JUGEMテーマ:地域/ローカル
ではヒジ川ビラに入りましょう。
ヒジ川ビラはヒジ川橋と御茶屋御殿を結ぶかつての宿道。そのうち100mほどの石畳道が残っています。
金城町石畳道は住宅地を抜ける生活道路ですが、雑木林を抜けるヒジ川ビラは人通りが少なく、王朝時代を偲ぶには良い環境と言えます。
道の両側に土留の石垣が施されて、法面の崩壊を防いでいます。
石畳道の長さは金城町石畳道の半分ほど。住宅地まで上がったら石畳道はそこでおしまいです。
200mほど先が御茶屋御殿跡になりますが御殿の形跡はほぼ無いので、交通手段によってはそこでヒジ川ビラを引き返しても良いと思います。
住宅地を進むと儀間真常の墓前を抜けて展望台に出ます。御茶屋御殿からの眺望はこんな感じだったんでしょう。那覇市街と東シナ海、その先に慶良間が見えています。
そこから雨乞御嶽に進むと、さらに眺望が開けて、那覇市街から本島南部まで見渡すことができます。
#崎山公園 pic.twitter.com/7Lz5kJoNcw
— 沖縄の風景 (@coralway39) January 9, 2023
ここまで来れば、首里城は目の前です。継世門と東のアザナに上がった観光客。
沖縄戦の激戦地となった首里で、金城町石畳道やヒジ川ビラが破壊されなかったことには理由があります。
読谷から南下を続け安謝川を渡った米軍は、首里城に向かって北側から無数の砲弾を撃ち込みました。その時、首里の南斜面にあるヒジ川ビラは、身を伏せた格好で砲弾を避けることができたんです。
中には下手な砲手が撃った砲弾が首里城の上空を通過することはあったでしょうが、それはヒジ川ビラの上空も通過して安里川に着弾したんですね。見てないけど(^^)