ヒジ川橋とヒジ川ビラ(3)

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    ではヒジ川ビラに入りましょう。

     

    ヒジ川ビラはヒジ川橋と御茶屋御殿を結ぶかつての宿道。そのうち100mほどの石畳道が残っています。

     

     

    金城町石畳道は住宅地を抜ける生活道路ですが、雑木林を抜けるヒジ川ビラは人通りが少なく、王朝時代を偲ぶには良い環境と言えます。

     

    道の両側に土留の石垣が施されて、法面の崩壊を防いでいます。

     

     

    石畳道の長さは金城町石畳道の半分ほど。住宅地まで上がったら石畳道はそこでおしまいです。

     

    200mほど先が御茶屋御殿跡になりますが御殿の形跡はほぼ無いので、交通手段によってはそこでヒジ川ビラを引き返しても良いと思います。

     

     

    住宅地を進むと儀間真常の墓前を抜けて展望台に出ます。御茶屋御殿からの眺望はこんな感じだったんでしょう。那覇市街と東シナ海、その先に慶良間が見えています。

     

     

    そこから雨乞御嶽に進むと、さらに眺望が開けて、那覇市街から本島南部まで見渡すことができます。

     

     

    ここまで来れば、首里城は目の前です。継世門と東のアザナに上がった観光客。

     

     

    沖縄戦の激戦地となった首里で、金城町石畳道やヒジ川ビラが破壊されなかったことには理由があります。

     

    読谷から南下を続け安謝川を渡った米軍は、首里城に向かって北側から無数の砲弾を撃ち込みました。その時、首里の南斜面にあるヒジ川ビラは、身を伏せた格好で砲弾を避けることができたんです。

     

    中には下手な砲手が撃った砲弾が首里城の上空を通過することはあったでしょうが、それはヒジ川ビラの上空も通過して安里川に着弾したんですね。見てないけど(^^)


    ヒジ川橋とヒジ川ビラ(2)

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      ヒジ川橋から首里城に向かうヒジ川ビラ。坂の途中にある湧き水「ヒジ川」が名前の由来です。

       

       

      この日私は、那覇市国場の自宅から識名トンネルを抜け、沖縄県病害虫防除技術センターや県立芸術大学崎山キャンパスを経由してヒジ川ビラまで歩いて来ました。

       

      ヒジ川ビラは首里崎山町と首里金城町の境界にあり、首里崎山町は金城ダム上池(安里川)で那覇市真地に隣接しています。

       

      崎山は首里三箇の一つ。私は勝手に首里城東側の平地に位置していると思い込んでいたんです。ところが、ヒジ川ビラの斜面を下りて、安里川までが崎山だったんですよ。

       

      「崎山じゃなければ何処なんだ」って話ですけどね(^^)

       

       

      そこで、気づいたことがありました。

       

      かつて、那覇市与儀に広大な敷地を持つ農事試験場がありました。

       

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      中央を貫通してる道路はひめゆり通り。通りを挟む両側の黒い部分が農事試験場です。

       

      戦後、与儀周辺の宅地化が進み、1961年に農事試験場は首里崎山町に移転しました。移転先の敷地面積は12万坪って、そんな馬鹿なと思いましたよ。首里崎山町のどこにそんな土地があったのか。

       

       

      今回、金城ダムの沿革を調べたら、現在の上池あたりに治水ではなく取水目的の小さなダム(旧金城ダム)があったことを知りました。そしてそこから取水していたのが農事試験場だったんです。

       

      なるほどぉ。

       

      農事試験場は金城ダムの上池あたりの首里崎山町にあり、その敷地は那覇市真地、南風原町新川に広がっていたんです。

       

      農事試験場は2006年に糸満市真壁に移り、病害虫防除技術センターだけが残りました。そして、2011年に県立芸術大学崎山キャンパスが開設されたと。

       

       

      つまり私は、真地交差点からかつての農事試験場の敷地を抜けて、ヒジ川ビラに到達したということ。

       

      病害虫防除技術センターの警備をしていたオヤジに「この道はセンターの敷地みたいに使ってるけど公道だろ?」と言いましたが、そのあたり一帯が農事試験場の敷地だったんです。

       

      オヤジ。申し訳なかったm(_ _)m

       

      (続く)


      ヒジ川橋とヒジ川ビラ(1)

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        ヒジ川橋に着きました。芝生の奥にヒジ川橋。手前から橋に続く石畳道(取付道路)。

         

         

        消防の車が停まっていて、数人の消防隊員が橋の周辺をウロウロしてました。先輩隊員が「あまり知られてないけど、いい所なんだよな」と呟き、後輩隊員が「はぁ」と(^^)

         

         

        ヒジ川橋は首里城と識名園を結ぶ宿道の要所。識名園の完成が1800年ですから、それよりも前に架けられたことになりますね。琉球王や冊封使はこの橋で安里川を渡って識名園へ向かいました。

         

        琉球王国の終焉は1872年。識名園はわずか72年でその役目を終えました。王国末期ではあっても識名園や宿道を建設する国力が残っていたのか。薩摩藩の支配が続く中、なんとか中国との関係を強化したかったのか。わずか二百数十年前のことです。

         

         

        ヒジ川橋と石畳道は沖縄県の指定有形文化財で、手厚く保護されています。

         

         

        とは言え、この石橋はたいへん頑丈にできていて、川床まで張石で補強されているので、放っておいても大丈夫なんです(それほど頑丈という意味ね)。

         

        石畳道は金城ダム建設の際、石と石の間の土を丁寧に掻き出した上で保護剤を注入し、表面を合成樹脂で覆う補強工事が施されました。

         

         

        金城ダムは安里川の治水を目的に建設され、竣工は2001年です。

         

        航空写真を見ましょう。金城ダムの上池と下池。二つの池に挟まれた位置にヒジ川橋があります。金城ダムのマークが下池です。

         

         

        上池と下池はヒジ川橋の地下を通したトンネルで結ばれています。

         

        ヒジ川橋から見下ろした下池。

         

         

        下池の水位が上がって限界に達した時、上池と下池の水面が揃います。そして、ヒジ川橋はその水面上に残る設計です。つまり、ダムの水位によらずヒジ川橋が水中に沈むことはありません。

         

        言い換えれば、ヒジ川橋を沈めないために、金城ダムの池は二つに分けてあるんです。

         

        「おー、沖縄県は文化財を大切にするんだな」という印象ですが、下池だけでは治水ができず、池の容量を増やすには池を二つに分けるしかなかったという地形的な制約があったようです。

         

        (続く)


        仲村渠樋川、再び

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          南城市玉城の仲村渠樋川です。

           

           

          仲村渠集落で古くから使われていた共同井戸で、大正時代の大改修で現在の井戸の原型が形成されました。

           

          湧き水は生活用水であり、農業用水でもあり、農作業の後に汗を流すシャワーの役目も果たしていました。

           

          手前の広いスペースが男性用のイキガガー。そして、次の写真の塀の後ろに女性用のイナグガーがあります。

           

           

          この日はイナグガーから勢いよく水が流れていました。夏の暑い日に仕事を終えて、冷たい湧き水を浴びるのは最高だったと思います。そして、井戸の広場で楽しいユンタク。

           

           

           

          仲村渠樋川については11年前に投稿しています。

           

          南城市玉城の仲村渠樋川

           

          最近、仲村渠樋川の周辺に変化がありました。

           

          仲村渠集落のお隣に垣花集落があり、そこには垣花樋川があります。垣花樋川は急な坂道を下った所にありますが、数年前に樋川のすぐそばに駐車場ができてエントリーが楽になりました。

           

          そして、仲村渠樋川から垣花樋川駐車場へ通じる道が「樋川さんぽ道」と名付けられました。

           

          そのさんぽ道にこんなスペースができました。仲村渠農村公園見晴台。

           

           

          風通しが良くていい気持ちです。

           

           

          仲村渠樋川と垣花樋川を訪ねる時は、是非、ここで足を止めて、しばし眺めを楽しんで下さい。仲村渠樋川から歩いてすぐです。


          掘り出された開南本通りの石橋

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            埋め立てが行われていない時代の那覇。ガーブ川下流は川と言うよりは深い入江で、現在の与儀十字路あたりまで山原船が入っていました。ケーシンダーは船着場です。

             

             

            大雑把に言えば、現在の神原小学校、神原中学校、農連プラザのあたりが入江で、開南本通り付近が海(河)岸だったことになります。

             

            その入江に小川が流れ込んでいたことを知り、以前、こんな投稿をしました。

             

            船増原の水路(1) 

            船増原の水路(2) 

            船増原の水路(3) 

             

             

            その小川の名残りと思われる水路は那覇警察署駐車場あたりから与儀大通りの地下を横切り、更に開南本通りの地下を横切り、神原小・中学校の地下をくぐり抜けてガーブ川へ合流していました。

             

            その小川に架かっていた石橋が開南本通りの道路拡張工事で見つかったと、うるくニッポン(小禄日本)放送の高良さんが知らせて下さいました。

             

             

            さっそく行ってみました。こちらは南側で、右奥に与儀十字路の歩道橋が見えてます。

             

             

            北側から。

             

             

            この石橋は開南本通りの道幅に合わせて架けられていたことがわかります。橋の長さは短いけれど、幅がとても広いということ。

             

            開南本通りは現在の2車線から4車線に拡張されますが、この石橋はどうなるんでしょう?。嫌な予感がしますね。

             

             

            店に戻って某青果店のお父さん(92)に「開南本通りで石橋が見つかりましたね」と声をかけると、「見つかったってどういうことね。石橋は昔からあそこにあったんだよ」と(^^)

             

             そう言うと思ったわ。なにしろ石橋の真玉橋を渡った男ですからね。はいはい。


            渡橋名クンジャーガーと風車

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              豊見城市歴史民俗資料展示室にこんな写真が展示されていました。

               

              「風車式かんがい施設」

               

               

              これは風力ポンプ。風力で井戸水を鉄塔上部のタンクに汲み上げ、数台の散布機で畑に撒く仕掛け。

               

              この風車が現在の豊見城市渡橋名(とはしな)に設置されたのは1960年のこと。渡橋名が米軍向けの野菜生産地であったことから、米軍が資金を提供し、オーストラリアから輸入した設備でした。

               

               

              タダで水を撒いてくれるわけですから、渡橋名の農家から大歓迎され、沖縄の各地から視察団が訪れたそうです。

               

              ところが私はこの写真を見て「これは難しいかな」と思いました。視察団の皆さんは農業のプロですから、私と同じことを考えて風車の導入は保留したのではないかと。

               

              案の定、風車はわずか2年で使用不能に追い込まれました。台風が「ナメンナヨ」と(^^)

               

               

              風車の水源となった井戸が現存していました。渡橋名のクンジャーガー。

               

               

              背後のクワディーサのあたりに風車が据えられていたようです。

               

               

              歴史民俗資料展示室に風車の尾翼が保管されていました。この尾翼により、風車が常に風上を向くわけですね。SOUTHERN CROSSはメーカーの名前だそうです。

               

               

              渡橋名の皆さんは台風に破壊された風車を苦々しい気持ちで眺めたことでしょう。米軍は費用をケチらずにもっと頑丈な風車を買うべきでしたね。


              国頭村浜のワク

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                国頭村浜集落の山裾に湧き水があります。名前は「ワク」。

                 

                 

                 

                集落の人達は階段状の水槽を作り、湧き水を使いやすくしました。豊富な湧き水が階段を下がる様子は見映えも良いですね。

                 

                ワクの水は硬水で美味しくはないとのこと。集落内に飲み水用の井戸があるので、ここでは水浴びをしたり、洗濯をしたり、農工具を洗ったりする場所だったようです。

                 

                ワクは「湧」でしょう。次の写真は本部町伊野波の大湧(ウフワク)。湧き水をワクと呼ぶ例は他にもあります。

                 

                 

                 

                話は変わりますが、ヤンバルの林道沿いで見かける湧き水は井戸とは呼べませんね。地中ではなく地表を流れていることが多く、つまり沢の水です。

                 

                次の写真は名護岳山麓の湧き水です。ここの水でご飯を炊くと美味しいそうで、大きな容器を積んだ車が行列を作ることもあるそうです。

                 

                 

                こうした湧き水の評価は湧き水より上に何があるかによって決まります。養豚場やゴルフ場があるようでは飲む人はいません。

                 

                そうなるとなるべく高い場所にあったほうがいいわけで、名護岳よりも本島最高峰の与那覇岳の湧き水に人気があるようです。

                 

                 

                集落の井戸はそこを利用する人達で賑わった場所で、井戸を眺めていればその様子を容易に想像することができます。私が湧き水ファンなのはそのためです。

                 

                山中の林道沿いの湧き水はそれが無いので、私の関心度はイマイチ。汗をかいていれば顔や手を洗いますが、それでおしまいです。


                玉城前川集落の屋敷囲いと石畳道

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                  先日の前川樋川に続いて、玉城前川集落を訪ねました。

                   

                  前川バス停は玉泉洞の一つ手前。玉泉洞の住所は玉城前川ですが、少し離れているので集落との一体感はありません。

                   

                   

                   

                  玉泉洞やガンガラーの谷は観光施設にする際に付いた名前だと思います。玉泉は清い泉の意味だから良いとして、ガンガラーってウチナーグチのガランドー(何も無い)です(^^)。それでいいのか?と思いますねぇ。かつての前川集落では何て呼ばれていたんでしょう。

                   

                   

                  さて、こちらが玉城前川の石畳道。

                   

                   

                  石畳の保存状態はイマイチですが、屋敷囲いの石塀と調和して、集落の原風景を偲ぶことができます。

                   

                   

                  立派な相方積み。この石塀とフクギなどの植栽があれば、どんな台風が来ても家屋は安泰でしょう。

                   

                   

                  屋敷囲いの石塀やヒンプンが守っているのは家屋やアシャギ(離れ座敷)だけではなく、敷地内のアタイ(家庭菜園)や、フール(豚小屋)、ヌーメヤー(家畜小屋)なども守っています。

                   

                  貯めた雨水をアタイに撒き、そこで育った作物を人が食べ、豚や家畜が食べます。そして人の排泄物を豚が食べ、育った豚を人が食べます。

                   

                  これが言わば沖縄型循環空間。これで充分とは言えないにせよ、最低限の食料は得られる仕組みになっていて("持続可能"ってやつ)、屋敷囲いはその空間を守っています。

                   

                   

                  昨日、屋敷囲いと石畳道の動画をTwitterに載せたら、一日で試聴回数が2千回を超えました。古い屋敷囲いや石畳道だけではなく、そこから前川集落の「営み」のようなものを感じ取っていただいたのではないかと。

                   

                   

                   

                  こちらは集落の入口にいたイリのシーサーと、

                   

                   

                  アガリのシーサー。

                   

                   

                  イリのシーサーは八重瀬岳を向いてるようですが、アガリのシーサーは道路の拡張工事で場所を移されたらしく、どっちを向いているのか不明です(^^)


                  アガリのシーサーの背中に開いた穴はおそらく弾痕でしょう。

                   

                   

                  4年ほど前、この集落にある木田大時(ムクタウフトキ)の屋敷跡を訪ねたことがありました。

                   

                  時(トキ)は現在のユタを意味します。大時なのですから、これはもはや超能力者。琉球国王に取り立てられ、民間人ではただ一人、玉陵に葬られているそうです。

                   

                  私が気に入ってる伝承があります。国王に「この箱の中にネズミが何匹いるか当ててみよ」と言われて大時は「5匹いるようです」と答えました。そして箱を開けてみるとネズミは1匹。国王は大時を叱りますが、その日のうちに、そのネズミは4匹の子供を産んだのです。

                   

                  つまり、偉そうにしている人をギャフンといわせた話が好きってこと(笑)


                  うるま市田場のアカザンガー

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                    うるま市田場のアカザンガーを訪ねました。水量豊富で透明な湧き水です。

                     

                     

                     

                    動画では水の流れが少なく見えますが、これは水源からパイプを使って農業用水路に直に流しているため。そこから溢れた水が水場に流れています。ここで遊ぶ子供達が足をすくわれないための工夫です。

                     

                    近くの海で遊んだり、汗びっしりになった子供達がここに来て水浴びをし、さっぱりして家に帰ります。また、近所の保育園のお散歩コースにもなっているようです。

                     

                    ある保育園の動画がありましたのでお借りしました。

                     


                    この湧き水は数年前に改修されました。農業用水として使うだけなら改修の必要は無かったところ、子供達か遊べる水場を作ったんです。

                     

                    多くの湧き水が水源を金網で塞がれたり、立ち入り禁止の札が立てられたりする中、素晴らしいことです。

                     

                    この水場にはエビやカニが住んでるそうで、ここで遊んでるワラバー達に尋ねたら、目を輝かせて説明してくれることでしょう。


                    南城市玉城前川の前川樋川

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                      南城市玉城前川の前川樋川(メーガーヒージャー)を訪ねました。最近、井戸に下る石畳道が整備されて歩きやすくなっています。

                       

                       

                      石畳道の入口には遊歩道と記されていますが、すぐに井戸が見えてきます。

                       

                       

                       

                      前川集落が形成されたのは今から300年近く前のことでした。この場所にムラを作ろうとしたのは、水量豊かな湧き水があったからでしょう。

                       

                      粟石の貯水槽と水浴び場所を増設したのは昭和になってから。今は水を汲みに来る人はいませんが、賑わっていた頃の様子を容易に想像することができます。やはり湧き水は水が湧いていてナンボです。

                       

                       

                      石畳道の入口に周辺の地図がありました。現在位置と記されている場所です。

                       

                       

                      黒く塗られた四角形は防空壕(前川民間防空壕)の跡。家族ごとに、または複数の家族が共同で壕を掘り、それぞれの壕は地中で繋がっていたとのこと。

                       

                      前川樋川を囲むように掘られた防空壕を見ると「水さえあればなんとかなる」と、当時の人達の声が聞こえるようです。


                      前川集落が形成された時代も、防空壕の時代も、前川樋川は集落の人達の命綱でした。渾々と湧き出る水を眺めながら、前川の皆さんは心強かっただろうなと想像してみました。


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                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
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