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以前紹介した琉球新報の記事です。
かつて私はこのオジィと大喧嘩をしてしまいましたが、その後、オジィが対馬丸の生存者だと知り、その喧嘩を終わらせなくてはいけないと考えました。
数日後、偶然オジィと会うことがありました。私がペコリと頭を下げ、オジィがニコッと笑って手を上げたことで、喧嘩はおしまい。それ以来、オジィが「おう」と手を上げれば、私が「ウッス」と応える間柄です。
昨日、そのオジィが某青果店に現れました。
私を見ると近寄って来て、「私のことを投稿してくれたんだね。息子が見つけてくれたんだよ。ありがとう。本当にありがとうね」と。
いやぁ、仲直りしておいて良かった。
それにしても、オジィは老いました。特にここ半年ほどの間に足元がおぼつかなくなり、言葉もやや聞き取りづらくなっています。
戦後74年。戦争体験を語れる人がいなくなるのが、それほど先のことではないことを実感します。
さて、こちらは読者のココナッツさんが教えてくれた「島々へ」。対馬丸の遺族が作った曲です。
【MQube】島々へ / asahidoori https://t.co/E8HbNGpTBm #MQube
― 沖縄の風景 (@coralway39) June 14, 2019
この曲を紹介した私の投稿は、このブログの人気記事ランキングで2ヶ月間トップを維持し、投稿へのアクセス数は1,500回を超えました。
対馬丸事件を後世に伝えることについて、私なりにできることはあるということですね。
この曲を唄っているのは、与那国島出身の民謡歌手大城謙さん。近々、ココナッツさんが家族旅行で沖縄に来る予定で、私を謙さんに紹介してくれるそうです。「島々へ」を生で聞けるかもしれません。
「島々へ」を単に「良い曲」と言うだけでは何も伝わらないので、以下のような紹介文を作りました。是非、読んでみて下さい。
皆さんは対馬丸をご存知でしょうか?
沖縄戦の前の年に、那覇から九州へ向かった学童疎開船です。800人近い子供達が乗っていました。
対馬丸は鹿児島県の悪石島沖で、米潜水艦に攻撃されて沈没しました。ごく少数は奇跡的に生還しましたが、多くは対馬丸と共に今も深い海の底にいます。
春めぐり 花は咲けども悪石の 水底(みなそこ)の子ら あの歳のまま
子供達は今も子供の姿のまま、海の底で眠っています。
対馬丸の生存者、遺族、関係者には、共通したある想いがあります。それは、皆さんに悲しんで欲しい、憐れんで欲しいということではありません。
子供達に与えられるはずだった人生を、今、皆さんが生きている。そのことを感じて欲しいということ。
「島々へ」は反戦歌、厭戦歌ですが、今を生きている皆さんへの応援歌でもあります。皆さんの笑顔は子供達の笑顔です。皆さんの歌は子供達の歌です。
皆さんの笑顔で島々を飾り続けていただきたい。つぐみのように歌っていただきたい。
「島々へ」を聴いた皆さんが「これから先、子供達の分まで、より豊かな人生を送ろう」と思っていただけたなら、もう最高です。