対馬丸生存者のオジィ

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    以前紹介した琉球新報の記事です。

     

     

    対馬丸対馬丸慰霊の日(3)樋川のオジぃ  

     

    かつて私はこのオジィと大喧嘩をしてしまいましたが、その後、オジィが対馬丸の生存者だと知り、その喧嘩を終わらせなくてはいけないと考えました。

     

    数日後、偶然オジィと会うことがありました。私がペコリと頭を下げ、オジィがニコッと笑って手を上げたことで、喧嘩はおしまい。それ以来、オジィが「おう」と手を上げれば、私が「ウッス」と応える間柄です。

     

     

    昨日、そのオジィが某青果店に現れました。

     

     

    私を見ると近寄って来て、「私のことを投稿してくれたんだね。息子が見つけてくれたんだよ。ありがとう。本当にありがとうね」と。

     

    いやぁ、仲直りしておいて良かった。

     

     

    それにしても、オジィは老いました。特にここ半年ほどの間に足元がおぼつかなくなり、言葉もやや聞き取りづらくなっています。

     

    戦後74年。戦争体験を語れる人がいなくなるのが、それほど先のことではないことを実感します。

     

     

    さて、こちらは読者のココナッツさんが教えてくれた「島々へ」。対馬丸の遺族が作った曲です。

     

     「島々へ」〜対馬丸から届いた唄〜 

     

     

    この曲を紹介した私の投稿は、このブログの人気記事ランキングで2ヶ月間トップを維持し、投稿へのアクセス数は1,500回を超えました。

     

    対馬丸事件を後世に伝えることについて、私なりにできることはあるということですね。

     


    この曲を唄っているのは、与那国島出身の民謡歌手大城謙さん。近々、ココナッツさんが家族旅行で沖縄に来る予定で、私を謙さんに紹介してくれるそうです。「島々へ」を生で聞けるかもしれません。

     


    「島々へ」を単に「良い曲」と言うだけでは何も伝わらないので、以下のような紹介文を作りました。是非、読んでみて下さい。


     

    皆さんは対馬丸をご存知でしょうか?

     

    沖縄戦の前の年に、那覇から九州へ向かった学童疎開船です。800人近い子供達が乗っていました。

     

    対馬丸は鹿児島県の悪石島沖で、米潜水艦に攻撃されて沈没しました。ごく少数は奇跡的に生還しましたが、多くは対馬丸と共に今も深い海の底にいます。

     

    春めぐり 花は咲けども悪石の 水底(みなそこ)の子ら あの歳のまま

     

    子供達は今も子供の姿のまま、海の底で眠っています。

     

    対馬丸の生存者、遺族、関係者には、共通したある想いがあります。それは、皆さんに悲しんで欲しい、憐れんで欲しいということではありません。

     

    子供達に与えられるはずだった人生を、今、皆さんが生きている。そのことを感じて欲しいということ。

     

    「島々へ」は反戦歌、厭戦歌ですが、今を生きている皆さんへの応援歌でもあります。皆さんの笑顔は子供達の笑顔です。皆さんの歌は子供達の歌です。

     

    皆さんの笑顔で島々を飾り続けていただきたい。つぐみのように歌っていただきたい。

     

    「島々へ」を聴いた皆さんが「これから先、子供達の分まで、より豊かな人生を送ろう」と思っていただけたなら、もう最高です。

     


    湖南丸を沈めた潜水艦

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      今月、第二次世界大戦中に沖縄近海で消息を絶った米潜水艦「グレイバック」が、久米島沖水深435mの海底で発見されました。

       

       

      乗組員は80名。

       

       

      グレイバックは那覇・大阪間の定期船「湖南丸」を沈めたことで知られています。

       

      湖南丸の乗員・乗客683人のうち約400人が随行していた船に救助されたものの、その船もまたグレイバックにより沈められてしまいます。学童疎開船「対馬丸」撃沈の前年のことでした。

       

       

      対馬丸記念館の裏手にある海鳴りの像。慰霊碑建立が先行した対馬丸を除く、25隻の戦時遭難船の犠牲者が祀られています。

       

       

       

      我が子の亡骸を抱く母と、刻み込まれた犠牲者の名前。

       

      湖南丸を沈めたのは確かにグレイバックではあるけれど、グレイバックの若い乗組員達にも母はいます。故郷から遠く離れた東洋の海に沈むグレイバックの映像を、遺族はどんな気持ちで見たことか。

       

       

      敵潜水艦を憎み、敵国を憎む感情は当然ですが、本来、憎むべきは戦争であり、それを回避できなかった指導者達でしょう。

       

      摩文仁の平和祈念館で目にしたこの言葉。

       

      「戦争このかた私たちは、あらゆる戦争を憎み、平和な島を建設せねばと思いつづけてきました。これが、あまりにも大きすぎた代償を払って得た、ゆずることのできない私たちの信条なのです」

       

      この言葉を胸に刻み、これに反する発言を繰り返す政治家や歴史修正主義者に権力を渡さないことが、私達の責任だと言えるでしょう。


      対馬丸慰霊の日(3)樋川のオジぃ

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        ココナッツさんと前後してikokaさんからも対馬丸の記事を読んだと連絡がありました。ナイチの皆さんが沖縄の新聞をよくチェックされていることに感心します。

         

        ikokaさんから送られてきた記事の写真を見れば、こいつは樋川のオジぃじゃないですか(^^)。電子版はこちらから 

         

         

        このオジぃはかつては私の宿敵でしたが、今は仲良くなり、親愛の情を込めて「クソジジィ」と呼んでます(^^)。(イッテQの出演者がいとうあさこを「ババァ」と呼ぶことと似てるのか?)

         

        かねひでの駐車場で隣の八百屋のトットローを見かけたので「樋川のクソジジィがね・・」と話しかけると、「樋川にクソジジィはいっぱいしてるけど、どのクソジジィね?」と言うので笑いました。

         

         

        私がこのオジぃと初めて会ったのは3年前のこと。某青果店が借りてる駐車場に車を停めてるオジぃがいたので、

         

        C「おいっ!。そこへ停めたら俺が停められへんやないかっ!!」

         

        ジ「ワーの土地にワーの車を停めて何が悪いっ!!」

         

        C「お爺さん。ボケるのは仕方がないとして、もう少し緩やかにボケなさい」

         

        ジ「なにをっ!!」

         

        と喧嘩になりました(笑)

         

         

        それで私が駐車場から店に戻ると、この駐車場の地主オジぃが先に着いてるじゃないですか。某青果店のお父さんとは幼馴染らしく、

         

        ジ「おまえのところの従業員はなんだっ!!」

         

        と叫んでるので、

         

        C「おいおい、今度は告げ口かい」

         

        ジ「なにをっ!!」

         

        と、両者の関係は泥沼化していったのでした(^^)

         

         

        一昨日の対馬丸慰霊祭には多くの遺族が集まりましたが、生存者の出欠は半々だったようです。欠席者の気持ちは「自分だけが生き残りながら、とても遺族の前には出られない」というもの。それでも意を決して出席した生存者は、慰霊よりも「申し訳ない」という気持ちだけ。出席者、欠席者のどちらもがつらい話です。

         

        その「申し訳ない」気持ちだけで生きてきた樋川のオジぃは「お前だけ生きて・・」と言われたら、誰も想像できない過酷な経験は横に置いて、頭を下げるしか無かったでしょう。

         

        一方、オジぃに酷い言葉を投げかけた遺族らを責められない気がします。私の子供が犠牲になったとして、生き残った子供とその親を目にしたら、「お前だけ生きて うちの子は」と思うに違いありません。口にするかしないかの違いはあるにせよね。

         

         

        私はこのオジぃと喧嘩した日に、某青果店のお父さんから「あれは対馬丸の生存者だ」と知らされて、さすがにへこみました。

         

        樋川の坂道を城岳へ上ると、刑務所裏の細い一本道に出ます。オジぃのお家はそのあたり。そこを私がバイクで走ってると、オジぃが自宅前でゴソゴソしてました。オジぃと目が合ったので、頭をぺこりと下げ、左手を軽く上げた私。オジぃは笑顔になり、両手を振って応えてくれて喧嘩はおしまい。

         

         

        記事を読むと、オジぃは疎開先の九州から朝鮮半島に渡ったようです。戦争が終わり、ナイチへ引き上げる船がまたもや事故に遭い、オジぃだけが生き残ったと。

         

        もう、運がいいのか悪いのか。このクソジジィ(^^)


        対馬丸慰霊の日(2)奥今日子さんの活動

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          8月19日の沖縄タイムスに奥今日子さんの記事が載ったと、読者のココナッツさんから連絡がありました。電子版はこちらから 

           

           

          今日子さんは対馬丸の犠牲者への追悼歌「島々へ」の作者で、対馬丸の惨劇をより多くの人達に知ってもらいたいと地道な活動を続けています。また、彼女は対馬丸の犠牲者の遺族でもあります。そしてココナッツさんはその活動の支援者の一人です。

           

          「島々へ」〜対馬丸から届いた唄 

           

           

          先日、今日子さんの活動を進める上で、解決すべき課題があるとココナッツさんから相談を受けたので、役に立ってくれそうな私の先輩(那覇市在住)を紹介することにしました。

           

          その課題の概要を記したレジメを私が作成し、今日子さんやココナッツさんに目を通してもらうと「これでよろしい」ということなので、昨日、そのレジメを先輩にFAXしようとしました。

           

          そして、FAXの発射ボタンをまさに押そうとしたその時に、突然、気が変わりました(笑)。昨日は対馬丸の慰霊の日でもあるし、何ごとも誠意が大切なので、先輩の職場まで足を運ぼうと。

           

           

          たまたま先輩が在席中だったので用件を伝えると、「久しぶりだからお茶でも飲んでいきなさい」になり、同僚の方にも同席いただくことになりました。

           

          伝えるべき事は伝え、先輩の協力が得られることがわかったので、結果はともかく、一つの道筋はつきました。今後は今日子さんやココナッツさんに直接やりとりしてもらいましょう。

           

           

          これがなかなかいい気分です。今日子さんの活動とそれを支援するココナッツさん達。その輪の端っこあたりに、私も立つことができました。

           

          沖縄で起きた問題はウチナーンチュに相談するに限ります。私が作成したレジメの行間をウチナーンチュなら読んでくれるんですよ。やっぱりね。

           

           

          写真は小桜の塔と同じ旭ヶ丘公園に建立された海鳴りの像。

           

           

          対馬丸以外にも海に沈んだ沖縄の疎開船があり、その数25。小桜の塔の建立が先行するかたちになったため、対馬丸以外の犠牲者を慰霊する目的で、この像が建立されました。

           

          像の作者は首里在住の画家、宮良瑛子さん。

           

           

          私は小桜の塔を拝礼する際に、併せて海鳴りの像にも拝礼することにしています。

           

          (続く)


          対馬丸慰霊の日(1)明仁天皇の和歌

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            学童疎開船対馬丸が(鹿児島県)悪石島沖で米軍潜水艦に撃沈された日から昨日で75年。那覇市若狭の小桜の塔で慰霊祭が行われました。

             

             

            対馬丸が悪石島沖の海底で発見されたのは1997年のことでした。水深が深い上に船体の劣化が激しく、引き上げることは難しいようです。

             

            対馬丸記念館を運営する対馬丸記念会の高良理事長は生存者の一人で当時4歳。2002年頃、高良さんは対馬丸記念館の建設に関わった橋本首相の事務所を訪ねました。そして壁に掲げてあった額に、たまたま目を向けたのでした。

             

            「疎開児の命いだきて沈みたる船深海に見出だされけり」

             

            高良さんは、この和歌を明仁天皇が対馬丸が発見された日に詠んだと知り、天皇皇后両陛下が毎年8月22日に対馬丸の犠牲者に対して黙祷を捧げていることも知りました。

             

            天皇や皇室にいい感情を持てなかった高良さんでしたが、その日を境にその感情が少しずつ変化します。2004年に対馬丸記念館が完成。そして2014年、小桜の塔に天皇皇后両陛下が供花、ご拝礼。

             

            対馬丸記念館で生存者や遺族と対面され、一人一人に話しかけられる両陛下と、感無量の面持ちでそれを見守る高良理事長。両陛下は滞在時間を大幅に超過して記念館を後にされたそうです。

             

             

            こちらは慰霊祭が終わった、昨日夕方の小桜の塔。

             

             

             

            この日は、多くの犠牲者が(生存者も)流れついた奄美大島や悪石島の海岸でも慰霊祭が行われました。

             

            (続く)


            読谷村楚辺のユーバンタ浜

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              読谷村楚辺のユー(世)バンタ浜。

               

               

              私は海を眺めながら、朝ご飯の弁当を食べてます。

               

               

              朝早く那覇の自宅を原チャリで出て片道28km。原チャリの行動範囲としては北限に近いでしょう。

               

               

              何故私がここで朝ご飯を食べてるかについては追い追いお話しするとして、まずこちらをご覧ください。

               

              「艦砲ぬ喰え残(ぬく)さー」は、沖縄の四姉妹ユニット「でいご娘」が50年近く唄い続けている反(厭)戦歌。その歌碑がここにあります。

               

               

              ここに歌碑を置いたのは、でいご娘の実家がこの近所にあることや、この浜が米軍の上陸地点だったことによります。

               

               

              「艦砲ぬ喰え残(ぬく)さー」の作者はでいご娘のお父さんの比嘉恒敏さん。比嘉さんは対馬丸で父親と長男を失い、疎開した大阪で空襲により妻と次男を失ってしまいます。

               

              比嘉さんは自分を「艦砲の喰い残し」と比喩し、どうしてあんな戦争を始めてしまったのか、恨んでも恨みきれない、悔やんでも悔やみきれないと唄いました。その想いを孫子の代にも、またそれ以降の世代にも伝えたいと願いました。

               

              この唄を四人の娘達に託した直後、比嘉さんと母親が乗った車に米兵が運転する車が衝突し、母と子はこの世を去りました。

               

               

              でいご娘が唄った「艦砲ぬ喰え残さー」はウチナーンチュから圧倒的な支持を得ました。四姉妹が50年近くも唄い続けた理由も、この場所に歌碑を建立した理由も、よくよく分かりますね。

               

               

              過去にも同じような投稿をしていますが、楚辺に来たので再度、投稿しました。

               

              カンポーの喰えぬくさー


              「島々へ」〜対馬丸から届いた唄〜

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                悪石島近くの海底に眠る対馬丸。水深が深い上に船体が脆くなっているため、引き上げることは難しいそうです。

                 

                 

                一つ前の対馬丸に関する投稿で、読者のココナッツさんが紹介してくれた唄「島々へ」。

                 

                ココナッツさんのメールから、彼女とこの唄との関わりを知り、それがあまりにも良い話だったので、彼女と私のやりとりを投稿することにしました。(もちろん彼女の了解の上)

                 

                とは言え、私信をそのままとはいかない部分もあり、私が形式的な修正を加えています。

                 

                 

                (1)ココナッツさんから私

                 

                Cさん こんにちは!

                 

                ココナッツこと群馬のSです。長くなりますが、これまでの経緯をお話しします。

                 

                10年前の旅行中のこと。石垣島の知人から「すごく良い唄だから」とデモ音源を渡された唄があります。私はその唄をとても気に入ってしまい、以来、ずっと聴き続けています。ところがこの唄はCD化されることもなく、ほとんど知られていません。

                 

                去年のこと。私はふと「こんなに良い唄は世に広めないと!」と啓示が降りてきたような気持ちになり、知人を通じて唄の作者へ連絡を取ってもらうことにしました。作者は40代の女性で今日子さんという方でした。

                 

                 

                今日子さんは、たまたま対馬丸に関するテレビ番組を観ていた時に、彼女の母親から「貴女のおばあちゃんの妹はこの船に乗って亡くなったのよ」と知らされて強い衝撃を受け、その日のうちにこの曲を書き上げたそうです。

                 

                THE BOOMの島唄が沖縄に書かされた唄であったように、この唄もまさに降りてきたように出来上がったそうです。

                 

                 

                その話を聞いた私は、ますますこの唄を広めたくなり、その気持ちを今日子さんに伝えたところ、彼女が対馬丸記念館のH理事を訪ねることになりました。

                 

                対馬丸の遺族でもあるH理事は、歌詞を読んだだけで涙を流されたそうです。そして「何人もの人が唄を作ってくれましたが、これほど前向きな気持ちにさせてくれた唄はありません」と言って下さったそうです。

                 

                H理事から「40代の貴女が本当にこの歌詞を書いたの?」と問われ、「そうです」と答えると、「きっと貴女は、おばあちゃんに書かされたのね」と言われたとのこと。今日子さんもその通りだと思ったそうです。

                 

                 

                 後日、私は今日子さんにこう言われました。

                 

                「貴女の住所を聞いた時には怖くて言えなかったけど、群馬は沖縄から嫁いだ祖母が暮らし、亡くなった所です」

                 

                 何故、私がこんなにも沖縄に惹かれ続け、この唄に選んでもらえたのか。そこに深い意味があるような気がするので、今後もこの唄を広める活動を続けるつもりです。

                 

                色々ハードルがあり、すんなりとは行っていませんが、この唄を聴き「なぜか涙が止まらない」と、私と同じように衝撃を受けた人達がいると聞き、やはりこの唄には何かがあると思っています。 

                 

                 

                それから、H理事に「遺族も高齢化し世代交代の時期に来ている」と言われたことが気になっています。遺族の皆さんにこの唄を聴いていただくために、急がなければなりません。 

                 

                最後に歌詞を載せます。 やはり、おばあちゃん(か、その妹さん)に書かされたとしか、私には思えません。


                 

                 


                「島々へ」

                 

                作詞・作曲  奥今日子 

                唄・編曲   大城謙 

                 

                永遠に島を飾り続けよ  つぐみとなり歌えよ

                 

                (一)

                夢も花も波音の渦  目を閉じれば母の声 

                夢色花  美しく悲しく咲いている 

                少女の夢は海の底へ  赤い空仰ぎ見て

                何を思い何を願わん  二度と起きぬ悲しみ 

                 

                夢色花のてぃんさぐよ  少女の笑顔となり 

                永遠に島を飾り続けよ  つぐみとなり歌えよ 

                 

                (二)

                月と星とが空に絶えぬよう  語りつがん遥かへと

                鉄鉛の音もう響くなと  赤く染みるなこの空

                 

                私も歌うつぐみとともに  島々に響き渡れ 

                海に沈んだ花の涙よ  あなたの胸にとどけ

                 

                夢色花のてぃんさぐよ  少女の笑顔となり

                永遠に島を飾り続けよ  つぐみとなり歌えよ

                 

                つぐみとなり歌えよ  つぐみとなり歌えよ

                 

                 

                (2)私からココナッツさん

                 

                Sさん

                 

                良い話を聞かせていただいて、ありがとうございました。 詞の内容はSさんが感じたように、対馬丸で亡くなった女の子の想いなんでしょうね。

                 

                その想いがお姉さんを通じて今日子さんに届き、Sさんに届いたということ。

                 

                H理事が涙を流されたのは、対馬丸の犠牲者や遺族の気持ちを、これほどまでに代弁してくれた唄がこれまでに無かったということでしょう。

                 

                犠牲者を憐れんで欲しい、悲しんで欲しいではなくて、幼くして失われてしまった子供達の将来(夢)を感じ取って欲しいということ。

                 

                戦争体験者の高齢化が進み、やがて語り部が居なくなる現実がありますね。これからは、対馬丸の悲劇を知った人達が、その事実から何を汲み取ることができるのか、その感受性を問われることになると思います。 

                 

                持ち上げるようでアレですが(笑)、Sさんはそれができているということ。素晴らしいと思いました。

                 

                 

                (3)ココナッツさんから私

                 

                「犠牲者を憐れんで欲しい、悲しんで欲しいではなくて、幼くして失われてしまった子供達の将来(夢)を感じ取って欲しいということ」

                 

                そうかもしれません。さすがCさん、すごい洞察力です。印象的だったH理事の言葉を思い出しました。H理事は歌詞を読んで「そうなのよね、暗い海の底に沈んだだけじゃないのよね」と言われたそうです。

                 

                どれほどの気持ちなのかと、私は泣けてきました。Cさんの解釈の通りだと思います。

                 

                それから、語り部がいなくなったあとの未来のことも納得です。Cさんに解釈してもらって、とてもよく分かりました。


                アニメ映画「対馬丸 〜さようなら沖縄〜」

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                  JUGEMテーマ:地域/ローカル

                   

                  読者のうちなーんちゅさんに教えてもらったアニメ映画「対馬丸 〜さようなら沖縄〜」をYouTubeで観ました。

                   


                  原作は大城立裕さんの「対馬丸」(講談社文庫)。上映時間は1時間10分です。

                   

                   

                  子供向けに過度な脚色を抑え、どちらかと言えば、淡々とストーリーが進みます。この内容なら子供達が対馬丸事件を充分に理解できるし、事件を知らない大人達にも、是非、観て欲しい作品です。

                   

                   サイパン島が陥落し、沖縄が戦場になることが予想される中、三隻の貨物船が疎開船として徴用され、二隻の軍艦がその護衛にあたることになりました。貨物船はいずれも老朽船で、学童疎開に充てられた対馬丸は、その中でも速力が劣っていました。

                   

                  船団が那覇を出港し九州へ向かう途中。悪石島近くの海域で米軍潜水艦に待ち伏せされ、船団から取り残され気味だった対馬丸が標的となりました。そして、4発の魚雷を浴び、あえなく沈没してしまいます。

                   

                   

                  ボートやイカダに乗ることができた生存者は、すぐに救助が来るものと考えました。ところが二隻の軍艦は、生存者の救出よりも残る二隻の護衛を優先し、現場に戻ることはありませんでした。

                   

                  直撃する台風、飢えや渇き、昼と夜の寒暖差、回遊する巨大な鮫。そして、家族や友達の死。ありとあらゆる苦難が生存者を襲いました。

                   

                  対馬丸に乗船した人数は引率の教員らを含めて1,700名。そのうち、生還者はわずか59名でした。

                   

                  対馬丸の悲劇(1) 

                  対馬丸の悲劇(2) 

                  小桜の塔と海鳴りの像(1) 小桜の塔 

                  小桜の塔と海鳴りの像(2) 海鳴りの像

                   

                   

                  小禄の某スナックで店の雑用をやってたオジぃはママの身内のようでした。ママによれば、そのオジぃは対馬丸の生存者の一人で、事件について一度も口を開いたことがないとのこと。沖縄戦で地獄を見た人達の多くは、その体験を語ろうとはしませんが、対馬丸の生存者には、よりその傾向が強い印象があります。

                   

                  海難事故に遭遇し、死線をさまよう経験をした人は沢山いるでしょう。その中で、運良く生還した人達がその時の様子を語らないかと言えば、そうではない気がします。

                   

                  では、対馬丸の生存者と、他の海難事故の生還者にどんな違いがあるんでしょう。私は時々、それを考えることがありました。小禄のオジぃに聞いてみるなんてできる訳がありませんから、単なる私の推測です。

                   

                  その推測を言いますと、対馬丸の生存者の多くは、海上で人間の姿をした人間ではないモノを見たのではないかと。あるいは、それが自分自身だったのではないかと。

                   

                   

                  「春めぐり 花は咲けども悪石の 水底の子ら あの歳のまま」

                   

                  当時の姿のまま海底に眠る子供達が不憫ではありますが、一方で、奇跡的に生還した子供達が事件からこれまでの75年間、どんな気持ちで生きて来たのか。「あのまま死んだほうが良かった」と思った人は少なくはないだろうなと思います。


                  デズモンド・トーマス・ドス氏の記念碑

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                    ここは、北中城村のセブンスディ・アドベンティスト教会。敷地内には、映画「ハクソー・リッジ」のモデルになった、デズモンド・トーマス・ドス氏の記念碑が建てられています。

                     

                     

                    セブンスディ・アドベンティストであるデズモンド・トーマス・ドス看護兵は、小隊が撤退した後もハクソー・リッジに残り、75名の兵士を救出したと。

                     

                     

                    アドベンティスト教会はキリスト教の一教派。ドス氏が肉の缶詰を同僚に渡したことや(菜食主義)、決して武器を手にしなかったのは、この教派の教えに忠実だったからのようです。

                     

                     

                    沖縄本島の各地に置かれているアドベンティスト教会や、教派の教えを取り入れたアドベンティスト・メディカルセンター(西原町)の存在は、ドス氏の功績と無関係ではないでしょう。教徒にとって彼は英雄で、この記念碑は映画の公開よりずっと前に建てられたようです。

                     

                    ハクソー・リッジ再訪(1) 

                    ハクソー・リッジ再訪(2) 

                     

                     

                    教会からの帰り道。北中城村「しおさい公苑」のヒマワリ畑に寄りました。

                     

                     

                     

                    先月がコスモス畑で、今月はヒマワリ畑。そして今、本島南部で桜が満開って貴方。秋であり、夏であり、春であると(^^)

                     

                    もう、なんか、ヌーガヌーヤラ(笑)

                     

                     

                    (追伸)

                    読者のうちなーんちゅさんは上記アドベンティスト・メディカルセンターで出生されたそうで、出生証明書を送っていただきました。出生を祝うかのような書面ですね。

                     


                    不発弾を現地で爆破するんやで

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                       

                      昨日投稿した、信管が取り外せない不発弾。現地でどのように爆破するのか?。何かでディフェンスしないことには、下の写真の円内が大変です。

                       

                       

                      この円内の3ヶ所にウチのお客様がいて、いずれも現地の至近距離。ここは私が様子を見ておかないと。

                       

                       

                      土嚢が円形に積み上げられていて、真ん中の穴の底に不発弾。遠隔操作で爆発させて、そのエネルギーは空に向かうと。仕掛けは一目瞭然でした。

                       

                      しかし、こんなことで大丈夫なのか?。せめて土嚢を5、6段は積み上げていただきたい。事故防止のため、処理の当日積むのかもしれません。

                       

                       

                      沖縄では、畑や空き地を宅地造成する際に、念入りに地中を探知します。万一、不発弾を見落としたりしたら、その真上で何十年も暮らすことになりますからね。だから、不発弾が見つかるのは概ねこんな場所です。

                       

                       

                      さて、現地視察を終えたので、配達を始めましょう。

                       

                      至近距離保育園の一軒目

                       

                      C「不発弾見て来たで」

                       

                      調「えっ?。不発弾が見つかったんですか?」

                       

                      C「はぁ、そっからね?。特殊な爆弾で、明日現地で爆破するって」

                       

                      調「ふ〜ん。どこですか?」

                       

                      C「すぐそこの整形外科の裏。月曜日に来たら園が無いかもな」

                       

                      調「ウフフ。その時は園の名前を"あおぞら保育園"にしま〜す(笑)」

                       

                      C「(^^)」

                       

                       

                      二軒目

                       

                      C「あっちはそんなこと言うんやで」

                       

                      調「言いそう、言いそう(笑)」

                       

                      C「太っ腹にもホドがあるやろ」

                       

                      調「ウフフ。いいはず〜(笑)」

                       

                      C「(^^)」

                       

                       

                      小禄で起きた爆発事故から44年。この人達は生まれてもいないのよね。だから不発弾処理なんて、気にも留めない日常なんでしょう。

                       

                      ところで、最初の写真に戻って、円内に住む住民の皆さんは、ちゃんと避難するんでしょうね。避難場所は公民館だけど、行ってみたら誰もいないかったりして(^^)

                       

                      何で、私だけが気を揉まなあかんのかってことですわ。ホンマ。


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                      念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
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