬヨロコビ。

               

              答えが正しいかどうかは自分で判断できます。正解は常に合理的で美しいんですよ。仮に間違っていても、それが間違いと気づくことがまた楽しい(笑)

               

              私がまちまーいやジャングル探検などのガイドを避けたがるのは、彼らが答えを言ってしまうかもしれないから。一生懸命に問題を解いてる時に「お〜い、答えを言うなよぉ」みたいな感じです。

               

               

              話は変わりますが、以前は本土の日本海側をウラ日本、太平洋側をオモテ日本と呼んでましたね。失礼な(^^)。新潟県に住んでる人にとって、海は日本海。山の裏っ側にある海が太平洋です。

               

              ヤマトゥにとって、沖縄は異文化の土地。御嶽もあればユタもいます。例えば、そんなスピリチュアルな部分を取り上げて「誰も知らない沖縄」とか「沖縄の裏側」とか見出しをつけることは、日本海側をウラ日本と呼んだ発想と同じです。御嶽もユタも日常生活の中に普通に存在していますからね。

               

               

              私は古い集落を歩くことが好きで、いくらでも歩けますが、国際通りやおもろまちを歩いても暑いだけ。楽しい疑問が何も湧いてこないので退屈で仕方がありません。

               

              つまりね。御嶽があってユタがいることが沖縄のオモテ。ウラ情報を編集したモノが観光ガイドなんですよ。あれをオモテと思っているようでは、マダマダなんだよなぁ(^^)

               

               

              では、昨日に引き続き、垣花樋川の水の音をお楽しみ下さい。

               

               

              ちょっと水量が少ない気がもしますが、このところ雨が少ないからかもしれません。梅雨なのに(^^)

               

                



              海軍壕公園展望台からの眺め

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                今朝の配達中のこと。30分ほど時間が余ってしまい、どうしたものかと考えながら(小禄の)宇栄原を走っていたら、海軍壕公園の背後に朝日が昇ってました。

                 

                順光になるので、これは那覇の眺めが良いはずと考え、公園展望台へ向かうことに(^^)

                 

                 

                下の動画は、北を時計の12時に置いて、1時から反時計回りに3時までを撮ったもの。ここからの視界は本来360度ですが、1時から3時まで(首里方面)は公園の植木が邪魔をしています。

                 

                 

                那覇市内には高台が何ヶ所もありますが、視界はせいぜい270度まで。360度の視界が得られる場所は、なかなか思いつきません。

                 

                 

                先の大戦で、敗色濃厚となった日本軍は、小禄空港(現那覇空港)を防衛するために、地下壕を建設することになりました。そして、火番森(ヒバンムイ)と呼ばれていた標高70mほどの丘を選んだのです。

                 

                火番(ヒバン)とは烽火(のろし)を上げることを意味し、火立(ヒータティ)とも言います。

                 

                先ほどの動画の開始直後に漫湖の水面が見えてます。そこを左方向に国場川を下ったら那覇港。琉球王朝の時代、この丘から那覇港を監視し、琉球以外の船が近づくと烽火を上げ、首里城に知らせてたんですね。

                 

                今は建物が邪魔をしてますが、当時は那覇港の様子が手に取るように分かったはず。そして、火番森と首里の丘の間には遮るものがありません。

                 

                火番森の烽火は大変役に立ち、後に琉球王府は久米島から渡名喜、慶良間、小禄の具志を経て首里城に至る「烽火通信ネットワーク」を構築しました。

                (→具志火立所からの眺め) 

                 

                 

                さて、火番森から那覇を眺めていたオヤジは、突然の頭痛に襲われます。そして気を失うと(笑)。やがて意識を取り戻したオヤジは、周囲の様子が変だと気付きます。

                 

                それはコンクリートが無い景色。広がる大地にポツンポツンと集落があり、集落間を細い道が繋いでます。オヤジは琉球王朝の時代にタイムスリップしてしまったんですねぇ(笑)

                 

                大沢たかおさん主演のドラマ「仁」のオープニングだったかエンディングだったかを思い出しますね。思い出さんか(^^)。

                 

                 

                幹線道路以外の道筋は昔も今も同じ。私は私の配達ルートを辿ることができるでしょう。

                 

                「あれ、ちょっと違うな」と気づいたら、これがまた楽しい。「なるほど、あそこの道はこっちの道に繋がっていたんやぁ」と分かるはず。仲島の大石をみつけたら、その脇に泉崎橋がチョコンと架かっていることでしょう。

                 

                いやぁ、そうなったら仕事どころじゃありませんてば。

                 

                 

                大変残念ですが、突然の頭痛には襲われませんでした(笑)

                 

                昔も今も変わらない景色は慶良間だけ。宇栄原団地の右奥に慶良間がくっきり見えてました(動画の18秒目あたり)。

                 


                久しぶりの城岳公園

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                  久しぶりに城岳公園に来ました。

                   

                  前回はいつ来たかなと思い出してみれば、沖縄に来た翌年に来てました。

                   

                  当時、葛飾北斎の「琉球八景」が描かれた場所を探してまして、その一枚が城嶽霊泉。それ以来、8年半ぶりの2度目です(^^)

                   

                  農連プラザから目と鼻の先にありながら、どうしてこんなことになってるかと言えば、やはり公園としての魅力に欠けるからでしょうね。

                   

                  丘の上とは言いながら、高さは7、8階建てのビルの屋上程度。特に眺望が良いわけではありません。

                   

                  周囲に何も無かった頃は良かったでしょうね。琉球八景の時代であれば海が見えて、その先には浮島が見え、長虹堤が見えたでしょう。風光明媚な場所だったと思います。

                   

                   

                  では、公園に入りましょう。裁判所前の入口から公園に入り、振り返りました。奥に那覇地裁。

                   

                   

                  重要な裁判の後には、ここに人が集まり、報道機関が入ります。良い結果なら万歳をしたり、悪い結果なら「断じて許すことはできないっ!!」などと叫んだりする場所です。

                   

                   

                  城岳の南側斜面と、

                   

                   

                  良い枝ぶりのガジュマル。

                   

                   

                  かつての城岳公園は荒れていて、「不良のたまり場だから、あそこへは行かないよ」みたいな印象がありましたが、今は綺麗に整備されています。

                   

                   

                  話が逸れますが、昨年の那覇市長選挙で城間市長が再選を果たしました。その際、相手候補が「那覇市内の公園は雑草が生え放題で遊具も放ったらかしだ」と城間候補を非難しました。

                   

                  まったくその通りで、那覇市は公共施設を維持・管理することに予算をつけません。ところが、このところ、あちこちの公園が目に見えて綺麗になってます。選挙と関係があるのか無いのかは知りませんが、たいへん良いことだと思います。

                   

                   

                  丘の上の広場です。

                   

                   

                  いい感じではないでしょうか。

                   

                   

                  戦後復興の時代。ここには「新世界」という名の遊園地があったそうです。

                   

                   

                  私が子供の頃、私の故郷の呉でも、デパートの屋上でこんな飛行機が回ってました。

                   

                   

                   

                  さて、城岳公園の北端からの眺望です。

                   

                   

                  最初に見える高い建物は、閉店した泉崎りうぼうの向かいに最近建ったマンションで、その右奥にハーバービューホテル。

                   

                  その右隣は旭橋の再開発地区で、白い建物はマンション。その右隣に最上階に窓の無い東急ホテル。更に右手でこちらを向いているリーガロイヤルホテル。

                   

                  沖縄県庁。那覇高校。

                   

                  那覇高校の向こうに高層マンションが見えますが、名前も場所も分かりません(^^)

                   

                  そのマンションの右手で建設中の建物(クレーンが乗ってる)は国際通りの「ホテルコレクティブ那覇」。台湾資本のラグジュアリーホテルだそうで、今年の12月開業です。浮島通りを国際通りに出てすぐ右です。

                   

                  当然、那覇タワーはありません(^^)

                   

                  こうして眺めてみると、私のように那覇市内を毎日ウロウロしていても、知らない建物ばかりです。風景が落ち着かないんですよね、那覇って街は。


                  豊見城市与根の散歩

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                    (1)数珠森

                     

                    豊見城市与根の平地にポコっと小さな山があります。数珠森(ジュジュムイ)と呼ばれている雨乞い御嶽です。

                     

                     

                    土地の造成で森は東西に分断されてしまいました。こちらは西の森にある与根拝所。

                     

                     

                     

                    後方に数珠森が見える「パーラー デ ジュジュモ」はベジタリアンフードの店です。

                     

                     

                     

                    店はオーナーの自宅前にあり、広い芝生の庭がお客さんに開放されています。日陰を作る植栽にテーブルとベンチ。この日は10人ほどのグループが庭を使ってまして、その様子はまるでピクニックのようでした。

                     

                    オーナー夫妻はミュージシャンだそうで、ユニットの名前は当然に「jujumo」。YouTubeで2、3曲聴いてみたところパーラー同様に、音楽も丁寧な仕事をしてはりました(笑)

                     

                     

                    (2)ヨネマース

                     

                    さて、与根と言えばヨネマース。

                     

                     

                    沖縄では精製塩を食塩、自然塩をマースと呼びます。もちろん、食塩をマースと呼んでもかまいませんが、マースを食塩とは呼べません(^^)

                     

                    日曜日の与根製塩所はお休みでした。

                     

                     

                    ヨネマースの原料は意外にも沖縄の海水ではありません。かつては与根の干潟に塩田があり、太陽と風を使って天日塩を作っていましたが、

                     

                     

                    塩田跡はゴルフ場になり、そのゴルフ場は廃業し、今、再開発が進んでいます。そのため、与根製塩所は天日塩をオーストラリアから輸入しています。つまり、ヨネマースはオーストラリア産ってこと。

                     

                    製塩所では天日塩を粉砕し、洗浄し、薪を使った平釜で炊くことで再結晶させます。この工程は昔と同じで、製塩所がマースタチャーと呼ばれる所以です。

                     

                     

                    (3)三角池

                     

                    与根漁港の前を通って、

                     

                     

                     

                    三角池に着きました。

                     

                     

                     

                    (誤)糸満市与根→(正)豊見城市与根

                     

                    ここは洪水防止のための遊水池。潮の干満の影響を受ける汽水域にあります。

                     

                    今は冬鳥が大陸へ帰り、夏鳥が飛来する前だと思うので、鳥が少ない時期のはず。それでも沢山の鳥がいました。漫湖に比べると小さな池なので、鳥がすぐそこにいます。

                     

                    数年前にフラミンゴが飛来してニュースになりました。例えば冬鳥なら朝鮮半島や中国、ロシア、稀にヨーロッパからも飛来するそうで、フラミンゴがいても不思議はありません。仮に野生のフラミンゴなら日本初だったとのこと。驚きますねぇ。

                     

                     

                    それにしても、周囲500mほどの小さな池が、どうしてこんなに鳥達に人気があるのか。

                     

                    沖縄は軍事的に「太平洋の要石」と呼ばれていますが、それは鳥達にとっても同じなのかもしれません。冬鳥が南下するにも、夏鳥が北上するにも、沖縄は絶妙な位置にあるんでしょう。

                     

                    悲しいことに、沖縄の行政は「干潟を見ると土砂をぶちまけたくなる病」という不治の病にかかっています。そうでなければ、沖縄は鳥の楽園になっていたかもしれませんね。



                    (4)しおさい公園


                    与根の埋立地の海岸にあるしおさい公園。



                    そこに、かつての干潟の先端がありました。



                    瀬長島と新滑走路の誘導灯。奥に薄っすらと慶良間。



                    小谷タカンリからの眺望

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                       

                      南城市佐敷を東から見たGoogleEarthです。

                       

                       

                      丘の斜面に形成されている集落が佐敷小谷(さしきおこく)。陽当たりの良い小さな集落で、チンシワイドゥクルと呼ばれる急な坂道の上にあります。チンシ(膝が)ワイ(割れる)ドゥクル(所)。

                       

                       

                      こちらは小谷タカンリ。

                       

                       

                      タカンリは高台を意味し、その名の通り集落で一番眺めの良い場所です。

                       

                        

                      4年前。南城市は市内の文化資源84ヶ所に「サイン」と呼ばれる案内板を設置しました。そのうち13ヶ所が小谷にあります。

                       

                      集落内の石畳道や井戸を巡る「小谷まーい」が人気ですが、この「サイン」を順に巡ればガイドが無くても集落を歩けます。

                       

                       

                      小谷の人達は集落を訪ねる人が増えたことに最初は驚きましたが、やがてワッターウククの価値を再認識します。そして、集落の文化資源に積極的に手を入れるようになりました。

                       

                      先ほどのタカンリは、私が最初に来た時は雑草に埋もれていましたが、次に来た時は芝生になっていました。また、集落から丘の上に抜ける古道ジャンクビリは廃道同然でしたが、小谷の人達が整備し、歩けるようになりました。

                       

                      お金をかけず、集落に昔からあるものに手を入れれば、自然に人は集まるということ。沖縄の観光政策の真ん中に据えて欲しい考え方だと私は思います。


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