与勝半島の散歩(4) 沖縄市知花、美里

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    (6)沖縄市知花

    与勝からの帰り道。沖縄市内の石橋をまわってみました。

    住宅街をウロウロしていて、突然現れたのがメーヌカーガー橋。



    明治時代に造られた石橋が100年以上も日常生活の中にあり、その姿を変えることなく今も現役。いやぁ、この橋は恵まれています。

    メーヌカーガーは現存する井戸の名前です。とはいえ、写真左端に写っているコンクリート製の直方体に金属製のフタがついてるモノが、変わり果てたその姿。かつては、そこから湧き出す水が窪地に溜まり、橋の下を流れていたようです。

    足が埋まりそうな窪地に降りてみました。



    ガーラ矼とは対照的に、拱矢が低く径間が広い造りです。私が立っている窪地(かつては池)を跨ぐために径間を広くしたのでしょう。その分強度が下がるため重量規制があり、3トン以上の車両は通行不可となっています。


    (7)沖縄市美里

    カフンジャー橋。



    先ほどのメーヌカーガー橋と同じく明治末期の石橋です。名前の由来は何でしょうね。直感的には「果報座」ですが、多分間違ってるでしょう(笑)

    川筋が変わったようで、橋の下に水流はなく、今は歩道橋として使われています。



    欄干まで残っていて保存状態はいいです。ちょうど子供達が橋を渡ろうとしていますね。いい風景です。


    この日の私は3ヶ所で石橋を見ることができて満足です。とは言いながら、石橋が日陰者の扱いを受けている感は否めず、それを眺める私は何とかいい所を探し出そうとしています。

    沖縄戦で焦土と化した沖縄で、県民が暮らせる街づくりを優先し、文化財の保護まで手が回らなかったことは分かります。しかし、その時の感覚が今の行政に常識として残ってるのなら、それは問題と言えるでしょう。


    さて、勝連グスク南風原門跡、平敷屋タキノー、平敷屋製糖工場跡、ガーラ矼、平安名ワイトゥイ、平安名ガー、大田ビラ、メーヌカーガー橋、カフンジャー橋と9ヶ所を歩いた私の散歩はこれで終わりです。陽も傾いてきたので、那覇に帰ります。

    (終わり)


    与勝半島の散歩(3) 勝連平安名、うるま市大田

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      (4)勝連平安名

      勝連平安名と言えばワイトゥイ。ここは何度も来てますが、何度でも来たい。20mの高さの岩を3年かけて150mも割取りました。



      ワイトゥイをクビリと呼ぶこともあって、クビリはクビレ。私のクビレフェチはここから来てるんですが、この高さになってしまうと、もはやクビレとは呼べません。国頭村宜名真(ぎなま)のワイトゥイも大規模ですが、高さ長さ共に勝連が上でしょう。


      フクギ並木を眺めつつ、



      井戸に着きました。



      平安名ガーは勝連で最も大きな井戸だそうで確かに立派。



      しかし洗い場を見れば、この井戸は既に現役を退いている様子です。であれば、コンクリート製の屋根は取り除いたらいかがなものか。やはり無粋ですよねぇ。

      この井戸の本来の姿はこんなです。



      石組みを眺める時に、コンクリートを視界から消し去るのが面倒で面倒で。




      (5)うるま市大田

      与勝半島の先端から始まった私の散歩は、半島の根元まで来ました。



      うるま市川田から大田バンタに向かう坂道に石畳道が残ってるらしいのですが、私は既に疲れ気味。下から登るのはナンギだし、上から降りれば戻りがナンギ。そこで、上からちょっとだけ降りて戻ることにしました。

      ありました。



      う〜む。劣化しとるかぁ。


      あと一回続きます。

      (続く)


      与勝半島の散歩(2) 勝連平敷屋、勝連内間

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        (2)勝連平敷屋

        こちらは平敷屋タキノー。



        平敷屋朝敏が池を掘り、その土で小さな丘ができました。

        そこへ登ると。

        おお〜〜!!



        軍事施設がこんな丸見えでええんかいなと心配になるほど、いい眺めです。

        左手に見えるのがホワイトビーチのはず。



        くっそぉ。ビーチを独り占めしやがって。早くどっかへ行けっちゅうの。


        こちらは、タキノーのそばで屹立する赤レンガの煙突。



        戦前まで操業していた平敷屋製糖工場の遺構です。糸満市武富にも同様の煙突が残っていますが、保存状態はこちらが上ですね。レンガに無数の弾痕が残っているのは、どちらも同じです。


        (3)勝連内間

        この道路の下に例のアレがあるはず。



        おお、これがガーラ矼か。いい雰囲気だ。



        ところがですね。路肩の階段からは上の写真のように一部しか見えず、石橋全体を見るには木や草が生い茂った急斜面を下り、コンクリートの川床に飛び降りるしかないのよね。

        でも行くしかないでしょ。

        おお〜。



        このように拱矢(こうし:アーチの高さ)があって、径間(けいかん:アーチの幅)が狭い石橋は頑丈です。そして、橋の上から加重をかければかけるほど、より頑丈になる造り。

        と思ったら、コンクリート橋との間に隙間があるじゃないの。



        せっかく頑丈な石橋があるんだから、そこに橋を乗っければいいのに、何をしとんねん。と思ったら、昭和初期の石橋にしては石材が妙に新しいのよね。

        えっ!!

        復元したのかっ!!

        偉いっ!!

        新しい橋を被せてしまって、長い間お世話になった古い石橋には知らん顔って風潮の中。復元したなんて、なんておりこうさんなんでしょ。

        ん?

        ところで、川の側面のコンクリートは私の肩ほどの高さがあるのだが、私はそこを登れるのか?。そんな心配は飛び降りる前にするのが普通ですが、石橋が見たい一心の私にそれを求めても無理でしょ。

        ヤンバルの道路の側溝に亀が落ち、にっちもさっちもいかなくなることがあります。まさか、勝連で同じ目にあうオヤジが現れるなんて、誰が予想できたででしょう。

        笑っている場合ではありません。

        両手で側面の上部を持ち、思いっきりジャンプして左足の先が引っかかれば成功です。しかし、私がバレーボールの選手だったのは40年以上前の話なのよね。

        で、ダメモトでやってみたら奇跡的に上手くいきました。さすがは私です。


        こちらは勝連平敷屋のあるお宅。



        さすがです。

        (続く)


        与勝半島の散歩(1) 勝連南風原

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          「石橋・樋川・石畳道」カテゴリーの投稿件数が、このところ停滞気味で困ったものです。本島南部は歩き尽くした感があるのよね。そこでワタクシは、ピョ〜ンと与勝まで足を延ばすことに。(^O^)/

          やはり那覇からは距離があるので、普段は勝連グスクとか、きむたかホールとか、平敷屋エイサーとか、目的がハッキリしてるのよね。ところがこの日は、アマクマ与勝アッチャーするわけで、石橋やら井戸やら、もう、入れ食いのハズ。

          いやぁ、ワクワクするぅ(笑)


          ではさっそく。

          (1)勝連南風原

          ここは何か?



          緑の輪っかが見えて、



          石畳道の先に何があるのか。



          おお〜!!



          「あ〜るぅ〜きぃ〜〜、続けてぇ〜、来たぁ〜〜。新たなるぅ〜、時代を〜、開くぅ〜〜〜。阿摩和利さまぁ〜〜!!」

          じゃないのって、長!!(笑)

          いつ見ても青い空が似合うグスクです。南風原門跡から勝連グスクに挨拶し、ワタクシのワクワク感をお伝えしつつ、私の散歩を始めます。

          (続く)


          糸満市米須の大川矼(おおかわばし)

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            この道は県道7号線。那覇市奥武山を起点に糸満市米須まで続いています。



            道幅が広くて走りやすく、街路樹は県花のデイゴです(今年はまだ咲いてない)。

            さて、あと一つ丘を越えると米須って所まで来ました。



            このあたりに石橋が埋まってるらしいのですが、路上からはまったく見えず、川もありません。

            そこで、道路脇の短い階段を降りてみると、

            おお〜。



            頑丈そうな石橋がありました。

            スバヤク、反対側に回ってみると、



            同じでしたね(笑)


            この橋の名は大川矼(大川橋:おおかわばし)。明治の終わりから大正始めにかけて建造された石橋で、地元の通称で「まき橋」とも呼ばれているようです。

            周囲をコンクリートで覆われているので、アーチの部分しか見えませんが、アーチを形成する拱環石(こうかんせき)の厚いこと。目測ですが40〜50cmはあるでしょう。



            どんな姿の橋だったのか。コンクリートを爆破したいわぁ(笑)。それにしても、丁寧に床面まで石を敷いて、いい仕事をしています。


            問題は(でもないが)、川も無いような場所に、これほど頑丈な石橋を何で造ったかっちゅうことですわ。

            先ほどの丘の向こうに米須集落があり、その先は大渡海岸です。つまり、このあたりは本島の南端、ディープサウスです。

            以前投稿しましたが、沖縄本島の恩納村以北と以南では、島の生い立ちが異なります。ヤンバルは大陸と陸続きだったころから存在し、本島中南部は隆起珊瑚です。つまり、先ほどの丘はかつてのリーフエッジで、これが東西に長い。


            そのため、米須の皆さんが那覇や糸満に行くには、岩だらけの丘を越えることになり、荷車や馬車を使う際は、大きく迂回する必要がありました。

            そこで、米須の皆さんは集落を丘の北側に移すことを決意したのです。あったまいい〜って思いましたが、そこは洪水地帯。大雨の度に水浸しになり、20年も経たないうちに、集落を丘の南側に戻すことになりました。

            やれやれでしたが、そもそもの問題が解決していません。そこで、米須の皆さんは丘にワイトゥイ(割取り)を通し、洪水地帯に頑丈な橋を架けたんですね。その道は真壁街道。米須から真壁、国吉を経て糸満に続きます。

            米須は地下ダムがあるほど地下水が豊富な場所ですから、川が無くても(無いから)大雨で地下水が溢れ出ていたのです。現在は治水事業により洪水は無くなり、石橋の下を水が流れることもありません。


            うーむ。この日は時間が無く、こんぐらいにしておきましたが、まだワイトゥイを見ていません。くびれフェチの私としては、そこは押さえておきたいところです。

            また直ぐに来るはずね、この男。(^o^)/


            写真集「南風原」(2) 仲大城と仲門小の間

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              写真集「南風原」から選んだ、二枚目の写真がこれ。



              キャプションには「仲大城〜仲門小の間の現存する石橋 1920年(大9)建造」とあります。

              これは大ニュースです。「浦添、中城以南の石橋はすべて見た」と思っていた私でしたが、こんな近くにまだ見ぬ石橋があったとは。

              これは、さっそく行かないと。


              で、「仲大城と仲門小の間」ってどこやねんって話です。南風原町は広うございまして、集落(字)が11もあります。せめて集落の名前を教えていただきたい。

              と、普通は思うのですが、そこが屋号の素晴らしいところ。仲大城も仲門小も一軒しかないので、ピンポイントで場所が分かるんです。これが名字で「比嘉さんと照屋さんの間」なんて言われようものなら、それはもう何がなんやら(笑)

              仲大城や仲門小を知らない人でも、屋号から本家を割り出し、例えば「仲大城は大城の分家さぁね。大城は喜屋武のナカヌカーのあたりだから、そこらで聞けばいいさ」などと教えてくれます。

              つ〜ことで、「仲大城と仲門小の間」は直ちに判明したのでした。



              私がよく通る道ですし、喜屋武集落は先日、くまなく散歩したばかりです。

              やしが・・・。

              あそこらに石橋ねぇ。なんだか不安です。そもそも「現存する石橋」ってキャプションはいつ書かれたものなのか。

              「いや〜、30年前のキャプションをそのまま使っちゃいまして、アハハ」

              な可能性があります。


              まあ、行ってみればいいってことです。



              手前のお宅が仲門小。奥が仲大城。

              して、その間は県道です。右折すると照屋交差点。



              県道を渡った先に川がありました。



              この川を渡るための石橋だったことは間違い無いでしょう。振り返れば、川は暗渠となって県道の下をくぐっています。



              次の写真が県道で「仲大城と仲門小の間」。何年前かは分かりませんが、この写真のアングルに石橋が写っていたはず。




              はい。残念ながら石橋は壊されてしまったか、暗渠の中。見ることはできませんでした。

              不安が的中した感じですが、こんな近所に私が知らない石橋があるはずが無いのよね。

              ふんっ!!


              南城市佐敷の湧き水「澤川」

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                南城市佐敷の航空写真です。



                大きく湾曲した海岸線。広い平野と発達した干潟。背後を取り囲むなだらかな丘陵地。海からの風が干潟や平野を抜け、丘陵地に駆け上がる様子が容易に想像できます。私は佐敷と聞いただけでいい気持ちですが、それはこの地形を連想するからでしょう。


                さて、平野や干潟を形成するには大量の土砂が必要なはずですが、佐敷には大きな川がありません。そこで、もう一度航空写真をご覧いただいたたい。

                背後の丘陵地全体が大きな水瓶となり、無数の湧き水が佐敷平野に噴き出しているんです。その湧き水が平野の田畑を潤し、干潟に土砂を供給しています。


                「そうは言っても、そんなチョロチョロした湧き水で土砂が運べるのか」と疑う貴方に、滝のように流れる湧き水を紹介しましょう。

                海岸からユインチホテルへの坂道(県道137)を新里ビラと呼び、坂の上からの眺めが抜群です。あの、眺めの良い場所のやや下のカーブ、山側でこんな入口を見つけましょう。



                そのすぐ先に湧き水があります。



                先ほど「滝のように流れる湧き水」と言いましたが、これはまさに滝。澤川(たくがわ)と呼びます。



                このすぐ上がユインチホテル。僅かな高低差でこれだけの湧き水が得られるのですから、凄い保水力です。


                手前のドラム缶は水質検査中。

                ユインチホテルには温泉が出るそうで、その温泉水は湧き水に混ざらないよう、放水路に流されています。ところが少し前に、放水路から温泉水が漏れる事件がありました(現在は解決済)。それ以来、澤川の水質検査が行われることになったようです。




                ワタクシ。本来は、滝の上に登ったりして、澤川を様々な角度から撮りたかったのですが、この日はガジャンが群れてる気配がありました。半袖の私は、写真を撮る時以外は常に両腕を振り回し、一刻も早く、その場を立ち去りたかった。

                ということなので、様々な角度からの滝の写真はまたいずれ。蚊のいない時に。


                浦添市牧港「立津ガー」

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                  浦添市牧港の「立津(タチチ)ガー」を訪ねました。



                  伊祖グスクの丘を水源とする井戸です。



                  古くからの湧き水ですが、石組みは最近改修されたものだそうです。



                  農業用水として利用されている現役の井戸ですが、10年ほど前に、近くを通る県道地下のパイプから重油が漏れて流入したそうで、それ以来、飲用不適です。


                  透明な水の中をグッピーが沢山泳いでまして、水草の中にはエビやカニもいそうです。



                  枯れた井戸が多い中、水が湧き出る様子が見える井戸は、本当に嬉しいものです。


                  多くの沖縄の井戸と同様、この井戸でも、先週投稿した沖映通りのティーラガーでも、羽衣(天女)伝説が語られています。

                  冒頭の写真の木の枝に羽衣がかけられていて、井戸では美しい女性が水浴中。それを見た近くの男性が羽衣を隠したため、女性は天に帰れなくなりました。女性はその男性と結婚し子供を産みましたが、ある日、羽衣を見つけ出し、天に帰って行くと。

                  沖縄には、天女が現れた井戸は無数にあります。以前に同じような投稿をしたと思いますが、昔の沖縄で、お母さんが姿を消すことが多かったってことなんでしょう。

                  まず病気。それから、首里とか中国とかの権力者による拉致などですね。


                  お母さんが姿を消した後、お父さんが子供を納得させる話として、羽衣伝説は実によくできています。

                  「空に舞い上がったお母さんは名残惜しそうに、何度も空を旋回し、とうとう意を決して、天に昇った」

                  と話せば、子供の中にはこんなお母さん像が出来上がります(彼女は南風原の天女です)。



                  そして、子供だけではなく、お父さんもそんな風に考えて、事実を受け入れようとした。

                  これは、羽衣伝説の数だけ、悲しい事実があったと考えて良さそうです。


                  浮気をしてナイチに行った、みたいなお母さんは天女にはしてもらえませんので、悪しからず。


                  「太平橋」発掘中(2)

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                    太平橋の位置を古地図で確認しましょう。地図の下部(南)に首里城、上部(北)に太平橋が記されています。



                    首里城から浦添へ向かう宿道は二本に分かれ、右が「上道(ウィミチ)」、左が「下道(シムミチ)」と呼ばれていました。そして、二本の道が合流する場所に太平橋がありました。

                    拡大しましょう。



                    安謝川に架かるアーチ型の太平橋とその下流に平良小堀(ティーラグムイ)。次の写真が太平橋南詰西側の擁壁ですから、古地図と見比べることができます。



                    そして、古地図には儀保川に架かる二つの橋が記されています。

                    上道の上之橋(イーヌハシ)と、

                    20110604065425_0.jpg


                    下道の下之橋(シムヌハシ)

                    20120520084056_0.jpg

                    古地図にはありませんが、浦添グスク手前の安波茶橋

                    20110414215641_0.jpg

                    尚寧王が宿道を整備する過程で建設した、これら同年代の橋からも、太平橋をイメージすることができます。


                    太平橋を建設した尚寧王は浦添グスクで生まれ、第二尚氏の直系ではありません。そのため、第二尚氏の王統では彼だけが玉陵に入らず、浦添ようどれに墓所があります。

                    尚寧王が首里・浦添間の宿道を積極的に整備した動機が理解できますね。

                    (続く)


                    「太平橋」発掘中(1)

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                      首里平良町で、琉球王朝時代の遺構を発掘中です。1597年に尚寧王が建設した「太平橋(たいへいきょう)」のようです。



                      上の写真は太平橋が架かっていた安謝川の南岸。すぐ下の鉄柵の位置からだと遺構がよく見えるのですが、若いヤツに「はいはい。関係者以外は立ち入り禁止ね。」と言われて、仕方なく、ギリギリ近寄って撮った写真とそのアップです。





                      長さ、幅は共に5mほどだと思います。

                      反対側に回ります。



                      上の写真を(関係者の)琉球新報が撮るとこうなります。(チェッ)



                      当時流行の「相方積み」ですね。石を多角形に加工し、互いに噛み合うように積み重ねます。


                      どうやら、この遺構は橋の両側にある「取付道路」の擁壁のようです。そしてこちらが、安謝川北岸の発掘現場です。



                      残念ながら「太平橋」は失われています。日本軍が爆破したんです。

                      こんな狭い川、いくら橋を爆破しても厚い鉄板をバタンと架ければ戦車が通れます。

                      まったく、日本軍は余計なことをしてくれたものです。

                      「バ〜ロ!!」ですよねぇ。

                      (続く)


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