辻の二十日正月

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    今日は二十日正月。旧正月の行事が全て終わり、飾り物などの片付けをする日です。

     

    二十日正月の神事を見ようと、辻に来ました。

     

    かつて、神事と共に行われていた奉納演舞(スネー)は、3年前から3月の日曜日に移りました。ユイユイユイ。

     

    ジュリ馬、舞・・わず 

     

    辻の年中行事「尾類(ジュリ)馬行列」 

     

     

    言うまでもありませんが、彼女達はジュリではなくて、(琉球)舞踊家の皆さんです(笑)

     

     

    さてこの日。辻新思会の事務所を出たノロの一行は、あるお宅を目指しました。

     

     

    このお宅は、亡くなったジュリを弔う場所だったそうで、この日最初の拝みをしました。

     

     

    ノリトを口にしてはいますが、声には出しません。聞いてみたい気はするものの、聞こえても意味は分からないでしょう。

     

     

    次に向かったのは志良堂御嶽。辻発祥の地です。

     

     

    辻の開祖は首里の王女だと言われていて、引き続きノロ達は、王女が使った井戸や王女の墓で拝みをしました。

     

     

    かつて、ジュリ馬まつりは那覇大綱挽きまつり、那覇ハーリーと並んで、那覇三大まつりと呼ばれていました。

     

    ところがねぇ。遊女の行事ということで、誰かが「行政が援助するのはいかがなものか」と言い始め、行政がそれに同調してしまったんですよ。

     

    馬鹿ですねぇ、本当に馬鹿なんだもの(^^)

     

    彼らが推進した大綱挽きは綱の重量を争うギネス大会となり、ハーリーのサバニは見栄えを良くするために巨大化し、何の舟か分からなくなりました。

     

    綱引きにせよ、ハーリーにせよ、あれを神事と思ってる人は少ないはず。

     

     

    結局、元の位置にいて、伝統を継承しているのはジュリ馬まつりだけってことになりますね。


    壺屋のビンジュルグヮ

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      某青果店近くにある壺屋の御嶽は「ビンジュルグヮ」と呼ばれています。

       

       

      ビンジュルは沖縄の霊石信仰の一つのカタチ。写真の祠には霊石が祀られているはずです。

       

       

      また、この御嶽は壺屋のタチクチ、つまり壺屋の人達の元祖にあたります。正確に言えば、壺屋の家庭で引き継がれているトートーメーの最初の位牌がタチクチです。

       

      とは言え、御嶽であることに変わりは無く、祖先神がここに降りていらっしゃるわけですね。

       

       

      そこで疑問に思うのは、ナイチャーの私がウチナーンチュの祖先神を拝むことに意味があるのか、もしくは拝んでよいのかってこと。

       

      まあ、そこは相手も神様ですから「言いたいことがあるのなら聞いとくよ」くらいは反応していただけるだろうというのが私の解釈。

       

      私の沖縄生活に特段の問題は無いので、近況を報告しておきました。

       

       

      ところでこの日は那覇マラソンの日。私が市場で用事を済ませてる間にマラソンが始まってしまいました。

       

      つまりですね。この巨大リングの内側に私は今(笑)

       

       

      お家に帰れないじゃないの(笑)

       

       

      この人の洪水を、バイクはもちろん、人も渡ることはできません。

       

      先頭ランナーの先まで、つまり糸満あたりまでバイクを飛ばして迂回するか、2万6千人のランナーが通過するのを待つかの二者択一。ところが、私はどちらも嫌(笑)

       

       

      この日。ひめゆり通りでマラソンを応援されていた皆さん。与儀十字路の歩道橋をバイクを押して渡っていたオヤジを見ました?。

       

      それ、ワタクシでございます(笑)

       


      雨上がりの御嶽は清々しいか?

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        雨が降ったり止んだりの日曜日。部屋でウダウダしていることに嫌気がさし、雨が止んだスキを狙って、近くの御嶽へ行ってみることにしました。

         

        「何で御嶽なのか」についてはよくわかりませんが、気持ちを引き締めるとか、清々しい気持ちになるとか、そんなところだと思います(^^)

         

         

        こちらは南風原町津嘉山のクボー御嶽。かねひで津嘉山店の斜向かいにある小さな丘です。

         

         

        津嘉山発祥の地だそうで、だとすれば津嘉山で最も古い御嶽ということになります。

         

         

        御嶽は神が降臨する場所であり、先祖神を祀る場所でもあります。よって、ウチナーンチュにとって御嶽は聖地。

         

        そこが、ナイチャーの私にとっては理解が難しいところです。もちろん、私は御嶽を敬う気持ちを持っているつもりですが、正確に言えば、御嶽を敬うウチナーンチュの気持ちを敬っていると言えます。

         

         

        階段を上った先にある、丘の頂部の空間。

         

         

        ナイチャーであっても、感受性が高い人にとっては特別な空間だとわかるんでしょうね。

         

        私が何かを感じたとしても、それは先入観だとか、その時の私の心情を御嶽に反射させてるだけではないかと。

         

         

        御嶽の祠。

         

         

        シルカビ(白紙)とフィジュルウコー。

         

        ウチカビはご先祖様に、シルカビは神様にお渡しするお金です。白い紙に折り目をつけて丁寧にちぎります。

         

        フィジュルは冷たいを意味し、フィジュルウコーは燃やさない線香。凹凸がついて6本の線香に見えるフィジュルウコーが香炉ごとに2枚で12本。シルカビの上に12本のフィジュルウコーを置くことが拝みの作法なんですね。

         

         

        おそらくこの日の朝、どなたかが拝みに来られたのでしょう。雨の中、祠の前で作法に従って熱心に拝む姿に、私は心を打たれてしまうのよねぇ。

         

        気持ちを引き締めるとか、清々しい気持ちになるとかとはやや違ったかもしれませんが、いい気持ちになりました。

         

        では、雨が降り出さないうちに帰りましょう。


        カミダーリ

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          新年早々、スピリチュアルな話題で恐縮ですが、沖縄にはカミダーリという言葉があります。神障り。

           

          意訳すれば肯定的な狂気。例えば、修行僧が山中で、精神的、肉体的に自分を追い詰めた時に見える幻覚や、それに伴う異常な振る舞い。他から見れば狂気にしか見えませんが、精神の奥深くを自ら突き詰めようとするプロセスなので、それは肯定的な狂気。

           

           

          沖縄のシャーマンと言えばユタですが、そのユタが本物のユタになるまでの過程で、このカミダーリ(肯定的狂気)を経験してると聞きます。

           

          原因不明なストレスや痛みを訴える人がユタに助けを請う時、ユタとのやりとりの中で、突然泣き叫んだり、幻覚を見ることがあります。それはユタによって導かれたカミダーリで、その時その人の精神にユタがシンクロすることで、ストレスや痛みの原因を探ると。

           

           

          う〜む。怖い話ではあるけど、何故、そんなことができるのか、理系的で無責任な興味としては以前からあるのよね。

           

          あるいは、私の身近な人達の中には「見える人」が普通にいます。どうして見えてしまうのか、「見えない私」には興味があります。

           

           

          そこで、お正月の静かな環境の中、つまり暇なので、この方面の勉強をまったくしてない私が、自分の頭だけで、少し考えてみました。

           

           

          人の脳には、忘れてるはずの記憶が密かに、しかし大量に保管されています。アルバムに貼られた写真と、乱雑に箱に入れられた写真。忘れてるはずの記憶のほうが圧倒的に多いでしょう。見てみたい(^^)

           

          意識できる記憶に残すかどうかは脳が選びます。例えば、恥ずかしい記憶などは、忘れないことには生きていけなくなるので(笑)、脳の安定化装置が、いつの間か忘れたことにしてくれてるのですね。だったら見なくていいような(^^)

           

           

          意思決定を迫られて、なかなか決められないことがしばしばあります。それでも決めようとするなら、直感に頼って「えいやぁ」とやるほかありません。

           

          いい加減な決め方に見えますが、直感は忘れてるはずの記憶、つまり無意識の記憶から脳が導いた結論ですから、それなりの根拠があるはず。ヘタな考えよりマシなことがあるかもしれません。

           

           

          自信を持って決めたことであれ、直感で決めたことであれ、一度や二度は「選択を誤ったかもしれない」と心配になるのが普通で、実は勝負はそれから。

           

          「この選択で良かった」と思えるように為すべきことを為すことが大切で、それができないのなら、どの道を選んだとしても後悔することになります。

           

           

          さて、人の脳には、その無意識の記憶の奥に、さらに重要な記憶が存在するようです。それは遠い祖先から延々と引き継がれてきた記憶。

           

          産まれたばかりの赤ん坊が、呼吸をしたり、母乳を飲んだり、誰からも教えられてない行動を自然に行うことができます。それは、祖先から引き継がれてきた記憶があるから。本能の領域と言っても良いでしょう。

           

           

          以上のように、人の記憶には、少なくとも3通りがあります。意識にある記憶、無意識な記憶、祖先から引き継がれている記憶。

           

          ユタは、この3階層の記憶に意識的に出入りできるのではないかと思います。祖先と交信(又は記憶を共有)できるのもそのため。また、「見える人」は無意識のうちに、そこに出入りしてるのではないかと。

           

          で、意識的にはもちろん、無意識であっても、そこに出入りできない私には、何も分からないと。

           

           

          今年は、この方面にアプローチしたいと思います。度々投稿することはしませんが、自分で何がしか納得できたら、また、投稿します。

           

          そして、今日の投稿がズレズレなことに気づくと。アハハ(^^)


          何者かに見られている感覚

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            今朝、カマボコ屋のトモコオバぁと、こんな話になりました。

             

            ト「最近は何処か行ったね?」

             

            C「首里の末吉。ノロの屋敷が発掘中でね。それから末吉の森にある寺の跡。執心鐘入」

             

            ト「あぁ末吉ね。ウチはよ、あそこへ行くとラッパの音が聞こえるわけさ」

             

            C「それ普通は兵隊の足音とか、呻き声とかじゃないの?。何でラッパやねん」

             

            ト「だから、突撃する時のラッパさ」

             

            C「まあ、アンタなら聞こえるんやろな。俺は何処へ行っても何も聞こえんけど。でも、末吉の森と大里の御嶽だけは、ちょとあるな」

             

            ト「あるってなんね」

             

            C「何者かに見られてるのよ。暖かく見守られてるとかじゃなくて、無表情で見られてる感じ」

             

            ト「あぁ」

             

            C「あぁで止まんなよ(笑)」

             

            ト「あんたはよ。呼ばれてそこに行ったんだはず」

             

            C「あぁ、そうなの?。そりゃどうも」

             

            ト「入る時は『お邪魔します』って気持ちになりなさいよ」

             

            C「わかってる、わかってる」

             

            私はこのオバぁの言うことを信用してますから。ラッパの音が聞こえるのも、私が呼ばれているのも、そうなのかなと思ってます。

             

             

            会話の中で、私が挙げたのは末吉宮と南城市大里の食栄森(いいむい)御嶽。

             

            「何者かに見られている」のは人間とは限りません。例えば、末吉の森でこんな場所に立つと森に見られてる感じがあります。

             

             

            こちらの写真が食栄森御嶽の拝所。

             

             

            「御嶽・信仰」のカテゴリーで、過去の投稿が70本になりました。つまり私は結構ウロウロしてるほうですが、この2ヶ所は特別でした。理由は良く分かりません。

             

             

            末吉宮と食栄森御嶽の過去の投稿は以下の通りです。「糸満から南には行かんよ」みたいな方は、わざわざ読まないほうが良いでしょう。

             

            (末吉宮)

            琉球八社(1)末吉宮 

            末吉宮再訪(1) 

            末吉宮再訪(2) 

            末吉宮再訪(3) 

            末吉宮再訪(4)

             

            (食栄森御嶽)

            大里南風原集落の散歩(1) 

            大里南風原集落の散歩(2) 

            大里南風原集落の散歩(3) 

            大里南風原集落の散歩(4)

             


            遍照寺に釣鐘ありました

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              昨日の投稿は「遍照寺(万寿寺)に釣鐘はあったであろう」で終わってました。投稿の趣旨としてはそれで充分でしたが、せっかくなのでもう少し調べてみました。

               

              仏教を国家運営の中心に据えようとした尚泰久王(踏揚の父ちゃん)は、多くの寺院を建立し、26個の梵鐘を造りました。そのうちの一つが遍照寺に設置されており、拓本が現存しています。

               

              「万寿禅寺洪鐘銘(拓本)」

               

               

              右端「琉球国」から始まって、5列目に「寄捨万寿禅寺」の文字が見えます。

               

              万国津梁の鐘と同じく、臨済宗の僧侶渓隠安潜による漢文で、その内容は「この鐘を造ることで民衆が仏教的な平和を獲得し、国家もまた安泰であることを願う」というもの。尚泰久王の想いが込められていますね。

               

               

              写真は万国津梁の鐘。首里城正殿に懸けられていました。

               

               

              遍照寺の梵鐘はこれと同時期に造られていますから、同じデザインか、少なくとも似たものだったと思います。

               

              拓本の所有者であり歴史家の東恩納寛惇(1882-1963)は、遍照寺の梵鐘を「執心鐘入に登場する梵鐘である」と述べたそうで、私としてもスッキリです。


              首里末吉町のノロ殿内跡、遍照寺跡(2)

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                首里末吉のノロ殿内跡を通り過ぎると、末吉宮の参道に出ます。参道は「史跡末吉宮跡」の石碑を左折ですが、その石碑のやや手前を左折すると、遍照寺跡に近づくことができます。

                 

                 

                遍照寺があった頃からの道なのか、たまたまそっちへ向かってる新しい道なのかを私は知りませんが、いずれにせよ、遍照寺跡を目の前にして、道は途絶えてしまいます。

                 

                ノロ殿内跡の見学はドローンに阻まれ、遍照寺跡へはたどり着けず、まったく困ったものです。そこで、前々から疑問に思っていたことを少し調べてみました。

                 

                 

                組踊「執心鐘入」の舞台は末吉の森で、若松が逃げ込んだお寺が遍照寺とされています。道に迷ったのが末吉の森なのは良いとして、逃げ込んだ先が、何故お寺なのか。

                 

                民衆にとって信仰の場は御嶽であり、祭祀を仕切ったのはノロでした。神社やお寺は縁遠い存在だったはず。それなら、すぐそこでドローンがパタパタしてる真下が末吉ノロの屋敷ですから、若松はそっちへ逃げなさい。と思います。

                 

                まあそこはお寺で良いと譲ったとして、遍照寺には和尚や小僧達がいて、鬼と化した女がぶら下がれるような大きな釣鐘があったのか?

                 

                 

                朝薫はオリジナル(「道成寺」)を尊重して舞台をお寺にしたものの、それは架空のお寺で、たまたま末吉の森にあった遍照寺が、後付けで「執心鐘入」の舞台ってことになったのでは。と、私は疑ってるわけです。

                 

                 

                末吉宮を建立したのは尚泰久王(在位1454-1460)でした。その時、末吉宮の別当寺(神社を管理する寺)として、遍照寺(当時は万寿寺)が興されたようです。

                 

                この説明では遍照寺がまるで神社の社務所みたいに聞こえますが、神社とお寺の力関係はお寺が上。遍照寺が興されて、末吉宮が併設されたと言うほうが実態に近いでしょう。

                 

                こちらがその末吉宮。琉球八社の一つです。

                 

                 

                う〜む。遍照寺はなかなかのお寺だったようです。そして初代住職は鶴翁和尚で、高名な僧侶だったとのこと。それなら、小僧達もいたでしょう。

                 

                残るは釣鐘です。

                 

                琉球王朝時代の釣鐘と言えば万国津梁の鐘。1458年に尚泰久王の命により鋳造したものです。鐘の表には臨済宗の僧侶渓隠安潜による漢文が刻まれています。当時、沖縄の臨済宗の寺院では、釣鐘がちょっとしたブームだったそうですから、臨済宗の寺院である遍照寺に釣鐘があっても不思議はありません。

                 

                なぁんだ。簡単でした。玉城朝薫は「執心鐘入」の舞台として遍照寺を意識していたと思われます(笑)。私の誤解は解けました。

                 

                念のため、「執心鐘入」の初演は1719年ですから、とっくに遍照寺は実在しています。

                 

                 

                遍照寺が立派なお寺だったことは良く分かりました。それならば、茂みに阻まれて跡地に近づけないようでは困ります。那覇市当局は、末吉のノロ殿内跡と共に、遍照寺跡も整備して、末吉公園の一角に永久保存するべきでしょう。

                 

                「結局、そこ?」ってその通りです(笑)

                 

                (終わり)


                首里末吉町のノロ殿内跡、遍照寺跡(1)

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                  末吉公園内でノロ殿内跡の発掘調査が行われていると聞き、さっそく現地に向かいました。場所は沖縄そば「しむじょう」前の道を進んだ先。末吉公園駐車場のすぐ奥です。

                   

                   

                  現場ではドローンによる空撮中で、那覇市の職員に「撮影中は入れません」と言われてしまいました。確かに、そこらのオヤジが資料映像に写ってはマズイだろうなと思い、遠くから写真を撮りました。

                   

                   

                  ここに住んでいたのは末吉集落のノロ。地方ノロではありますが、かなり立派なお屋敷だったようです。ノロ殿内跡の存在は以前から知られていたところ、末吉公園整備事業の予算化を機に発掘し、その記録を残すことになったのです。

                   

                  そうなんです。保存ではなくて記録。記録が終われば、ノロ殿内跡は公園になります。

                   

                   

                  こうした琉球王朝時代の遺構を保存するか、記録にとどめるかは、行政が学識者の意見を踏まえて決めます。ところが、学識者(多くは大学教授)の判断は、学術的に価値があるか否かによります。

                   

                  学識者に「地方ノロの住居跡ならあちこちに残っているので、記録しておけば充分でしょう」などと意見されると、行政は「あっ、そうですか。ほんなら一応記録して、それが終わったら更地にしましょうね」ってなるわけです。

                   

                  なんだか、「海はなんぼでもあるっ!!」と言いつつ、そこらじゅうの海を埋め立てる発想に似てますね。まさか、ノロ殿内跡を芝地にして遊具なんかを置くんじゃないでしょうね。そんなら怒るで、しかし。

                   

                   

                  琉球王朝の神女制度は尚真王(1465-1527)が整備したとされています。全国的な祭政一致体制を確立したということ。1600年代に、それを形骸化させたのは薩摩藩でした。それは、琉球の統治機構から信仰を排除したということ。そして、琉球王朝の終焉と共に、神女制度は廃止になりました。

                   

                  今も、沖縄の各集落にはノロ殿内が残っています。次の写真は首里末吉町の集落内にある、現在のノロ殿内。

                   

                   

                  世襲を続けたノロが現存している集落もあります。次の写真は南風原町津嘉山の玉那覇ノロ(1992年)。

                   

                  私は末吉のノロ殿内跡をなんとか保存して欲しいと思います。沖縄戦で琉球王朝の遺構のほとんどは失われましたから、琉球の風を感じとれる場所はいくらあっても足りないくらいです。市民生活に影響を与える場所ならともかく、ここは公園の一角で、まさに好立地。これを保存しなくて何を保存するのかとさえ思います。

                   

                  とは言いながら、それは首里末吉町の皆さんが決めることなんでしょうね。もしそこで、不要の結論が出たのなら、本来、部外者が口を挟むことではありません。

                   

                   

                  せっかく来たのにノロ殿内跡をよく見れなかったので、この後私はすぐ近くの遍照寺跡に向かいました。長くなったので投稿を分けましょう。

                   

                  (続く)


                  今日は親父の誕生日

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                    JUGEMテーマ:地域/ローカル 

                     

                    今日は20年前に亡くなった親父の誕生日。生きていれば90歳です。

                     

                    私は「身体は動かなくなるし、頭は働かなくなるし、あんまり長生きするもんじゃないな」と考え、78歳くらいで終わるのが程良い感じかなと思っていました。

                     

                    ところが、市場で働くようになってからの5年間、私は健康そのもの。体調不良が理由で仕事を休んだことが一度もありません。経済的にはまったくダメダメですが、今の仕事のおかげで健康には自信がつきました。

                     

                     

                    言い換えると、それまで随分と不健康な仕事(生活も)をしていたということ。毎朝4時過ぎに眼を覚まして、肉体労働をする生活なんて想像したこともありませんでしたからね。

                     

                    そんなことで、今は「78歳で終わるのは惜しいかな?」と思うようになったので、目標を大幅上方修正して、90歳ってことにしておきます(笑)。

                     

                     

                    先日、具志頭のホロホローの森を歩いた時に見上げた崖地。

                     

                     

                    この時私は、確かに親父を思い浮かべてたんですよ。理由は分かりません。

                     

                    沖縄の祖霊信仰の考え方としては、このような巨岩に先祖神が降臨することになっています。そしてオバぁ達が「みーまんてぃうたびみそーり(見守って下さいね)」と祈ります。

                     

                    まあ、そんな心境に近いものがあったのかもしれません。

                     

                     

                    「よ〜し。俺はスーパーオジぃを目指すぞ!!(笑)」


                    南風原町宮平の善縄御嶽

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル


                      いつもの午後の配達。私は南城市大里にある山羊のいる保育園に向かってました。

                      そしたら、南風原の丸大スーパーの前を走行中に、右手に何かの赤瓦がチラッと見えたんです。「ほんなら帰りに寄ってみましょうか」ってなりますね。当然。

                      おお〜!!



                      何か知りませんが、立派な拝所が完成していました。

                      善縄大屋子之墓。



                      あっ、そうなんや。ここは善縄(ヨクツナ)御嶽があった場所かぁ。

                      2、3度来てるはずですが、雑草が多くて蚊に刺される雰囲気と言うか、アシバーがたむろする雰囲気と言うか、語るべき事も無かったのか、投稿もしてませんね。

                      それがまあ、立派になっちゃって。拝所の前は広場(ウガンヌ前公園)になり、ジョギングレーンあり、ステージあり、バスケのゴールやトイレまで完備。



                      南風原町はいつの間にかウェーキンチュなったんやぁ(笑)。


                      善縄大屋子は(現在の)南風原町宮平に住んでいた漁師で、使者の亀とともにニライカナイ(天国)へ行ったとされています。ナイチの天国は空の上にありますが、沖縄の天国は海の彼方にあり、使者はたいていの場合、美女と亀。

                      このあたりは(沖縄版)浦島太郎が住んでいたり、空から天女が舞い降りたりする民話の里です。


                      宮平は南風原間切の番所があった集落で、今も番所のフクギが健在です。古くから交通の要所であり、最近(?)では軽便鉄道の駅がありました。

                      繁栄した集落だから民話が生まれる土壌(豊かさ)があったのか、辛く厳しい生活の中で、現実逃避の手段として民話が生まれたのか。それはおそらく後者。

                      善縄大屋子はかけがえの無い人物で、集落の人達は彼の死を認めるわけにいかず、ニライカナイで生きていることにしたのではないでしょうか。例えばね。


                      立派な拝所とお墓を建ててもらった大屋子は、(昔と比べれば)豊かになった集落の様子に満足していることでしょう。

                      それにしても、南風原町はどうやって予算を工面したんでしょ。カボチャを大増産したのかな(笑)


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                      念願の沖縄生活を始めて11年になりました。
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