何者かに見られている感覚

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    今朝、カマボコ屋のトモコオバぁと、こんな話になりました。

     

    ト「最近は何処か行ったね?」

     

    C「首里の末吉。ノロの屋敷が発掘中でね。それから末吉の森にある寺の跡。執心鐘入」

     

    ト「あぁ末吉ね。ウチはよ、あそこへ行くとラッパの音が聞こえるわけさ」

     

    C「それ普通は兵隊の足音とか、呻き声とかじゃないの?。何でラッパやねん」

     

    ト「だから、突撃する時のラッパさ」

     

    C「まあ、アンタなら聞こえるんやろな。俺は何処へ行っても何も聞こえんけど。でも、末吉の森と大里の御嶽だけは、ちょとあるな」

     

    ト「あるってなんね」

     

    C「何者かに見られてるのよ。暖かく見守られてるとかじゃなくて、無表情で見られてる感じ」

     

    ト「あぁ」

     

    C「あぁで止まんなよ(笑)」

     

    ト「あんたはよ。呼ばれてそこに行ったんだはず」

     

    C「あぁ、そうなの?。そりゃどうも」

     

    ト「入る時は『お邪魔します』って気持ちになりなさいよ」

     

    C「わかってる、わかってる」

     

    私はこのオバぁの言うことを信用してますから。ラッパの音が聞こえるのも、私が呼ばれているのも、そうなのかなと思ってます。

     

     

    会話の中で、私が挙げたのは末吉宮と南城市大里の食栄森(いいむい)御嶽。

     

    「何者かに見られている」のは人間とは限りません。例えば、末吉の森でこんな場所に立つと森に見られてる感じがあります。

     

     

    こちらの写真が食栄森御嶽の拝所。

     

     

    「御嶽・信仰」のカテゴリーで、過去の投稿が70本になりました。つまり私は結構ウロウロしてるほうですが、この2ヶ所は特別でした。理由は良く分かりません。

     

     

    末吉宮と食栄森御嶽の過去の投稿は以下の通りです。「糸満から南には行かんよ」みたいな方は、わざわざ読まないほうが良いでしょう。

     

    (末吉宮)

    琉球八社(1)末吉宮 

    末吉宮再訪(1) 

    末吉宮再訪(2) 

    末吉宮再訪(3) 

    末吉宮再訪(4)

     

    (食栄森御嶽)

    大里南風原集落の散歩(1) 

    大里南風原集落の散歩(2) 

    大里南風原集落の散歩(3) 

    大里南風原集落の散歩(4)

     


    遍照寺に釣鐘ありました

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      昨日の投稿は「遍照寺(万寿寺)に釣鐘はあったであろう」で終わってました。投稿の趣旨としてはそれで充分でしたが、せっかくなのでもう少し調べてみました。

       

      仏教を国家運営の中心に据えようとした尚泰久王(踏揚の父ちゃん)は、多くの寺院を建立し、26個の梵鐘を造りました。そのうちの一つが遍照寺に設置されており、拓本が現存しています。

       

      「万寿禅寺洪鐘銘(拓本)」

       

       

      右端「琉球国」から始まって、5列目に「寄捨万寿禅寺」の文字が見えます。

       

      万国津梁の鐘と同じく、臨済宗の僧侶渓隠安潜による漢文で、その内容は「この鐘を造ることで民衆が仏教的な平和を獲得し、国家もまた安泰であることを願う」というもの。尚泰久王の想いが込められていますね。

       

       

      写真は万国津梁の鐘。首里城正殿に懸けられていました。

       

       

      遍照寺の梵鐘はこれと同時期に造られていますから、同じデザインか、少なくとも似たものだったと思います。

       

      拓本の所有者であり歴史家の東恩納寛惇(1882-1963)は、遍照寺の梵鐘を「執心鐘入に登場する梵鐘である」と述べたそうで、私としてもスッキリです。


      首里末吉町のノロ殿内跡、遍照寺跡(2)

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        首里末吉のノロ殿内跡を通り過ぎると、末吉宮の参道に出ます。参道は「史跡末吉宮跡」の石碑を左折ですが、その石碑のやや手前を左折すると、遍照寺跡に近づくことができます。

         

         

        遍照寺があった頃からの道なのか、たまたまそっちへ向かってる新しい道なのかを私は知りませんが、いずれにせよ、遍照寺跡を目の前にして、道は途絶えてしまいます。

         

        ノロ殿内跡の見学はドローンに阻まれ、遍照寺跡へはたどり着けず、まったく困ったものです。そこで、前々から疑問に思っていたことを少し調べてみました。

         

         

        組踊「執心鐘入」の舞台は末吉の森で、若松が逃げ込んだお寺が遍照寺とされています。道に迷ったのが末吉の森なのは良いとして、逃げ込んだ先が、何故お寺なのか。

         

        民衆にとって信仰の場は御嶽であり、祭祀を仕切ったのはノロでした。神社やお寺は縁遠い存在だったはず。それなら、すぐそこでドローンがパタパタしてる真下が末吉ノロの屋敷ですから、若松はそっちへ逃げなさい。と思います。

         

        まあそこはお寺で良いと譲ったとして、遍照寺には和尚や小僧達がいて、鬼と化した女がぶら下がれるような大きな釣鐘があったのか?

         

         

        朝薫はオリジナル(「道成寺」)を尊重して舞台をお寺にしたものの、それは架空のお寺で、たまたま末吉の森にあった遍照寺が、後付けで「執心鐘入」の舞台ってことになったのでは。と、私は疑ってるわけです。

         

         

        末吉宮を建立したのは尚泰久王(在位1454-1460)でした。その時、末吉宮の別当寺(神社を管理する寺)として、遍照寺(当時は万寿寺)が興されたようです。

         

        この説明では遍照寺がまるで神社の社務所みたいに聞こえますが、神社とお寺の力関係はお寺が上。遍照寺が興されて、末吉宮が併設されたと言うほうが実態に近いでしょう。

         

        こちらがその末吉宮。琉球八社の一つです。

         

         

        う〜む。遍照寺はなかなかのお寺だったようです。そして初代住職は鶴翁和尚で、高名な僧侶だったとのこと。それなら、小僧達もいたでしょう。

         

        残るは釣鐘です。

         

        琉球王朝時代の釣鐘と言えば万国津梁の鐘。1458年に尚泰久王の命により鋳造したものです。鐘の表には臨済宗の僧侶渓隠安潜による漢文が刻まれています。当時、沖縄の臨済宗の寺院では、釣鐘がちょっとしたブームだったそうですから、臨済宗の寺院である遍照寺に釣鐘があっても不思議はありません。

         

        なぁんだ。簡単でした。玉城朝薫は「執心鐘入」の舞台として遍照寺を意識していたと思われます(笑)。私の誤解は解けました。

         

        念のため、「執心鐘入」の初演は1719年ですから、とっくに遍照寺は実在しています。

         

         

        遍照寺が立派なお寺だったことは良く分かりました。それならば、茂みに阻まれて跡地に近づけないようでは困ります。那覇市当局は、末吉のノロ殿内跡と共に、遍照寺跡も整備して、末吉公園の一角に永久保存するべきでしょう。

         

        「結局、そこ?」ってその通りです(笑)

         

        (終わり)


        首里末吉町のノロ殿内跡、遍照寺跡(1)

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          末吉公園内でノロ殿内跡の発掘調査が行われていると聞き、さっそく現地に向かいました。場所は沖縄そば「しむじょう」前の道を進んだ先。末吉公園駐車場のすぐ奥です。

           

           

          現場ではドローンによる空撮中で、那覇市の職員に「撮影中は入れません」と言われてしまいました。確かに、そこらのオヤジが資料映像に写ってはマズイだろうなと思い、遠くから写真を撮りました。

           

           

          ここに住んでいたのは末吉集落のノロ。地方ノロではありますが、かなり立派なお屋敷だったようです。ノロ殿内跡の存在は以前から知られていたところ、末吉公園整備事業の予算化を機に発掘し、その記録を残すことになったのです。

           

          そうなんです。保存ではなくて記録。記録が終われば、ノロ殿内跡は公園になります。

           

           

          こうした琉球王朝時代の遺構を保存するか、記録にとどめるかは、行政が学識者の意見を踏まえて決めます。ところが、学識者(多くは大学教授)の判断は、学術的に価値があるか否かによります。

           

          学識者に「地方ノロの住居跡ならあちこちに残っているので、記録しておけば充分でしょう」などと意見されると、行政は「あっ、そうですか。ほんなら一応記録して、それが終わったら更地にしましょうね」ってなるわけです。

           

          なんだか、「海はなんぼでもあるっ!!」と言いつつ、そこらじゅうの海を埋め立てる発想に似てますね。まさか、ノロ殿内跡を芝地にして遊具なんかを置くんじゃないでしょうね。そんなら怒るで、しかし。

           

           

          琉球王朝の神女制度は尚真王(1465-1527)が整備したとされています。全国的な祭政一致体制を確立したということ。1600年代に、それを形骸化させたのは薩摩藩でした。それは、琉球の統治機構から信仰を排除したということ。そして、琉球王朝の終焉と共に、神女制度は廃止になりました。

           

          今も、沖縄の各集落にはノロ殿内が残っています。次の写真は首里末吉町の集落内にある、現在のノロ殿内。

           

           

          世襲を続けたノロが現存している集落もあります。次の写真は南風原町津嘉山の玉那覇ノロ(1992年)。

           

          私は末吉のノロ殿内跡をなんとか保存して欲しいと思います。沖縄戦で琉球王朝の遺構のほとんどは失われましたから、琉球の風を感じとれる場所はいくらあっても足りないくらいです。市民生活に影響を与える場所ならともかく、ここは公園の一角で、まさに好立地。これを保存しなくて何を保存するのかとさえ思います。

           

          とは言いながら、それは首里末吉町の皆さんが決めることなんでしょうね。もしそこで、不要の結論が出たのなら、本来、部外者が口を挟むことではありません。

           

           

          せっかく来たのにノロ殿内跡をよく見れなかったので、この後私はすぐ近くの遍照寺跡に向かいました。長くなったので投稿を分けましょう。

           

          (続く)


          今日は親父の誕生日

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            今日は20年前に亡くなった親父の誕生日。生きていれば90歳です。

             

            私は「身体は動かなくなるし、頭は働かなくなるし、あんまり長生きするもんじゃないな」と考え、78歳くらいで終わるのが程良い感じかなと思っていました。

             

            ところが、市場で働くようになってからの5年間、私は健康そのもの。体調不良が理由で仕事を休んだことが一度もありません。経済的にはまったくダメダメですが、今の仕事のおかげで健康には自信がつきました。

             

             

            言い換えると、それまで随分と不健康な仕事(生活も)をしていたということ。毎朝4時過ぎに眼を覚まして、肉体労働をする生活なんて想像したこともありませんでしたからね。

             

            そんなことで、今は「78歳で終わるのは惜しいかな?」と思うようになったので、目標を大幅上方修正して、90歳ってことにしておきます(笑)。

             

             

            先日、具志頭のホロホローの森を歩いた時に見上げた崖地。

             

             

            この時私は、確かに親父を思い浮かべてたんですよ。理由は分かりません。

             

            沖縄の祖霊信仰の考え方としては、このような巨岩に先祖神が降臨することになっています。そしてオバぁ達が「みーまんてぃうたびみそーり(見守って下さいね)」と祈ります。

             

            まあ、そんな心境に近いものがあったのかもしれません。

             

             

            「よ〜し。俺はスーパーオジぃを目指すぞ!!(笑)」


            南風原町宮平の善縄御嶽

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              いつもの午後の配達。私は南城市大里にある山羊のいる保育園に向かってました。

              そしたら、南風原の丸大スーパーの前を走行中に、右手に何かの赤瓦がチラッと見えたんです。「ほんなら帰りに寄ってみましょうか」ってなりますね。当然。

              おお〜!!



              何か知りませんが、立派な拝所が完成していました。

              善縄大屋子之墓。



              あっ、そうなんや。ここは善縄(ヨクツナ)御嶽があった場所かぁ。

              2、3度来てるはずですが、雑草が多くて蚊に刺される雰囲気と言うか、アシバーがたむろする雰囲気と言うか、語るべき事も無かったのか、投稿もしてませんね。

              それがまあ、立派になっちゃって。拝所の前は広場(ウガンヌ前公園)になり、ジョギングレーンあり、ステージあり、バスケのゴールやトイレまで完備。



              南風原町はいつの間にかエーキンチュなったんやぁ(笑)。


              善縄大屋子は(現在の)南風原町宮平に住んでいた漁師で、使者の亀とともにニライカナイ(天国)へ行ったとされています。ナイチの天国は空の上にありますが、沖縄の天国は海の彼方にあり、使者はたいていの場合、美女と亀。

              このあたりは(沖縄版)浦島太郎が住んでいたり、空から天女が舞い降りたりする民話の里です。


              宮平は南風原間切の番所があった集落で、今も番所のフクギが健在です。古くから交通の要所であり、最近(?)では軽便鉄道の駅がありました。

              繁栄した集落だから民話が生まれる土壌(豊かさ)があったのか、辛く厳しい生活の中で、現実逃避の手段として民話が生まれたのか。それはおそらく後者。

              善縄大屋子はかけがえの無い人物で、集落の人達は彼の死を認めるわけにいかず、ニライカナイで生きていることにしたのではないでしょうか。例えばね。


              立派な拝所とお墓を建ててもらった大屋子は、(昔と比べれば)豊かになった集落の様子に満足していることでしょう。

              それにしても、南風原町はどうやって予算を工面したんでしょ。カボチャを大増産したのかな(笑)


              豊見城城址はどうなっとるのか(続き)

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                先月投稿した「豊見城城址はどうなっとるのか」。あの時私は沖縄空手会館の駐車場にいました。これまで閉まっていた城址公園の門が撤去され、ずいぶん敷居が低くなったんです。


                豊見城城址を空から見れば、こうなってます。



                南端で(この時は)建設中の空手会館と、北側に広がる旧豊見城城址公園。私は空手会館から奥へ奥へと入ってみたい。

                ところが、空手会館から奥へは関係者しか入れないとのこと。関係者にも色々あろうかと思いますが、御嶽で拝む人は関係者。よって、私がそこに侵入するには拝むふりをするしか無く、まあ、だから、そのようにして入りました。


                さっそくですが、こちらは豊見瀬御嶽の拝所。上の写真の赤マークです。



                ここまでの経路を紹介したいところですが、拝みをする人が途中で車を停めてキョロキョロしたり、写真を撮ったりはしません。何やら看板もあったようですが「拝みに入りましょうね〜」と言いつつ、停まらずにここまで来ました。

                拝所の脇にある祠。御嶽に所縁のある門中ごとに分かれています。



                さて、これで私は念願だった豊見城グスクの一角に立ったのですが、どうも釈然としません。

                前回投稿したこの地図。



                豊見瀬御嶽は三層の城壁の最も内側にありました。首里城における首里森(スイムイ)御嶽と同じ位置付けでしょう。

                ところが、今、そこに立ってる気がせず、念のため写真と地図を照合してみると、私はグスクの南端あたりにいます。どうやら、城址公園造成の際に御嶽を南へ100mほど移動させたようです。


                グスクがあった方向の写真。



                本来なら、私はこの先へずんずん進み、縦横斜めに歩き回りながらグスクを偲びたい。ところが、私は拝む人ですから先に進む用事がありません。ここにも、先ほどより強い口調の看板がありまして、ロープまで張ってありました。

                残念ですが、引き返すしかありません。


                少し観光案内をしますと、最初の写真の黄色マークが漫湖の小島で、チーヤ(津屋)。



                那覇ハーリーの際、那覇、久米、泊の爬龍舟がチーヤに集結し、豊見瀬御嶽を拝んだそうです。現在のチーヤは宅地開発やマングローブの成長で、上の写真ほどはっきりとしていませんが、とよみ大橋または湿地センターの観察道からよく見えます。

                つまり、ここがハーリー発祥の地。




                御嶽からの帰り道、こんなものがありました。



                豊見城城址公園にはお猿の電車みたいなものが走ってたんでしょうか。この日の目的は達成したので、私はもはやオドオドしてません(笑)。何ヶ所かで車を停めて写真を撮りながら帰りました。


                久高島の散歩(3) 久高殿と外間殿

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                  久高島の存在を世に知らしめたのは、島の秘祭「イザイホー」と言えるでしょう。



                  12年に一度行われる、ノロ(神女)就任の儀式です。600年以上の歴史があり、来訪神信仰の儀式としては日本の祭祀の原型をとどめていると言われています。

                  しかし、イザイホーは有資格者の不在などの理由により、1978年を最後に途絶えています。儀式の段取りを知る神職者が亡くなり、イザイホーへの参加経験者も高齢化し、今後、イザイホーが復活したとしても、本来の段取りで行うことは難しいようです。


                  ここは久高殿(御殿庭:ウドゥンミャー)。島の祭祀場の一つです。



                  左から順にタルガナー、カミアシャギ、シラタル宮。

                  1978年のイザイホーの写真に、これらの拝所が写っていました。




                  もう一ヶ所の祭祀場が外間殿(フカマドゥン)。



                  どうやら、王府任命の公事ノロは外間家から、シマノロは久高家から選ばれたようで、それぞれに祭祀場があるということのようです。久高島初心者の私は、公事ノロとシマノロの違いが分かりません。


                  こちらは、島の西海岸、ロマンスロード近くにあるフボー御嶽。久高島最高位の御嶽です。



                  写真が案内板だけなのは、ここから先に入れないからです。御嶽に入ることが許されているのはノロだけです。

                  案内板によると、御嶽の様子はこうなっています。



                  右手に円形の空間があり、奥にはイビ(拝所)があります。ノロらが立つ位置が決まっていて、右手が久高ノロ・根神側座、左手が外間側座。

                  御嶽近くの浜はウグァンバマ。おそらく、聞得大君はここで舟を降り、イビに向かったのでしょう。

                  それから、首里への遥拝所(ワカリカサ)と玉城への遥拝所(ティリリカサ)があります。


                  数年前、秋篠宮ご夫妻が久高島を訪れ、紀子様がフボー御嶽にお入りになったそうですが、その動機を私は知りません。特に動機は無く、単に案内を受けたからお入りになっただけかもしれません。


                  結構、火が点いております、ワタクシ(笑)。今後、久高島と図書館を行き来することになりそうです。

                  と思っていたら、このブログの読者から連絡があり「よく来てくれました。私は久高島で3年暮らしました」と。

                  驚きましたが、彼はクダカー婿だそうで、いやぁ、早速先生が見つかりました(笑)

                  (続く)


                  浜比嘉島の散歩(5) シヌグ堂

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                    「浜比嘉島の散歩」のシリーズでありながら、近所のオバハンみたいなオッサンに話が飛んでしまい、失礼致しました。

                    話を浜比嘉島に戻し、西海岸の浜集落を歩きます。


                    浜比嘉島大橋から浜集落に入る手前にシヌグ堂と呼ばれる御嶽があります。巨大なガジュマルに包み込まれた空間です。



                    地面を這うガジュマルの根が、私に向かってくるように見えて、やや怯みました。



                    シヌグとは、農村のお祭りで男女が行う舞踊を意味します。

                    三山時代、戦に敗れた武将とその部下達が浜比嘉島に逃れ、ここに隠れました。島の人達はその兵を匿うために、海が時化ることを祈るシヌグを行ったと伝えられています。


                    こうした場所は伝説も併せて「島人の宝」なのだなぁなどと考えていたら、あることを思いつきました。

                    アマミキヨ、アマミク(阿摩美久)をわざわざアマミチューと言い換えるのは、アマミチューはアマミ人(チュ)で、シルミチューはシルミ人(チュ)なのでした。

                    三山の武将達を迎えたのがシマンチュならば、アマミチューやシルミチューは島に迎えられて島人になったのでした。


                    創造神の二人がウチナーンチュになる過程は、以前、ちょっとふれてますのでそちらの投稿もどうぞ。

                    2015.3.13 てだこ生誕の地「伊祖グスク」

                    (終わり)


                    浜比嘉島の散歩(3) シルミチュー

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                      アマミチューの墓にお参りして、次にシルミチューへ向かいました。

                      比嘉は静かな集落です。高い石垣、フクギ、赤瓦。沖縄の集落の特徴を備えています。



                      車の交通量が少ないスージは未舗装で、砕いた珊瑚が撒かれているのも、たいへん結構です。




                      シルミチューはアマミチューの夫だそうで、二人が生活した洞窟を夫の名で呼ぶようです。

                      シルミチューに続く道を歩くと、



                      その先に鳥居があり、長い石段が続いていました。



                      賽銭箱とか鳥居とか、最近になってヤマトの神社の要素を取り入れたようですが、比嘉集落に是非そうしたい(かつ、発言力のある)人がいたんでしょうね。私はそのヤマト化が好きではありません。


                      石段を登りきると、そこに洞窟がありました。



                      アマミチューが実在したのかとか、本当にこの洞窟に住んでいたのかとか、そんな議論に意味は無いでしょう。

                      そんなヒマがあるのなら、かつて浜比嘉島に移り住んだ人達が、どこから、どんな理由で島に来たのか、これまでどんな暮らしをしてきたのかを学びたいものです。

                      その過程で、アマミチューが島に住んだことを信じる理由が見えてくるのかもしれません。


                      貴方が観光客であっても、琉球の創造神がここで生活していたと思えるのなら、自己紹介をしても良いし、今日、ここを訪れた理由を伝えても良いでしょう。

                      そうすれば、貴方の沖縄旅行がより良いものになるよう、取り計らってもらえるかもしれません。

                      (続く)


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                      念願の沖縄生活を始めて8年になりました。
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