糸満市米須の大川矼(おおかわばし)

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    この道は県道7号線。那覇市奥武山を起点に糸満市米須まで続いています。



    道幅が広くて走りやすく、街路樹は県花のデイゴです(今年はまだ咲いてない)。

    さて、あと一つ丘を越えると米須って所まで来ました。



    このあたりに石橋が埋まってるらしいのですが、路上からはまったく見えず、川もありません。

    そこで、道路脇の短い階段を降りてみると、

    おお〜。



    頑丈そうな石橋がありました。

    スバヤク、反対側に回ってみると、



    同じでしたね(笑)


    この橋の名は大川矼(大川橋:おおかわばし)。明治の終わりから大正始めにかけて建造された石橋で、地元の通称で「まき橋」とも呼ばれているようです。

    周囲をコンクリートで覆われているので、アーチの部分しか見えませんが、アーチを形成する拱環石(こうかんせき)の厚いこと。目測ですが40〜50cmはあるでしょう。



    どんな姿の橋だったのか。コンクリートを爆破したいわぁ(笑)。それにしても、丁寧に床面まで石を敷いて、いい仕事をしています。


    問題は(でもないが)、川も無いような場所に、これほど頑丈な石橋を何で造ったかっちゅうことですわ。

    先ほどの丘の向こうに米須集落があり、その先は大渡海岸です。つまり、このあたりは本島の南端、ディープサウスです。

    以前投稿しましたが、沖縄本島の恩納村以北と以南では、島の生い立ちが異なります。ヤンバルは大陸と陸続きだったころから存在し、本島中南部は隆起珊瑚です。つまり、先ほどの丘はかつてのリーフエッジで、これが東西に長い。


    そのため、米須の皆さんが那覇や糸満に行くには、岩だらけの丘を越えることになり、荷車や馬車を使う際は、大きく迂回する必要がありました。

    そこで、米須の皆さんは集落を丘の北側に移すことを決意したのです。あったまいい〜って思いましたが、そこは洪水地帯。大雨の度に水浸しになり、20年も経たないうちに、集落を丘の南側に戻すことになりました。

    やれやれでしたが、そもそもの問題が解決していません。そこで、米須の皆さんは丘にワイトゥイ(割取り)を通し、洪水地帯に頑丈な橋を架けたんですね。その道は真壁街道。米須から真壁、国吉を経て糸満に続きます。

    米須は地下ダムがあるほど地下水が豊富な場所ですから、川が無くても(無いから)大雨で地下水が溢れ出ていたのです。現在は治水事業により洪水は無くなり、石橋の下を水が流れることもありません。


    うーむ。この日は時間が無く、こんぐらいにしておきましたが、まだワイトゥイを見ていません。くびれフェチの私としては、そこは押さえておきたいところです。

    また直ぐに来るはずね、この男。(^o^)/


    写真集「南風原」(2) 仲大城と仲門小の間

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      写真集「南風原」から選んだ、二枚目の写真がこれ。



      キャプションには「仲大城〜仲門小の間の現存する石橋 1920年(大9)建造」とあります。

      これは大ニュースです。「浦添、中城以南の石橋はすべて見た」と思っていた私でしたが、こんな近くにまだ見ぬ石橋があったとは。

      これは、さっそく行かないと。


      で、「仲大城と仲門小の間」ってどこやねんって話です。南風原町は広うございまして、集落(字)が11もあります。せめて集落の名前を教えていただきたい。

      と、普通は思うのですが、そこが屋号の素晴らしいところ。仲大城も仲門小も一軒しかないので、ピンポイントで場所が分かるんです。これが名字で「比嘉さんと照屋さんの間」なんて言われようものなら、それはもう何がなんやら(笑)

      仲大城や仲門小を知らない人でも、屋号から本家を割り出し、例えば「仲大城は大城の分家さぁね。大城は喜屋武のナカヌカーのあたりだから、そこらで聞けばいいさ」などと教えてくれます。

      つ〜ことで、「仲大城と仲門小の間」は直ちに判明したのでした。



      私がよく通る道ですし、喜屋武集落は先日、くまなく散歩したばかりです。

      やしが・・・。

      あそこらに石橋ねぇ。なんだか不安です。そもそも「現存する石橋」ってキャプションはいつ書かれたものなのか。

      「いや〜、30年前のキャプションをそのまま使っちゃいまして、アハハ」

      な可能性があります。


      まあ、行ってみればいいってことです。



      手前のお宅が仲門小。奥が仲大城。

      して、その間は県道です。右折すると照屋交差点。



      県道を渡った先に川がありました。



      この川を渡るための石橋だったことは間違い無いでしょう。振り返れば、川は暗渠となって県道の下をくぐっています。



      次の写真が県道で「仲大城と仲門小の間」。何年前かは分かりませんが、この写真のアングルに石橋が写っていたはず。




      はい。残念ながら石橋は壊されてしまったか、暗渠の中。見ることはできませんでした。

      不安が的中した感じですが、こんな近所に私が知らない石橋があるはずが無いのよね。

      ふんっ!!


      南城市佐敷の湧き水「澤川」

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        南城市佐敷の航空写真です。



        大きく湾曲した海岸線。広い平野と発達した干潟。背後を取り囲むなだらかな丘陵地。海からの風が干潟や平野を抜け、丘陵地に駆け上がる様子が容易に想像できます。私は佐敷と聞いただけでいい気持ちですが、それはこの地形を連想するからでしょう。


        さて、平野や干潟を形成するには大量の土砂が必要なはずですが、佐敷には大きな川がありません。そこで、もう一度航空写真をご覧いただいたたい。

        背後の丘陵地全体が大きな水瓶となり、無数の湧き水が佐敷平野に噴き出しているんです。その湧き水が平野の田畑を潤し、干潟に土砂を供給しています。


        「そうは言っても、そんなチョロチョロした湧き水で土砂が運べるのか」と疑う貴方に、滝のように流れる湧き水を紹介しましょう。

        海岸からユインチホテルへの坂道(県道137)を新里ビラと呼び、坂の上からの眺めが抜群です。あの、眺めの良い場所のやや下のカーブ、山側でこんな入口を見つけましょう。



        そのすぐ先に湧き水があります。



        先ほど「滝のように流れる湧き水」と言いましたが、これはまさに滝。澤川(たくがわ)と呼びます。



        このすぐ上がユインチホテル。僅かな高低差でこれだけの湧き水が得られるのですから、凄い保水力です。


        手前のドラム缶は水質検査中。

        ユインチホテルには温泉が出るそうで、その温泉水は湧き水に混ざらないよう、放水路に流されています。ところが少し前に、放水路から温泉水が漏れる事件がありました(現在は解決済)。それ以来、澤川の水質検査が行われることになったようです。




        ワタクシ。本来は、滝の上に登ったりして、澤川を様々な角度から撮りたかったのですが、この日はガジャンが群れてる気配がありました。半袖の私は、写真を撮る時以外は常に両腕を振り回し、一刻も早く、その場を立ち去りたかった。

        ということなので、様々な角度からの滝の写真はまたいずれ。蚊のいない時に。


        浦添市牧港「立津ガー」

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          浦添市牧港の「立津(タチチ)ガー」を訪ねました。



          伊祖グスクの丘を水源とする井戸です。



          古くからの湧き水ですが、石組みは最近改修されたものだそうです。



          農業用水として利用されている現役の井戸ですが、10年ほど前に、近くを通る県道地下のパイプから重油が漏れて流入したそうで、それ以来、飲用不適です。


          透明な水の中をグッピーが沢山泳いでまして、水草の中にはエビやカニもいそうです。



          枯れた井戸が多い中、水が湧き出る様子が見える井戸は、本当に嬉しいものです。


          多くの沖縄の井戸と同様、この井戸でも、先週投稿した沖映通りのティーラガーでも、羽衣(天女)伝説が語られています。

          冒頭の写真の木の枝に羽衣がかけられていて、井戸では美しい女性が水浴中。それを見た近くの男性が羽衣を隠したため、女性は天に帰れなくなりました。女性はその男性と結婚し子供を産みましたが、ある日、羽衣を見つけ出し、天に帰って行くと。

          沖縄には、天女が現れた井戸は無数にあります。以前に同じような投稿をしたと思いますが、昔の沖縄で、お母さんが姿を消すことが多かったってことなんでしょう。

          まず病気。それから、首里とか中国とかの権力者による拉致などですね。


          お母さんが姿を消した後、お父さんが子供を納得させる話として、羽衣伝説は実によくできています。

          「空に舞い上がったお母さんは名残惜しそうに、何度も空を旋回し、とうとう意を決して、天に昇った」

          と話せば、子供の中にはこんなお母さん像が出来上がります(彼女は南風原の天女です)。



          そして、子供だけではなく、お父さんもそんな風に考えて、事実を受け入れようとした。

          これは、羽衣伝説の数だけ、悲しい事実があったと考えて良さそうです。


          浮気をしてナイチに行った、みたいなお母さんは天女にはしてもらえませんので、悪しからず。


          「太平橋」発掘中(2)

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            太平橋の位置を古地図で確認しましょう。地図の下部(南)に首里城、上部(北)に太平橋が記されています。



            首里城から浦添へ向かう宿道は二本に分かれ、右が「上道(ウィミチ)」、左が「下道(シムミチ)」と呼ばれていました。そして、二本の道が合流する場所に太平橋がありました。

            拡大しましょう。



            安謝川に架かるアーチ型の太平橋とその下流に平良小堀(ティーラグムイ)。次の写真が太平橋南詰西側の擁壁ですから、古地図と見比べることができます。



            そして、古地図には儀保川に架かる二つの橋が記されています。

            上道の上之橋(イーヌハシ)と、

            20110604065425_0.jpg


            下道の下之橋(シムヌハシ)

            20120520084056_0.jpg

            古地図にはありませんが、浦添グスク手前の安波茶橋

            20110414215641_0.jpg

            尚寧王が宿道を整備する過程で建設した、これら同年代の橋からも、太平橋をイメージすることができます。


            太平橋を建設した尚寧王は浦添グスクで生まれ、第二尚氏の直系ではありません。そのため、第二尚氏の王統では彼だけが玉陵に入らず、浦添ようどれに墓所があります。

            尚寧王が首里・浦添間の宿道を積極的に整備した動機が理解できますね。

            (続く)


            「太平橋」発掘中(1)

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              首里平良町で、琉球王朝時代の遺構を発掘中です。1597年に尚寧王が建設した「太平橋(たいへいきょう)」のようです。



              上の写真は太平橋が架かっていた安謝川の南岸。すぐ下の鉄柵の位置からだと遺構がよく見えるのですが、若いヤツに「はいはい。関係者以外は立ち入り禁止ね。」と言われて、仕方なく、ギリギリ近寄って撮った写真とそのアップです。





              長さ、幅は共に5mほどだと思います。

              反対側に回ります。



              上の写真を(関係者の)琉球新報が撮るとこうなります。(チェッ)



              当時流行の「相方積み」ですね。石を多角形に加工し、互いに噛み合うように積み重ねます。


              どうやら、この遺構は橋の両側にある「取付道路」の擁壁のようです。そしてこちらが、安謝川北岸の発掘現場です。



              残念ながら「太平橋」は失われています。日本軍が爆破したんです。

              こんな狭い川、いくら橋を爆破しても厚い鉄板をバタンと架ければ戦車が通れます。

              まったく、日本軍は余計なことをしてくれたものです。

              「バ〜ロ!!」ですよねぇ。

              (続く)


              志多伯集落の散歩(2) 神谷家の門構え

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                ここは志多伯集落の北端。つまり、最高地点です。

                パッと見てこれはもう御嶽。これが御嶽でないなら、何が御嶽なのか。



                「御願小之お岳」と石碑にありました。



                その向かいが根屋。志多伯集落発祥の地です。




                ナカミチを少し南に下ると、石畳道がありました。



                石畳道は新しいようですが、左手の石垣は古くからのものです。その石垣に沿って歩くと屋敷の門がありました。



                神谷家の門構え。



                門の奥にはヒンプンに相当する石垣があり、左手に石段が続いています。



                更に右手に曲がった先に屋敷があったようです。



                どんな屋敷だったんでしょう。この門構えと釣り合うには、識名園の御殿が必要な気がします。


                この門は、琉球王府の三司官、蔡温(1682-1762)が設計したとのこと。蔡温は領地として具志頭間切を与えられましたが、そもそも志多伯は蔡温家の領地だったようです。




                ナカミチを更に下ると県道に出ます。



                県道沿いにあるのが、村井戸の「中ヌ井」。その奥にはアカギの大木。




                あるべき場所に、根屋、村獅子、井戸があり、馬場跡や歴史的な建造物が残る。志多伯は沖縄集落の標準形と言えそうです。

                訪問者のために集落や史跡の案内を設置すれば良いと思いますが、地元の皆さんにはあたりまえの風景で「それがどした?」って感じなのかもしれません。


                白梅の井泉

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                  昨日までの4日間、白梅学徒隊の投稿を続けました。つまり私は、松山、国場、東風平、八重瀬岳、国吉と、女子学生のストーカーをやってたことになります。

                  資料を読んだりして、色々なことがわかってくると、やはり「その場」に立ちたくなります。

                  そして、八重瀬岳病院壕や、白梅の塔などの目的地へは、なるべく、学徒隊が歩いた道を歩きたい。

                  何しろストーカーですから(笑)。


                  ところが、白梅学徒隊が何処を歩いたかなんて、誰も教えてくれません。そこで役に立つのが、スマホのナビゲーションシステムです。

                  東風平国民学校跡(緑のピン)から、八重瀬岳病院壕(赤のピン)に向かうルートを検索してみましょう。



                  2.9キロの距離を徒歩で38分(青色のルート)、車で9分(水色のルート)です。当然、徒歩ルートが最短距離になり、古くからの道が多いのです。

                  学徒隊はこれを歩いたと思うんですよね。もちろん、ピッタリではないでしょうが、当たらずとも遠からず。


                  さて、八重瀬岳が見えてきました。



                  学徒達が、

                  「あっ!!、八重瀬岳が見えた!!」とか、

                  「あ〜、やっと着いた〜」とか、

                  「病院壕が見える?」とか、

                  口に出したと思うんですよ。私が立ってるこの場所で。

                  そう思うと嬉しい(笑)。

                  なんて安上がりな趣味なんでしょう。


                  例えば、この場所。



                  次の写真の場所かもしれません。歩いているのは米兵です。




                  ここは八重瀬町富盛。

                  そう言えば、富盛の村獅子を訪ねたのは、米兵の写真がきっかけでした。




                  病院壕に近づいてきたので、私は井戸を探しました。学徒達が毎日何度も水を運んだ井戸です。

                  道端に井戸を見つけて「あぁ、きっとこの井戸だ」ってなれば最高ですが、そうはうまくいきません。


                  そんな時、頼りになるのが公民館です。集落のことなら、何でもわかります。




                  C「ちわ〜っす。」

                  公「いらっしゃいませ。どうしました?」

                  C「富盛の史跡マップはありませんか?」

                  公「あらぁ、無いんですよ。時々聞かれるので、作ろうとは思ってるんですけど。」

                  C「そうですか。早く作って下さいよ。」

                  公「どこか、目当ての場所があるんですか?」

                  C「いやぁ、マップがあれば全部行きたいけど、一番知りたいのは白梅学徒隊の井戸の場所。」

                  公「それなら、地図で探せます。あっ、区長さんだ、丁度良かった。」

                  C「区長さんですか、こんにちは。白梅学徒隊の井戸の場所を知りたいんです。」

                  区「あぁ、山井泉ね。それで、わざわざ?」

                  C「ええ。」

                  区「すぐ近くですよ。地図ではここ。」



                  C「あぁ、やっぱり。その辺りかと、目をつけてたんですけど、見つかりませんでした。」

                  区「草が多いからね。今週、町役場に井戸の整備費用を申請するんですよ。」

                  C「それはいいですね。頑張って予算を取って下さい。」

                  区「あはは。どうなるかね。」

                  C「じゃあ、さっそく行ってきます。」

                  区「整備が済んだら、また来て下さい。」


                  地図のおかげで、井戸はすぐに見つかりました。



                  確かに、草に埋れてえらいことになってます。



                  わかりますか?

                  奥に井戸。左右に石組み。中央の平らなスペースは井戸の床です。


                  ここから病院壕まで2、3百メートルはあるでしょう。

                  500床の総合病院をイメージして下さい。その病院には水道が無く、食事や治療に必要な水は、すべて、離れた井戸から運ぶんです。

                  いったい何往復したんでしょう。


                  本当は、女子学生が洗濯をしながら、キャッキャと笑って、井戸端会議をしている様子を思い浮かべたい。

                  ところが、そうはならんわね。

                  真っ黒い顔の女の子が、ボロボロの汚れた服を着て、歯を食いしばりながら、一斗缶を運んでましたわ。

                  お盆やし。


                  糸数村獅子、カマンカジ、糸数樋川(3)

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                    カマンカジを出て、石畳道のアップダウンを歩くと、糸数樋川に到着しました。

                    こう書くと、糸数樋川は集落から離れた場所にあるように聞こえるので補足します。

                    集落の南側斜面を少し下ったところにカマンカジがあり、そこから斜面に沿ってアップダウンした先に糸数樋川があります。そして、糸数樋川から斜面を登ると集落に出ます。つまり、環状の石畳道。集落からの距離は糸数樋川のほうが近いと思います。

                    話を戻して、糸数樋川です。



                    カマンカジほどではありませんが、生活用水としては充分な水量に思えます。(今は飲めません)

                    そして、案内を見れば、7ヶ月続いた干ばつでも枯れなかったとありました。

                    「はいはい。」

                    私は、何十ヶ所も井戸を訪ね歩いているのですから、たまには、

                    「干ばつが続くとすぐに枯れてしまいました。この役立たずっ!!」

                    みたいな井戸があっても良さそうなものです(笑)。

                    案内は更に「島尻郡のほとんどの井戸が枯れても、この井戸は枯れず、水が枯れた集落から馬車で取水に来た。」と続きます。

                    島尻郡内で、決して枯れなかったと案内のある井戸を、私はいくつも知っています。こうなると、言うたモン勝ちです(笑)。


                    話を元に戻します。

                    糸数樋川の取水槽の裏に、かつての樋がありました。昔、集落の人達が取水していたのはこちらからです。



                    一斗樽二つを天秤棒で担いで坂道を下り、取水後、今来た坂道を登ります。一斗樽二つで36キロ。天秤棒や樽の重さを加えると40キロを楽に超えたでしょう。




                    私事で恐縮ですが、厨房が3階にある保育園があり、外階段を何度も上って商品を運びます。

                    一度に沢山抱えれば、重たい代わりに往復回数が減ります。私の基準値は一度に20キロ。それを超えるようなら、往復回数を増やします。

                    商品を運び終わると、調理師が冷たい飲み物を用意してくれていて、検品の間にそれを美味しくいただきます。それが楽しみで楽しみで(笑)。

                    今、考えてみれば、糸数の皆さんが運んだ重さの半分じゃないですか。ほんと、甘えた男ですみません。


                    糸数樋川から集落に何度も水を運び、最後は人間だけが下りて来て、井戸で水浴び。最高の気分だったでしょうね。

                    家にお風呂があったら、その水を運ぶことになりますが、それは勘弁してほしいと思ったはず。誰もが井戸水のシャワーを選ぶでしょう。

                    沖縄では、風呂に入らずシャワーを使う習慣がありますが、そのルーツがここにあるのでは、と思ったりしました。


                    今、日本人の水道使用量は、一日あたり313リットルだそうで、それを糸数樋川から36リットルずつ運ぶと9往復。 それを家族の人数分繰り返すことになります。4人家族なら36往復。

                    「うっわぁ!!」

                    どんだけ水を使ってるんでしょうね、私達って。

                    (終わり)


                    糸数村獅子、カマンカジ、糸数樋川(2)

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                      糸数集落南側の斜面に、2つの井戸があります。糸数樋川とカマンカジ。

                      糸数集落南口。村獅子のすぐ脇に、井戸に続く石畳道があります。最近、石畳が補修されたようです。




                      糸数樋川は男(イキガ)ガー、太陽(ティダ)ガーと呼ばれ、カマンカジは女(イナグ)ガー、月(チチ)ガーとも呼ばれています。

                      主として、糸数樋川は生活用水に、カマンカジは農業用水に使われていたようです。


                      石畳道を下ると、最初に現れるのが、カマンカジです。



                      その豊富な水量は、井戸や湧き水と呼ぶより川。



                      水質の悪化で、飲料水としては難しいようですが、農業用水としては現役の井戸です。

                      水源は建屋の奥にあり、草で覆われていてわかりにくいのですが、周囲に立派な石積みが施されています。



                      南側の眺望が良く、少し整備すれば垣花樋川に近い雰囲気になりそうです。

                      カマンカジの意味は、いくら調べてもわかりませんでした。井戸ではなく、井戸のある場所の呼び名かもしれません。

                      井戸の名前の由来から、生い立ち、使われ方まで詳しく知りたい私と、「井戸は井戸さ。そんなこと知ってど〜する。」と答えるウチナーンチュ。どこに行っても、そんな構図があります(笑)。


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