「個人的には・・」と言われるとイラっとする(笑)

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    日常会話の中で、あるいはツイッターやブログなどで「個人的には・・」と、わざわざ断りを入れられるとイラっとします(笑)


    組織の代表などが、その立場から一旦離れて発言したい場合は問題ありません。だから、菅官房長官が記者会見などで、

    「官房長官の立場を離れて、個人的な感想を言わせていただければ・・・」

    と言ったとしても、これにはイラっとしません。いつもいつも、木で鼻をくくったような言い方ばかりせずに、たまには正直なところを言ってみろとは思いますがね(笑)



    ところが、目の前にいる人に「個人的には・・」とやられると、「お前の意見を聞いとるんやから、早よ言えや。て言うか、個人的じゃないお前って誰やねんっ!!」と言いたくなります。

    ツイッターやブログなどは、そもそも私的な情報を発信してるわけですから、何でわざわざ「個人的には・・」などと断りを入れるのか。

    更にこれが「個人的見解ですが・・」とか、「あくまでも個人的見解としては・・」などとやられると、「ア〜、もうっ!!」と胸を掻きむしりたくなります(笑)


    公私の区別をつける必要が無いのに、あえて「個人的には・・」と断る理由はなんでしょう?

    「そりゃあ貴方みたいにキツいことを言いそうな人には、相手の人も予防線を張るわよ」

    てことよね。たぶん。

    だから意を酌めば、

    「これから私が言うことは、必ずしも一般的な考えとは言えないかもしれませんが、私としては・・」

    ってことよね。

    そう言われたら、いったい何を言い出すのかワクワクするじゃないの(笑)。ところが、言うことは一般的な、誰でも言いそうなことばかり。

    そこで、更に意を酌めば、

    「これから私が言うことは私個人の考えなんだから、そのことに他人の貴方がヤイノヤイノ言わんでよ」

    ってことか。

    ほんなら黙っとれ、ちゅうの。


    同じような気持ちになるのは、ナントカオフィシャルブログってやつ。オフィシャルを付ければ、中身が上等に見えると思ってから。たいていはアメブロやし。

    「JUGEMでえらいすんまへん」と言いたいわ。

    わざわざオフィシャルと断るくらいなら、コメントを選別したり、都合が悪くなった投稿を消したりすんなっちゅうの。


    「以上、あくまでも私の個人的な見解でした」

    ケッ!!


    今年もありがとうございました

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      仕事があろうがあるまいが、大晦日の昼まで店を開けるのが市場のしきたり。シャッターを閉めてるようでは「やる気がないね」と思われてしまうそうです。


      暇なので、市場をチョロっとあるきましょう。

      開南本通り側の農連市場入口(信号なし)です。正面は上原ミート。



      右手の筋に入りますと、右側に仲田青果と嘉数青果。



      その先、左側の建物は取り壊され、駐車場になっています。



      ガーブ川の橋の手前です。右奥は北地区に建設中の建物。



      そこで振り返るとこんな感じ。



      市場側に曲がりますと、マルキン海産が入ってた建物があり、今は次郎屋カマボコ店。立っているのが次郎屋のオジぃです。



      突き当たりまして、



      左に曲がって惣菜通りに入ります。



      公衆トイレの前のスペースで、正月用の花を販売中。



      惣菜屋の前にさしかかると、若い女性に声をかけられました。

      「あっ、Cさんっ!!」

      彼女は某保育園の調理師。驚く私に、

      「私、ここの惣菜屋の孫ですっ!!」

      惣菜屋のネェネェが出て来て、

      「えっ?、なんね?。二人は、えっ?」

      調理師はネェネェの姪だそうで、それが何で私と親しそうにしてるのか、ネェネェは理解できていません(笑)

      その先、左端のオレンジ鉢巻がトモコオバぁで、客の男3人にお説教中。



      食堂「メモリー」の前に出て、これで一周です。




      今年一年、ブログ「沖縄の風景」をご愛読いただき、ありがとうございました。

      来年もよろしくお願い致しますm(_ _)m


      講演会終わりました

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        JUGEMテーマ:地域/ローカル


        講演会は無事に終わりました。

        お昼の時間帯で、私にとっては好都合でしたが、午後の配達が気になるのが嫌で、午前中に午後の配達も済ませることにしました。

        したがって私は、配達が終わったその足でパシフィックホテルに向かうことになり、汗びっしりのポロシャツを着たおっさんが軽商用車で、ホテルの玄関に乗り付けることになりました(笑)



        ホテルの兄ちゃんが、目を上下に二往復させつつ「納品ですか?」と聞くので、「いや、もう納品は済んだ」と言いたかったところ、それは兄ちゃんの聞きたいことではなかろうと考え、「ロータリークラブに招かれた講師です」と返事をしました。

        すると兄ちゃんが、「あっ、大変失礼を致しました。駐車場はあちらを左に曲がったところでございます」と。

        講師と聞いて態度を変えた兄ちゃんに「おまえ、それはな。俺に対して失礼と言うより、配達のおっさんに対して失礼なんとちゃ〜うんかい」と言いたいところでしたが、そんなことを言ってる時間は無いので、おとなしく、あちらを左に曲がって車を停めたのでした。


        着替えを済ませて会場に入った私には、気掛かりなことがありました。

        シナリオは先に投稿した通りですが、所要時間は目分量。にもかかわらず、私はただの一度も通しの練習をしてないのですね。

        何度も時間を計ろうとしたものの、話が終わる前に、こいつ(私)は寝てしまうのですよ。いくらなんでもこれではマズイと、昨夜初めて完走したところ、時間が10分もオーバーすることが明らかとなり、途方に暮れた私は、やっぱり寝てしまったのでした(笑)


        パワポ30枚で600秒オーバーするのですから、一枚につき20秒短縮すれば良いのです。言い回しを簡略モードにすれば何とかなるでしょう。

        結果として時間丁度で話を終えました。今回、私を招いて下さったオムライスさんから「残り3分で声をかけます」と言われていましたが、その声は聞こえませんでした。よく考えてみれば、オムライスさんはブログに投稿したシナリオをご存知なので、ご自身で「あと3分で終わるな」と判断されたのだと思います


        私が「時間になりましたので、これで私の話を終わります」と言った時、会場から「え〜!?」と声が上がった気がしました。何が「え〜!?」なのかは不明ですが、そこは良い方に解釈して、時間が経つのも忘れるほど、話に聞き入っていたってことにしておきましょう(笑)

        後片付けをしている私のもとへ、沢山の方が名刺交換に来て下さり、そのうちのお一人が「いやぁ〜、まいりました!!」と。こちらも同様に「ナイチャーがどんな話をするのかと思ったら、いやぁ〜、まいりました!!」ってことにします(笑)


        ところで、那覇ロータリークラブの会長は安里政晃さん。前々回の参院選で糸数慶子さんと議席を争った方です。私の席に挨拶に来られたので、思わず「次の選挙には出るのですか?」と、まったくしょうもないことを聞いてしまいました。

        「いや、白紙です。白紙」と言われてました。

        てことは出ると(笑)


        オムライスさん、お役に立てたかどうかは分かりませんが、私としてはあんなところです。

        大変お世話になり、ありがとうございました。m(_ _)m


        「沖縄の不思議とその魅力」ppt版(5/5)

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          話は再び真玉橋に戻ります。

          写真の奥になだらかな斜面が見えます。国場の瓦屋原です。斜面の上が瓦屋頂。ここでピンとこられた方は琉球古典がお好きな方です。

          中国から来た渡嘉敷三良はこの斜面の土が瓦に向くと考え、ここで瓦を焼きました。そして琉球王府は三良の瓦を焼く技術を高く評価し、琉球への帰化を求めたのです。

          三良には好きな女性がいました。毎日の朝夕、真玉橋を渡る女性です。そして彼女を妻にできるのなら帰化しても良いと言い出したんです。ところが彼女はすでにアンマー。それを知った王府の役人が、彼女に「そこをなんとか頼む」と。王府の命令ですから、彼女はそれに従わざるを得ませんでした。

          三良は琉球に帰化し、瓦造りに専念しました。その技術は三良の子孫に伝えられ、首里城正殿の屋根をはじめとする、琉球赤瓦が作られたのでした。



          琉球古典の「瓦屋節」です。

          瓦屋頂に登って南を見るのだが、シマは見えても、夫の姿までは見えない。

          国場の瓦屋頂から見て、シマは見えても夫の姿までは見えないという距離感は嘉数しか考えられません。おそらく、この女性のシマは嘉数です。

          アンマーウンケーの坂を登って家族の下へ帰るはずの野菜売りのアンマーは国場の瓦屋と一緒に住むことになりました。彼女には辛い思いをさせましたが、後に琉球赤瓦がどれだけ人々の役に立ったかを考えて、なんとか勘弁してもらえないものかと思います。まあ、そうもいかないでしょうけど。



          さて、真珠道に沿って、上間と国場を歩きましたが、そろそろ時間です。

          私は沖縄に着いたその日から7年間、毎日ブログを更新していて、今日お話ししたようなことを書いています。投稿数は3千件を超えました。ブログを開設した当初は本土の沖縄ファンが読んでくれるかと思っていましたが、今や読者のほとんどがウチナーンチュです。

          「ウチナーンチュがナイチャーのブログを読んでどうする」と思いますが、沖縄の皆さんが私のブログを読んで、長年の疑問が解消したり、沖縄の魅力を再発見していただけるなら、こんなに嬉しいことはありません。今後も、4千件、5千件と投稿を続けるつもりです。

          最後までご静聴ありがとうございました。皆様もいちまでぃん、ちゃーがんじゅうしみそーり。終わります。
           


          「沖縄の不思議とその魅力」ppt版(4/5)

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            さて、上間を出て、仲井真、国場へと真珠道を下りますが、この三つの地名には意味があります。



            上間のま、仲井真のま、国場のばは場所を意味します。丘の上から、上の場所、中の場所ときてククバ。

            ここで国場の地形を思い浮かべていただきたい。真玉橋北交差点から寄宮に向かう登り坂があり、東へ進んで国場十字路から沖大へ向かうS字の登り坂があります。二つの坂道は集落の北側で繋がっていて、それらの道路に囲まれた場所は窪地です。

            沖縄の発音でくぼばはくぶば。それに漢字の国場が当てられました。これで上、中、窪。三つの集落はその生い立ちが近いことがわかります。



            国場川に着きました。この写真は先々代の真玉橋。琉球王府の石工技術を結集させた名橋です。

            いやぁ、何度見ても美しい橋ですが、沖縄戦で失われてしまいました。石橋になる前の木造橋は度々洪水で流されたそうですが、この石橋なら、今でも健在だったでしょう。この部分を波切りと呼びまして、橋脚にかかる水圧をうまく逃がしています。



            後に地中に埋まっていた橋の一部が見つかりました。それが現在の橋のたもとに置かれていますが、これは橋への取り付き部分です。これが橋中央のアーチ部分だと誤解すると、橋のスケール感を間違えてしまいます。



            こちらは、豊見城城址の近く。饒波川に架かっていた石火矢橋です。

            尚巴志が石火矢で豊見城グシクを攻めたことが橋の名前の由来です。石火矢は筒に入れた石を火薬で飛ばします。やはり軍隊の武器は印字打ちのティサージよりは上等です。現在はコンクリート橋になりましたが、橋の名前は変わりません。



            国場から真玉橋を渡った先に嘉数の丘があります。その丘に登る坂道が大変なことになっているんです。車で登れる坂道ですが、結構な傾斜がありまして私は車が裏返るかと思いました。

            ブログの読者が「それはちょっとオーバーだろ」と、何人も確かめに来てくれました。皆さん「疑って申し訳なかった。確かに車が裏返ると思った」と。この坂道には名前があります。「アンマーウンケーの坂」。かつては九十九折の坂道でした。

            現在の嘉数は住宅地ですが、かつては一面野菜畑でした。その丘から見下ろすと眼下を国場川が流れ、石造5連の真玉橋が見えました。那覇や首里の市場に朝から野菜を売りに出ていたアンマー達が、夕方、天秤棒を担いで帰ってきます。アンマーウンケーの坂上には子供達が集まりました。お家で待っているより、早くアンマーに会えますからね。

            当時の野菜売りのアンマーの写真を見ましょう。写真家の木村伊兵衛さんは戦前の那覇を訪れ、多くの写真を撮っています。


            こちらは代表作の「那覇の芸者」。 料亭松乃下の上原栄子さんですね。お美しいです。映画「ティーハウスオブジオーガストムーン」では、京マチ子さんが上原さんを演じました。



            そしてこちらが、当時は東町にあった那覇市場のスナップです。

            野菜売りのアンマー。カラジがちょと倒れ気味なのは、ついさっきまでクバ笠を被っていたからでしょう。右手で天秤棒を支えていて、肩にかかる負荷が伝わってきます。カゴに入っているのは島人参のようです。帯紐をしっかりと前で結んでいますね。働く女性は素敵です。

            重い野菜を売り切れば、帰りは楽かと言えばそうではありません。野菜を売ったお金で、米や塩などの品物を買うことになりますからね。物々交換のようなものです。


            「沖縄の不思議とその魅力」ppt版(3/5)

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              JUGEMテーマ:地域/ローカル


              さて、本来は真珠道に沿って今日の話を進めたいところですが、いただいた時間内にはとうてい収まりません。そこで、今日は上間から国場までを中心に進めさせていただきます。



              こちらは上間のクワディーサバンタ。琉球競馬の馬場跡で、クワディーサの大木があったことが名前の由来です。識名台地の南端にあたり、国場川に向かって崖地になっていますから、素晴らしい眺望が得られます。標高72m。



              上間の航空写真です。南側がクワディーサバンタの崖地。集落は南向きの緩やかな斜面上にあり、北側に小さな丘があります。集落内の道筋は南東から北西に抜けています。すべての家屋が南西を向いているので、道筋は当然にそうなるのです。

              夏は南西から吹く季節風を風を間口一杯に取り込みたい。一方、冬は北西から吹く季節風を丘で遮り、家屋の裏側の壁で跳ね返したい。本島南部の集落の多くは、このような地形が選ばれていて、筋道は南東から北西へ抜けています。

              集落の入口は北、南、西の三ヶ所です。西の入口は真珠道に接しています。真珠道は繁多川から真っ直ぐ降りてきて、上間郵便局前を通り、国場へ抜けています。



              集落の入口はフーチゲーシの場所です。肉の塊をぶら下げて悪霊の侵入を防ぎます。写真は糸満市潮平のものです。



              集落の中心に村ガーがあります。井戸を覆うようにクワディーサの大木が枝を広げています。豊富な湧き水はクムイを作り、村の人達が水浴びをしたり、馬を洗ったりしました。

              この井戸が昭和15年に改修されています。森本軍医の手記によれば、それが井戸のどこかに記されていると。それを見つけました。



              読みづらいのですが、紀元2,600年記念とあります。神武天皇の即位2,600年を記念して井戸をしたということ。71年前、森本軍医が文字を覗き込んだ場所に私がいます。



              井戸の上は水質維持のための広場になっています。井戸の松尾小(カーヌマーツーグヮ)。この写真は2、3年前の夏の夜に撮りました。人が集まっていますね。お盆どーい。来週は上間青年団の道じゅねーがここから始まります。

              私は初めて訪ねる集落でも、その地形や入口を確認すれば、井戸がどこで、獅子はどこ、御嶽やノロ殿内はどのあたり、などと大雑把な見当がつくようになりました。自画自賛で恐縮ですが、これは一つの進歩です。



              もう少し上間を歩きます。集落の東側、下田バンタの近くに村獅子がいます。ミートゥンダシーサー。

              村獅子の設置目的は三種類あります。一つ目は八重瀬岳に対するヒーゲーシを行うもの。二つ目は集落の入口で悪霊の浸入を防ぐもの。三つ目は他の集落へのケーシを行うもの。ミートゥンダシーサーは三つ目に該当します。



              こちらは南風原町兼城の村獅子。寄る年波には勝てず、ゴマアザラシみたいになってますが、こいつが上間を睨みつけていまして、ミートゥンダシーサーはそのケーシです。二組の獅子は琉球王朝の時代から、ずっと睨みあっています。琉球統一前の三山時代。国場川は国境の川でした。川を挟むと人は喧嘩します。両者の仲が悪くなった理由は無数にあるんでしょう。

              琉球王朝の時代、上間と南風原との間に、一日橋あたりの土地の領有権をめぐる争いがありました。当時の争いは印字打ち。つまり石合戦です。若い男性が前線に立って石を投げ、女性は後方で石を集めます。

              ただ石を投げただけでは威力が無いので、あらかじめ石に紐を結んでハンマー投げの要領で投げたり、ティサージに包んで投げたりしました。ティサージの両端に紐をつけて、一方の紐を手首に結び、もう一方の紐を手で持ちます。そこに石を入れて、石を発射する瞬間に手を離します。

              両者の争いは上間が勝ち、土地は南風原のものになりました。どうしてですかね。土地があれば年貢を納めることになります。この人達は、その土地で芋や野菜を作るのがイヤでイヤで。「やーの土地だろ」、「なに言ってる。やーの土地だろ」で喧嘩になったんですよ。

              今は仲が悪いって話は聞きません。両集落の獅子も歳をとり、今は見つめ合ってるだけでしょう。


              「沖縄の不思議とその魅力」ppt版(2/5)

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                沖縄はわずか140年前までは独立国家。ヤマトとは異なる文化を持ち、それは今も深く受け継がれています。それはヤマトの人達にとっては異文化。カルチャーショックを受けることがしばしばあります。それが沖縄の不思議。

                私は沖縄に来たヤマトの人達に、沖縄で不思議に思うことがあったら、驚いておしまいにせず、その不思議を紐解いて欲しいと言ってます。理解が進むにつれ、その不思議は沖縄の魅力に変わります。そしてその魅力に気付いた人達は何度でも沖縄を訪ねたくなります。今日はそんな話をさせていただきます。

                沖縄には色々な不思議がありますが、その多くは琉球王朝の時代から戦前までに形成されています。ですから、沖縄の不思議を紐解くには、今だけではなく昔の沖縄を知ることが大切です。

                私は古い道筋をたどったり、集落を散歩したりすることが好きで、本島中南部のほとんどの宿道跡、石畳道、グスク、石橋、井戸、村獅子を訪ねています。それまで不思議に思っていたことが、次々に解明される過程が楽しく、それをせっせとブログに投稿しています。



                私が作った真珠道のルートマップです。真珠道は琉球王府の軍用道路。拡大した地図の道筋を赤く塗り、それを9枚貼り付けました。

                首里城から金城町石畳道を下り、識名平坂を登ります。識名台地を横切り、上間から国場へ下って真玉橋に出ます。南へ進んで石火矢橋を渡って豊見城グシクを抜け、小禄から垣花に出て、屋良座森グシクに至ります。

                豊見城グシク周辺が最近まで不明でしたが、兵がグスクで一旦待機する場合はグスクに入り、直行する場合は現在の火葬場横を抜け、グスクを外周したようです。

                金城橋から繁多川に登る識名平坂。あそこのコンクリートを剥がせば、その下は当時の石畳道だそうですが、いやぁ、剥がしてみたいです。

                この地図をブログに投稿したところ、地図を欲しいと言われる方が何人か現れました。そのうちの一人が、沖縄戦を取材されていた作家の芹沢健介さんでした。芹沢さんはその取材を終え「血と水の一滴」を上梓されました。



                京都出身で、医大を出たばかりの青年軍医、森本義丈さんの手記をもとに、その足跡を追った作品です。10.10空襲から首里陥落までが物語の前半で、その舞台は上間でした。後半は南部戦線。そして森本軍医は糸満市福地で戦死されました。彼の手記の一部を紹介します。



                今がまさにその五十年後、百年後。自由に島を歩けることは幸せです。



                真珠道の起点は首里城の守礼門脇にありました。この正方形の場所に石室があり真珠湊碑文が収納されていました。すぐ隣にもう一つの石室があり、二つの石室はちょうど石門のように見えたそうです。



                先日、綾門大道の調査により、真珠道の起点が発掘されました。

                この左に向かう石畳が真珠道です。本物の首里城は地中にあると言いますがまさにその通りです。


                「沖縄の不思議とその魅力」ppt版(1/5)

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                  ただいまご紹介にあずかりました溝口でございます。本日は那覇ロータリークラブの例会にお招きいただき、誠にありがとうございます。

                  私の生まれは広島県呉市です。私が通った高校にはインターアクトクラブがありまして、私はそのメンバーでした。ロータリークラブの青少年奉仕活動プログラムですね。奉仕活動と国際理解。その活動報告だったと思いますが、呉ロータリークラブの例会に招かれたことがありました。今日はその日以来の例会出席です。



                  私は7年前に沖縄に移り住み、那覇の農連市場で働いています。写真は全盛期の農連市場。お盆前やは正月前は歩けないほどの人出だったそうです。

                  今や、農連市場は那覇市内でもかなりディープな場所になり、主要メンバーは70、80のオバァ達。日常会話の大半がウチナーグチです。



                  こちらは農連市場の佐辺昆布店。琉球舞踊や組踊で活躍中の佐辺良和さんのお母さんです。



                  良和さんは、昨年大きな賞を受け、二回目の独演会を成功させました。今や誰もが認めるウチナーの星。本土や海外での公演をこなしながら、家業の手伝いもよくしています。



                  私は毎日、市内11ヶ所の保育園へ給食用の食材等を届けています。本業の青果物に加えて、精肉、鮮魚、島豆腐から、調味料、ラップに至るまで、保育園の厨房で必要な物なら、どんな物でも注文を受けます。

                  保育園は仕入れ先が一ヶ所で済み、注文いただいた商品の大半が農連市場で揃うところが、この商売のポイントです。毎朝、農連市場で商品を掻き集めます。

                  今日のテーマは「沖縄の不思議とその魅力」としました。本題に入る前に少しウチナーグチの話をします。

                  ある保育園で、おじいちゃん、おばちゃんを招いて敬老会が行われました。その時の園児達のお迎えの挨拶です。



                  いい挨拶ですねぇ。標準語で同じことを言っても、このウチナーグチの優しい、絶妙なニュアンスは出せないでしょう。

                  そしてこちらは、楽しい時間が過ぎ、お別れの挨拶。



                  私はこの挨拶を思い出すたびに、ウチナーグチが持つ優しさに泣けて泣けて。今もそんな気持ちです。

                  私が沖縄に越して来た年の翌年。興南高校野球部が甲子園で春夏連続優勝を果たしました。私は春の決勝は平和通り商店街のテレビの前に、夏の決勝は興南高校の体育館にいました。



                  春夏連続優勝が決まった瞬間、体育館に喜びが爆発しました。その時、ある女性がこんなことを言ったんです。



                  うまいことを言いますよねぇ。沖縄の高校が、夏の甲子園の決勝で、あの東海大相模高校をどんみかしました。

                  農連市場で働いてるおかげで、私もここに出てきたようなウチナーグチであれば、意味が分かるようになりました。よく「ウチナーンチュのチムグクル」と言われますが、それはウチナーグチでしか表現できないことを実感しています。


                  「沖縄の不思議とその魅力」講演原稿(4/4)

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                    JUGEMテーマ:地域/ローカル


                    国場から真玉橋を渡った先に嘉数の丘があります。その丘に登る坂道が大変なことになっているんです。車で登れる坂道ですが、結構な傾斜がありまして私は車が裏返るかと思いました。

                    S27嘉数の丘

                    本土に住むブログの読者が「それはちょっとオーバーだろ」と、ご丁寧にそれを確かめに来たんです。何人も。レンタカーで。皆さん「疑って申し訳なかった。確かに車が裏返ると思った」と。沖縄本島でこれ以上急な車道は無いと思いますね。

                    この坂道には名前があります。「アンマーウンケーの坂」。かつては九十九折の坂道でした。

                    現在の嘉数は住宅地ですが、かつては一面野菜畑でした。その丘から見下ろすと眼下を国場川が流れ、石造5連の真玉橋が見えました。

                    那覇や首里の市場に朝から野菜を売りに出ていたアンマー達が、夕方、真玉橋を天秤棒を担いで帰ってきます。アンマーウンケーの坂上には子供達が集まりました。お家で待っているより、早くアンマーに会えますからね。


                    当時の野菜売りのアンマーの写真を見ましょう。写真家の木村伊兵衛さんは戦前の那覇を訪れ、多くの写真を撮っています。こちらは代表作の「那覇の芸者」。

                    S28那覇の芸者

                    料亭松乃下の上原栄子さんですね。お美しいです。映画「ティーハウスオブジオーガストムーン」では、京マチ子さんが上原さんを演じました。

                    そしてこちらが、当時は東町にあった那覇市場のスナップです。

                    S29野菜売りのアンマー

                    野菜売りのアンマー。

                    カラジがちょと倒れ気味なのは、ついさっきまでクバ笠を被っていたからでしょう。籠に入ってる野菜は見えませんが、右手で天秤棒を支えていて、肩にかかる負荷が伝わってきます。そして、帯紐をしっかりと前で結んでいますね。働く女性は素敵です。

                    重い野菜を売り切れば、帰りは楽かと言えばそうではありません。野菜を売ったお金で、米や塩などの品物を買うことになりますからね。物々交換のようなものです。


                    話は再び真玉橋に戻ります。

                    S30真玉橋

                    写真の奥になだらかな斜面が見えます。国場の瓦屋原です。斜面の上が瓦屋頂。ここでピンとこられた方は琉球古典がお好きな方です。

                    中国から来た渡嘉敷三良はこの斜面の土が瓦に向くと考え、ここで瓦を焼きました。そして琉球王府は三良の瓦を焼く技術を高く評価し、琉球への帰化を求めたのです。

                    三良には好きな女性がいました。毎日の朝夕、真玉橋を渡る女性です。そして彼女を妻にできるのなら帰化しても良いと言い出したんです。ところが彼女はすでにアンマー。それを知った王府の役人が、彼女に「そこをなんとか頼む」と。王府の命令ですから、彼女はそれに従わざるを得ませんでした。

                    三良は琉球に帰化し、瓦造りに専念しました。その技術は三良の子孫に伝えられ、首里城正殿の屋根をはじめとする、琉球赤瓦が作られたのでした。


                    琉球古典の「瓦屋節」です。

                    S31琉球古典「瓦屋節」

                    瓦屋頂に登って南を見るのだが、シマは見えても、夫の姿までは見えない。

                    おそらく、この女性のシマは嘉数です。国場の瓦屋頂から見て、シマは見えても夫の姿までは見えないという距離感は嘉数しか考えられません。

                    アンマーウンケーの坂を登って家族の下へ帰るはずの野菜売りのアンマーは国場の瓦屋と一緒に住むことになりました。彼女には辛い思いをさせましたが、後に琉球赤瓦がどれだけ人々の役に立ったかを考えて、なんとか勘弁してもらえないものかと思います。まあ、そうもいかないでしょうけど。


                    S0表紙

                    さて、真珠道に沿って、上間と国場を歩きましたが、そろそろ時間です。

                    私は沖縄に着いたその日から7年間、毎日ブログを更新していて、今日お話ししたようなことを書いています。投稿数は3千件を超えました。ブログを開設した当初は本土の沖縄ファンが読んでくれるかと思っていましたが、今や読者のほとんどがウチナーンチュです。

                    「ウチナーンチュがナイチャーのブログを読んでどうする」と思いますが、沖縄の皆さんが私のブログを読んで、長年の疑問が解消したり、沖縄の魅力を再発見していただけるなら、こんなに嬉しいことはありません。今後も、4千件、5千件と投稿を続けるつもりです。

                    最後までご静聴ありがとうございました。皆様もいちまでぃん、ちゃーがんじゅうしみそーり。終わります。


                    「沖縄の不思議とその魅力」講演原稿(3/4)

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル


                      S19ミートゥンダシーサー

                      もう少し上間を歩きます。集落の東側、下田バンタの近くに村獅子がいます。ミートゥンダシーサー。

                      村獅子の設置目的は三種類あります。一つ目は八重瀬岳に対するヒーゲーシを行うもの。二つ目は集落の入口で悪霊の浸入を防ぐもの。三つ目は他の集落へのケーシを行うもの。上間のミートゥンダシーサーは三つ目に該当します。

                      S20南風原町兼城の獅子

                      こちらは南風原町兼城の村獅子。寄る年波には勝てず、ゴマアザラシみたいになってますが、こいつが上間を睨みつけていまして、ミートゥンダシーサーはそのケーシです。二組の獅子は琉球王朝の時代から、ずっと睨みあっています。

                      琉球統一前の三山時代。国場川は国境の川でした。川を挟むと人は喧嘩します。両者の仲が悪くなった理由は無数にあるんでしょう。


                      琉球王朝の時代、上間と南風原との間に、一日橋あたりの土地の領有権をめぐる争いがありました。当時の争いは印字打ち。つまり石合戦です。若い男性が前線に立って石を投げ、女性は後方で石を集めます。

                      ただ石を投げただけでは威力が無いので、あらかじめ石に紐を結んでハンマー投げの要領で投げたり、ティサージに包んで投げたりしました。ティサージの両端に紐をつけて、一方の紐を手首に結び、もう一方の紐を手で持ちます。そこに石を入れて、石を発射する瞬間に手を離します。

                      両者の争いは上間が勝ち、土地は南風原のものになりました。どうしてですかね。土地があれば年貢を納めることになります。この人達は、その土地で芋や野菜を作るのがイヤでイヤで。「やーの土地だろ」、「なに言ってる。やーの土地だろ」で喧嘩になったんですよ。

                      まあ、今は仲が悪いって話は聞きません。両集落の獅子も歳をとり、今は見つめ合ってるだけでしょう。


                      さて、上間を出て、仲井真、国場へと真珠道を下りますが、三つの地名には意味があります。

                      S23上間、仲井真、国場

                      上間のま、仲井真のま、国場のバは場所を意味します。丘の上から、上の場所、中の場所ときてククバ。

                      ここで国場の地形を思い浮かべていただきたい。真玉橋北交差点から寄宮に向かう登り坂があり、東へ進んで国場十字路から沖大へ向かうS字の登り坂があります。二つの坂道は集落の北側で繋がっていて、それらの道路に囲まれた場所は窪地です。

                      沖縄の発音でくぼばはくぶば。それに漢字の国場が当てられました。これで上、中、窪。三つの集落はその生い立ちが近いことがわかります。


                      国場川に着きました。この写真は先々代の真玉橋。琉球王府の石工技術を結集させた名橋です。

                      S24真玉橋

                      いやぁ、何度見ても美しい橋ですが、沖縄戦で失われてしまいました。石橋になる前の木造橋は度々洪水で流されたそうですが、この石橋なら、今でも健在だったでしょう。この部分を波切りと呼びまして、橋脚にかかる水圧をうまく逃がしています。

                      S25真玉橋の遺構

                      後に地中に埋まっていた橋の一部が見つかりました。それが現在の橋のたもとに置かれていますが、これは橋への取り付き部分です。これが橋中央のアーチ部分だと誤解すると、橋のスケール感を間違えてしまいます。

                      S26石火矢橋

                      こちらは、豊見城城址の近く。饒波川に架かっていた石火矢橋です。

                      尚巴志が石火矢で豊見城グシクを攻めたことが橋の名前の由来です。石火矢は筒に入れた石を火薬で飛ばします。やはり軍隊の武器は印字打ちのティサージよりは上等です。現在はコンクリート橋になりましたが、橋の名前は変わりません。


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