今日の驚とか怒とか

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    (1)金城商事のシモン君

    C「お〜い。ネパールから沖縄に来て、暑くないの?」

    シ「大丈夫です」

    C「なんでやねん。お前ん家のすぐ前はヒマラヤ山脈やんか。暑くてやってられんやろ」

    シ「いえ、僕はやらないといけないんです」

    C「ほぉ〜〜」

    シ「どうしたんですか」

    C「男前なこと言うから驚いた」

    シ「僕はネパールから鶏を運んで卵を産ませます」

    C「おお、Mサイズな」



    那覇市在住の外国人の1/3がネパール人だそうで、就業者数では1/4。ネパールではちょっとした沖縄ブームのようです。

    ネパールと日本のGDPを比較すると、ネパールの221億ドルに対して日本は4.939兆ドル。日本のGDPはネパールの223倍です。そりゃあ、ルートさえあれば日本に行こうとするはずです。

    しかし、223倍。

    ネパールが小さいことより、日本が大きなことに驚きますよね。


    (2)丸大スーパーのジミーちゃん

    C「あっ!!」

    ジ「あっ!!」

    C「ジミーちゃんやないか。可愛らしい女の子(3歳くらいか)連れて買い物か?」

    ジ「あっ、こっ、この子は違うんです。この子は姉の子で、この近くにお家があって・・」

    C「何も言うてへんやん。はっはぁ。お前、こんな子がいるのに独身のフリをしてから。驚かすなぁ、おい(笑)」

    ジ「あっ、ちっ、違うんです。いや、すっ、すみません」

    C「まあ、安心してくれ。丸大のネェネェ達には内緒にしといたるわ」

    ジ「内緒って、違うんです」

    C「なあ、ここはサンエーやで」

    ジ「あっ、すいません。ここが近いんです」

    C「ふ〜ん」

    ジ「あっ、こっ、この子は姉の・・」

    C「安心しろってば(笑)」


    (3)隣の菓子屋の娘

    C「おはよう。あの黒い子猫が今朝死んでたわ」

    娘「あっ、聞きました。Cさんがよけてくれたってお父さんが」

    C「あんな握りこぶしみたいな猫に道路をウロウロされたら、仕事にならんかったやろ」

    娘「そうなんですよ。いつ車にはねられるかと思ったら、気になって」

    C「しかし、あれやな。『あら、可愛い猫ちゃんですねぇ』とか言うてエサをやってた奴らは死んだら知らん顔やな」

    娘「ほんとですよ」

    C「まあ、心配事が一つ減ったってことやな」

    娘「そう思うしかないですね」


    (4)スナック「MIKAN」のチーちゃん

    C「コザの中乃湯ってチーちゃんのおばさんがやってるって本当?」

    チ「そうよ」

    C「へ〜、驚いたな。与儀十字路にあった旭湯 は(居酒屋)エールのマスターのおばさんだったし」

    チ「ふ〜ん」

    C「もっと感動しろよぉ」

    チ「えっ、何で?」

    C「ふん」


    使わなかったコザの写真

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      投稿に使わなかったコザの写真を数枚。

      コザ十字路絵巻には、未来の銀天街が描かれていて、そこには屋根の高さほどある立派なガジュマルがありました。



      そのガジュマルがこちら。まだ幼木と言ってもいいサイズです。



      このガジュマルが成長した時、銀天街はどんな街になっているんでしょ。


      銀天街の貸アパートは、一泊千円から。



      「えっ、どんな部屋なんやろ」と思ったものの、一泊千円なら私が住んでるアパートと同じです。なんか悔しいわ(笑)

      「那覇のアパートと同額なんて高いやないの。800円位にしておきなさい」と言いたい。


      欲しい方ご自由に貰ってください。



      ナイチャーならクスッと笑える文章ですよね。ところがウチナーンチュは「えっ?、なんね?、どこが可笑しいばぁ?」と言うことでしょう。

      このテレビ、よく見れば私のテレビと同じです。電気屋からタダでもらいまして、当然、地デジ未対応。そしたら、電気屋がチューナーもタダでくれまして、今も稼働中。使えますと書いてあるけど、チューナーが無いと映りませんよ、このテレビ。

      う〜む。貸アパートとテレビの「笑える張り紙」ってことで投稿したものの、はからずも私の生活水準をバラしてしまいました。なかなか慎ましい生活をしてるのですよ、私。


      明道(アケミチ)公園から見た与勝半島。勝連グスクがすぐそこです。



      この近くに赤道(アカミチ)って地名があります。アケミチとアカミチ。

      赤道に住んでいた人達が収容所に入れられて、収容所の解体後もこの地に住んだそうです。そして赤道に似せて明道と名付けました。後にその地名を行政が認めることになり、ここは沖縄市明道です。


      古謝集落にあるこのお墓は「ジョーミーチャー墓」



      ウチナーグチで言われると、直ちに「どんな意味なんだろ」と反応してしまいます。そんな時、あまり難しく考えなくても良いと、最近気付いてきました。

      お墓の入口が門のようになってて、それが三つ並んでますね。だからジョーミーチャー。


      次は、古謝集落のアガリヌシーサー。投稿では正面から撮りましたが、色々工夫して、最も男前に撮れたのがこの写真です。



      投稿では「年老いて、自分の役目を忘れてる」みたいなことを言いましたが、この角度から見れば、ファイティングポーズをとっているようにも見れます。

      これからも、ヤナカジ、シタナカジを集落に入れないように、お願い致します。


      最後はコザバス停の松風(マチカジ)。これ、かなりお気に入りです。



      投稿とは違う角度から撮りましたが、いいでしょ、これ。ねぇ?(笑)


      コザの散歩(9) コザ十字路の周辺(その2)

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        沖縄市美里のヒージャーガーです。大きなクスノキが井戸をいい感じに覆っていました。



        典型的な沖縄の村井戸です。水汲み場と、手前に洗濯場。



        沖縄ではクスノキを街路樹として利用していて、なかでも胡屋のクスノキ通りは壮観です。昨年、道路拡張のため、そのクスノキを一旦別の場所に移したところ、全く元気が無くなり問題になりました。

        その後、クスノキ通りがどうなったのか。コザからの帰りに寄るつもりが、熱中症の気配を感じた私は、お家に直帰してしまいました。

        「クスノキが心配と違うんかいっ!!」と、私に言いたい。

        そんなことを言われましても、夏の沖縄で熱中症予防は何より優先します。だから、クスノキ通りはまた今度ってことでお願い致します。


        え〜、こちらは吉原社交街です。沖縄市美里。



        当初は米兵が客でしたが、今はウチナーンチュがお客さん。ここで働く人達はクルーやシルーからチールーまで客として迎えてきたということ。

        建物は旧黒人街と同じ時代のものです。それを新築して今の商売を続ける人は少ないでしょうから、建物の劣化と共に廃業する店が増えそうです。

        こちらは、吉原区自治会社交業組合。



        ここでどんな議論をしているんでしょう。それを聞いてみたいような、聞いてみたくないような。いや、聞きたい。


        さて、銀天街、旧黒人街、吉原社交街と歩いたコザの散歩。1ドル360円時代の基地経済に支えられ、繁栄を極めたコザの街は今や全く見る影もありません。

        しかし、その街の復興を、言わば弱者救済のような目で見るのは間違いでしょう。基地経済に支えられてきたのは沖縄も同じです。つまりコザの姿は今の沖縄の姿だということ。基地経済から脱却して何処を目指すのか。コザも沖縄もその答えを出せていません。

        「いいやそんなことはない」と言う人もいるでしょうが、それは程度がマシなだけか、あるいは他のモノに実態が隠れてるだけでしょう。

        コザに関係する投資案件としては、泡瀬干潟の埋め立て、本島縦断鉄軌道の敷設などがあります。多額の投資は池に石を投げたかのように波紋を描きます。その波紋がコザにどのような恩恵をもたらすのか。私にはさっぱり見えてきません。

        コザに活気が戻るような施策でなければ、沖縄のためにもならないってこと。繰り返しになりますが、コザの姿は今の沖縄の姿だと思って間違いはない。そう考えた散歩でした。

        (終わり)


        コザの散歩(8) コザ十字路の周辺(その1)

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          コザ十字路を離れて、その周辺をまわりました。

          ここは沖縄市明道(あけみち)の明道公園です。遠くに石川岳とその右手に恩納岳。



          私はこんな所に立ってます。



          高さはそれほどでは無いものの、周囲に視界を遮るものがないので、360度の眺望が得られます。

          コザ十字路方向。



          知念半島・久高島から、与勝半島・津堅島まで、中城湾の端から端までコザから眺めることができるなんて驚きです。城壁があった頃の越来グスクは、四方の眺望が良かったと聞いてますが、こんな感じだったんですね。

          ここの夜景が綺麗なことは間違い無いでしょう。まあ、だけど、徘徊青少年やら徘徊オジぃやらが出没しそうなので、私は遠慮しておきます。


          実は、明道公園に来たのは「ついで」でして、本来の目的地はこちらでした。沖縄市松本。

          (故)登川誠小ヤッチー。



          沖縄の著名唄者の多くは自宅を民謡研究所にしているので、その住所はすぐに分かります。



          屋上のウッディな部屋は何でしょうね。防音練習場か?


          次は、ボブ石原邸。沖縄市宮里。



          「えっ、誰?」と思った方。困りますねぇ、そんなことでは。ご存知でない方はこちらをどうぞ。読谷の美しい風景を見れますよ。

          沖縄の著名ミュージシャンの多くは自宅を音楽事務所にしているので、その住所はすぐに分かります(笑)。


          ナイチと比べて芸能人との距離が近いことが沖縄の特徴と言えるでしょう。そこをあえて距離を置こうとするのなら、分かりやすく言えば偉そうにするのなら、「じゃあ、あっちに行きなさい」と言いたくなります。

          一方、これは褒め言葉ですが、ボブ石原は「ほんま、そこらのニィニィ」。高い音楽性を持つことはプロとして当然としても、キャラクターは親しみやすいものでないとね。それで、キメる時にはバシッとキメていただくと。

          最近ではきいやま商店が「そこらのニィニィ」感バリバリで支持されてますし、ビギンはナイチでブルースをやっていた頃と島唄を歌い出して以降はキャラクターが変わりました。巨匠、登川誠仁でさえ、ヤッチー(兄さん)ですから。


          それにしても、ボブさんは(お家に)ペンキ塗るのが上手やわぁ。

          (続く)


          コザの散歩(7) コザ旧黒人街

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            再びコザに出かけ、旧黒人街を歩きました。コザ十字路の銀天街を抜けた先です。



            黒人街が賑やかだった頃の写真がありました。ここを歩きたいわぁ。



            というわけにもいかないので、このような直書き看板を観察しながら歩きましょう。この店はチャームレストランと読めました。



            こちらは、バーオレゴン。何でオレゴンなんですかね。米国北部の州ですから、インディアンが出てきそうです。




            照屋一帯に広がっていた黒人街の、ここがメインストリート。



            建物のほとんどが当時のままでした。






            さて、コザ十字路絵巻で黒人街が描かれた壁画。



            そこにあった、バーツイスト。



            ふふふ。見つけました。



            そこで、勢いに乗って知名定男さんのCD「うたまーい」のジャケット。



            見つかりませんでした(泣)。

            左奥に高いビルが見えてますから、まずあそこを見つけるべきでしたね。戦略を間違えました。


            多くの建物では、看板の文字が消えかかっていたり、意識して消してあるので、看板だけではそこが何だったのかよく分かりません。

            バー、キャバレー、レストラン、テイラー、ホテル、売春宿・・・。

            そこに強い味方が。



            いやぁ、素晴らし過ぎる地図です。Googleで「コザ 黒人街」で画像検索すれば、簡単に見つかります。

            ところが、人様の住宅を写真に撮って「こちらが当時の売春宿です」とは言えませんよね。だから、そのあたりを詳しく知りたい人は、この地図を片手にコザを歩いて下さい(笑)

            (続く)


            古謝の散歩(4) ガンヤー、アガリヌシーサー、石ビラ

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              古謝集落で撮った写真を数枚紹介して、古謝の散歩はおしまいです。

              (1)龕屋(ガンヤー)



              沖縄で火葬が始まったのは戦後のこと。それまでは風葬、後に土葬が行われていて、柩を龕(御輿)に入れて運びました。その龕を収納しておく倉庫が龕屋です。

              数年前、古い龕屋と龕が台風で破壊されてしまい、先月、立て直したばかりだそうです。昔からの風習を記憶するためのモニュメントの位置付けだろうと思います。古謝集落を跨いでいる大高架橋の真下にあります。


              (2)アガリヌシーサー



              かつては男前だったのでしょうが、寄る年波には勝てず、表情も動作の意味もよくわかりません。別名が「津堅ドゥーゲーシ」。ドゥーは海峡とか灘を意味するようなので、津堅島周辺の海に対するケーシをしてるってことでしょう。その海に何があるのか(いるのか)は不明で、本人も忘れてるんじゃないでしょうか。

              津堅島の名前の由来に関係するのではないかと調べてみたところ、次のような話がありました。

              中城の夫婦が沖に見える島へ渡ろうとしたが、島の周辺は波が高く容易にはたどり着けなかった。何度も試みた末、遂に島に上陸した夫婦は「チキタルチケン(着いたぞ)!!」と声をあげ、以降、この島はチキンジマとなった。

              この話で、シーサーが意識するとすれば、波が高い海域でしょうね。そこから災いがもたらされると考え、ケーシをしたと。てことにしておくか(笑)


              (3)石ビラ



              古謝集落から津嘉山原へ向かう古道があり、石畳が施してあると聞いていたので楽しみにしていたら・・・。

              まあ、いいんじゃないですか。このほうが歩きやすいし。


              (4)古謝バス停



              古謝に停まるのは東陽バスだけ。系統31泡瀬西線(那覇−泡瀬)と、系統60泡瀬イオンモールライカム線(ライカム−泡瀬)。


              (5)コザバス停



              先日、写真を撮り忘れたモノがあったので、古謝からの帰りにコザ十字路に寄りました。

              それは、松風(マチカジ)のベンチ。



              松風は沖縄の焼き菓子で、結納などのお祝い事に欠かせない縁起物です。その松風をベンチの陽よけにしたんですね。そこにオッさんが座ってたのでは、まったく絵になりませんが、この時座ってたのは女の子。この子にはきっといいことがあるでしょう(笑)

              (終わり)


              古謝の散歩(3) 御嶽の森

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                古謝集落のイーウガン(上御嶽)。一目見ただけで、これはもう御嶽です。



                ナイチでは神社を取り囲む森を「鎮守の森」と呼びますね。鎮守は村を守るという意味で、その森には神が降りて来る。沖縄の御嶽もそこは同じです。

                森の中の祠。母親の胎内にいるかのような感覚と、何者かに上のほうから見られている感覚。



                いきなりスピリチュアルに目覚めたかと言えば、そんなことはありません。しかし、この空間はいいわ(笑)


                こちらは、シチャウガン(下御嶽)。



                森と林の違いは面積や樹木の数ではありません。森を「広くて樹木が多い」と定義したら「原生林」を説明できませんからね。途中を省略して結論だけを言えば、神が降りて来るのが森で、降りて来ないのが林。だから、ここは森(笑)

                下御嶽の拝所へ上る石段。




                次はビジュル。霊石信仰の拝所です。



                アコウの大木の根が、宝珠が乗った祠をしっかりグリップしていました。




                お盆が近いことだし、古謝の御嶽をまわって神聖な気持ちになったかと言えば、やや違って懐かしい気持ち。かつて、下御嶽の近くには古謝初等学校があって、そこの生徒達が御嶽の森を背景に卒業記念の集合写真を撮ってたんですよ(載せないけど)。

                島を離れて思い浮かべる故郷の風景としては最高じゃないでしょうか。


                ナイチの鎮守の森は、村人が定期的に森の手入れをし、手入れが行き届いた森ほど神が降りて来ると信じられていました。間伐した材木は燃料として使い、神社の修理も自前の材木で事足りたようです。

                鳥や虫が集まり、森が保水した雨水は養分を含んで少しずつ川に流れ出し、その水を田畑に使い、と、まあいいことばかりだったわけです。

                ところが最近は、「ちょっと道路をひろげましょうね」と森を削り、神社の修理費を稼ぐために「ここは木を抜いて駐車場にしましょうね」などと、経済合理性が優先される風潮にあります。沖縄の御嶽も状況は同じでしょう。

                今の小学生も御嶽の前で卒業写真を撮ればどうでしょう。進学や就職で島を離れても、やがて島に帰って来た時、御嶽を粗末にできない大人になっていると思いますよ。

                (続く)


                古謝の散歩(2) 古謝の井戸

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                  シーサーの坂道を下りた所にある井戸が美栄泉(ミーガー)



                  戦前、古謝集落はサトウキビの増産に励み、模範集落の指定を受けました。沖縄1935では、朝夕の暗い時間帯に松明の灯で行う農作業の様子が紹介されていて、美栄泉はその時に大活躍した井戸です。

                  ところが、シーサーの坂道を通した時に、石やら土砂やらを井戸の脇に投げ込んだようで、その圧力で泉の柱が折れてしまいました。も〜、何してんのよ。


                  こちらは古謝公民館。9月16日(土)はアシビナーで納涼祭だそうです。



                  公民館から一本西のスージがおそらく古謝のナカミチ。その突き当たり、つまり集落で一番の場所に古謝之殿(トゥン)があります。





                  殿の前の広場が、納涼祭が行われるアシビナー。




                  古謝之殿から細い道を登った所に村井戸がありました。ウーチューガー。



                  石組みが新しく、最近、組み直したようです。その割に、あまりかまってもらえてない雰囲気がありますね。

                  まあ、人様のオタクに勝手に入り込んで、柱が折れとるだの、手をかけてないだの言うてるお前は誰やねんって話です。いや、分かっていますてば。

                  (続く)


                  古謝の散歩(1) 津嘉山森からの眺め

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                    コザ十字路の南東角から胡屋方面を撮った、1970年頃の写真がありました。コザ市と美里村の合併前、復帰前の頃です。



                    古い写真を見て良い気持ちになる理由の一つは、障害物が少なく、遠くまで見渡せることにあります。

                    コザ十字路から安慶田を抜け、右にカーブしながら住吉の坂を登り切ると胡屋に出ます。この写真を見ていると、坂道の風景や坂道を登りきった後の胡屋の街並みまで、思い浮かべることができます。今、同じアングルで写真を撮ることはできても、写るのは十字路周辺のビルばかり。情報量が少ないから風景の広がりが得られません。

                    例えば、那覇で生まれ育って東京や大阪に進学した大学生が故郷を想う時、脳裏にどんな風景を思い浮かべてるのかなと、余計な心配をしました。


                    コザ十字路から南に向かうと、コザ高校のあたりから下り坂となり、泡瀬海岸に至ります。つまり、コザ十字路付近は胡屋から一段下がり、海岸から一段上がった、中城湾を望むテラスのような場所です。

                    そのテラスの東端にある岩山が津嘉山森(チカザンムイ)。津嘉山森から斜面を下り海岸に至るまでの範囲が古謝集落です。



                    頂上は岩が露出していて、あそこに座れば素晴らしい眺望が得られそうです。雑木をかき分けて登れないことは無いでしょうが、私にはそんな根性は無いので(笑)、そこら辺の道路から中城湾を眺めました。




                    次の写真は沖縄1935の古謝集落。



                    この古い写真と同じアングルで撮りたかったのですが、実は高さも方向も違います。それでもまあまあの風景。


                    古い写真の右上端。よく見れば泡瀬海中道路がチラッと写ってますね。その海中道路の古い写真がありました。



                    この道路は大正時代に造られたもの。当時、与那原から泡瀬までは道路が整備されていたようですが、泡瀬から先は古謝集落の畑の畦道を歩くか、干潮時に干潟を歩くしかありませんでした。そこで、泡瀬から与勝半島の根元まで海中道路を通したのです。

                    「大正時代によく造ったな」などと言うと恥をかきます。琉球王府が長虹堤を造ったのは15世紀ですからね。こんなの楽勝なのですよ。

                    20130408125946_0.jpg

                    さて、中城湾を眺めたので、古謝集落へ坂道を下りましょう。途中にシーサーがいるはずです。その標識を簡単に見つけたものの、シーサーの姿が見えません。



                    茂みをかき分けると、いました、いました。茂みに潜む黒うさぎみたいなシーサー(笑)



                    先ほどの沖縄1935の写真は、このあたりで撮影されたのではないかと、私は推測しています。当時は斜面も耕作地で見通しが効いたのですが、今は雑木林で何も見えません。

                    言うまでもなく、シーサーは集落の守り神。悪霊が集落に浸入しないように、睨みを効かせることが役目です。この黒うさぎ、そうはなってませんねぇ。

                    (続く)

                    コザの散歩(4) コザ琉映、中乃湯、花ぬ島、照屋政雄

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                      古くからの商店街、映画館、ユーフルヤーは沖縄のノスタルジー3点セットと言えるでしょう。

                      銀天街の最盛期に映画館があった場所です。



                      銀天街を取り囲むように5ヶ所。時計の12時の位置にあった十字路国映館から、反時計まわりにコザ沖映、コザ琉映 、十字路オリオン座、第一セントラル琉映館。

                      昨年まで営業していたコザ琉映以外は影も形もありません。そして、コザ琉映の閉館により沖縄市の映画館は絶滅してしまいました。



                      3年ほど前、コザ琉映をライブハウスやスポーツバーなどを併設した映画館としてリニューアルしようとする動きがありましたが、話は進んでないようです。


                      次にコザのユーフルヤーと言えば中乃湯。



                      コザ十字路から西に歩いて、安慶田の信号を左に入った所にあります。私が沖縄に来たころ4軒あったユーフルヤーは次々に廃業し、沖縄本島で営業しているのはここだけになりました。


                      そんな中、昔も今も頑張っているのがコザの民謡酒場。その代表格「花ぬ島」はコザ十字路から南へ歩いて最初の信号を少し過ぎた左手です。



                      観光客の私が訪ねた民謡酒場を投稿したことがあります。

                      魅惑の民謡酒場(女性編)
                      魅惑の民謡酒場(男性編)
                      魅惑の民謡酒場(おまけ)

                      何でこの中に「花ぬ島」が無いのかねぇ、と思います。神谷幸一さんと玉城一美さんはナイチの感覚で言えば橋幸夫と吉永小百合みたいなもの(例えが古くてすみません)。本来は真っ先に行かなあかんのに、当時はよく分かってなかったんだよなぁ。




                      「花ぬ島」からもう一つ先の信号(照屋)左手にダイソーがあります。ダイソーで買物をしたつもりで(買っても良い)出口を出たら、そのまま横断歩道(おうらんほろお)を渡りましょう。

                      すると、目の前にこのような看板が見えます。



                      沖縄民謡界の大御所照屋政雄さんの三線・太鼓工房兼三線教室です。

                      あっ、太鼓で思い出しましたが、一昨日、私の友人の息子が沖縄タイムスの伝統芸能選考会(太鼓部門)でグランプリを受賞しました。パチパチパチ。


                      照屋三線教室のドアにポスターが貼ってありました。演目は沖縄芝居の定番「丘の一本松」。会場はキャンプ・コザの跡地に建った沖縄市民会館です。

                      その沖縄芝居に村人Aとして出演したのがじゅん選手でした。そして、その村人Aを応援するために、わざわざナイチから駆けつけた女性がいました。

                      目的を果たした女性は津堅島に渡り、炎天下のニンジン畑を自転車で爆速。あやうく熱中症で倒れるところだったそうです。いやぁ、村人Aを応援するのも命がけです。

                      いめゆんなさん、津堅島は神谷幸一さんが生まれた島です。機会があれば「花ぬ島」で飲んで、津堅島の思い出を話してあげて下さい(笑)

                      (続く)


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                      念願の沖縄生活を始めて8年になりました。
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