識名坂(シチナンダビラ)の石畳

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    識名坂の道路工事中、地中に埋没していた戦前の石畳が見つかったと聞き、現地に向かいました。

     

    ウーム。やっぱりこうなってるかぁ。石畳が見えません。

     

     

    道路は通行止めで、周囲に人影は無し。

     

    「めっ、めくるかっ!!」

     

    とは思ったものの、本島中南部の石畳道はほぼ踏破している「石畳道オタク」のワタクシ。その良識が邪魔をするのよね(笑)

     

    そこで、琉球新報の写真をお借りしましょう。

     

     

    このアングルには見覚えがあります。

     

    20110224162652_0.jpg

     

    そうそう、これこれ。識名坂を登りきり、風が抜ける丘の上で「ハ〜」となってる戦前のオバさま達。

     

    二枚の写真を見比べれば、あの辺りの石がこの辺りの石。

     

    「・・・・・。めっ、めくるかっ!!」(笑)

     

    オバさま達が立っていた場所には、真珠道の案内板が設置されていて、オバさま達が眺めた景色が広がっています。

     

     

     

    新聞は「意外にも石畳が残っていた」という論調で、「何言ってるっ!!。残ってて当たり前だろっ!!」とムキになる私。

     

    まあ、そこを丁寧に言いますと、

     

    戦前まで識名坂は確かに石畳道だったが、沖縄戦で砲弾が撃ち込まれ、石畳はかなりの被害を受けたはず。戦後、識名坂をコンクリートで舗装したが、その時の石畳の状態が記録されていない。だから、石畳が残っているか否かは舗装をめくらないと分からなかった。で、今回の工事で石畳の一部が見つかった。

     

    てこと。

     

     

    米軍は首里の丘を攻め、丘の北側から無数の砲弾を放ちました。そのうち、首里の丘を飛び越えた砲弾は、識名台地の北側斜面、つまり識名坂あたりに着弾しました。で、石畳はぐちゃぐちゃに。一方、首里の丘の南側にある金城町石畳道は、うまく砲弾から逃れることができたので、石畳道が残ったんですね。

     

     

    首里城守礼門近くの真珠湊碑文跡を起点とする真珠道は、島添ビラと金城町石畳道を下り金城橋を渡ります。そこから識名坂を上り、繁多川を抜け、識名宮の脇に出ます。

     

    できることなら、首里城から識名宮までを全面石畳舗装していただきたいところですが、識名坂は交通量が多いので、迂回路の整備が必要でしょう。

     

    だから、今回見つかった石畳は埋め戻すことになりそうです。残念ながら石畳道を歩くことはできませんが、地中で良好に保存されていると考えて、そこは我慢しないとね。

     

    道路工事は9月末までだそうです。丁寧な仕事をよろしくお願い致しますm(_ _)m


    首里末吉町の井戸

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      首里末吉町のそば屋「しむじょう」の入口です。



      この石垣が築100年で、母屋(国の登録有形文化財)が築150年。そばの料金はちょと高めですが、美味しいそばを食べながら琉球王朝の時代に想いを馳せていただきたい。


      さて、この日はそばを食べに来たのではなく、近くにある井戸の見学です。しむじょうから道を挟んだ向かいに一つ。その道沿いに西に一つと東に一つ。三つの井戸が並んで残っています。


      (1)イリヌカー

      しむじょう前の道を西に数十m歩き、階段を下りると、井戸へ続く石畳道がありました。



      別名が「大樋川(ウフヒージャー)」。その名の通り立派な井戸です。



      今も現役の井戸で、その湧き水は末吉公民館で散水などに利用されてるそうです。

      井戸の奥にグスクの門のような形状の湧泉が見えますね。奥に向かって1.5mほど掘られていて、その内部空間にも石組みが施されています。

      この湧泉を得るために、斜面を掘り崩し、垂直に近い壁に石組みを施すのですから大事業です。

      河川の少ない沖縄ですから、昔は木の幹に縄を縛って、枝葉や幹を流れる雨水まで溜めていたそうです。ところが、そんな水にはすぐにボウフラが湧いてしまうので、頼りになるのはやはり井戸。いくら大事業になろうと、井戸が無いと生きてゆけません。


      (2)ナーカヌカー

      しむじょうの向かいにあるのがナーカヌカー。湧泉とその前の踊り場が無ければ、道路の側壁に見えてしまうでしょう。



      この井戸は既に枯れていますが、なぜ枯れてしまったのか不思議です。上の道は幅が狭く、向かいがしむじょうで、その裏手は末吉の森です。そうすると、やはり道路工事が原因ですかね。


      湧泉の部分に近づいてみました。



      湧泉の奥行きは5mもあるそうです。つまり、道を横切ってしむじょうの敷地下まで到達してるということ。ナイチの井戸は縦に掘り、沖縄の井戸は横に掘る。

      東西に水量の豊富な井戸がありながら、あえてこの場所に深い井戸を掘ったのは新垣家(屋号が下門:しむじょう)かもしれません。つまり専用井戸ってこと。それは次回そばを食べた時に聞いてみましょう。


      (3)アガリヌカー

      しむじょう前の道を今度は東に数十m歩くと、井戸に下りる石段があります。



      井戸の規模はイリヌカーに劣りますが、なかなか趣のある佇まいです。葉っぱなんかが散らかってますが、そこは読者の皆さんの脳内で画像処理の上、消していただきたい。



      末吉の村井戸だそうなので、おそらくこの井戸だけでは水量が足らなくなり、後に大規模なイリヌカーを造ったのだと思います。


      沖縄の集落には公民館があり、自治会が組織されています。自治会長は地区長と呼ばれ、集落によってまちまちですが、それなりの責任と権限が与えられています。

      例えば、私が住む国場の自治会は広い土地を所有していて、そこに賃貸マンションを建てたり、賃貸駐車場にするなどして収入を得ています。自治会費はいらないんじゃないのかな。知りませんけど。

      辺野古3区では、自治会が基地容認と引き換えに数千万円の現金を国から受け取りましたね。だから、ナイチの自治会とは違うんですよ。


      沖縄の自治会には三つのタイプがあります。住民が原則として加入を求められる自治会と、加入がまったく任意な自治会。そして三つ目は、古くから集落に住む人しか加入できない自治会です。

      三つ目の自治会はいくつかの門中で形成されていて、その一族でないと加入できません。その自治会は土地や建物(御嶽や井戸なども含む)など集落の財産を長年にわたって守ってきました。また、その財産から得られる収入を集落に還元してきました。

      そこへ最近になって他所から引っ越して来た人が自治会に加入して、その利益を享受していいってことにはなりませんよね。


      私が言いたいのは、そのような自治会は伝統行事をきちんと継承し、集落の財産を大切に守ってきたということ。各地の集落を散歩することが趣味の私にとっては、たいへんありがたいことです。

      血縁者だけで形成される自治会を良いとか悪いとか私は言ってませんからね。そんなこと、モノを知らないナイチャーが、うかつに口にするもんじゃありませんてば(笑)


      樋川(ヒージャー)の名前

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        那覇市歴史博物館のサイトに掲載されている「ヒージャーガー」。場所は那覇市樋川(ひがわ)となってます。



        地名の樋川は城岳東側斜面の原名(樋川原)に由来しますが、その原名の由来となった井戸はどこにあったんでしょう。


        私はこれまで、裁判所通りの王(汪)樋川だと思っていました。

        CIMG4221s.jpg

        ところが、こんな立派な井戸があったのなら、原名の由来はこの「ヒージャーガー」かもしれません。

        少し調べれば井戸があった場所はわかるでしょうが、わかればそこに行くでしょうし、行けばがっかりするので、まあ、どこでもいいです(笑)

        こうした井戸が那覇の各地に残されていたら、それだけで街の景観にグッと風格がでてくるのに、樋川の「ヒージャーガー」は影も形もありません。


        沖縄では、樋(とひ)を使って水を汲みやすくした井戸を樋川(ヒージャー)と呼びます。ヒージャーガーでは樋川川になってしまうじゃないかとご心配のムキもありましょうが、ヒージャーガーと呼んだほうがおさまりが良いし、風格を感じさせますね。だから問題ありません(笑)


        話は変わりまして、こちらは沖縄を代表する井戸。南城市玉城の垣花樋川(カキノハナヒージャー)です。

        CIMG3868s.jpg

        1985年のこと。環境庁がこの井戸を沖縄初の「名水百選」に選定しました。

        そしたら垣花集落の人達が、

        「わったーやんかしぇー(昔から)、ワナガーんでぃ、いいちょーたんどー」

        と(笑)

        それで、(勝手に)垣花樋川と名付けたのは誰やねんって話になりました。

        環境庁「自治体が申請した名称です」

        玉城村「地区の役員からそう聞きました」

        垣花地区長「今回初めて聞きました。垣花ではワナガー、もしくはシチャンカーと呼んでます」

        さて、「アワワ」となったのは誰でしょうか?(笑)


        垣花樋川の名称について、垣花集落の人達は、

        「樋(とひ)を使っているからヒージャーと呼んでおかしくは無いし、井戸を訪ねる人にとっては垣花の名前が付いてるほうがわかりやすいだろう」

        と大人の対応をしました。

        しかし、「垣花の子供達にはそうは呼ばせないよ」と。

        ハッハ〜ッ!!。まったくごもっともでございます。


        さて、「アワワ」となった人達は井戸の脇にこんな案内板を建てました。

        「垣花樋川(俗称 シチャンカー)」



        由緒ある井戸の名前を俗称にしちゃったのね(笑)


        とは言うものの、私は過去に何度も沖縄各地の井戸について投稿しておきながら、この視点は抜けてました。だから、偉そうには言えません。

        集落の中心にある井戸はムラガー、ヒージャーガーなどと呼ばれ、東西に2ヶ所あればアガリヌカーとイリヌカー。

        考えてみれば(考えるまでもなく)、井戸に集落名は不要で、垣花集落の人達が集落の井戸を「垣花樋川」と呼ぶはずが無いのでした。


        中城村若南原の石橋(2) 石畳道の保存

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          古道「ハンタ道」が歴史の道として整備されているのは、中城村南上原の東太陽(アガリティーダ橋)から中城城までの区間です。徒歩で約2時間。





          本来の起点である首里城から南上原までの間は、都市化が進み古道は分断され、消滅しつつあります。そのことが残念な一方で、中城村による古道を守る取り組みは高く評価できますね。「ハンタ道」は高台の端っこの道を意味しますから、中城村内の区間はまさにその名前の通りです。


          ところで、「ハンタ道」を歩こうと南上原まで車で行き、そこら辺の駐車場に停めたとしますね(サンエーの駐車場はやめてよ)。そして2時間を楽しく歩き、中城城でお弁当も食べました。そこで直面するのが「あらっ、車までどうやって帰るの?」問題です。

          中城城から南上原までバスで帰ろうとするかもしれませんが、便数が少なく、経路が複雑な沖縄の路線バスをナメてはいけません。


          そこでお勧めなのが、毎年11月に開催される「護佐丸ウォーキング」です。

          中城村の吉の浦会館まで車で行けば、村のバスが南上原へ送ってくれて、中城城まで迎えに来てくれます。ガイド付きで参加料は500円。早めに申し込みしないとすぐに定員をオーバーしてしまう人気企画です。

          それから、護佐丸ウォーキングの開催直前に、中城村の草刈り隊が大挙出動するので「ハンタ道」が気持ち良く歩けるようになります。私みたいに「いや、自分のペースで歩きたい」とお考えの方は、護佐丸ウォーキングの開催直後に歩かれると良いでしょう。


          さて、若南原の石橋に戻ります。

          新しく建造される前の若南の石橋は、現在の場所より少し上流にあったと聞いてます。その痕跡は無いものかと行ってみると、橋があった場所に案内がありました。



          はっはあ。

          若南の石橋は平らな一枚岩だったようです。そして、橋を渡った先が急坂の石畳道。数年前に石畳道を発掘した際の写真もありました。



          ううっ、これは。

          雨が降ったら流れますねぇ。人を歩かせたりしたら、すぐに崩れてしまうでしょう。予算があれば、新しい石を補充して石畳を復元することがベストですが、中城村は旧道に沿ってコンクリート製の橋と階段を造りました。



          そして今。旧道には草木が生い茂り、石畳は見えません。残念ではありますが、草木の根がしっかりグリップしてくれるので、石畳を保存するには良い方法と言えるでしょう。

          往生際の悪い私は草木をかき分けて、石畳を見ようとしましたが、まったく歯が立ちませんでした。

          だから、安心ってことよねぇ(笑)


          中城村若南原の石橋(1) 歴史の道

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            中城村若南原(わかなんばる)の石橋。



            橋の下を流れる川は若南ガーラ。その下流に架かる新垣の石橋(昭和17年建造)を模して、最近造った石橋です。

            こちらが中城村指定文化財「新垣の石橋」。



            全然似てないじゃん(笑)。

            同じ川ですから、川幅も深さも同じようなもの。新垣の石橋を知らずに造ったとしても、もう少し似たものになりそうです。

            小さいとは言え人が通る橋ですから、今風の建造基準みたいなものがあるんでしょうね。それから予算の関係も。


            若南原の石橋を正面から。



            下から。



            上から。



            何だか、石橋の悪口を言ったように聞こえてるかもしれませんが、それは私の石橋に対するコダワリが原因なのでして、実は、沖縄本島に新しく石橋が架かるなんて画期的な事です(パチパチパチ)。

            石橋から少し離れると。



            手前から石畳(風の)道が橋を渡り、右奥へ続いています。これは中城村が取り組んでいる「歴史の道」事業。首里城と中城城を繋いだ琉球王朝時代の古道「ハンタ道」の道筋を石畳道が示しています。かつて、護佐丸や阿麻和利が首里へ向かった道です。

            中城村内に整備された石畳道と標識のおかげで、私達は迷うことなく古道を歩くことができます。




            若南ビラ入口。



            「えっ!!、これを登るの?。いゃ〜だ。石畳って言ってもニセモノでしょ?。本物だったら登ってもいいけどぉ」

            そんな事を言う人は金城町に行きなさい。

            高い所に登れば、周囲の地形が見えてきます。斜面の集落、平地に広がる原(ハル)、その間を流れるガーラ。そんな景色を眺めていると、そこに橋が必要な理由が分かり、そこで暮らす人達の日々の営みまで見えてきます。


            ハンタ道に沿って数多くの見所がありますが、地図やスマホを手に目的地を探し続けることは大変です。また、道を間違えて行き過ぎてしまった時に、今来た道を引き返すことは気が重いものです。

            そんなことにならないための石畳(風の)道であり、古道にアクセントをつけるための新しい石橋ということ。若南ガーラのせせらぎを聞きながら、石橋を渡り古道を歩きましょう。

            (続く)


            糸満市米須の潮川

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              米須のビーチに湧き水が出てるそうなので見てきました。



              米須の潮川(スーガー)です。



              もちろん真水で、小川の両脇にはビーチでは見られないような草が生い茂っています。

              こちらが水源。



              米須の地下ダムに堰き止められる以前は、もっと水量が多かったことでしょう。近くで貝塚が発見されていて、この湧き水がかなり昔から利用されていたことがわかります。


              ヤマトでは弥生時代から稲作が始まりましたが、沖縄では狩猟生活が続きました。そのため縄文・弥生時代に相当する期間を沖縄では貝塚時代と呼びます。

              山下洞人のその後

              何故、ウチナーグチは古い日本語みたいなのか?


              米須は平地のため、集落内の井戸は地面を掘り下げ、地下15mまで階段を下りる構造のようです。それに比べると潮川はビーチなので、簡単に水汲みができますね。

              湧き水はほんの少しの距離を流れ、



              太平洋に流れ込みます。




              ゴールデンウィークに入り保育園はお休み。相棒Aの離脱後は忙しくしていたこともあり、私は昨日と今日を休みにしました。久しぶりの連休を楽しくダラダラ過ごしています。(^O^)/


              落穂拾い的、那覇の石橋巡り(2) 首里末吉町の「末吉(古)橋」

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                次に向かったのはモノレール市民病院駅近くの「末吉(古)橋」です。橋の側面をコンクリートで補強されてると聞いてますが石橋は石橋。やはり一度は見ておくべきでしょう。

                あっちゃ〜!!



                遅かったかぁ。

                河岸の橋台部分から石橋はもぎ取られ、部材の一部が川床に転がってました。護岸工事は続いてますから、石橋が破壊されたのはつい最近のようです。

                安謝川の洪水対策工事の一環で、人道橋の末吉(古)橋を車道橋に架け替えるのでしょう。



                首里城や識名園などに残る文化財(あるいは観光資源)としての石橋を別にすれば、那覇に残る石橋は、昨日投稿した大橋と下原橋、そして首里の上之橋(イーヌハシ)と下之橋(シムヌハシ)の4本となりました。生活橋としての那覇の石橋は、もはや風前の灯火です。


                googleのストリートビューでは、まだ橋が残っていました。



                橋の周辺では、広い県道(環状線)が通り、モノレールが開通し、新しい住宅地ができました。街の様子が激変した地区に古くからの石橋が残り、住民に利用されることには大きな意味があったと思います。学校、駅、病院などに向かう人達が行き交う現役の石橋だったんですけどねぇ。


                くっそぉ〜。

                洪水対策は必要なんだろうからやってくれていいけど、ついでに橋を壊すことはないだろっ!!

                こらっ、沖縄県庁っ!!。モノを大切にせんとバチがあたるんやぞ。わかっとんのかっ!!

                (終わり)


                落穂拾い的、那覇の石橋巡り(1) 首里鳥堀町の「大橋」

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                  那覇市内で見逃していた石橋が2ヶ所ありましたが、今日はそれぞれの近くを通る用事があったので寄ってみました。

                  まず、首里鳥堀町の「大橋(ウフハシ)」。

                  大角座の歩道橋下から南風原方面に向かう市道(鳥堀南線)は道幅の狭い急な下り坂になっています。そこを下った所に小川があり、石橋が架かっているはずです。

                  市道からそれて小道を下ると小川に出ました。この小川は金城ダムに流れ込み、安里川になります。



                  ありました。名前は大橋ですがアーチは小さめです。



                  川に降りて石橋を正面から見たいのですが「え〜っ、ここを降りんのかよぉ」みたいな場所でした。

                  でも、降りました。




                  ここで、琉球古地図を見ましょう。



                  下部の赤枠内に橋が描かれているので拡大します。



                  この橋は下原(シチャーラ)橋



                  大橋から200mほど下流にある琉球王朝時代の石橋で、首里と島尻東部を結ぶかつての幹線道路上にあります。つまり、島尻方東街道。久高島を参拝するために琉球国王が渡り、御新下り(ウアラウリ)に向かう聞得大君が渡った橋です。

                  一方、大橋は首里古地図に描かれていません。琉球が沖縄県になった後、大角座と南風原を結ぶ里道ができて、そこに大橋が架けられました。その後、道路が拡張されて市道になり、周辺に住宅地が造成されたのです。


                  読谷のむら咲き村に泉崎橋のレプリカがありますが、あれを眺めてちっとも面白くないのはそこに道が無いから。

                  石橋の建造技術に興味がある人なら、石橋があれば良いのでしょうが、私の場合は、道があってこその石橋。その道がどんな役割で、誰が通ったかに想いを馳せたいわけよね。やっぱり聞得大君が渡った下原橋には歴史的価値があると思うし、石橋としての格は大橋よりも上と言わざるを得ません。

                  せっかく訪ねた大橋でしたが、近くに下原橋があるがために、「あっ、そう」って感じになってしまいました。すみません。

                  (続く)


                  与勝半島の散歩(4) 沖縄市知花、美里

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                    (6)沖縄市知花

                    与勝からの帰り道。沖縄市内の石橋をまわってみました。

                    住宅街をウロウロしていて、突然現れたのがメーヌカーガー橋。



                    明治時代に造られた石橋が100年以上も日常生活の中にあり、その姿を変えることなく今も現役。いやぁ、この橋は恵まれています。

                    メーヌカーガーは現存する井戸の名前です。とはいえ、写真左端に写っているコンクリート製の直方体に金属製のフタがついてるモノが、変わり果てたその姿。かつては、そこから湧き出す水が窪地に溜まり、橋の下を流れていたようです。

                    足が埋まりそうな窪地に降りてみました。



                    ガーラ矼とは対照的に、拱矢が低く径間が広い造りです。私が立っている窪地(かつては池)を跨ぐために径間を広くしたのでしょう。その分強度が下がるため重量規制があり、3トン以上の車両は通行不可となっています。


                    (7)沖縄市美里

                    カフンジャー橋。



                    先ほどのメーヌカーガー橋と同じく明治末期の石橋です。名前の由来は何でしょうね。直感的には「果報座」ですが、多分間違ってるでしょう(笑)

                    川筋が変わったようで、橋の下に水流はなく、今は歩道橋として使われています。



                    欄干まで残っていて保存状態はいいです。ちょうど子供達が橋を渡ろうとしていますね。いい風景です。


                    この日の私は3ヶ所で石橋を見ることができて満足です。とは言いながら、石橋が日陰者の扱いを受けている感は否めず、それを眺める私は何とかいい所を探し出そうとしています。

                    沖縄戦で焦土と化した沖縄で、県民が暮らせる街づくりを優先し、文化財の保護まで手が回らなかったことは分かります。しかし、その時の感覚が今の行政に常識として残ってるのなら、それは問題と言えるでしょう。


                    さて、勝連グスク南風原門跡、平敷屋タキノー、平敷屋製糖工場跡、ガーラ矼、平安名ワイトゥイ、平安名ガー、大田ビラ、メーヌカーガー橋、カフンジャー橋と9ヶ所を歩いた私の散歩はこれで終わりです。陽も傾いてきたので、那覇に帰ります。

                    (終わり)


                    与勝半島の散歩(3) 勝連平安名、うるま市大田

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                      (4)勝連平安名

                      勝連平安名と言えばワイトゥイ。ここは何度も来てますが、何度でも来たい。20mの高さの岩を3年かけて150mも割取りました。



                      ワイトゥイをクビリと呼ぶこともあって、クビリはクビレ。私のクビレフェチはここから来てるんですが、この高さになってしまうと、もはやクビレとは呼べません。国頭村宜名真(ぎなま)のワイトゥイも大規模ですが、高さ長さ共に勝連が上でしょう。


                      フクギ並木を眺めつつ、



                      井戸に着きました。



                      平安名ガーは勝連で最も大きな井戸だそうで確かに立派。



                      しかし洗い場を見れば、この井戸は既に現役を退いている様子です。であれば、コンクリート製の屋根は取り除いたらいかがなものか。やはり無粋ですよねぇ。

                      この井戸の本来の姿はこんなです。



                      石組みを眺める時に、コンクリートを視界から消し去るのが面倒で面倒で。




                      (5)うるま市大田

                      与勝半島の先端から始まった私の散歩は、半島の根元まで来ました。



                      うるま市川田から大田バンタに向かう坂道に石畳道が残ってるらしいのですが、私は既に疲れ気味。下から登るのはナンギだし、上から降りれば戻りがナンギ。そこで、上からちょっとだけ降りて戻ることにしました。

                      ありました。



                      う〜む。劣化しとるかぁ。


                      あと一回続きます。

                      (続く)


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                      念願の沖縄生活を始めて8年になりました。
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