黎明の塔に参拝する自衛隊員

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    平和祈念公園の「黎明の塔」は旧日本陸軍第32軍の牛島満司令官と長勇参謀長を祀っています。

     

    毎年、慰霊の日の早朝に陸上自衛隊第15旅団(那覇)の旅団長らが、その「黎明の塔」に参拝してるんですって。

     

     

    旅団は「隊員個人の意思で私的に行っているもの」と説明しているそうです。

     

     

    いやぁ、知りませんでした。

     

    追悼式典が始まる前、まだ夜が明けてない時間帯に参拝するのは、人が集まる時間帯を避けているんでしょう。


    慰霊の日でなければ意味が無く、制服姿で行きたいわけだからそうなりますよね。


    それで「私的」ってのは無理があるように見えますが、「公的」ではマズいってことは分かってるんですね。

     

    そのような状況下で自衛隊員達は牛島満や長勇に対して何を語りかけているんでしょう。是非、知りたいわ。

     

     

    「再び沖縄が戦場になったら、貴方達のように戦います」

     

    と語ってるのかな?


    「私達は貴方達のように県民を巻き込むような戦争はしません」


    と語るのなら、手は合わせませんよね。

     

    陸上自衛隊に誰かいなかったかな。思いついたら聞いてみよ。


    神原小学校の不発弾

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      今朝、農連プラザ近くの神原小学校で不発弾処理がありました。

       

       

      体育館の建設現場で発見されたのは、米軍の5インチ艦砲弾。砲弾の直径が5インチなので、長さは70〜80cmくらい。重量は25kgほどです。

       

       

      不発弾のサイズとしては小さいほうですが、艦砲射撃で雨あられと飛んで来たのがこいつですから、地中に埋まってる数はダントツ一位でしょう。

       

       

      不発弾を処理する時間帯、付近の民家や事業所には避難指示(命令)が出ます。警察や消防が避難区域内をくまなくパトロールして、誰もいないことを確認し、それが終わるまで自衛隊は不発弾の処理を始めることができません。

       

      某青果店は避難区域内どころか、ほぼ中心部にあり、真っ先に避難しなくてはいけない立場でした。

       

      それをコロッと忘れた相棒のAが、店で人参の皮を剥いていたとしますね。「変らね。今日は誰も来ないさぁ」と思っていたら、いきなり警察が入って来て、「何してるっ!!」ってなりますね。相棒のAは人参の皮を剥いていたことを必死で説明するでしょう。

       

       

      この話はもちろん冗談です。冗談ですが、私は10人のうち8人を信用させる自信があります。それは私の話がリアルだからではなくて、「Aならやりかねない」と、聞き手が思ってくれるからですね。

       

      今日、私は休みましたが、相棒のAが店に来たかどうか、明日の朝、確かめてみます。

       

      冗談にならなかったら、一緒に笑いましょうね(笑)


      古堅小学校の対馬丸慰霊碑

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        読谷村立古堅小学校の校庭に建てられた、対馬丸の慰霊碑。

         

         

        阿麻和利の墓がすぐ近くなので、古堅小学校は知っていましたが、そこに対馬丸の慰霊碑があることは知りませんでした。

         

        古堅小学校の前身、古堅国民学校の学童20人が、対馬丸事件で亡くなっているんですね。

         

         

        その慰霊碑には、これまで私が何度か紹介してきた、この歌が刻まれていました。

         

         

        痛恨

         

        春めぐり

        花は咲けども

        悪石の

        水底の子ら

        あの齢のまま

         

        渡久山朝章 謹詠

        上間楠峰 謹書

         

        対馬丸記念館でこの歌を知り、私の頭から離れなかったのは、作者が「で、貴方はどうするの?」と訴えているように思えたから。「かわいそうだけじゃ済まないでしょ」と。

         

        この度、この歌の作者を初めて知りました。

         

         

        渡久山朝章(1928-)さんは、1990年にこの慰霊碑を建てた元古堅小学校長。元学徒兵だそうです。

         

        慰霊碑が建てられて30年。卒業生達は親となり、その子供達の世代が古堅小学校に通っています。

         

        そんな中、古堅小学校の6年生が、対馬丸の慰霊碑建立の経緯を再現した劇を自作しました。タイトルは「僕らが語り継いでいくべきこと」。

         

         

        一昨年開催された上演会には、渡久山元校長も招かれたはず。

         

        渡久山さんは、沖縄戦経験者として、慰霊碑を建立した元校長として、「春めぐり」で始まる歌の作者として、感慨無量だったのではないかと。

         

        沖縄県の小学校で、対馬丸の慰霊碑を建立したのは古堅小学校だけ。

         

        沖縄戦を、対馬丸の悲劇を語り継ぐ上で、古堅小学校の取り組みを一つのお手本にしたいと思います。


        広島の対馬丸学童慰霊碑

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          私の故郷広島を旅行中なのは読者のおもろさん。

           

          彼が比治山の広島現代美術館へ行くと言うので、時間があれば数枚の写真を撮って欲しいとお願いをしました。

           

           

          広島駅の近くにある小さな丘が比治山。

           

           

          太田川の三角州の上にある広島の街。比治山は瀬戸内海の島でしたが、川砂に飲み込まれ、今は比治山公園として整備されています。

           


          その比治山公園の一角に旧日本陸軍船舶砲兵部隊の慰霊碑があります。

           

           

          船舶砲兵部隊は、陸軍が徴庸した輸送船などに乗船し、船を護衛することを任務としていました。

           

          慰霊碑の銘板に記されているのは、

           

           

          船舶、船員、船舶砲兵・部隊将兵、乗船将兵、そして、対馬丸乗船沖縄疎開学童。

           

           

          対馬丸には41人の船舶砲兵が乗船していました。その中で生還し、唯一存命だった元兵士が、慰霊碑建立にあたり、是非、銘板に対馬丸疎開学童と記載して欲しいと働きかけたもの。

           

          それは、対馬丸の子供達を守りきれなかったことへの懺悔の気持ちであったと。

           

          沖縄の対馬丸記念館はこのことを知り、以来、慰霊祭に花束を送るなどして、戦没者遺族との交流を深めているようです。

           

           

          おもろさん、わざわざ慰霊碑に寄ってくれてありがとう。来週、沖縄に来るんでしょ?。お礼に一杯奢りますから、予定を知らせて下さい。

           

           

          それにしてもこのおもろさん。「天気がいいようだから島へ渡ってはどうか」と言われればフェリーで江田島に渡り、「写真を撮ってこい」と言われれば慰霊碑に向かい。どんだけ素直な男なんだろ(笑)


          対馬丸生存者のオジィ

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            以前紹介した琉球新報の記事です。

             

             

            対馬丸慰霊の日(3)樋川のオジぃ  

             

            3年ほど前、私はこのオジィと実に些細なことで大喧嘩をしてしまいましたが、その後、オジィが対馬丸の生存者だと知り、私から頭を下げることにしました。それ以来、オジィが「おう」と手を上げれば、私が「ウッス」と応える間柄です。

             

             

            昨日、そのオジィが某青果店に現れました。

             

             

            そして私に近寄り「私のことを投稿してくれてたんだね。息子が見つけてくれたんだよ。ありがとう。本当にありがとうね」と。

             


            オジィは老いました。特にここ半年ほどの間に足元がおぼつかなくなり、言葉もやや聞き取りづらくなっています。それでも私に礼を言うためにわざわざ店まで来てくれるなんて、喧嘩をしたら仲直りをしておくものです。


            戦後74年。オジィの様子を見れば、戦争体験を語れる人がいなくなることが、それほど先のことではないと実感します。琉球新報はタイミング良く、オジィを特集してくれました。

             

             

            さて、こちらは読者のココナッツさんが教えてくれた「島々へ」。対馬丸の遺族が作った曲です。

             

             「島々へ」〜対馬丸から届いた唄〜 

             

             

            この曲を紹介した私の投稿は、このブログの人気記事ランキングで2ヶ月間トップを続け、投稿へのアクセス数は1,500回を超えました。この地味なブログにとっては異例の数です。

             

            対馬丸事件を後世に伝えることについて、私にもできることはあるということですね。

             


            この曲を唄っているのは、民謡唄者の大城謙さん(与那国島出身)。近々、ココナッツさん家族が沖縄に来る予定で、謙さんと会い、「島々へ」を生で聞くチャンスがありそうだとのこと。


            ココナッツさんによれば、対馬丸の犠牲者の遺族で、対馬丸記念館の理事を務められている方が上記の音源を聴き、「これまで対馬丸に纏わる沢山の曲を聴いたけど、これほど元気づけられた曲はありませんでした。子供達はただ海の底に沈んでるだけじゃないのよね」と涙を流されたとのこと。


            対馬丸事件を知り、「島々へ」が完成した経緯を知ると、謙さんの唄はなおさら胸に響きます。また、謙さんの声が実にこの曲に合うのよ。



            そのあたりは「島々へ」を単に「良い曲」と言うだけでは伝わらないと考え、以前、以下のような紹介文をTwitterに投稿しました。読者の皆さんが、この曲に興味を持っていただけるようだとありがたいです。


             

            「島々へ」紹介文


            皆さんは対馬丸をご存知でしょうか?

             

            沖縄戦の前の年に、那覇から九州へ向かった学童疎開船で、800人近い子供達が乗っていました。

             

            対馬丸は鹿児島県の悪石島沖で、米潜水艦に攻撃されて沈没しました。ごく少数の子供達は奇跡的に生還しましたが、多くは対馬丸と共に今も深い海の底で眠っています。

             

            「春めぐり 花は咲けども悪石の 水底(みなそこ)の子ら あの歳のまま」

             

            子供達は今も子供の姿のまま、海の底で眠っています。

             

            対馬丸の生存者、遺族、関係者には、共通した「ある想い」があります。それは、皆さんに悲しんで欲しい、憐れんで欲しいということではありません。

             

            子供達に与えられるはずだった人生を、今、皆さんが生きている。そのことを感じて欲しいということ。

             

            「島々へ」は犠牲になった子供達への追悼歌ですが、今を生きている皆さんへの応援歌でもあります。皆さんの笑顔は子供達の笑顔です。皆さんの歌は子供達の歌です。

             

            皆さんの笑顔で島々を飾り続けていただきたい。つぐみのように歌っていただきたい。

             

            「島々へ」を聴いた皆さんが「これから先、子供達の分まで、より豊かな人生を送ろう」と思っていただけたなら、もう最高です。


            湖南丸を沈めた潜水艦

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              今月、第二次世界大戦中に沖縄近海で消息を絶った米潜水艦「グレイバック」が、久米島沖水深435mの海底で発見されました。

               

               

              乗組員は80名。

               

               

              グレイバックは那覇・大阪間の定期船「湖南丸」を沈めたことで知られています。

               

              湖南丸の乗員・乗客683人のうち約400人が随行していた船に救助されたものの、その船もまたグレイバックにより沈められてしまいます。学童疎開船「対馬丸」撃沈の前年のことでした。

               

               

              対馬丸記念館の裏手にある海鳴りの像。慰霊碑建立が先行した対馬丸を除く、25隻の戦時遭難船の犠牲者が祀られています。

               

               

               

              我が子の亡骸を抱く母と、刻み込まれた犠牲者の名前。

               

              湖南丸を沈めたのは確かにグレイバックではあるけれど、グレイバックの若い乗組員達にも母はいます。故郷から遠く離れた東洋の海に沈むグレイバックの映像を、遺族はどんな気持ちで見たことか。

               

               

              敵潜水艦を憎み、敵国を憎む感情は当然ですが、本来、憎むべきは戦争であり、それを回避できなかった指導者達でしょう。

               

              摩文仁の平和祈念館で目にしたこの言葉。

               

              「戦争このかた私たちは、あらゆる戦争を憎み、平和な島を建設せねばと思いつづけてきました。これが、あまりにも大きすぎた代償を払って得た、ゆずることのできない私たちの信条なのです」

               

              この言葉を胸に刻み、これに反する発言を繰り返す政治家や歴史修正主義者に権力を渡さないことが、私達の責任だと言えるでしょう。


              対馬丸慰霊の日(3)樋川のオジぃ

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                ココナッツさんと前後してikokaさんからも対馬丸の記事を読んだと連絡がありました。ナイチの皆さんが沖縄の新聞をよくチェックされていることに感心します。

                 

                ikokaさんから送られてきた記事の写真を見れば、こいつは樋川のオジぃじゃないですか(^^)。電子版はこちらから 

                 

                 

                このオジぃはかつては私の宿敵でしたが、今は仲良くなり、親愛の情を込めて「クソジジィ」と呼んでます(^^)。(イッテQの出演者がいとうあさこを「ババァ」と呼ぶことと似てるのか?)

                 

                かねひでの駐車場で隣の八百屋のトットローを見かけたので「樋川のクソジジィがね・・」と話しかけると、「樋川にクソジジィはいっぱいしてるけど、どのクソジジィね?」と言うので笑いました。

                 

                 

                私がこのオジぃと初めて会ったのは3年前のこと。某青果店が借りてる駐車場に車を停めてるオジぃがいたので、

                 

                C「おいっ!。そこへ停めたら俺が停められへんやないかっ!!」

                 

                ジ「ワーの土地にワーの車を停めて何が悪いっ!!」

                 

                C「お爺さん。ボケるのは仕方がないとして、もう少し緩やかにボケなさい」

                 

                ジ「なにをっ!!」

                 

                と喧嘩になりました(笑)

                 

                 

                それで私が駐車場から店に戻ると、この駐車場の地主オジぃが先に着いてるじゃないですか。某青果店のお父さんとは幼馴染らしく、

                 

                ジ「おまえのところの従業員はなんだっ!!」

                 

                と叫んでるので、

                 

                C「おいおい、今度は告げ口かい」

                 

                ジ「なにをっ!!」

                 

                と、両者の関係は泥沼化していったのでした(^^)

                 

                 

                一昨日の対馬丸慰霊祭には多くの遺族が集まりましたが、生存者の出欠は半々だったようです。欠席者の気持ちは「自分だけが生き残りながら、とても遺族の前には出られない」というもの。それでも意を決して出席した生存者は、慰霊よりも「申し訳ない」という気持ちだけ。出席者、欠席者のどちらもがつらい話です。

                 

                その「申し訳ない」気持ちだけで生きてきた樋川のオジぃは「お前だけ生きて・・」と言われたら、誰も想像できない過酷な経験は横に置いて、頭を下げるしか無かったでしょう。

                 

                一方、オジぃに酷い言葉を投げかけた遺族らを責められない気がします。私の子供が犠牲になったとして、生き残った子供とその親を目にしたら、「お前だけ生きて うちの子は」と思うに違いありません。口にするかしないかの違いはあるにせよね。

                 

                 

                私はこのオジぃと喧嘩した日に、某青果店のお父さんから「あれは対馬丸の生存者だ」と知らされて、さすがにへこみました。

                 

                樋川の坂道を城岳へ上ると、刑務所裏の細い一本道に出ます。オジぃのお家はそのあたり。そこを私がバイクで走ってると、オジぃが自宅前でゴソゴソしてました。オジぃと目が合ったので、頭をぺこりと下げ、左手を軽く上げた私。オジぃは笑顔になり、両手を振って応えてくれて喧嘩はおしまい。

                 

                 

                記事を読むと、オジぃは疎開先の九州から朝鮮半島に渡ったようです。戦争が終わり、ナイチへ引き上げる船がまたもや事故に遭い、オジぃだけが生き残ったと。

                 

                もう、運がいいのか悪いのか。このクソジジィ(^^)


                対馬丸慰霊の日(2)奥今日子さんの活動

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                  8月19日の沖縄タイムスに奥今日子さんの記事が載ったと、読者のココナッツさんから連絡がありました。電子版はこちらから 

                   

                   

                  今日子さんは対馬丸の犠牲者への追悼歌「島々へ」の作者で、対馬丸の惨劇をより多くの人達に知ってもらいたいと地道な活動を続けています。また、彼女は対馬丸の犠牲者の遺族でもあります。そしてココナッツさんはその活動の支援者の一人です。

                   

                  「島々へ」〜対馬丸から届いた唄 

                   

                   

                  先日、今日子さんの活動を進める上で、解決すべき課題があるとココナッツさんから相談を受けたので、役に立ってくれそうな私の先輩(那覇市在住)を紹介することにしました。

                   

                  その課題の概要を記したレジメを私が作成し、今日子さんやココナッツさんに目を通してもらうと「これでよろしい」ということなので、昨日、そのレジメを先輩にFAXしようとしました。

                   

                  そして、FAXの発射ボタンをまさに押そうとしたその時に、突然、気が変わりました(笑)。昨日は対馬丸の慰霊の日でもあるし、何ごとも誠意が大切なので、先輩の職場まで足を運ぼうと。

                   

                   

                  たまたま先輩が在席中だったので用件を伝えると、「久しぶりだからお茶でも飲んでいきなさい」になり、同僚の方にも同席いただくことになりました。

                   

                  伝えるべき事は伝え、先輩の協力が得られることがわかったので、結果はともかく、一つの道筋はつきました。今後は今日子さんやココナッツさんに直接やりとりしてもらいましょう。

                   

                   

                  これがなかなかいい気分です。今日子さんの活動とそれを支援するココナッツさん達。その輪の端っこあたりに、私も立つことができました。

                   

                  沖縄で起きた問題はウチナーンチュに相談するに限ります。私が作成したレジメの行間をウチナーンチュなら読んでくれるんですよ。やっぱりね。

                   

                   

                  写真は小桜の塔と同じ旭ヶ丘公園に建立された海鳴りの像。

                   

                   

                  対馬丸以外にも海に沈んだ沖縄の疎開船があり、その数25。小桜の塔の建立が先行するかたちになったため、対馬丸以外の犠牲者を慰霊する目的で、この像が建立されました。

                   

                  像の作者は首里在住の画家、宮良瑛子さん。

                   

                   

                  私は小桜の塔を拝礼する際に、併せて海鳴りの像にも拝礼することにしています。

                   

                  (続く)


                  対馬丸慰霊の日(1)明仁天皇の和歌

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                    学童疎開船対馬丸が(鹿児島県)悪石島沖で米軍潜水艦に撃沈された日から昨日で75年。那覇市若狭の小桜の塔で慰霊祭が行われました。

                     

                     

                    対馬丸が悪石島沖の海底で発見されたのは1997年のことでした。水深が深い上に船体の劣化が激しく、引き上げることは難しいようです。

                     

                    対馬丸記念館を運営する対馬丸記念会の高良理事長は生存者の一人で当時4歳。2002年頃、高良さんは対馬丸記念館の建設に関わった橋本首相の事務所を訪ねました。そして壁に掲げてあった額に、たまたま目を向けたのでした。

                     

                    「疎開児の命いだきて沈みたる船深海に見出だされけり」

                     

                    高良さんは、この和歌を明仁天皇が対馬丸が発見された日に詠んだと知り、天皇皇后両陛下が毎年8月22日に対馬丸の犠牲者に対して黙祷を捧げていることも知りました。

                     

                    天皇や皇室にいい感情を持てなかった高良さんでしたが、その日を境にその感情が少しずつ変化します。2004年に対馬丸記念館が完成。そして2014年、小桜の塔に天皇皇后両陛下が供花、ご拝礼。

                     

                    対馬丸記念館で生存者や遺族と対面され、一人一人に話しかけられる両陛下と、感無量の面持ちでそれを見守る高良理事長。両陛下は滞在時間を大幅に超過して記念館を後にされたそうです。

                     

                     

                    こちらは慰霊祭が終わった、昨日夕方の小桜の塔。

                     

                     

                     

                    この日は、多くの犠牲者が(生存者も)流れついた奄美大島や悪石島の海岸でも慰霊祭が行われました。

                     

                    (続く)


                    読谷村楚辺のユーバンタ浜

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                      読谷村楚辺のユー(世)バンタ浜。

                       

                       

                      私は海を眺めながら、朝ご飯の弁当を食べてます。

                       

                       

                      朝早く那覇の自宅を原チャリで出て片道28km。原チャリの行動範囲としては北限に近いでしょう。

                       

                       

                      何故私がここで朝ご飯を食べてるかについては追い追いお話しするとして、まずこちらをご覧ください。

                       

                      「艦砲ぬ喰え残(ぬく)さー」は、沖縄の四姉妹ユニット「でいご娘」が50年近く唄い続けている反(厭)戦歌。その歌碑がここにあります。

                       

                       

                      ここに歌碑を置いたのは、でいご娘の実家がこの近所にあることや、この浜が米軍の上陸地点だったことによります。

                       

                       

                      「艦砲ぬ喰え残(ぬく)さー」の作者はでいご娘のお父さんの比嘉恒敏さん。比嘉さんは対馬丸で父親と長男を失い、疎開した大阪で空襲により妻と次男を失ってしまいます。

                       

                      比嘉さんは自分を「艦砲の喰い残し」と比喩し、どうしてあんな戦争を始めてしまったのか、恨んでも恨みきれない、悔やんでも悔やみきれないと唄いました。その想いを孫子の代にも、またそれ以降の世代にも伝えたいと願いました。

                       

                      この唄を四人の娘達に託した直後、比嘉さんと母親が乗った車に米兵が運転する車が衝突し、母と子はこの世を去りました。

                       

                       

                      でいご娘が唄った「艦砲ぬ喰え残さー」はウチナーンチュから圧倒的な支持を得ました。四姉妹が50年近くも唄い続けた理由も、この場所に歌碑を建立した理由も、よくよく分かりますね。

                       

                       

                      過去にも同じような投稿をしていますが、楚辺に来たので再度、投稿しました。

                       

                      カンポーの喰えぬくさー


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                      念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
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