読谷村楚辺のユーバンタ浜

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    読谷村楚辺のユー(世)バンタ浜。

     

     

    私は海を眺めながら、朝ご飯の弁当を食べてます。

     

     

    朝早く那覇の自宅を原チャリで出て片道28km。原チャリの行動範囲としては北限に近いでしょう。

     

     

    何故私がここで朝ご飯を食べてるかについては追い追いお話しするとして、まずこちらをご覧ください。

     

    「艦砲ぬ喰え残(ぬく)さー」は、沖縄の四姉妹ユニット「でいご娘」が50年近く唄い続けている反(厭)戦歌。その歌碑がここにあります。

     

     

    ここに歌碑を置いたのは、でいご娘の実家がこの近所にあることや、この浜が米軍の上陸地点だったことによります。

     

     

    「艦砲ぬ喰え残(ぬく)さー」の作者はでいご娘のお父さんの比嘉恒敏さん。比嘉さんは対馬丸で父親と長男を失い、疎開した大阪で空襲により妻と次男を失ってしまいます。

     

    比嘉さんは自分を「艦砲の喰い残し」と比喩し、どうしてあんな戦争を始めてしまったのか、恨んでも恨みきれない、悔やんでも悔やみきれないと唄いました。その想いを孫子の代にも、またそれ以降の世代にも伝えたいと願いました。

     

    この唄を四人の娘達に託した直後、比嘉さんと母親が乗った車に米兵が運転する車が衝突し、母と子はこの世を去りました。

     

     

    でいご娘が唄った「艦砲ぬ喰え残さー」はウチナーンチュから圧倒的な支持を得ました。四姉妹が50年近くも唄い続けた理由も、この場所に歌碑を建立した理由も、よくよく分かりますね。

     

     

    過去にも同じような投稿をしていますが、楚辺に来たので再度、投稿しました。

     

    カンポーの喰えぬくさー


    「島々へ」〜対馬丸から届いた唄〜

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      悪石島近くの海底に眠る対馬丸。水深が深い上に船体が脆くなっているため、引き上げることは難しいそうです。

       

       

      一つ前の対馬丸に関する投稿で、読者のココナッツさんが紹介してくれた唄「島々へ」。

       

      ココナッツさんのメールから、彼女とこの唄との関わりを知り、それがあまりにも良い話だったので、彼女と私のやりとりを投稿することにしました。(もちろん彼女の了解の上)

       

      とは言え、私信をそのままとはいかない部分もあり、私が形式的な修正を加えています。

       

       

      (1)ココナッツさんから私

       

      Cさん こんにちは!

       

      ココナッツこと(県名)の(本名)です。長くなりますが、これまでの経緯をお話しします。

       

      10年前の旅行中のこと。石垣島の知人から「すごく良い唄だから」とデモ音源を渡された唄があります。私はその唄をとても気に入ってしまい、以来、ずっと聴き続けています。ところがこの唄はCD化されることもなく、ほとんど知られていません。

       

      去年のこと。私はふと「こんなに良い唄は世に広めないと!」と啓示が降りてきたような気持ちになり、知人を通じて唄の作者へ連絡を取ってもらうことにしました。作者は40代の女性で今日子さんという方でした。

       

       

      今日子さんは、たまたま対馬丸に関するテレビ番組を観ていた時に、彼女の母親から「貴女のおばあちゃんの妹はこの船に乗って亡くなったのよ」と知らされて強い衝撃を受け、その日のうちにこの曲を書き上げたそうです。

       

      THE BOOMの島唄が沖縄に書かされた唄であったように、この唄もまさに降りてきたように出来上がったそうです。

       

       

      その話を聞いた私は、ますますこの唄を広めたくなり、その気持ちを今日子さんに伝えたところ、彼女が対馬丸記念館のH理事を訪ねることになりました。

       

      対馬丸の遺族でもあるH理事は、歌詞を読んだだけで涙を流されたそうです。そして「何人もの人が唄を作ってくれましたが、これほど前向きな気持ちにさせてくれた唄はありません」と言って下さったそうです。

       

      H理事から「40代の貴女が本当にこの歌詞を書いたの?」と問われ、「そうです」と答えると、「きっと貴女は、おばあちゃんに書かされたのね」と言われたとのこと。今日子さんもその通りだと思ったそうです。

       

       

       後日、私は今日子さんにこう言われました。

       

      「貴女の住所を聞いた時には怖くて言えなかったけど、(県名)は沖縄から嫁いだ祖母が暮らし、亡くなった所です」

       

       何故、私がこんなにも沖縄に惹かれ続け、この唄に選んでもらえたのか。そこに深い意味があるような気がするので、今後もこの唄を広める活動を続けるつもりです。

       

      色々ハードルがあり、すんなりとは行っていませんが、この唄を聴き「なぜか涙が止まらない」と、私と同じように衝撃を受けた人達がいると聞き、やはりこの唄には何かがあると思っています。 

       

       

      それから、H理事に「遺族も高齢化し世代交代の時期に来ている」と言われたことが気になっています。遺族の皆さんにこの唄を聴いていただくために、急がなければなりません。 

       

      最後に歌詞を載せます。 やはり、おばあちゃん(か、その妹さん)に書かされたとしか、私には思えません。


       

       


      「島々へ」

       

      作詞・作曲  奥今日子 

      唄・編曲     大城謙 

       

      永遠に島を飾り続けよ  つぐみとなり歌えよ

       

      (一)

      夢も花も波音の渦  目を閉じれば母の声 

      夢色花  美しく悲しく咲いている 

      少女の夢は海の底へ  赤い空仰ぎ見て

      何を思い何を願わん  二度と起きぬ悲しみ 

       

      夢色花のてぃんさぐよ  少女の笑顔となり 

      永遠に島を飾り続けよ  つぐみとなり歌えよ 

       

      (二)

      月と星とが空に絶えぬよう  語りつがん遥かへと

      鉄鉛の音もう響くなと  赤く染みるなこの空

       

      私も歌うつぐみとともに  島々に響き渡れ 

      海に沈んだ花の涙よ  あなたの胸にとどけ

       

      夢色花のてぃんさぐよ  少女の笑顔となり

      永遠に島を飾り続けよ  つぐみとなり歌えよ

       

      つぐみとなり歌えよ  つぐみとなり歌えよ

       

       

      (2)私からココナッツさん

       

      (本名)さん

       

      良い話を聞かせていただいて、ありがとうございました。 詞の内容は(本名)さんが感じたように、対馬丸で亡くなった女の子の想いなんでしょうね。

       

      その想いがお姉さんを通じて今日子さんに届き、(本名)さんに届いたということ。

       

      H理事が涙を流されたのは、対馬丸の犠牲者や遺族の気持ちを、これほどまでに代弁してくれた唄がこれまでに無かったということでしょう。

       

      犠牲者を憐れんで欲しい、悲しんで欲しいではなくて、幼くして失われてしまった子供達の将来(夢)を感じ取って欲しいということ。

       

      戦争体験者の高齢化が進み、やがて語り部が居なくなる現実がありますね。これからは、対馬丸の悲劇を知った人達が、その事実から何を汲み取ることができるのか、その感受性を問われることになると思います。 

       

      持ち上げるようでアレですが(笑)、(本名)さんはそれができているということ。素晴らしいと思いました。

       

       

      (3)ココナッツさんから私

       

      「犠牲者を憐れんで欲しい、悲しんで欲しいではなくて、幼くして失われてしまった子供達の将来(夢)を感じ取って欲しいということ」

       

      そうかもしれません。さすがCさん、すごい洞察力です。印象的だったH理事の言葉を思い出しました。H理事は歌詞を読んで「そうなのよね、暗い海の底に沈んだだけじゃないのよね」と言われたそうです。

       

      どれほどの気持ちなのかと、私は泣けてきました。Cさんの解釈の通りだと思います。

       

      それから、語り部がいなくなったあとの未来のことも納得です。Cさんに解釈してもらって、とてもよく分かりました。


      アニメ映画「対馬丸 〜さようなら沖縄〜」

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        読者のうちなーんちゅさんに教えてもらったアニメ映画「対馬丸 〜さようなら沖縄〜」をYouTubeで観ました。

         


        原作は大城立裕さんの「対馬丸」(講談社文庫)。上映時間は1時間10分です。

         

         

        子供向けに過度な脚色を抑え、どちらかと言えば、淡々とストーリーが進みます。この内容なら子供達が対馬丸事件を充分に理解できるし、事件を知らない大人達にも、是非、観て欲しい作品です。

         

         サイパン島が陥落し、沖縄が戦場になることが予想される中、三隻の貨物船が疎開船として徴用され、二隻の軍艦がその護衛にあたることになりました。貨物船はいずれも老朽船で、学童疎開に充てられた対馬丸は、その中でも速力が劣っていました。

         

        船団が那覇を出港し九州へ向かう途中。悪石島近くの海域で米軍潜水艦に待ち伏せされ、船団から取り残され気味だった対馬丸が標的となりました。そして、4発の魚雷を浴び、あえなく沈没してしまいます。

         

         

        ボートやイカダに乗ることができた生存者は、すぐに救助が来るものと考えました。ところが二隻の軍艦は、生存者の救出よりも残る二隻の護衛を優先し、現場に戻ることはありませんでした。

         

        直撃する台風、飢えや渇き、昼と夜の寒暖差、回遊する巨大な鮫。そして、家族や友達の死。ありとあらゆる苦難が生存者を襲いました。

         

        対馬丸に乗船した人数は引率の教員らを含めて1,700名。そのうち、生還者はわずか59名でした。

         

        対馬丸の悲劇(1) 

        対馬丸の悲劇(2) 

        小桜の塔と海鳴りの像(1) 小桜の塔 

        小桜の塔と海鳴りの像(2) 海鳴りの像

         

         

        小禄の某スナックで店の雑用をやってたオジぃはママの身内のようでした。ママによれば、そのオジぃは対馬丸の生存者の一人で、事件について一度も口を開いたことがないとのこと。沖縄戦で地獄を見た人達の多くは、その体験を語ろうとはしませんが、対馬丸の生存者には、よりその傾向が強い印象があります。

         

        海難事故に遭遇し、死線をさまよう経験をした人は沢山いるでしょう。その中で、運良く生還した人達がその時の様子を語らないかと言えば、そうではない気がします。

         

        では、対馬丸の生存者と、他の海難事故の生還者にどんな違いがあるんでしょう。私は時々、それを考えることがありました。小禄のオジぃに聞いてみるなんてできる訳がありませんから、単なる私の推測です。

         

        その推測を言いますと、対馬丸の生存者の多くは、海上で人間の姿をした人間ではないモノを見たのではないかと。あるいは、それが自分自身だったのではないかと。

         

         

        「春めぐり 花は咲けども悪石の 水底の子ら あの歳のまま」

         

        当時の姿のまま海底に眠る子供達が不憫ではありますが、一方で、奇跡的に生還した子供達が事件からこれまでの75年間、どんな気持ちで生きて来たのか。「あのまま死んだほうが良かった」と思った人は少なくはないだろうなと思います。


        デズモンド・トーマス・ドス氏の記念碑

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          ここは、北中城村のセブンスディ・アドベンティスト教会。敷地内には、映画「ハクソー・リッジ」のモデルになった、デズモンド・トーマス・ドス氏の記念碑が建てられています。

           

           

          セブンスディ・アドベンティストであるデズモンド・トーマス・ドス看護兵は、小隊が撤退した後もハクソー・リッジに残り、75名の兵士を救出したと。

           

           

          アドベンティスト教会はキリスト教の一教派。ドス氏が肉の缶詰を同僚に渡したことや(菜食主義)、決して武器を手にしなかったのは、この教派の教えに忠実だったからのようです。

           

           

          沖縄本島の各地に置かれているアドベンティスト教会や、教派の教えを取り入れたアドベンティスト・メディカルセンター(西原町)の存在は、ドス氏の功績と無関係ではないでしょう。教徒にとって彼は英雄で、この記念碑は映画の公開よりずっと前に建てられたようです。

           

          ハクソー・リッジ再訪(1) 

          ハクソー・リッジ再訪(2) 

           

           

          教会からの帰り道。北中城村「しおさい公苑」のヒマワリ畑に寄りました。

           

           

           

          先月がコスモス畑で、今月はヒマワリ畑。そして今、本島南部で桜が満開って貴方。秋であり、夏であり、春であると(^^)

           

          もう、なんか、ヌーガヌーヤラ(笑)


          不発弾を現地で爆破するんやで

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            昨日投稿した、信管が取り外せない不発弾。現地でどのように爆破するのか?。何かでディフェンスしないことには、下の写真の円内が大変です。

             

             

            この円内の3ヶ所にウチのお客様がいて、いずれも現地の至近距離。ここは私が様子を見ておかないと。

             

             

            土嚢が円形に積み上げられていて、真ん中の穴の底に不発弾。遠隔操作で爆発させて、そのエネルギーは空に向かうと。仕掛けは一目瞭然でした。

             

            しかし、こんなことで大丈夫なのか?。せめて土嚢を5、6段は積み上げていただきたい。事故防止のため、処理の当日積むのかもしれません。

             

             

            沖縄では、畑や空き地を宅地造成する際に、念入りに地中を探知します。万一、不発弾を見落としたりしたら、その真上で何十年も暮らすことになりますからね。だから、不発弾が見つかるのは概ねこんな場所です。

             

             

            さて、現地視察を終えたので、配達を始めましょう。

             

            至近距離保育園の一軒目

             

            C「不発弾見て来たで」

             

            調「えっ?。不発弾が見つかったんですか?」

             

            C「はぁ、そっからね?。特殊な爆弾で、明日現地で爆破するって」

             

            調「ふ〜ん。どこですか?」

             

            C「すぐそこの整形外科の裏。月曜日に来たら園が無いかもな」

             

            調「ウフフ。その時は園の名前を"あおぞら保育園"にしま〜す(笑)」

             

            C「(^^)」

             

             

            二軒目

             

            C「あっちはそんなこと言うんやで」

             

            調「言いそう、言いそう(笑)」

             

            C「太っ腹にもホドがあるやろ」

             

            調「ウフフ。いいはず〜(笑)」

             

            C「(^^)」

             

             

            小禄で起きた爆発事故から44年。この人達は生まれてもいないのよね。だから不発弾処理なんて、気にも留めない日常なんでしょう。

             

            ところで、最初の写真に戻って、円内に住む住民の皆さんは、ちゃんと避難するんでしょうね。避難場所は公民館だけど、行ってみたら誰もいないかったりして(^^)

             

            何で、私だけが気を揉まなあかんのかってことですわ。ホンマ。


            信管が取り外せない不発弾

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              沖縄では見慣れた看板ですが、今回はタチが悪そうです。

               

               

              発見されたのは日本軍が撃った直径20cmの砲弾で、信管が取り外せない特殊な構造とのこと。現地で爆破処理するそうで、那覇市内では3例目だそうです。

               

              一升瓶の底の直径が10cmですから、直径が2倍なら面積は4倍。高さが同じとすれば、砲弾は一升瓶4本分の太さになります。「えっ?」と思った人は文系ですね(笑)

               

               

              上の地図と概ね同じ範囲の航空写真です。ご覧の通りの住宅密集地。こんなモノの上で73年も暮らしてたんですねぇ。

               

               

              自衛隊の皆さん。危険な仕事をお願いして恐縮ですが、どうかよろしくお願い致します。

               

               

              沖縄本島の地中には、まだ2千発以上の不発弾が眠ってるそうで、迷惑極まりありません。この次の日曜日にもすぐ近くで不発弾処理があり、処理中、モノレールは運行を停止します。

               

              でもまあ、不発弾だったからこそ、救われた命があったと思うことにしましょう。

               

               

              過去の投稿はこちらから。

               

              沖縄の不発弾 

              寄宮国映通りは何故真っ直ぐなのか? 

              沖縄から不発弾が無くなるのはいつ? 

              不発弾の恐怖


              ハクソー・リッジ再訪(2)

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                それでは、米軍が縄梯子をかけた崖地へご案内します。

                 

                まず、浦添警察署横にある浦添大公園南口駐車場に車を停めます。駐車場脇の坂道を登ると復元された石畳があります。

                 

                 

                そこを抜けると、浦添大公園(浦添グスク)の芝生広場に出ます。

                 

                 

                この広場の北側は北谷、読谷方面の視界が開けていて、映画の公開後、ハクソー・リッジの案内板が設置されました。

                 

                 

                この案内板のあたりから、崖下を覗き込み、

                 

                「米軍はこの崖を縄梯子で登ったんだ。すご〜い!!」

                 

                などと言わないことです。案内板は浦添大公園で最も高く、眺めの良い所に設置されたってことで、そこの崖を米軍が登ったわけではありません。わざわざ崖の高い所を選んで縄梯子をかけるはずがありませんからね。

                 

                 

                芝生広場から崖に沿って東に少し歩くと、崖下に降りる細い急坂があります。以前はそこを直進すればハナリジーに出ましたが、今、その小道は封鎖され、雑草に覆われていました。

                 

                崖を降りた所には、前田高地平和之碑があり、

                 

                 

                その東側が、米軍が縄梯子を取り付けた崖地です。

                 

                 

                樹木を視界から消し、削られてしまった岩(弓ノコの歯)を崖上に積み重ねれば、映画のシーンがイメージできるか。と言えば、ちょっと無理。

                 

                 

                戦争中に、米軍が撮影した一枚の写真があります。腰に手をあてて崖の途中に立つ人物はデズモンド・トーマス・ドス氏(1916-2006)、ご本人だそうです。

                 

                 

                この写真の崖ならば、今、私の目の前にある崖から容易にイメージできます。映画に現れる崖とのギャップが脚色ということになりますね。

                 

                 

                衛生兵デズモンド・トーマス・ドスは、敵兵を一人も殺すことなく、命がけで多くの米兵を救いました。その活躍は、米国軍人最高位名誉勲章の受章に値するものでした。デズモンドさんは映画の公開前に亡くなりましたが、この映画には満足されているのではないかと思います。

                 

                 

                映画「ハクソー・リッジ」は優れた作品で、まだ観てない方には、是非、お勧めしたい。お勧めはしたいが「この映画を観たからと言って、沖縄戦(前田高地の戦闘)を語ってくれるなよ」とも言いたい。


                映画を観ても事実を知ったことにはなりません。事実と脚色の区別がつかないまま、何事かを語ることは控えるべきだということが、この投稿の趣旨でした。自戒を込めまして。


                ハクソー・リッジ再訪(1)

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                  2016年に公開された映画「ハクソー・リッジ」。タイトルを和訳すれば「弓ノコのように細長く隆起した地形」。浦添グスクの東側に位置する前田高地を米軍はハクソー・リッジと呼びました。

                   

                   

                   

                  私は2015年に前田高地を歩き、その東端にあるハナリジー(為朝岩)を訪ねました。

                   

                  浦添城跡のハナリジー(1)

                  浦添城跡のハナリジー(2)

                   

                  浦添グスクからハナリジーに繋がる小道は、前田高地の尾根の頂点にあります。

                   

                   

                  小道の左が尾根の北側斜面で、右が南側斜面。ここが立入禁止なのは両側の斜面に転落する危険があるからでしょう。前田高地の戦闘で、米軍がこの尾根に登ってきたことは知ってましたが、ハクソー・リッジと呼んだことは、映画の公開まで知りませんでした。

                   

                  「で、立入禁止を入ったのか?」と問われれば、その通りでございます(笑)。

                   

                   

                  映画の予告編でハクソー・リッジを「ノコギリ崖」と訳していますが、正確には「ノコギリ尾根」と訳すべきでしょう。崖の上、つまり尾根の岩がノコギリ状だったということ。

                   

                  映画の1シーンで、崖に取り付けた縄梯子を登る米兵達。

                   

                   

                  戦後、道路工事などに使うため、ノコギリ状の岩は削り取られ、今の尾根は多少のアップダウンはあるものの、ノコギリと呼ぶほどではありません。

                   

                   

                  映画「ハクソー・リッジ」では、縄梯子を登った場所で、日米の激戦が繰り広げられました。

                   

                   

                  これは明らかに脚色でしょう。尾根の上には斜面(崖)への転落が心配になるほどの小道があるだけで、大勢が向かい合ってドンパチやるようなスペースは無いんです。

                   

                  そして、そもそも日本軍が米軍と向かい合ってドンパチやったのかという疑問も湧きます。兵力や物資で圧倒的に優位な米軍に対して、日本軍に勝機があるとすれば奇襲しかありませんでした。

                   

                  日本軍は米軍の側面か、あるいは背後からしか攻撃できないので、米軍が所定の場所に来るまで、静かにジッとしていて、夜を待ったはずです。

                   

                  映画に、数人の日本兵が白旗を揚げて壕から出て来るシーンがありました。日本兵を取り囲む米兵達。そこで日本兵は手榴弾を取り出し、米兵に投げつけるんですよ。やりかねんなぁと笑ってしまいましたが、それを卑怯と言われても、仕方がないんですよ。

                   

                   

                  私は映画「ハクソー・リッジ」にケチをつけるつもりは毛頭なく、主人公の衛生兵デズモンド・トーマス・ドスが実在する人物で、この映画が実話に基づいていることも知っています。私は、現場を訪ねてみれば、事実と脚色の見分けがつくと言いたいのです。

                   

                  この映画をご覧になった方。日本軍の攻勢にあって、米軍が縄梯子を降りて退却するシーンがありましたね。あの時、日本兵は何故、縄梯子を切り落とさないのかと疑問に思いませんでした?

                   

                  これは私の解釈ですが、日本軍はハクソー・リッジで戦いたかったのですよ。戦車が上がって来れない場所に、米兵が順序良く縄梯子を登ってくるんです。そして、武器は人が持てるだけ。更に、崖の上には、両軍が正面から向かい合うような、広いスペースも無い。

                   

                  縄梯子は日本軍にとって、好都合だったのではないかと思います。読谷の海岸に米軍が上陸した際、日本軍が水際で攻撃しなかったことと似てるかもしれません。


                  (続く)


                  空中写真にみる沖縄のかたち

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                    JUGEMテーマ:地域/ローカル 

                     

                    久しぶりの沖縄県立公文書館です。

                     

                     

                    展示棟で写真展「空中写真にみる沖縄のかたち」を開催中。沖縄戦前後に米軍が撮影し、後に公文書館が収集した空中写真が展示されています。

                     

                     

                    これまで公文書館には何度か来てますが、用事が終わればさっさと帰るので、施設内をよく知りません。私だけかもしれませんが、ここは何やら人を寄せ付けない雰囲気があるのよね。

                     

                     

                    こちらが展示棟。

                     

                     

                    その奥には庭がありまして、

                     

                     

                    沖縄の井戸を模した造形物がありました。知らんかったわぁ。

                     

                     

                    公文書館は沖縄戦等の資料を散在させず、一ヶ所にまとめて保管するための施設です。私はその意義には大いに賛同するものの、施設としてはちょっとオーバースペックではないかと。

                     

                    竣工年で並べてみれば、県庁(1990)、公文書館(1995)、平和の礎(1995)、知事公舎(1997)。もちろんそれぞれ必要な施設ではあるけど、簡単に言ってしまえば「立派過ぎないか」と。

                     

                    この頃の沖縄で、大きな施設と言っても三越とか那覇タワーとか。それが「沖縄にもこんな施設ができていいんやぁ」と、以降、県民の意識が変わった気がします。

                     

                    もっとも、バブルな時期でしたから、「日本中がそうだろ」と言われればその通りでございます。
                     

                     

                    「文句があんのなら入んな」と言われては困るので、そろそろ展示室に入りましょう。

                     

                    特に目に付いた二枚の写真を紹介します。

                     

                    一枚目はこちら。

                     

                     

                    まず目に入るのは奥武山と南北明治橋。右手の炎や煙は気がつかないフリをして、東町あたりを拡大しましょう。戦前の那覇の中心街です。

                     

                     

                    久茂地川の河口から2本目が旭橋。すぐ手前に軽便鉄道の鉄橋が見えます。旭橋を東町に渡った道路と線路は街を斜めに横切って通堂に繋がっています。その斜めの通りの手前一帯が那覇市場。

                     

                    その更に手前。やはり斜めに横切る大通りが大門通り。右手から山形屋、那覇市役所、那覇郵便局などが並んでいます。

                     

                    この付近の詳細が過去の投稿にありますので参照下さい。

                     

                    戦前の那覇が模型で復元されるそうです(1)

                     

                     

                    先ほど気付かないふりをした炎と煙に戻ります。この写真には撮影日がありませんが、明らかに昭和19年10月10日の朝です。

                     

                    この日、午前4回、午後1回に分けて、述べ1,400機の米軍機が沖縄を襲いました。(10・10空襲)

                     

                    最初の攻撃目標は各地の飛行場と港湾でした。上の写真では、西本町や西新町に煙が上がっているように見えますが、攻撃目標は那覇港と停泊中の船舶。つまり、那覇空襲が始まった瞬間を捉えた写真です。

                     

                    写真で見る那覇の街は一見平穏に見えますが、この時、意表をつかれた那覇市民は慌てふためき、蜂の巣をつついたような状況にあったと思います。そして、この日のうちに那覇全域が焦土と化しました。

                     

                     

                    そして二枚目の写真。

                     

                    この写真は翌年7月に撮影されたようです。那覇の街は露出した地面が一面に広がるばかりで、何もありません。

                     

                     

                    広島県人の私がこの写真に既視感があるのは、原爆投下後の広島の写真を何度も見ているからでしょう。

                     

                    この二枚の写真が並んでるんですから、気分は最悪でした。絶句して言葉も無いので、突然ですが、この投稿は終わりです。

                     

                    写真展は9月2日まで。イチャンダ。


                    白梅の井泉(再訪)

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                      慶座絶壁(ギーザバンタ)を再訪したのは、崖下に下りる(遊歩道以外の)ルートを探すことが目的でした。それがうまく見つかった帰り道、私にはあと2ヶ所に立ち寄る予定がありました。

                       

                       

                      一つ目は白梅の井泉

                       

                      2、3年前、富盛の公民館で井泉の場所を教えてもらった際、たまたま居合わせた富盛の区長から、近々、八重瀬町に井戸を整備する予算を申請すると聞いていたのです。

                       

                      その時の井泉の様子です。

                       



                      「山井泉」の立て札はあるものの、井泉は草に埋もれていて、地面の凹凸でかろうじて場所が分かる状態でした。

                       

                       

                      あの井泉はどうなったのか。区長は予算を獲得できたのか。

                       

                      富盛バス停から八重瀬岳方向(西)に向かい、県道15号線が右にカーブする左手に小径があります。井泉はさとうきび畑の奥です。その更に奥に八重瀬岳。

                       

                       

                       

                      おおっ!!

                       

                      井泉が姿を現し、井戸の床には小さな香炉が置かれていました。

                       

                       

                      八重瀬岳第一野戦病院壕で白梅学徒達は過酷な毎日を過ごしていました。井泉での水汲みも大変だったと思います。

                       

                      そんな中、井泉で包帯や衣類を洗っている時だけは、青空の下、皆んなで歌を歌うことができました。彼女達が唯一、楽しい気持ちになれた時間だったようです。

                       

                       

                      それにしても区長はよくやりました。

                       

                      井泉の壁を補強したり、簡単な案内板を設置できればなお良かったと思いましたが、八重瀬町が除草費用しか出してくれなかったのかな。ケチだな(笑)


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                      念願の沖縄生活を始めて9年になりました。
                      沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@i.softbank.jp)
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