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1708年に尚貞王が建造した真玉橋は、美しい五連の石造アーチ橋でした。
1945年に日本軍が爆破するまで二百年以上流されることがなかった橋です。某青果店のお父さんは15歳で終戦を迎えてますから、真玉橋の記憶は鮮明に残っているとのこと。子供の頃の日常に、この石橋があったなんてうらやましい限りです。
戦後の道路建設で大量の石が必要となり、各地のグスクの石積みが跡形もなくなりました。日本軍が爆破しなかったとしても、石造の真玉橋が現在まで残ることはなかったでしょう。
次に、戦後すぐに米軍が建設した鉄製の真玉橋。沢山の人が釣りをしてますね。食料難の時代ですから、その日の夕食を手に入れるための釣りです。
1963年に琉球政府が建造したコンクリート橋がこちら。
そして、2002年に完成した現在の真玉橋。アーチ状に石が積まれたデザインになっています。かつての石橋をイメージしたものでしょうが、本物と比べれば「あらそう」って感じです。
石橋以前の真玉橋は木造橋で、最初に橋がかかったのは1522年で尚真王の時代だそうです。
木造橋は何度も流されたらしく、人柱の話が広く知られています。橋が流されないように、橋脚に人を生き埋めにしたと言う話。
私がそれを初めて聞いたのは沖縄に来てすぐの頃でした。いい年したオバハンが眉をひそめて小声で言うので、あやうく信用するところでした。
真玉橋の人柱は昭和初期の沖縄芝居に登場します。そしてその芝居は、ナイチの戯曲がモチーフになっています。つまり、人柱の話が真玉橋周辺の伝承として残っているわけではないんですよ。
人柱に起因して、真玉橋を心霊スポットと呼ぶことがあるようですが、それは的外れと言うほかありませんね。