うるくにっぽん

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    先日投稿した開南の小さな橋に、うちなーんちゅさんから「おじさんが住んでた辺りだ」とコメントがありました。

     

    そのおじさんは(都会の)開南から(田舎の)小禄へ引っ越して「まさか漫湖の向こう側に住むとはねぇ」と言ったと。

     

    そこへ横浜のやなわらばぁさんが「うるくにっぽん」と正しく反応しました。本土在住のナイチャーなのによく知ってるわぁ(笑)

     

     

    こちらは沖縄戦を記録した米軍の地図。埋め立てが進み、その意識は無くなりつつありますが、小禄は半島です。

     

     

    それで、半島差別とは言わないまでも、那覇人(なーふぁんちゅ)は小禄人(うるくんちゅ)を少し軽く見る傾向があります。

     

    旧那覇市、首里市、真和志市、小禄村が合併して、現在の那覇市になりましたが、小禄だけは「明治橋を渡ったら那覇ではない」などと言われてしまうんです。

     

     

    そして「おろくにっぽん」。その由来については諸説あるそうですが、戦前の親子の会話がよく知られています。

     

    息子「ウルクハニッポンヤガヤァ」

    (小禄は日本だよねぇ)

     

    父親「デンチ(電気)ヌチカ(灯)トゥデ、ニッポンヤサ」

    (電気が灯ってるんだから日本だろ)

     

    分かります?。このニュアンス(^^)

     

     

    「おろくにっぽん」と言われても、小禄人はそれほどは意に介していないようです。

     

    小禄人は団結力があり、門中意識が強いことで知られています。例えば、小禄の会社が那覇の会社から仕事を受けたとしますね。小禄の会社は下請けを小禄の会社で固めて、お金を那覇に逆流させません。

     

    一方、那覇の会社は小禄の会社に発注した時点で、そんな意識はありません。そのため、小禄の会社は業績が良く、小禄人はお金持ちが多い。

     

    小禄人は那覇人に「うるくにっぽん」と言われても、そんな所では勝負してないんですよ。


    アンヤタン、カンヤタン

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      (写真を削除しました)

      写真展の写真は撮影不可だったらしく、湿地センターから削除の依頼があり、(*印の箇所で写真を削除していますm(_ _)m

       

       

      一つ前に投稿した「漫湖むかしなつかし写真展」。結局、紹介できた写真は一枚だけだったので、それ以外の写真を数枚。

       

      (1)パイプライン

       

      国場川を越えて伸びるパイプライン。板の道は子供達の通学路になりました。

       

      (*)

       

      他のサイトから借用した航空写真。今はパイプラインの跡形もありませんが、マックスバリュ壺川店あたりから、奥武山陸上競技場に向かって延びていたようです。

       

       

       

      (2)アカバタキー、マカヤ毛

       

      奥武山から眺めた、壺川、古波蔵。

       

      (*)

       

      左手の半島状の突起がアカバタキー。現在の中央郵便局付近です。古い地図や航空写真では確認できてましたが、写真で見るのは初めて。軽く感激(笑)

       

      中央の小高い丘がマカヤ毛。マカヤは茅葺きの茅。読者のうちなーんちゅさんちの裏山です。

       

       

      (3)真玉橋

       

      架橋しては流された木造橋の時代を経て、1708年に完成した名橋真玉橋。5連の石造橋は沖縄戦で日本軍により爆破されてしまいました。

       

      写真は戦後、米軍が架設した鉄の橋。沢山の人が釣りをしています。その日の夕食をかけた真剣な釣り。

       

      (*)

       

      こちらは1963年に琉球政府が架設したコンクリートの橋。現在の真玉橋の先代にあたります。

       

      (*)

       

       

      (4)漫湖を進むサバニ

       

      今回の写真展で一番のお気に入りとなった、大河(笑)国場川を進む一艘のサバニ。物を運ぶだけではなく、生活の足。

       

      (*)

       

       

      (5)漫湖水鳥・湿地センターの木道

       

      マングローブの観察用に設置されている木道です。

       

      鳥を観察するためのテラスには、小さな窓がついてます。こちらからは見えるが、鳥からは見えない仕組み。

       

       

      私の経験から言えば、鳥や魚や蟹が次々に現れるということはありません。マングローブを散歩しつつ、何かがいればラッキーというもの。

       

      もちろん、プロが案内してくれたら違う景色に見えてくるでしょう。

       

       

       

      「アンヤタン、カンヤタン」の意味は「ああだった、こうだった」。昔の漫湖を知る人なら、思わずそう口にしそうな写真展でした。

       

      昔を知らない私にとっては「ああだったんだ、こうだったんだ」

       

      これがまた楽しいわけよね。「昔を知ってる人には経験できない楽しさ」と言いたくなるほど楽しい(笑)

       

       

      今の漫湖はこちらからどうぞ

       


      漫湖むかしなつかし写真展

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        (写真を削除しました)

        写真展の写真は撮影不可だったらしく、湿地センターから削除の依頼があり、(*印の箇所で写真を削除していますm(_ _)m



        漫湖水鳥・湿地センターで昔の漫湖の写真展が開催されていると知り、仕事帰りに寄りました。

         

         

        「ラムサール条約登録湿地」

         

        漫湖は釧路湿原や尾瀬などと肩を並べる湿地ってこと。いや、素晴らしい。

         

         

        ところでこのチラシ。

         

        「嘉数バンタから漫湖を望む」とありますが、それはもう、チラッと見ただけで間違いだと分かります。

         

         

        チラシの写真の右奥に嘉数の丘が写ってるんですから話になりません。つまりキャプションで「勝連グスクから中城湾を望む」と言っておきながら、その写真に勝連グスクが写っているようなもの。

         

        湿地センターは環境省の施設ですからね。こんな初歩的なミスは正してあげないと。

         

         

        さて、その写真の前に立ちました。

         

         

        そしたら、写真の横にこんか吹き出しが。

         

         

        つまり、間違いには気づいたものの、撮影場所が分からないと。

         

        写真の前で「う〜む」と唸っていたら、湿地センターの研究員が側に来ました。彼女は小泉進次郎君の部下ってことになりますね(^^)

         

         

        研「この写真に何か思い出がおありですか?」

         

        C「いや、この吹き出しを見てたんだけど。この写真の撮影場所がわからないの?」

         

        研「えっ、お分かりなんですか?」

         

        C「分かるよ。簡単!」

         

        研「えっ、どうして分かるんですか?」

         

        C「真ん中の島がガーナムイはいいよね」

         

        研「はい。間違い無いと思います」

         

        C「右奥が嘉数の丘で、その左が国場の瓦屋原」

         

        研「瓦屋原?」

         

        C「そう。沖縄で最初に瓦を焼いたところ。その奥に与儀のタンクが写ってるでしょ」

         

        研「あっ、本当だ。これ、与儀のタンクですね」

         

        C「国場川が左へカーブしてるから見えないけど、嘉数の丘と瓦屋原の間が真玉橋」

         

        研「あっ、なるほどです」

         

        C「真玉橋とガーナムイを直線で結んで、それを延長すればいいわけだから、小禄の森口公園かガジャンビラが撮影場所ってことになるね」

         

        研「間違い無さそうです。うわぁ」

         

         

        沖縄には「昔沖縄」ファンが沢山いますから、上級者なら撮影場所をピンポイントで言い当てるでしょう。

         

        彼女は漫湖の生物が専門分野なので、畑違いってこと。彼女が漫湖の蟹を捕まえてきて「この蟹をご存知ですか?」と問われても、オジサンにはそれが蟹ってこと以外何もわかりませんてば(笑)

         

         

        撮影場所の見当はついてるので、来週、配達の途中でそこから同じ構図の写真を撮り、彼女に見せようと思います。

         

        そして、吹き出しをペリっと剥がす権利を私がいただくと(笑)


        仲島の大石はどうなってるのか?

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          新しい那覇バスターミナルの開業からやがて1年。仲島の大石はどうなってるのか?

           

           

          おっ!!

           

           

          おお〜!!

           

           

          「邪魔者扱いされてるのでは」と心配してましたが、一応、丁重に扱われているようです。小さいながらも御嶽ですからね。

           

           

           

          ここは那覇市泉崎。今は、仲島の地名はありません。仲島を耳にすることがあるとすれば、次の二つでしょうか。

           

          一つは北斎が描いた琉球八景の一つ「中島蕉園(なかしましょうえん)」。大石の背後に芭蕉が描かれています。

           

           

           

          もう一つは遊郭。仲島は辻、渡地とともに、那覇の三大遊郭と呼ばれていました。

           

          喜納昌吉の「ハイサイおじさん」に仲島遊郭が出てきます。

           

           

          ハイサイおじさん ハイサイおじさん

          夕びぬ尾類(じゅり)小ぬ香ばさよい

          うんじゅん 一度めんそーれー

          ありありワラバー いぇーワラバー

          辻、中島、渡地とぅ 

          おじさんや あまぬ株主ど

           

          「昨夜の尾類は良かったよ。貴方も行ったら?」とからかうワラバーに、おじさんが「おじさんは遊郭の株主だぞ」と返してます。

           

          このワラバーはおじさんが好きなんでしょう。楽しい掛け合いにワラバーの愛情を感じます。それを高野連が「遊郭なんてけしからん」と。まぁなんという貧困な精神だこと。

           

           

          昨日の投稿で、カチンバと仲宗根創が歌っていた「海ぬちんぼうらぁ」にも仲島遊郭がでてきます。

           

           

          辻やえんどう豆 仲島や豆腐豆 恋し渡地いふく豆

          辻ぬえんどう豆 食でぃんちゃんな二才達

          食でぃやんちゃしが 味や覚らん

           

          辻はえんどう豆で仲島は大豆、渡地はいふく豆だね。辻のえんどう豆を食べたんだろお兄さん。食べたけど味は覚えてないよ

           

          ちんぼうらぁは巻貝です。ホラ貝のような大きな貝ではなくて、小さな貝。

           

          その昔、集落の原っぱで若い男女が歌い踊った毛あしび。女の子はワクワクして集まってきますから、その次にはムラムラしてくれないとお持ち帰りができません。「海ぬちんぼうらぁ」はそのための唄(^^)

           

           

          「ハイサイおじさん」に続いて、「海ぬちんぼうらぁ」も甲子園でやっていただきたい。フジロックでやったんですから。

           

          高野連は「いずれにせよ。この歌詞はいかがなものか」とか言うんでしょう。まったく、つまんない人達です。

           

          仲島の大石が思いのほかきちんと残されていたので、県当局に文句を言うつもりが、その必要が無く。代わりに高野連に文句を言っておきました(笑)



          (追伸)


          読者のうちなーんちゅさんが、コメント欄にある「思い出のパス停」の写真を見つけました。再開発前は、パス停のすぐ側にありました。



          資料展「むかし沖縄」(3)

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            二件の歴史資料を紹介して、終わる予定でしたが、もう少し。

             

             

            琉球侵攻(1609年)、琉球処分(1879年)、沖縄戦(1945年)。

             

            琉球侵攻から沖縄戦に至る歴史資料展は、琉球・沖縄とヤマトの関係を振り返る、良い機会になりました。

             

             

            良好な交易関係にあった琉球とヤマトは、薩摩の琉球侵攻により敵対することになります。しかし、敵対と呼ぶには琉球軍はあまりにも弱かった。「琉球は武器の無い平和な国」という噂もありますが、それは間違い。武器はあったけど、でも、弱かった。

             

            すべての兵士が鉄砲を構えてる薩摩軍に対して、琉球軍は「鉄砲もあるにはある」というレベル。主な武器は弓矢でした。また、実戦経験豊富な薩摩軍に対して、琉球軍は奄美や先島で、言わばアマチュア相手の実戦経験があるだけ。3千人の薩摩軍を見たとたん、戦意喪失したのは当然でした。

             

             

            薩摩は、直ちに琉球を併合することはせず、内政干渉もせず、琉球が交易で得た利益を搾取することに徹しました。それはまさに、生かさず殺さず。以降270年の間、琉球は支配されることに慣らされ、日琉は同祖であると思わされ、ついに琉球処分の日を迎えます。そして、琉球処分から66年後の沖縄戦。

             

            戦前の糸満市場の写真が展示されていました。

             

             

            そこには、懸命に働くことで苦難を乗り越えてきた沖縄の暮らしがありました。

             

            米軍の大艦隊に島を包囲された時に降伏していれば、せめて首里が陥落した時に降伏していれば、写真の人達が命を落とすことはありませんでした。

             

             

            大本営は第32軍の牛島中将に「本土決戦のための時間稼ぎをせよ」と命じましたが、時間を稼いで一体何をしてたのか。て言うか、「本土決戦」って本土と沖縄の間に線を引いてますよね。

             

            歴史資料展で思ったことは、ウチナーンチュは、一貫して従順であったということ。言い変えれば、与えられた環境を前提にして、そこで何とかやっていこうとする気質。それは、島で暮らすことと深い関係がありそうです。

             

             

            ところで、そこでポリポリと煎餅を食べてるナイチのネトウヨ君。「沖縄の基地が無くなったら、中国に侵略されてウイグルやチベットみたいになるんだぞ」と言うけれど、沖縄県が全基地撤去を訴えたことはありません。

             

            自分勝手に決めた前提に、自らツッコミを入れてるだけ。つまり、マスターベィションなのよ。センズリは一人でこっそりかきなさい。

             

            それから、ウイグルやチベットに関して、どれほどの知見があるのかは知らんけど、今、中国がやってることは、わずか140年前にヤマトがやったことと同じだからね。琉球の子孫に対する、口の利き方に気をつけなさい。

             


            おお。忘れるところでしたが、このポスター。

             

             

            首里城図の作者、年代とも不明ですが、ポスター左下に年代を知るヒントがあります。

             

            円鑑池(えんかんち)に浮かぶ弁財天堂(べざいてんどう)。その左手の建物には師範学校と記されています。現在の県立芸大の敷地です。

             

             

            師範学校は那覇西村で設立され、1886年にポスターの場所へ移転しました。そして、その年のうちに沖縄県尋常師範学校に改称されています。

             

            よって、首里城図に描かれているのは、1886年の首里城でしょう。琉球処分の7年後ですから、首里城に主はいません。

             

            (終わり)


            資料展「むかし沖縄」(2)

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              二件目は、琉球人行列彩色絵図。1832年の作品で、尚育王就任を恩謝するために江戸に上がった使節団を描いたものです。

               

               

              琉球は18回も江戸に使節団を派遣しています。奄美の島々、九州西岸から瀬戸内海を経て大阪までが船。そこから先は徒歩でした。片道2千キロ。

               

              絵図全体はカメラに入りきらず、上の写真はその1/4ほどです。この時の使節団は総勢98人。路次楽隊(チャルメラ隊)や琉球舞踊の舞踊家らが参加しており、日本各地で琉球芸能を披露したそうです。

               


              琉球人行列彩色絵図が描かれたのは、琉球処分の47年前。このころ、日本と琉球の両方で活発に流布されていたのが日琉同祖論です。


              椿説弓張月 為朝実伝(ちんせつゆみはりつき ためともじつでん)

               

               

              源為朝(1139-1170)は平安時代末期の武将で、義経の叔父にあたります。戦に敗れて伊豆大島に島流しになりましたが、船が遭難し、琉球に漂着したとされています。

               

              尚巴志が琉球統一を果たす250年ほど前、舜天(しゅんてん:1166-1237)という初代の中山王がいましたが、その舜天が為朝の子で、その王統にはヤマトゥの血が流れていると。つまり、日琉は同祖なのだと。

               

              まあ、そんな本です。

               

              これは伝説とも言えない、後世の付会の説ですが、昔も今も、日琉が同祖であったほうが都合が良い人達がいて、今なお、それを流布し続けています。

               

              私が浦添市教育委員会と激論(笑)した投稿があります。面白いので読んでみて下さい。


              牧港「テラブのガマ」 


              (続く)


              資料展「むかし沖縄」(1)

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                南風原の沖縄県公文書館に来ました。

                 

                所蔵資料展「むかし沖縄」。

                 

                 

                沖縄の歴史資料の大半は沖縄戦で失われてしまいました。公文書館には戦禍を免れた資料や、ナイチや海外へ渡っていた資料が収集され保管されています。

                 

                もちろん、貴重な歴史資料を散在させず、一ヶ所にまとめることで公文書館の役割は果たせているのですが、やはり質、量ともに「本来なら、こんなものではなかったはず」と思わざるを得ません。

                 

                失礼を承知の上で言えば、展示にストーリーを持たせるだけの資料が無く「あるものを並べました」みたいなことになるんですよ。同じことを、県立博物館や本島各地の歴史資料館、首里城でも感じます。

                 

                琉球王朝時代から引き継がれて来た、沖縄の歴史や文化の豊かな水脈が、沖縄戦のわずか3ヶ月で断ち切られてしまったことは、残念と言うほかありません。

                 

                 

                さて、今回の資料展は薩摩の侵攻(1609年)から沖縄戦直前までのもの。

                 

                薩摩の侵攻以降、その琉球支配は270年に及びましたが、吉屋チルー、恩納ナビー、玉城朝薫、平敷屋朝敏らはいずれもその時代の人達。私達が意識している琉球の文化はその時代のものと言っても良いでしょう。

                 

                そして、1872年の琉球藩設置から1879年の廃藩置県に至る琉球処分。首里城明け渡しを命じた処分官松田道之と随行者9名の写真が展示されていました。

                 

                 

                尚巴志が三山を統一を果たした1429年以降、560年続いた琉球王国は、この時、消滅してしまいます。

                 

                 

                琉球処分から沖縄戦直前までの歴史資料は、沖縄を日本に同化させるプロセスを示したものばかりで、正直なところ、気持ちが重くなるばかりです。

                 

                とはいえ、それでは投稿にならないので、展示資料を2件だけ紹介しましょう。

                 

                 

                一件目は、宮城文(みやぎふみ:1891-1990)さん。八重山出身者としては初めて、沖縄県立第一高等女学校に進んだ女性で、卒業後、石垣島で教師になりました。

                 

                沖縄県が彼女に嘱託したのは、標準語励行委員。

                 

                 

                これは「はぁ、そうですか」と、一旦横に置いときましょう。

                 

                宮城文さんは女性初の石垣市議会議員になるなど、八重山のリーダーの一人として活躍する一方、郷土史家として生涯をかけて八重山文化の継承に努めました。

                 

                「八重山生活誌」で第一回伊波普猷賞。

                 

                 

                更に、息子さんと共に石垣方言の研究に取り組み、彼女の没後に息子さんが完成させた「石垣方言辞典」は伊波普猷賞、ならびに吉川英治文化賞を受賞しました。

                 

                標準語励行委員に任命された人が、石垣方言辞典を完成させるなんて。これは少し気分が良かった。こんなヒネくれた喜び方をするのは私だけかもしれませんが、「ざまぁみろ」みたいな気持ちです(^^)

                 

                (続く)


                十貫瀬から樋川までの地形

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                  JUGEMテーマ:地域/ローカル

                   

                  十貫瀬から樋川までの地形図です。山原船が航行したかつての入江(汽水域)をイメージしてみましょう。

                   

                   

                  地図の上部に久茂地川。沖映通り左側の小さな隆起が十貫瀬です。沖縄の珊瑚礁は「瀬」と呼ばれていて、那覇近辺には伊奈瀬、自謝加瀬、干ノ瀬などがあります。沖映通り右側、久茂地川に平行する通りが長虹堤跡ですから、十貫瀬は海岸もしくは海上に位置していた「瀬」です。

                   

                   

                  では、十貫瀬から地図右下、農連プラザのある樋川まで、ガーブ川左岸を辿ってみます。

                   

                  十貫瀬からガーブ川を渡った所にある隆起は現在の緑ヶ丘公園。

                   

                  更に、パラダイス通りを横切った所に隆起があります。ここは公園ではなくて、こんな場所。

                   



                   

                  国際通りからスージを入ると意外な風景に出くわすことがありますが、初めてここに来た時には驚きました。国際通りのすぐ側にある里山の風景。詳しくはこちらから

                   

                   

                  地図をもう一度載せまして、国際通りを横切ります。

                   

                   

                  国際通りを横切った先に小さな隆起があります。国際通りからにぎわい広場に一方通行が抜けてる場所で、急斜面になってます。

                   

                  にぎわい広場から浮島通りを横切った先が松尾公園の丘。その先、開南中央通りに向かって急坂を下り、開南バス停に向かって再び登り坂になります。

                   

                   

                  再び、十貫瀬に戻って、沖映通りを横切った所に小さな隆起。名前は知りませんが、そこには確かに小さな森があります。

                   

                  沖映通りに沿って次のなだらかな隆起はりっかりっか湯裏手の森。

                   

                  国際通りを県庁前から、安里に向かって歩くと、松尾とてんぷす那覇辺りの2ヶ所に坂道があります。てんぷす那覇辺りで国際通りを横切った先の隆起が桜坂(希望ヶ丘公園)です。

                   

                   

                  長虹堤が築造された時代に戻り、開南バス停あたりに立って、山原船が浮かぶ海を眺めてみたいものだと思います。

                   

                  それで、こんな地形図を持ち出して、なんとかその風景をイメージしたいと考えましたが、やっぱり難しいな(笑)


                  ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(6)

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                    JUGEMテーマ:地域/ローカル

                     

                    航空写真をもう一度見ましょう。私は上から3番目のマークにいます。城岳の丘の南端です。

                     

                     

                    一方、丘の北端は城岳公園で、そこを下ると那覇高校。

                     

                    北斎の城嶽霊泉に描かれた城岳は山の形をしてました。1950年代にその山が平らに削られて新世界遊園地になり、閉園後、那覇市が公園を整備しました。

                     

                    城嶽(グスクダケ)は古波蔵の拝所。城嶽を城岳に書き換えるのは渋々オッケーとしても、ジョウガクは無いでしょう。

                     

                    「トゥミグシク」→「豊見城」→「トミシロ」も同じ。城(グシク)をジョウと読んだり、シロと読んだり、ナイチ読みに変える必要がありますかね。

                     

                     

                    丘の道に戻りましょう。

                     

                    森を右に見ながら進み、

                     

                     

                    突き当たりの森の手前を右です。

                     

                     

                    この辺りから、このブログの読者で、幼少期を楚辺で過ごしたうちなーんちゅさんのナワバリに入るみたいです(笑)

                     

                     

                    中山アパート前からの下り坂。丘の道はこのままひめゆり通りに出たのでしょうが、かつての路上にマンションが建ってます。

                     

                     

                    突き当たりを右に迂回して、丘の道に戻りました。ひめゆり通りはもうすぐです。

                     

                     

                    マンションを迂回する途中、聞き覚えのある琉舞研究所がありました。安次嶺利美琉舞研究所。

                     

                     

                    看板の前でしばし考えて、思い出しました。最近ここに琉球舞踊家の当銘由亮さんが芝居の稽古に通われてました。ここで待ち伏せしてサインを貰えばよかった(笑)



                    さて、ひめゆり通り(与儀大通り)に出ました。農協会館前バス停のすぐ横です。

                     

                     

                    ひめゆり通りを横断し、丘の道は続きます。

                     

                     

                    この場所は車両通行止め。

                     

                     

                    再び車道に戻り、丘の道は古波蔵の丘を登り始めました。ここから真玉橋の手前までは迷いようの無い一本道。ただし、西行きの一方通行です。

                     

                     

                    ここから先はまたいずれ。

                     

                    投稿6本を読んでいただいた読者の皆さん、お疲れ様でした。


                    ありがとうございます。m(_ _)m


                    ハーバービュー通りとひめゆり通りを繋ぐ古道(5)

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル 

                       

                      ところが、この展望台フージーは封鎖されていました。

                       

                       

                      ホームレスが雨宿りしたり、若い兄ちゃん達がタムロしたり、用も無いのに入って来るオヤジ(私ですが)がいたりするからでしょうね。

                       

                      やむを得ず、階段から私が進むべき道を観察しました。前方に森が見えるので、あの森の左側を抜けるようなルートをイメージしましょう。

                       

                       

                      その結果、丘の道はこの駐車場付近で左に入ることが分かりました。航空写真の上から2つ目のマークの位置です。

                       

                       

                      進みます。

                       

                       

                      進みます。

                       

                       

                      進みます。

                       

                       

                       

                      ひめゆり通り(与儀大通り)の旧農協会館裏の崖地に到着し、眺望が開けました。ここが城岳の丘の南端です。

                       

                       

                      那覇市場から国場に向かう丘の道は、この辺りで中間点。市場で日用品などを買った国場の女性は、このあたりで天秤棒を肩から降ろし、ホッと一息入れたかもしれません。

                       

                       

                      それにしても片道5キロ。行きも帰りも天秤棒を担いで、よく歩けたものです。しかも、陽射しが強い沖縄で。

                       

                      女性が天秤棒で運べる野菜は大した量にはなりません。だから、一日に何往復もしたそうです。

                       

                      私も八百屋で野菜を運んでますが「今日から天秤棒で運びなさい」と言われたら退職ですよ。退職(笑)

                       

                      (続く)


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                      念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
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