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沖縄県公文書館で沖縄交通史に関する資料が展示されていると知り、覗いてみました。何しろ自宅からバイクで10分、入場は無料です(^-^)v
琉球政府以降(一部は琉球王府)の公文書を保管するための施設ですから、当然、展示物は文書。歴史博物館をイメージして来館し、がっかりされた方は沖縄県立博物館や那覇市歴史博物館へどうぞ。
展示企画のタイトルは「沖縄の乗り物 公文書館資料にみる沖縄交通史」となっていました。
こちらは1981年作成の那覇市都市計画図に、建設準備段階のゆいレール路線図を書き加えたもの。
この路線図を眺めていて、色々な気づきがありました。
まず、終点が赤嶺駅になっていて、那覇空港駅がありません。現在の国内線ターミナルビルの供用開始は1999年ですから、那覇空港駅の位置が定まらなかったのだと思います。
こちらは駅名(案)のリスト。
田原、御成橋、真嘉比、末吉、汀良の各駅名は開業までに小禄、県庁前、おもろまち、市民病院前、首里に変わりました。
駅名の変更はゆいレールの準備段階から2003年の開業までの間に、新たなランドマークが沿線に現れたことによります。
ジャスコ那覇(1993)、沖縄県庁新庁舎(1990)、那覇新都心(1997)、市民病院(1980)、首里城(1992)。
「ウチナーンチュが駅まで歩くはずがない」と言われたゆいレールですが、年々乗客数を増やし、沖縄本島全バス路線の乗客数に肉薄しています。
路線の延伸や三両編成車両の導入などにより更に乗客数が増えるでしょうから、今年あたりバスを追い越すかもしれません。
観光客の私が沖縄に通い始めたのは2000年頃で、ゆいレールは建設中。開業直後のナハ・テラスの窓から地面が剥き出しの新都心が見えていました。
振り返れば、ゆいレールの開業までの約20年で、那覇には都市としての機能が(まがりなりにも)備わりました。その都市機能を結ぶ役割をゆいレールが果たしたことは間違い無いでしょう。