渡名喜島の三日目。最終日です。
二隻で運航しているフェリーのうち一隻がドッグ入りのため、那覇(泊)行きが10:35から15:35に変更になっています。
もっ、儲かった!!(^o^)/
シーブンのようなこの5時間。やり残したことが無いように島を歩きましょう
(1)島の若い女性
写真は渡名喜島の玄関口、フェリーターミナルです。村役場、観光案内所、小中学校、駐在所、診療所、郵便局など島の施設の大半はこの辺りに集まっています。
観光案内所に寄ってみたら職員が若い女性だったので、「エッ!」ってなりました。子供は別として、島で若い女性を見かけませんでしたからね。
こちらは、島の小中学校。
15の春を迎えた卒業生は島を離れます。その後、就職するにせよ進学するにせよ、ほとんど島には戻りません。
つまり、島には若い女性が滅多にいないということ。それが突然、目の前に現れたら、そりゃあ「エッ!」ってなりますよ(^^)
(2)亀の見つけかた
C「渡名喜島には亀が沢山いるそうだけど、遭遇率はどのくらい?」
若い女性「遭遇率と言うより忍耐力ですよ。満潮時に海をじっと見て、ゆらゆらしている黒い影を見つけて下さい。亀は15分に一度、海面に浮かんで呼吸をしますから、それを待つんです。いつまで待っても浮かばなかったら、それは岩か海藻なので次の影を探して下さい」
C「なるほど。見つかるまで待てれば遭遇率100%ってことか」
若い女性「そうです。頑張って見つけて下さい!!」
彼女の言う通りでした。前日通りかかった時には影もカタチも無いように思えた亀が浮上してきました。場所はアマンジャキ付近の海岸です。
C「ありがとうございます。亀を見つけました」
若い女性「おめでとうございます!!」
C「いやぁ、見つかると思って探すと見つかるもんですねぇ」
若い女性「そうなんです。この次はもっと早く見つかると思いますよ」
皆さん。渡名喜島に渡ったら観光案内所へどうぞ。エアコンが効いていて、気楽に休憩ができる島のオアシス。最近、二階にカフェがオープンしました。
(3)島豆腐
集落内に豆腐屋が一軒あります。
ニガリの代わりに渡名喜の海水を使った島豆腐。島民、民宿、食堂などから注文を受け、必要なだけの量を作ります。
民宿の朝食に提供される確率が高いのでお楽しみに。
(4)歴史民俗資料館
渡名喜村の歴史民俗資料館は昨年オープンしたばかり。新築ピカピカの資料館で待ち構えていたのは担当の比嘉さん(オジィ)でした。
お客さんは一日数名。比嘉さんのやる気が私に集中します(^^)
渡名喜島から帰ってすぐに、6年前のこの投稿にコメントをいただきました。
木田大時(ムクタウフトキ)と渡名喜島の子孫達
木田大時は琉球王国時代の超能力者でその子孫が渡名喜島で暮らしています。その子孫のお一人(本島在住)がたまたま私の投稿を読み、自分のルーツを辿ってみたくなったと。ついてはもっと話を聞かせて欲しいと。
お役に立ちたい気持ちはあれど、おそらく私の知識では満足していただけないだろうなと思い、日帰りでも良いから(金曜日は日帰りが可能)島に渡って、比嘉さんに会ってはいかがかと提案しました。
比嘉さんのお母さんは序列1位の神女。歴史民俗資料館で島の祭祀「シマノーシ」の記録映像を観ることができます。
(5)帰路につく
20年ほど前に出版され、私の愛読書だった「島を旅する」。最近、その著者である今村治華さん(那覇在住)が私のインスタグラムをフォローして下さったので、お礼のメッセージを送りました。
彼女は国内外、百数十ヶ所の島々を訪ねています。当然、渡名喜島も。
渡名喜島の風景から築20年以下の建物を消去すると、秘境感さえ漂うような島の様子が想像できます。
島には日本軍が駐留していなかったため、戦争被害を受けることが無く、「重要伝統的建築物群保存地区」に指定される大きな要因となりました。
旅行者の一方的で勝手なお願いとしては、更に20年が経っても「まだ渡名喜島がある」と言われる島であって欲しい。
もちろん再訪したい気持ちはあれど、粟国とか伊平屋とか、他の島が優先になるかもしれません。
参考にしたいのに、宿の情報が無いとお嘆きの貴方。すみませんが無いんです(^^)
朝夕の食事は、日常的な家庭料理でした。民宿ですからね。島豆腐、美味しかったなぁ(^-^)v
(終わり)