繁多川の神応寺石門と島豆腐

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    第一尚氏の時代に建立された神応寺。沖縄戦で失われ、跡地は繁多川公民館や図書館、ゲートボール場などになっています。

     

     

    こちらは、神応寺に併設されている識名宮の戦前の写真。

     

     

    お寺と拝殿ですから建築様式は異なるものの、写真の雰囲気が似てますよね。

     

    それは同じ人が同じ時に撮影したから(^^)

     

    建築史、美術史研究者の田辺泰さんが戦前の沖縄を訪れ、神社やお寺、グスクなどを撮影し、大著「琉球建築(昭和12年)」に収録したものです。

     

    昭和12年の沖縄(^^)

     

    いっ、行ってみたい!!

     

    那覇港に船が接岸した時、私は喜びのあまり、もうどうしたらいいのか分からんくなるでしょう(笑)

     

     

    話が逸れそうなので、神応寺に戻りましょう。つい最近、石門が修復されたと聞いたので、見に来たんです。

     

    現存する神応寺の石塀と、

     

     

    石門。

     

     

    この度修復されたのは、この石段です。繁多川自治会の依頼に那覇市が応じたもの。色の違いは時間が経つにつれ、解消されるでしょう。

     

    ほんと。繁多川自治会の、文化財を大切にする取り組みには頭が下がります。こうした取り組みの積み重ねは集落の「格」を上げますよね。今後ともよろしくお願い致しますm(_ _)m

     

     

    こちらはすぐ近くにあるボージガー(坊主川)。

     

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    どこの坊主かと言えば、当然、神応寺の坊主です。ボージガーはニックネームで、本名は「御穀泉(オコクガー)」。御穀は神様へのお供え物を意味します。

     

    今は飲めませんが、かつては数ある繁多川の井戸の中でも最上級の水質だったそうで、繁多川で美味しい豆腐(泡盛も)が作られたのは、この井戸のおかげでした。

     

    手作り島豆腐で有名な長堂豆腐店を取材した映像がYouTubeにありました。オヤジの顔を見ただけで、美味しい豆腐を思い浮かべることができます。

     


    旧真壁村(東部)の湧き水巡り

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      戻り梅雨の日曜日。糸満市の旧真壁村の湧き水を巡りました。

       

       

      (1)旧真壁村

       

      琉球王朝の時代、現在の糸満市域には、兼城、高嶺、真壁、摩文仁、喜屋武と五つの間切がありました。糸満という間切はありません。歴史と伝統の街として知られる糸満ですが、当時の地名には無かったということ。

       

      琉球王国が沖縄県となり、1908年に兼城村から糸満町が独立して、初めて地図に糸満の名が表示されました。だから、地名の歴史としては、まだ百年少しということになります。

       

      この日は旧真壁村の東部。真壁、新垣、真栄平、宇江城の各集落を歩きました。

       

       

      (2)新垣集落のソージガー

       

      新垣集落の公民館近くに立派な石垣のお宅がありました。西波平(屋号)さんのお宅。

       

       

      何で屋号が分かるのかといいますと、屋号地図ってあるんですよ。驚きますねぇ、住居地図の屋号版(^^)

       

       

      ソージガーに着きました。

       

       

        

      澄んだ水が流れる様子やその音が、どうしてこんなに気持ちが良いものなのか、と思います。湧き水巡りが楽しいわけです。

       

       

      ソージガーとは集落発祥の際、最初に水を汲んだ井戸を意味します。だから、同じ名前の井戸があちこちの集落にあるんですね。「ソージ」はおそらく「生じる」でしょう。

       

      井戸に降りる階段には、今朝落ちたばかりのサガリバナ。

       

       

      ご覧の通り雨が降りやまず、私はカッパを着て写真を撮ってます(^^)

       

       

      (3)新垣集落のアガリガー

       

      ソージガーはイリーガーとも呼ばれるそうで、そうすると当然にアガリガーがあります。

       

       

      このあたりの井戸は、斜面から樋を伝ってジャガジャガと流れるのではなく、窪地から湧き出すタイプが多いようです。高い丘がありませんからね。

       

       

      アガリガーはクヮッキナガーとも呼ばれているそうです。クヮックィユンは隠れるの意味で、つまり隠れ井戸。井戸周辺の地形的特徴を表していますね。

       

       

      (4)真壁チナー

       

      こちらの立派な石垣は金城増治家住宅。

       

       

      真壁集落の名を一躍有名にした沖縄そばの店「真壁チナー」がここで営業中です(この日は定休日)。

       

       

      屋号が喜納(チナー)なので真壁チナー。

       

       

      (5)真壁集落のシラカー

       

      真壁集落のシラカーに着きました。白井泉。

       

       

      なかなかの佇まいではありますが、工事中のロープや取水ホースが入り乱れて、集中治療室みたいになってます。

       

      とは言え、井戸は元気です。何本もの取水ホースが農業用水を汲み上げてます。

       

      湧き水はそのまま小川となり、畑に向かって流れています。その小川に大ウナギが住んでいたという伝承があるそうですが、この場所の原風景を想像すれば、「いたかもな」と思えます。

       

       

      (6)真壁集落のバンザイガー

       

      最後に訪ねたのはバンザイガー。ここは窪地と言うより、かなりの労力を使って掘ったみたいです。

       

       

      最深部にある井戸。

       

       

      振り返ると東側の降り口と、

       

       

      私が降りてきた西側の降り口。

       

       

      いやぁ、よく掘りました。万歳井泉。

       

      万歳には、両手をあげるバンザイの他に、長い年月から転じて「いつまでも生き栄える」の意味があります。深い井戸が完成したバンザイなのか、枯れない井戸であって欲しい万歳なのか。どちらもいいですね。

       

      相変わらず、黒い取水ホースが目立ちますが、先程も言ったように、これは井戸が元気な証拠ですから、努力して視界から消しましょう(笑)

       

       

      (7)糸洲のワイトゥイ

       

      旧真壁村には4つの集落があると言いながら、紹介した井戸は真壁と新垣だけ。「真栄平や宇江城には行ったんかい」と細かいことを気にされるムキもありましょうが、行きました。

       

      でもまあ、やはり井戸にも見栄えがありまして。まあ、そういうこと(笑)

       

       

      いずれ旧真壁村の西部(伊敷、糸洲、小波蔵、名城)も周るつもりですが、糸洲にちょっと寄りました。

       

      糸洲のワイトゥイ。

       

       

      いやぁ、美しくくびれています。どうしてワイトゥイが好きなのかよく分かりませんが、好きなんですよ。このブログをワイトゥイで検索すると沢山の投稿が出てきます。

       

      沖縄には「ハチャーガマク」という言葉があります。蜂の腰回り。

       

      農連のハチャーガマクは絶滅危惧種に指定されていて残念です。絶滅と言うと何かとカドが立つので、絶滅が危惧されるってことね。絶滅はしていない(笑)


      喜舎場、仲順の湧き水(2) 仲順集落

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        喜舎場集落の東隣。仲順集落のウフカーに着きました。

         

        写真はウフカーの脇にある洗濯ガー。喜舎場の洗濯ガーと似てますね。

         

         

        「で、ウフカーの写真はどうした?」と言われましても、ちょっと(笑)

         

        井戸を覆ってる無粋なコンクリート小屋と鉄格子。井戸を撮ろうにも、それだけが目立ってしまうし、背後の石組みが隠れてしまうのよね。まあ、だから写真はやめとこかと。

         

        喜舎場のウフカーに比べて、人通りが少ない場所にあるので、子供の転落防止策が必要なことは分かります。ですので、いつか区の予算に余裕がある時に、井戸と調和するような防止策を講じていただきたいと、はい(^^)

         

         

        さて、仲順集落はエイサーの定番曲「仲順流り(チュンジュンナガリ)」の故郷。エイサー好きでこの曲を知らない人はいないでしょう。て言うか、この曲を聞くと夏が待ち遠しくなるのが普通です。

         

         

        「仲順流り〜久高万寿主」(仲順青年会)

         

         

        (一)七月七夕  中ぬ十日

        二才達が揃とてぃ  踊ぅゆたん

         

        (二)仲順流りや  七ながり

        黄金のはやしん  七はやし

         

        (三)仲順大主や  果報な者

        産子や三人  産しんじゃち

         

        歌詞は七番まであり、上の青字は一番から三番まで。

         

        歌詞の前半はエイサーが始まる高揚感や仲順の描写。中盤はかつての領主である仲順大主とその子供。後半は幼い頃に亡くなった母の面影を追いかける。

         

        う〜む。分かったようで分からない歌詞だけど、曲調やハヤシがエイサーだから、ワクワクしていいじゃん。みたいな(^^)

         

         

        集落内に仲順大主のお墓がありました。

         

         

        お墓からの眺め。泡瀬海岸とその奥に与勝半島。仲順集落の一等地に墓所を決めたようです。

         

         

        沖縄市が進めてるクソのような埋立地も見えますね。腹の立つ。

         

        (終わり)


        喜舎場、仲順の湧き水(1) 喜舎場集落

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          北中城村喜舎場、仲順の井戸へ出かけました。沖縄自動車道喜舎場ICのすぐ近く。

           

          立派な石組みの喜舎場ウフカー(大井泉)は健在で、この日は温泉掛け流し程度の水量がありました。

           

           

          案内に旧藩時代の築造とありましたので、明治初期でしょうか。案内のイラストと同じようなアングルで撮ってみました。

           

           

          こんなイラストがあると、生活の中心に井戸があった時代が偲ばれていいですね。写真ならば、なおよろしい。

           

           

          井戸の底に映るモンスターの影に固まるテナガエビ。挟脚が短いのでメスなんでしょう。

           

           

          テナガエビはナワバリ意識が強いそうで、そのせいかオスの挟脚の大きいこと。相手を威嚇し続けた末の進化なんでしょうけど、あんなに大きいと何かの拍子に脱臼するんじゃないかと心配になります。テナガエビに生まれ変わるのなら、メスがオススメですね(^^)

           

           

          こちらは、すぐそばにある洗濯用の井戸。

           

           

          先ほどの井戸に比べて、湧き水が澄んでいて井戸も清潔でした。おそらく現役なんでしょう。

           

          こちらから見ると、井戸の役割が明確になります。

           

           

          一番奥に、最初に見た飲み水用の井戸。手前右手が洗濯用の井戸。手前左手が身体や農具などを洗うためのスペース。

           

          やはり井戸は使われてナンボ。いやぁ、素晴らしい井戸でした。

           

           

          さて、この男前は喜舎場の石獅子。

           

           

          喜舎場集落の南西にあるビンダマーチューと呼ばれている場所の一角に、カニサンという名の巨岩がありました。そしてその巨岩は喜舎場集落に災いをもたらす火山(フィーザン)であるとされていました。

           

          石獅子はカニサンに対峙する火返し(フィーゲーシ)として、集落を守っていたのです。

           

          カニサンは米軍により切り崩され、今はキャンプ瑞慶覧のハウジングエリア。「フィーザンを切り崩してそこに住むなんて、恐れ知らずにもホドがある。早々に立ち退きなさい」と、石獅子が言うてました。

           

           

          そのビンダマーチュー(基地外の部分)にある井戸がビンダガー。

           

           

          こちらにもイラストがありました。

           

           

          近くにあったサーターヤーが使っていた井戸だそうですが、今は用途を失っています。かつての水量があれば用途もあるでしょうけど、入口にはクモが巣をはってました。

           

           

          それでは、仲順集落へ向かいましょう。

           

          (続く)


          沖縄の湧き水は飲めるのか?

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            先日、Twitterで紹介した糸満市の与座ガー

             

             

            豊かな水量に驚きますが、かつては5倍の水量があり、3ヶ月雨が降らなくても枯れなかったとのこと。

             

            住宅地や道路の造成で枯れてしまう湧き水が多い中、与座ガーの水源になっている与座岳には自衛隊基地やゴルフ場があるので、水量が保たれています。

             

             

            与座ガーは親水公園として整備されていて、子供用のプールや、農作物の洗い場などがあります。また、沖縄の湧き水ですから拝所があります。

             

             

            三つの祠は、かつて与座ガーの上流にあったフルガー(古泉水)、ナカンガー(大御泉)と与座ガー(湧神)を合祀したもの。

             

            古泉水、大御泉、湧神。いかにも湧き水が溢れ出すような、いい名前ですねぇ。素晴らしい。

             

             

            ところで、与座ガーの水は飲めるのか?。

             

            結論を先に言うと、飲めません。現在の用途は、先ほどのプール、農産物の洗い場に加えて、農業用水、洗濯・洗車など。

             

            沖縄の湧き水を訪ねて、その上流に基地やゴルフ場、養豚場がある場合、その水は飲まないほうが良いでしょう。また、沖縄にはこの3つが多いので、飲めない湧き水も多いことになります。

             

            基地やゴルフ場のおかげで水量が保たれてる一方で、水質については悪い影響を受けてるということ。

             

             

            沖縄には池や川が少ないので、農業用水としては湧き水が頼り。それが枯れてしまうと上水道から水を引くことになります。

             

            もったいない気がする一方で、上水は消毒されているから農産物には良くないのではないかという考えもあり、困ったものです。

             

             

            水量豊富な湧き水を見ると飲んでみたくはなりますが、飲んで良いか悪いか判断できない場合は、残念ですが飲まないことをお勧めします。

             

            あっ。手足や顔を洗うとか、スイカを冷やすとか、それはまったく大丈夫。飲み続けると良くないってことです。念のため。


            発掘!!真珠道

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              首里城内の道路整備に伴う発掘調査で、城内では初めて、真珠道が発掘されました。

               

               

              3年前、綾門大道の発掘調査で、真珠道の起点は見つかっていましたが、石畳が露出したのは今回が初めて。真珠道の道幅や側溝の構造などが明らかになりました。

               

               

              今年の春、識名坂で発掘された真珠道は、シートで覆われていて残念でしたが、この日はフェンス越しながら、はっきりと石畳を見ることができました。

               

              発掘された真珠道は島添ビラに向かって延びてはいるものの、石畳が残っているのは起点近くの4、5メートルだけ。もちろん、それでもありがたいことです。

               

               

              真珠道は琉球王国の軍用道路です。尚真王(1465〜1527)が首里城から8キロ先の那覇港まで石畳を敷設し、そこを王府軍が駆け抜けました。王府軍は首里城警備隊と沿岸警備隊で編成されていて、真珠道を使ったのは後者です。

               

               

              その時代、那覇港に侵入を試みる外敵とは誰だったのか。冊封関係にあった中国が攻めて来ることはないし、島津藩の支配下にあった琉球王国を、日本が攻めることもありません。

               

              答えは倭寇です。倭寇はその名の通り、日本の海賊で、瀬戸内海や九州を拠点に、朝鮮、中国、台湾、琉球の沿岸や海上の船を襲っていました。交易品満載の琉球船は特に目をつけられていたようです。

               

              日本の倭寇(前期倭寇)はやがて衰退し、真珠道が敷設された時代の倭寇(後期倭寇)は中国の商人でした。本業は密輸で、時には海賊もやるというもの。

               

              那覇港に侵入しようとする倭寇と、それを阻止する沿岸警備隊との間で、時には戦闘もあったようですが、沿岸警備隊の主な役割は抑止力の発揮。近海に倭寇の船が現れると、首里城や中継地の豊見城から、沿岸警備隊が屋良座森グスクに出動しました。今の言葉ではスクランブルですね。アップダウンの激しい8キロの道を、どのくらいの時間で走ったんでしょう。

               

               

              私の住む国場のアパートのすぐ上の道は真珠道の一部です。当時は上間集落から国場集落に向かう途中の野原だったと思います。住宅密集地となった今、真珠道を走る兵士達を想像するには、かなりのエネルギーが必要です。

               

              そこで行政には、真珠道の復興をお願いしたい。8キロ全線の石畳舗装が理想ですが、交通量の多い場所は石畳風の舗装でも良いし、それも無理なら、次の写真のように赤線をひくだけでもよろしい。

               

               

              那覇の歴史遺産としては、首里城や識名園などがありますが、それらは見学する場所であり、日常の中にはありません。真珠道の跡を示すことができれば、那覇市内のあちこちで琉球の歴史を感じることができます。

               

              例えば、国場公民館への道順を説明する時、「国場のS字カーブから真珠道を下って、最初の角を左」と言えば分かりやすいのですが、今そんなことを言っても「はぁ、真珠道?。どこ?」ってなりますからね。

               

              豊見城と屋良座森グスクの復興と併せて、どうかよろしくお願いしたい。m(_ _)m

               

               

              なお、首里城内の真珠道は保護シートを被せた上で埋めもどすとのこと。今月下旬まで、発掘調査は続くようです。


              識名坂(シチナンダビラ)の石畳

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                識名坂の道路工事中、地中に埋没していた戦前の石畳が見つかったと聞き、現地に向かいました。

                 

                ウーム。やっぱりこうなってるかぁ。石畳が見えません。

                 

                 

                道路は通行止めで、周囲に人影は無し。

                 

                「めっ、めくるかっ!!」

                 

                とは思ったものの、本島中南部の石畳道はほぼ踏破している「石畳道オタク」のワタクシ。その良識が邪魔をするのよね(笑)

                 

                そこで、琉球新報の写真をお借りしましょう。

                 

                 

                このアングルには見覚えがあります。

                 

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                そうそう、これこれ。識名坂を登りきり、風が抜ける丘の上で「ハ〜」となってる戦前のオバさま達。

                 

                二枚の写真を見比べれば、あの辺りの石がこの辺りの石。

                 

                「・・・・・。めっ、めくるかっ!!」(笑)

                 

                オバさま達が立っていた場所には、真珠道の案内板が設置されていて、オバさま達が眺めた景色が広がっています。

                 

                 

                 

                新聞は「意外にも石畳が残っていた」という論調で、「何言ってるっ!!。残ってて当たり前だろっ!!」とムキになる私。

                 

                まあ、そこを丁寧に言いますと、

                 

                戦前まで識名坂は確かに石畳道だったが、沖縄戦で砲弾が撃ち込まれ、石畳はかなりの被害を受けたはず。戦後、識名坂をコンクリートで舗装したが、その時の石畳の状態が記録されていない。だから、石畳が残っているか否かは舗装をめくらないと分からなかった。で、今回の工事で石畳の一部が見つかった。

                 

                てこと。

                 

                 

                米軍は首里の丘を攻め、丘の北側から無数の砲弾を放ちました。そのうち、首里の丘を飛び越えた砲弾は、識名台地の北側斜面、つまり識名坂あたりに着弾しました。で、石畳はぐちゃぐちゃに。一方、首里の丘の南側にある金城町石畳道は、うまく砲弾から逃れることができたので、石畳道が残ったんですね。

                 

                 

                首里城守礼門近くの真珠湊碑文跡を起点とする真珠道は、島添ビラと金城町石畳道を下り金城橋を渡ります。そこから識名坂を上り、繁多川を抜け、識名宮の脇に出ます。

                 

                できることなら、首里城から識名宮までを全面石畳舗装していただきたいところですが、識名坂は交通量が多いので、迂回路の整備が必要でしょう。

                 

                だから、今回見つかった石畳は埋め戻すことになりそうです。残念ながら石畳道を歩くことはできませんが、地中で良好に保存されていると考えて、そこは我慢しないとね。

                 

                道路工事は9月末までだそうです。丁寧な仕事をよろしくお願い致しますm(_ _)m


                首里末吉町の井戸

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                  首里末吉町のそば屋「しむじょう」の入口です。



                  この石垣が築100年で、母屋(国の登録有形文化財)が築150年。そばの料金はちょと高めですが、美味しいそばを食べながら琉球王朝の時代に想いを馳せていただきたい。


                  さて、この日はそばを食べに来たのではなく、近くにある井戸の見学です。しむじょうから道を挟んだ向かいに一つ。その道沿いに西に一つと東に一つ。三つの井戸が並んで残っています。


                  (1)イリヌカー

                  しむじょう前の道を西に数十m歩き、階段を下りると、井戸へ続く石畳道がありました。



                  別名が「大樋川(ウフヒージャー)」。その名の通り立派な井戸です。



                  今も現役の井戸で、その湧き水は末吉公民館で散水などに利用されてるそうです。

                  井戸の奥にグスクの門のような形状の湧泉が見えますね。奥に向かって1.5mほど掘られていて、その内部空間にも石組みが施されています。

                  この湧泉を得るために、斜面を掘り崩し、垂直に近い壁に石組みを施すのですから大事業です。

                  河川の少ない沖縄ですから、昔は木の幹に縄を縛って、枝葉や幹を流れる雨水まで溜めていたそうです。ところが、そんな水にはすぐにボウフラが湧いてしまうので、頼りになるのはやはり井戸。いくら大事業になろうと、井戸が無いと生きてゆけません。


                  (2)ナーカヌカー

                  しむじょうの向かいにあるのがナーカヌカー。湧泉とその前の踊り場が無ければ、道路の側壁に見えてしまうでしょう。



                  この井戸は既に枯れていますが、なぜ枯れてしまったのか不思議です。上の道は幅が狭く、向かいがしむじょうで、その裏手は末吉の森です。そうすると、やはり道路工事が原因ですかね。


                  湧泉の部分に近づいてみました。



                  湧泉の奥行きは5mもあるそうです。つまり、道を横切ってしむじょうの敷地下まで到達してるということ。ナイチの井戸は縦に掘り、沖縄の井戸は横に掘る。

                  東西に水量の豊富な井戸がありながら、あえてこの場所に深い井戸を掘ったのは新垣家(屋号が下門:しむじょう)かもしれません。つまり専用井戸ってこと。それは次回そばを食べた時に聞いてみましょう。


                  (3)アガリヌカー

                  しむじょう前の道を今度は東に数十m歩くと、井戸に下りる石段があります。



                  井戸の規模はイリヌカーに劣りますが、なかなか趣のある佇まいです。葉っぱなんかが散らかってますが、そこは読者の皆さんの脳内で画像処理の上、消していただきたい。



                  末吉の村井戸だそうなので、おそらくこの井戸だけでは水量が足らなくなり、後に大規模なイリヌカーを造ったのだと思います。


                  沖縄の集落には公民館があり、自治会が組織されています。自治会長は地区長と呼ばれ、集落によってまちまちですが、それなりの責任と権限が与えられています。

                  例えば、私が住む国場の自治会は広い土地を所有していて、そこに賃貸マンションを建てたり、賃貸駐車場にするなどして収入を得ています。自治会費はいらないんじゃないのかな。知りませんけど。

                  辺野古3区では、自治会が基地容認と引き換えに数千万円の現金を国から受け取りましたね。だから、ナイチの自治会とは違うんですよ。


                  沖縄の自治会には三つのタイプがあります。住民が原則として加入を求められる自治会と、加入がまったく任意な自治会。そして三つ目は、古くから集落に住む人しか加入できない自治会です。

                  三つ目の自治会はいくつかの門中で形成されていて、その一族でないと加入できません。その自治会は土地や建物(御嶽や井戸なども含む)など集落の財産を長年にわたって守ってきました。また、その財産から得られる収入を集落に還元してきました。

                  そこへ最近になって他所から引っ越して来た人が自治会に加入して、その利益を享受していいってことにはなりませんよね。


                  私が言いたいのは、そのような自治会は伝統行事をきちんと継承し、集落の財産を大切に守ってきたということ。各地の集落を散歩することが趣味の私にとっては、たいへんありがたいことです。

                  血縁者だけで形成される自治会を良いとか悪いとか私は言ってませんからね。そんなこと、モノを知らないナイチャーが、うかつに口にするもんじゃありませんてば(笑)


                  樋川(ヒージャー)の名前

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                    JUGEMテーマ:地域/ローカル


                    那覇市歴史博物館のサイトに掲載されている「ヒージャーガー」。場所は那覇市樋川(ひがわ)となってます。



                    地名の樋川は城岳東側斜面の原名(樋川原)に由来しますが、その原名の由来となった井戸はどこにあったんでしょう。


                    私はこれまで、裁判所通りの王(汪)樋川だと思っていました。

                    CIMG4221s.jpg

                    ところが、こんな立派な井戸があったのなら、原名の由来はこの「ヒージャーガー」かもしれません。

                    少し調べれば井戸があった場所はわかるでしょうが、わかればそこに行くでしょうし、行けばがっかりするので、まあ、どこでもいいです(笑)

                    こうした井戸が那覇の各地に残されていたら、それだけで街の景観にグッと風格がでてくるのに、樋川の「ヒージャーガー」は影も形もありません。


                    沖縄では、樋(とひ)を使って水を汲みやすくした井戸を樋川(ヒージャー)と呼びます。ヒージャーガーでは樋川川になってしまうじゃないかとご心配のムキもありましょうが、ヒージャーガーと呼んだほうがおさまりが良いし、風格を感じさせますね。だから問題ありません(笑)


                    話は変わりまして、こちらは沖縄を代表する井戸。南城市玉城の垣花樋川(カキノハナヒージャー)です。

                    CIMG3868s.jpg

                    1985年のこと。環境庁がこの井戸を沖縄初の「名水百選」に選定しました。

                    そしたら垣花集落の人達が、

                    「わったーやんかしぇー(昔から)、ワナガーんでぃ、いいちょーたんどー」

                    と(笑)

                    それで、(勝手に)垣花樋川と名付けたのは誰やねんって話になりました。

                    環境庁「自治体が申請した名称です」

                    玉城村「地区の役員からそう聞きました」

                    垣花地区長「今回初めて聞きました。垣花ではワナガー、もしくはシチャンカーと呼んでます」

                    さて、「アワワ」となったのは誰でしょうか?(笑)


                    垣花樋川の名称について、垣花集落の人達は、

                    「樋(とひ)を使っているからヒージャーと呼んでおかしくは無いし、井戸を訪ねる人にとっては垣花の名前が付いてるほうがわかりやすいだろう」

                    と大人の対応をしました。

                    しかし、「垣花の子供達にはそうは呼ばせないよ」と。

                    ハッハ〜ッ!!。まったくごもっともでございます。


                    さて、「アワワ」となった人達は井戸の脇にこんな案内板を建てました。

                    「垣花樋川(俗称 シチャンカー)」



                    由緒ある井戸の名前を俗称にしちゃったのね(笑)


                    とは言うものの、私は過去に何度も沖縄各地の井戸について投稿しておきながら、この視点は抜けてました。だから、偉そうには言えません。

                    集落の中心にある井戸はムラガー、ヒージャーガーなどと呼ばれ、東西に2ヶ所あればアガリヌカーとイリヌカー。

                    考えてみれば(考えるまでもなく)、井戸に集落名は不要で、垣花集落の人達が集落の井戸を「垣花樋川」と呼ぶはずが無いのでした。


                    中城村若南原の石橋(2) 石畳道の保存

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                      古道「ハンタ道」が歴史の道として整備されているのは、中城村南上原の東太陽(アガリティーダ橋)から中城城までの区間です。徒歩で約2時間。





                      本来の起点である首里城から南上原までの間は、都市化が進み古道は分断され、消滅しつつあります。そのことが残念な一方で、中城村による古道を守る取り組みは高く評価できますね。「ハンタ道」は高台の端っこの道を意味しますから、中城村内の区間はまさにその名前の通りです。


                      ところで、「ハンタ道」を歩こうと南上原まで車で行き、そこら辺の駐車場に停めたとしますね(サンエーの駐車場はやめてよ)。そして2時間を楽しく歩き、中城城でお弁当も食べました。そこで直面するのが「あらっ、車までどうやって帰るの?」問題です。

                      中城城から南上原までバスで帰ろうとするかもしれませんが、便数が少なく、経路が複雑な沖縄の路線バスをナメてはいけません。


                      そこでお勧めなのが、毎年11月に開催される「護佐丸ウォーキング」です。

                      中城村の吉の浦会館まで車で行けば、村のバスが南上原へ送ってくれて、中城城まで迎えに来てくれます。ガイド付きで参加料は500円。早めに申し込みしないとすぐに定員をオーバーしてしまう人気企画です。

                      それから、護佐丸ウォーキングの開催直前に、中城村の草刈り隊が大挙出動するので「ハンタ道」が気持ち良く歩けるようになります。私みたいに「いや、自分のペースで歩きたい」とお考えの方は、護佐丸ウォーキングの開催直後に歩かれると良いでしょう。


                      さて、若南原の石橋に戻ります。

                      新しく建造される前の若南の石橋は、現在の場所より少し上流にあったと聞いてます。その痕跡は無いものかと行ってみると、橋があった場所に案内がありました。



                      はっはあ。

                      若南の石橋は平らな一枚岩だったようです。そして、橋を渡った先が急坂の石畳道。数年前に石畳道を発掘した際の写真もありました。



                      ううっ、これは。

                      雨が降ったら流れますねぇ。人を歩かせたりしたら、すぐに崩れてしまうでしょう。予算があれば、新しい石を補充して石畳を復元することがベストですが、中城村は旧道に沿ってコンクリート製の橋と階段を造りました。



                      そして今。旧道には草木が生い茂り、石畳は見えません。残念ではありますが、草木の根がしっかりグリップしてくれるので、石畳を保存するには良い方法と言えるでしょう。

                      往生際の悪い私は草木をかき分けて、石畳を見ようとしましたが、まったく歯が立ちませんでした。

                      だから、安心ってことよねぇ(笑)


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