金城町石畳道周辺の文化財(4)

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    金城町石畳道周辺の各文化財にはこんな地図が置かれています。

     

     

    地図の上が金城ダム通り(坂下)で、下が赤マルソウ通り(坂上)。坂の上下を間違えなければ、この地図で充分周れます。

     

     

    金城町石畳道は一本道のように見えて、多くの脇道と交差しています。そして、金城町住民の生活道路でもあり、車か通行します。

     

    坂を上りながら(下りながら)どんどん脇道へ入ってみましょう。立派な石塀があり、重厚な石門があり、庭の植栽も楽しめます。

     

     

    この写真。先ほどの地図と上下逆さまです。ややこしくてすみません。


    金城町石畳道周辺の文化財(3)

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      (3)仲之川(ナーカヌカー)

       

      仲之川は金城大樋川から玉陵方向へ少し上った所にあります。

       

       

      「雨天にも濁らず、旱天にも枯れない」とたたえられた井戸ですが、立地は良くない印象です。

       

      左手の高い石積みが大雨で崩れたことがあるそうで、ちょっと無理したかもしれません。

       

       

      (4)上ヌ東門ガー(ウィヌアガリジョウガー)、下ヌ東門ガー(シチャヌアガリジョガー)

       

      いずれも、かつては共同井戸として活躍しました。

       

       

       

       

      (5)新垣ヌカー(アラカチヌカー)

       

      新垣さんの屋敷内に掘った井戸から水をひいて、誰にでも使えるようにしたカー。既に元の井戸が埋められてるので、水が流れることはありません。

       

       

       

      (6)潮汲川(ウスクガー)

       

      井戸に水があると楽しい(笑)

       

       

      この日回った井戸で、初めて湧き水を見ました。

       

       

      大きな蟹や小魚がいたので、水は常時溜まっているようです。

       

       

      この日の井戸は状態が良好で、きちんと整備されていました。ゴミや雑草を目にすることが無く、大変気持ち良く歩くことができました。

       

      願わくば、井戸には水が流れていて欲しいものです。急な斜面を上り下りしている中、湧き水で手を洗ったり、タオルを濡らしたりできれば最高なんですけどね。

       

      ちょっと無理だよなぁ。

       

      (続く)


      金城町石畳道周辺の文化財(2)

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        (2)金城大樋川(カナグシクウフフィージャー)と琉球紙

         

        金城村屋のすぐ隣にある、かつての共同井戸です。

         

         

        立派な井戸ですねぇ。大樋川を名乗るだけのことはあります。

         

        井戸が急斜面にあるため、背後に加えて左右にも強固な石積みが必要になり、規模を大きくせざるを得ません。だから、貯水槽や広場はむしろ小さめ。

         

        一方、水量が豊富なので、かけ樋は二本あり、貯水槽から溢れ出した水は直ちに手前の排水溝に吸い込まれる構造です。

         

        まとめますと、大規模ながらもコンパクトかつ高性能。

         

        素晴らしい井戸だと思います。

         

         

        大見武憑武(おおみたけひょうぶ)が薩摩で紙漉きの技法を学び、金城大樋川のそばで紙漉所を開設したのは17世紀のことでした。

         

        中国福建省は紙の生産地で、琉球は良質で安価な紙をいつでも手に入れることができました。だから、薩摩で学ぶ必要は無かったんですよ。ところが、既に琉球を支配していた薩摩が「公文書の紙を薩摩と同じにしなさい」と。

         

        しょ、しょうもなっ(笑)

         

         

        こういっちゃあナンですが、薩摩なんてのは、企業に例えれば債務超過で倒産寸前だっんですよ。それが、中国貿易で利益を上げていた琉球に目をつけて、武力で、すなわち恫喝して子会社化したんですよ。そして、上納金(品)を吸い上げ続けたと。

         

        つまり、物乞いのようなもの。物乞いは物乞いらしく大人しくしていれば良いものを、何もしないとますます物乞いに見えてしまうので、「紙漉きを学んで、紙を薩摩と同じにしなさい」と。

         

        「他にやることは無かったんかい」と言いたい。

         

        薩長土肥などと呼ばれ、薩摩は明治維新の立役者フージーしてますが、琉球のおかげでお金の心配が無くなったから、そこに加われただけじゃないの。

         

        そうでしょ?。

         

        (続く)


        金城町石畳道周辺の文化財(1)

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          金城町石畳道の代表的なショット。石敢當をフレームの左端に置くと構図が決まり、しゃがんで撮れば石塀を強調できます(^^)

           

           

          ここから金城橋まで250mの下り坂が続きます。

           

          坂の途中にある金城村屋(ムラヤ)です。坂を歩く人にとってはありがたい休憩所。木陰で涼んだり、冷たいものを飲んだり。

           

           

          そして、坂下まで下りて振り返ると(^^)

           

           

          「うっへぇ、これをまた上るのかぁ」と誰もが思うことでしょう。スキー場のようなリフトがあればねぇ(笑)

           

           

          石畳道の周辺には井戸や御嶽などの文化財が沢山あります。この日は復習も兼ねて、一通り見て歩くことにしました。

           

           

          (1)大アカギと内金城御嶽

           

          先ほどの石敢當を東に入ったところにある、6本の大アカギ。いずれも樹齢は2百年以上ですから、黒船来航も琉球処分も、このアカギは知っています。

           

           

          沖縄戦で、米軍は首里を北から攻めたので、首里の丘の北側は何も残らないほど破壊されました。一方、丘の南側は比較的被害が少なくて済みました。

           

          そこにあった大アカギや石畳道が残ったのは、塹壕に身を隠す兵士の姿を想像すると分かりやすいでしょう。

           

           

          それにしても立派なアカギです。琉球の人達がこの大木に、あるいはこの森に神が宿ると考えたのは当然です。

           

          内金城御嶽の小嶽(クタキ)と、

           

           

          大嶽(ウフタキ)。

           

           

          首里の丘にはこのような大アカギが普通に生育していたようです。アカギの森は雨水を蓄え、湧き水になりました。近くに沢山の井戸がある理由がそこにあります(井戸が枯れた理由も)。

           

          首里の丘の南斜面には、石畳だけではなく、アカギや御嶽や井戸が残っていて、琉球や戦前の沖縄を感じることができます。

           

          石畳道を真っ直ぐ下りて、真っ直ぐ上って、「疲れただけ」と言ってるようでは、まだまだなんですよ(笑)

           

          (続く)


          繁多川の神応寺石門と島豆腐

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            第一尚氏の時代に建立された神応寺。沖縄戦で失われ、跡地は繁多川公民館や図書館、ゲートボール場などになっています。

             

             

            こちらは、神応寺に併設されている識名宮の戦前の写真。

             

             

            お寺と拝殿ですから建築様式は異なるものの、写真の雰囲気が似てますよね。

             

            それは同じ人が同じ時に撮影したから(^^)

             

            建築史、美術史研究者の田辺泰さんが戦前の沖縄を訪れ、神社やお寺、グスクなどを撮影し、大著「琉球建築(昭和12年)」に収録したものです。

             

            昭和12年の沖縄(^^)

             

            いっ、行ってみたい!!

             

            那覇港に船が接岸した時、私は喜びのあまり、もうどうしたらいいのか分からんくなるでしょう(笑)

             

             

            話が逸れそうなので、神応寺に戻りましょう。つい最近、石門が修復されたと聞いたので、見に来たんです。

             

            現存する神応寺の石塀と、

             

             

            石門。

             

             

            この度修復されたのは、この石段です。繁多川自治会の依頼に那覇市が応じたもの。色の違いは時間が経つにつれ、解消されるでしょう。

             

            ほんと。繁多川自治会の、文化財を大切にする取り組みには頭が下がります。こうした取り組みの積み重ねは集落の「格」を上げますよね。今後ともよろしくお願い致しますm(_ _)m

             

             

            こちらはすぐ近くにあるボージガー(坊主川)。

             

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            どこの坊主かと言えば、当然、神応寺の坊主です。ボージガーはニックネームで、本名は「御穀泉(オコクガー)」。御穀は神様へのお供え物を意味します。

             

            今は飲めませんが、かつては数ある繁多川の井戸の中でも最上級の水質だったそうで、繁多川で美味しい豆腐(泡盛も)が作られたのは、この井戸のおかげでした。

             

            手作り島豆腐で有名な長堂豆腐店を取材した映像がYouTubeにありました。オヤジの顔を見ただけで、美味しい豆腐を思い浮かべることができます。

             


            旧真壁村(東部)の湧き水巡り

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              戻り梅雨の日曜日。糸満市の旧真壁村の湧き水を巡りました。

               

               

              (1)旧真壁村

               

              琉球王朝の時代、現在の糸満市域には、兼城、高嶺、真壁、摩文仁、喜屋武と五つの間切がありました。糸満という間切はありません。歴史と伝統の街として知られる糸満ですが、当時の地名には無かったということ。

               

              琉球王国が沖縄県となり、1908年に兼城村から糸満町が独立して、初めて地図に糸満の名が表示されました。だから、地名の歴史としては、まだ百年少しということになります。

               

              この日は旧真壁村の東部。真壁、新垣、真栄平、宇江城の各集落を歩きました。

               

               

              (2)新垣集落のソージガー

               

              新垣集落の公民館近くに立派な石垣のお宅がありました。西波平(屋号)さんのお宅。

               

               

              何で屋号が分かるのかといいますと、屋号地図ってあるんですよ。驚きますねぇ、住居地図の屋号版(^^)

               

               

              ソージガーに着きました。

               

               

                

              澄んだ水が流れる様子やその音が、どうしてこんなに気持ちが良いものなのか、と思います。湧き水巡りが楽しいわけです。

               

               

              ソージガーとは集落発祥の際、最初に水を汲んだ井戸を意味します。だから、同じ名前の井戸があちこちの集落にあるんですね。「ソージ」はおそらく「生じる」でしょう。

               

              井戸に降りる階段には、今朝落ちたばかりのサガリバナ。

               

               

              ご覧の通り雨が降りやまず、私はカッパを着て写真を撮ってます(^^)

               

               

              (3)新垣集落のアガリガー

               

              ソージガーはイリーガーとも呼ばれるそうで、そうすると当然にアガリガーがあります。

               

               

              このあたりの井戸は、斜面から樋を伝ってジャガジャガと流れるのではなく、窪地から湧き出すタイプが多いようです。高い丘がありませんからね。

               

               

              アガリガーはクヮッキナガーとも呼ばれているそうです。クヮックィユンは隠れるの意味で、つまり隠れ井戸。井戸周辺の地形的特徴を表していますね。

               

               

              (4)真壁チナー

               

              こちらの立派な石垣は金城増治家住宅。

               

               

              真壁集落の名を一躍有名にした沖縄そばの店「真壁チナー」がここで営業中です(この日は定休日)。

               

               

              屋号が喜納(チナー)なので真壁チナー。

               

               

              (5)真壁集落のシラカー

               

              真壁集落のシラカーに着きました。白井泉。

               

               

              なかなかの佇まいではありますが、工事中のロープや取水ホースが入り乱れて、集中治療室みたいになってます。

               

              とは言え、井戸は元気です。何本もの取水ホースが農業用水を汲み上げてます。

               

              湧き水はそのまま小川となり、畑に向かって流れています。その小川に大ウナギが住んでいたという伝承があるそうですが、この場所の原風景を想像すれば、「いたかもな」と思えます。

               

               

              (6)真壁集落のバンザイガー

               

              最後に訪ねたのはバンザイガー。ここは窪地と言うより、かなりの労力を使って掘ったみたいです。

               

               

              最深部にある井戸。

               

               

              振り返ると東側の降り口と、

               

               

              私が降りてきた西側の降り口。

               

               

              いやぁ、よく掘りました。万歳井泉。

               

              万歳には、両手をあげるバンザイの他に、長い年月から転じて「いつまでも生き栄える」の意味があります。深い井戸が完成したバンザイなのか、枯れない井戸であって欲しい万歳なのか。どちらもいいですね。

               

              相変わらず、黒い取水ホースが目立ちますが、先程も言ったように、これは井戸が元気な証拠ですから、努力して視界から消しましょう(笑)

               

               

              (7)糸洲のワイトゥイ

               

              旧真壁村には4つの集落があると言いながら、紹介した井戸は真壁と新垣だけ。「真栄平や宇江城には行ったんかい」と細かいことを気にされるムキもありましょうが、行きました。

               

              でもまあ、やはり井戸にも見栄えがありまして。まあ、そういうこと(笑)

               

               

              いずれ旧真壁村の西部(伊敷、糸洲、小波蔵、名城)も周るつもりですが、糸洲にちょっと寄りました。

               

              糸洲のワイトゥイ。

               

               

              いやぁ、美しくくびれています。どうしてワイトゥイが好きなのかよく分かりませんが、好きなんですよ。このブログをワイトゥイで検索すると沢山の投稿が出てきます。

               

              沖縄には「ハチャーガマク」という言葉があります。蜂の腰回り。

               

              農連のハチャーガマクは絶滅危惧種に指定されていて残念です。絶滅と言うと何かとカドが立つので、絶滅が危惧されるってことね。絶滅はしていない(笑)


              喜舎場、仲順の湧き水(2) 仲順集落

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                喜舎場集落の東隣。仲順集落のウフカーに着きました。

                 

                写真はウフカーの脇にある洗濯ガー。喜舎場の洗濯ガーと似てますね。

                 

                 

                「で、ウフカーの写真はどうした?」と言われましても、ちょっと(笑)

                 

                井戸を覆ってる無粋なコンクリート小屋と鉄格子。井戸を撮ろうにも、それだけが目立ってしまうし、背後の石組みが隠れてしまうのよね。まあ、だから写真はやめとこかと。

                 

                喜舎場のウフカーに比べて、人通りが少ない場所にあるので、子供の転落防止策が必要なことは分かります。ですので、いつか区の予算に余裕がある時に、井戸と調和するような防止策を講じていただきたいと、はい(^^)

                 

                 

                さて、仲順集落はエイサーの定番曲「仲順流り(チュンジュンナガリ)」の故郷。エイサー好きでこの曲を知らない人はいないでしょう。て言うか、この曲を聞くと夏が待ち遠しくなるのが普通です。

                 

                 

                「仲順流り〜久高万寿主」(仲順青年会)

                 

                 

                (一)七月七夕  中ぬ十日

                二才達が揃とてぃ  踊ぅゆたん

                 

                (二)仲順流りや  七ながり

                黄金のはやしん  七はやし

                 

                (三)仲順大主や  果報な者

                産子や三人  産しんじゃち

                 

                歌詞は七番まであり、上の青字は一番から三番まで。

                 

                歌詞の前半はエイサーが始まる高揚感や仲順の描写。中盤はかつての領主である仲順大主とその子供。後半は幼い頃に亡くなった母の面影を追いかける。

                 

                う〜む。分かったようで分からない歌詞だけど、曲調やハヤシがエイサーだから、ワクワクしていいじゃん。みたいな(^^)

                 

                 

                集落内に仲順大主のお墓がありました。

                 

                 

                お墓からの眺め。泡瀬海岸とその奥に与勝半島。仲順集落の一等地に墓所を決めたようです。

                 

                 

                沖縄市が進めてるクソのような埋立地も見えますね。腹の立つ。

                 

                (終わり)


                喜舎場、仲順の湧き水(1) 喜舎場集落

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                  北中城村喜舎場、仲順の井戸へ出かけました。沖縄自動車道喜舎場ICのすぐ近く。

                   

                  立派な石組みの喜舎場ウフカー(大井泉)は健在で、この日は温泉掛け流し程度の水量がありました。

                   

                   

                  案内に旧藩時代の築造とありましたので、明治初期でしょうか。案内のイラストと同じようなアングルで撮ってみました。

                   

                   

                  こんなイラストがあると、生活の中心に井戸があった時代が偲ばれていいですね。写真ならば、なおよろしい。

                   

                   

                  井戸の底に映るモンスターの影に固まるテナガエビ。挟脚が短いのでメスなんでしょう。

                   

                   

                  テナガエビはナワバリ意識が強いそうで、そのせいかオスの挟脚の大きいこと。相手を威嚇し続けた末の進化なんでしょうけど、あんなに大きいと何かの拍子に脱臼するんじゃないかと心配になります。テナガエビに生まれ変わるのなら、メスがオススメですね(^^)

                   

                   

                  こちらは、すぐそばにある洗濯用の井戸。

                   

                   

                  先ほどの井戸に比べて、湧き水が澄んでいて井戸も清潔でした。おそらく現役なんでしょう。

                   

                  こちらから見ると、井戸の役割が明確になります。

                   

                   

                  一番奥に、最初に見た飲み水用の井戸。手前右手が洗濯用の井戸。手前左手が身体や農具などを洗うためのスペース。

                   

                  やはり井戸は使われてナンボ。いやぁ、素晴らしい井戸でした。

                   

                   

                  さて、この男前は喜舎場の石獅子。

                   

                   

                  喜舎場集落の南西にあるビンダマーチューと呼ばれている場所の一角に、カニサンという名の巨岩がありました。そしてその巨岩は喜舎場集落に災いをもたらす火山(フィーザン)であるとされていました。

                   

                  石獅子はカニサンに対峙する火返し(フィーゲーシ)として、集落を守っていたのです。

                   

                  カニサンは米軍により切り崩され、今はキャンプ瑞慶覧のハウジングエリア。「フィーザンを切り崩してそこに住むなんて、恐れ知らずにもホドがある。早々に立ち退きなさい」と、石獅子が言うてました。

                   

                   

                  そのビンダマーチュー(基地外の部分)にある井戸がビンダガー。

                   

                   

                  こちらにもイラストがありました。

                   

                   

                  近くにあったサーターヤーが使っていた井戸だそうですが、今は用途を失っています。かつての水量があれば用途もあるでしょうけど、入口にはクモが巣をはってました。

                   

                   

                  それでは、仲順集落へ向かいましょう。

                   

                  (続く)


                  沖縄の湧き水は飲めるのか?

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                    先日、Twitterで紹介した糸満市の与座ガー

                     

                     

                    豊かな水量に驚きますが、かつては5倍の水量があり、3ヶ月雨が降らなくても枯れなかったとのこと。

                     

                    住宅地や道路の造成で枯れてしまう湧き水が多い中、与座ガーの水源になっている与座岳には自衛隊基地やゴルフ場があるので、水量が保たれています。

                     

                     

                    与座ガーは親水公園として整備されていて、子供用のプールや、農作物の洗い場などがあります。また、沖縄の湧き水ですから拝所があります。

                     

                     

                    三つの祠は、かつて与座ガーの上流にあったフルガー(古泉水)、ナカンガー(大御泉)と与座ガー(湧神)を合祀したもの。

                     

                    古泉水、大御泉、湧神。いかにも湧き水が溢れ出すような、いい名前ですねぇ。素晴らしい。

                     

                     

                    ところで、与座ガーの水は飲めるのか?。

                     

                    結論を先に言うと、飲めません。現在の用途は、先ほどのプール、農産物の洗い場に加えて、農業用水、洗濯・洗車など。

                     

                    沖縄の湧き水を訪ねて、その上流に基地やゴルフ場、養豚場がある場合、その水は飲まないほうが良いでしょう。また、沖縄にはこの3つが多いので、飲めない湧き水も多いことになります。

                     

                    基地やゴルフ場のおかげで水量が保たれてる一方で、水質については悪い影響を受けてるということ。

                     

                     

                    沖縄には池や川が少ないので、農業用水としては湧き水が頼り。それが枯れてしまうと上水道から水を引くことになります。

                     

                    もったいない気がする一方で、上水は消毒されているから農産物には良くないのではないかという考えもあり、困ったものです。

                     

                     

                    水量豊富な湧き水を見ると飲んでみたくはなりますが、飲んで良いか悪いか判断できない場合は、残念ですが飲まないことをお勧めします。

                     

                    あっ。手足や顔を洗うとか、スイカを冷やすとか、それはまったく大丈夫。飲み続けると良くないってことです。念のため。


                    発掘!!真珠道

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                       

                      首里城内の道路整備に伴う発掘調査で、城内では初めて、真珠道が発掘されました。

                       

                       

                      3年前、綾門大道の発掘調査で、真珠道の起点は見つかっていましたが、石畳が露出したのは今回が初めて。真珠道の道幅や側溝の構造などが明らかになりました。

                       

                       

                      今年の春、識名坂で発掘された真珠道は、シートで覆われていて残念でしたが、この日はフェンス越しながら、はっきりと石畳を見ることができました。

                       

                      発掘された真珠道は島添ビラに向かって延びてはいるものの、石畳が残っているのは起点近くの4、5メートルだけ。もちろん、それでもありがたいことです。

                       

                       

                      真珠道は琉球王国の軍用道路です。尚真王(1465〜1527)が首里城から8キロ先の那覇港まで石畳を敷設し、そこを王府軍が駆け抜けました。王府軍は首里城警備隊と沿岸警備隊で編成されていて、真珠道を使ったのは後者です。

                       

                       

                      その時代、那覇港に侵入を試みる外敵とは誰だったのか。冊封関係にあった中国が攻めて来ることはないし、島津藩の支配下にあった琉球王国を、日本が攻めることもありません。

                       

                      答えは倭寇です。倭寇はその名の通り、日本の海賊で、瀬戸内海や九州を拠点に、朝鮮、中国、台湾、琉球の沿岸や海上の船を襲っていました。交易品満載の琉球船は特に目をつけられていたようです。

                       

                      日本の倭寇(前期倭寇)はやがて衰退し、真珠道が敷設された時代の倭寇(後期倭寇)は中国の商人でした。本業は密輸で、時には海賊もやるというもの。

                       

                      那覇港に侵入しようとする倭寇と、それを阻止する沿岸警備隊との間で、時には戦闘もあったようですが、沿岸警備隊の主な役割は抑止力の発揮。近海に倭寇の船が現れると、首里城や中継地の豊見城から、沿岸警備隊が屋良座森グスクに出動しました。今の言葉ではスクランブルですね。アップダウンの激しい8キロの道を、どのくらいの時間で走ったんでしょう。

                       

                       

                      私の住む国場のアパートのすぐ上の道は真珠道の一部です。当時は上間集落から国場集落に向かう途中の野原だったと思います。住宅密集地となった今、真珠道を走る兵士達を想像するには、かなりのエネルギーが必要です。

                       

                      そこで行政には、真珠道の復興をお願いしたい。8キロ全線の石畳舗装が理想ですが、交通量の多い場所は石畳風の舗装でも良いし、それも無理なら、次の写真のように赤線をひくだけでもよろしい。

                       

                       

                      那覇の歴史遺産としては、首里城や識名園などがありますが、それらは見学する場所であり、日常の中にはありません。真珠道の跡を示すことができれば、那覇市内のあちこちで琉球の歴史を感じることができます。

                       

                      例えば、国場公民館への道順を説明する時、「国場のS字カーブから真珠道を下って、最初の角を左」と言えば分かりやすいのですが、今そんなことを言っても「はぁ、真珠道?。どこ?」ってなりますからね。

                       

                      豊見城と屋良座森グスクの復興と併せて、どうかよろしくお願いしたい。m(_ _)m

                       

                       

                      なお、首里城内の真珠道は保護シートを被せた上で埋めもどすとのこと。今月下旬まで、発掘調査は続くようです。


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                      念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
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