真和志小学校に突然現れたシーサー

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    沖縄タイムスの記事を見て、真和志小学校へ向かいました。今年4月のこと。学校の裏手に、一夜にして、62体ものシーサーが並んでたそうです。



    どこかで見たようなキャラクターですが、いかにも手作り。どなたかが制作し、この場所にこっそり並べたものでしょう。



    少しさみしい場所ですが、シーサー達が賑やかな雰囲気に変えています。


    写真を撮っているとオバぁが歩いて来ました。

    オ「はーっさみよ。子供達が作ったのかねぇ」

    C「違うみたい。誰かが持って来て、校長も驚いたって」

    オ「こんなに並んでると賑やかで、歩くのが楽しみになるね。だけど、盗まれないかね」

    C「ちゃんと固定されてるから大丈夫」

    オ「そうね。良かったさぁ」


    私の見立てでは、小学生にはちょっと無理で、プロには及ばない出来栄え。これがヤチムン通りで買ってきたシーサーなら盗難が心配になりますが、程よく盗まれないレベルと言えるでしょう(笑)



    学校に寄贈するとかではなく、こっそり並べたところが素敵です。


    寄宮十字路を三原方面に進み、最初の信号を右折してすぐ、右側にいます。


    浜比嘉島の散歩(2) アマミチューの墓

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      浜比嘉島の比嘉集落には、2つの重要な聖地があります。

      アマミチューの墓とシルミチュー。

      アマミチューは琉球の創造神で、アマミク、アマミキヨとも呼びます。漢字をあてると阿摩美久。阿摩美久はテンペストで、聞得大君の辞世の句に使われてました。

      阿摩美久の根国ふさよわる真石懐に詰めて風になゆん
      (祖神アマミクが創造したこの国、祝福されたこの大地、その全てを包んで今、私は風になる)


      久高島に降臨したアマミチューは夫のシルミチューと共に浜比嘉島に住んだと、浜比嘉島では伝えられています。


      この小島に、アマミチューの墓があります。



      コンクリート製の道を渡ると、右手に船着場のような入江があります。



      そして、お墓のある左手には、この道を進みます。



      岩がせり出していてご窮屈様ですが、以前は干潮時に海を歩いたそうですから、濡れるよりはマシと思って下さい。


      お墓に着きました。





      琉球特有の風葬墓です。

      琉球王朝の時代、墓を持てたのは王族や士族に限られていたため、庶民は洞窟などに遺体を安置しました。死者の魂は海の彼方のニライカナイに還ると考えられていたので、小島の断崖にある洞窟は良い場所と言えます。


      ところで、お墓に賽銭箱がありますね。

      ナイチャーの私にとって、賽銭箱は神社やお寺にあるのが常識で、賽銭は祈願成就のお礼(あるいはその前払い?)です。お墓に賽銭箱なんて初めてです。

      一方、ウチナーンチュにとって神とは先祖神。御嶽で拝みをするのは、先祖に語りかけているのであり、それはお墓まいりでも同じです。ですから、御嶽やお墓に賽銭箱があっても、理屈は通るのかもしれません。

      浜比嘉島は、島をスピリチュアルな場所としてPRしていますから、アマミチューの墓には多くの観光客が訪れます。ですから、主として観光客が入れた賽銭を、墓周辺の整備などに使うのかなとも思います。


      ところで、お墓の真ん前にあるこのノッチ。



      あと数十年もすれば、倒れてしまうような気もしますが、かつては大きな岩で、アマミチューが葬られるのを見てたんでしょうかね。

      (続く)


      浦添市沢岻「浦添御殿の墓」

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        浦添市沢岻にある浦添御殿(ウラシーウドゥン)の墓です。



        沖縄の「御殿」は琉球王朝の王族、または王族の住む屋敷を意味します。

        王族をその地位で呼ばず、住居の名で呼ぶことは、天皇を御所や御門(みかど)と呼ぶことに似ています。

        浦添御殿は第二尚氏の分家で、代々、浦添間切の按司を務めた家系です。18世紀末に見事な亀甲墓を築きました。


        分厚い袖垣(スディガチ)と、



        相方積みのヒンプン。



        広いお庭(ハカヌナー)。



        敷地面積は1,200坪だそうです。

        墓室の入口両側にある袖石(スディイシ)が三段構えになっていて、墓室に重厚感を与えていますね。墓室正面の石が広いこと。


        長く門中に守られてきましたが、沖縄戦の疎開などで子孫がバラバラになり、最近、門中の代表が墓所の管理を浦添市に任せました。

        浦添市は、この市内最大級の亀甲墓を史跡に指定し、墓を修理の上で周辺を公園風に整備しました。




        もちろん、墓所であることに変わりはありませんが、よそ様のお墓に立ち入るよりは、気持ちが楽です。

        建造物として観察したり、県外からのお客さんに亀甲墓を紹介するには、良い場所と言えるでしょう。


        門中の皆さんは、この広いお庭でシーミーをされるんですね。

        いや、羨ましい。


        張献功の墓

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          ニューパラダイス通り北側の緑ヶ丘公園



          水色の部分が現在の公園ですが、緑色とピンク色の部分に拡張されるようです。

          一昨日投稿したスージは、概ね、緑ゾーンとピンクゾーンにあります。私は緑ゾーン北側のジュンク堂からスタートし、東側を南下。ニューパラダイス通りに出たところに上等トイレがあり、それからピンクゾーンに入りました。


          私はそこで16世紀の陶工、張献功(ちょうけんこう)の墓を探しましたが、見つけることができませんでした。

          それは私の勘違い。張献功の墓は水色ゾーンの西端あたりにあり、私は訪ねたことはないものの、だいたいの場所を知っていたのでした。にもかかわらず、違う場所で探すところがアホですねぇ。ちょっとショックでした。


          探すまでもなく、張献功の墓所はわかりました。



          墓前の石碑には「張氏元祖一六仲地麗伸」とあります。

          張献功は腕の良い陶工で、16世紀に当時の高麗から琉球に渡り、当初は国場に住んでいました。湧田村(現在の泉崎付近)に窯を開き、多くの後継者を育てました。

          後に、湧田窯は壺屋に移り、その陶芸作品はヤチムンとして知られています。ヤチムンのルーツをたどれば張献功に到達するということ。仲地麗伸は彼の和名です。祖国の名前が入っていますね。


          墓所は緑ヶ丘公園の端にあり、墓前のスペースは駐車場です。

          いつもなら「ああこんな所で、おいたわしや」と思うのでしょうが、この日、墓前に花が供えられていました。

          それだけで、お墓の佇まいが違って見えるから不思議です。良い子孫に恵まれて、お墓が大切にされているのだなぁと安心します。今更ですが、お墓参りをして、花を供えることは大切なことですねぇ。

          私は張献功と縁もゆかりもありませんが、何でしょう、この暖かな気持ち。


          獅子松尾の獅子

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            松尾は那覇の地名にもありますが、本来の意味は松林。発音はマーチューです。

            那覇市泉崎の周辺はかつての湧田村。そこにあった松林の名が獅子松尾(シーシマーチュー)です。そのお隣の松林は仲里松尾。

            張献功(ちょうけんこう)は高麗出身の陶工で、国場から湧田村に移り窯を開きました。現在の県庁からハーバービューホテル、壷川にかけては、壺屋に移るまでの間、ヤチムンの生産地だったのです。


            ハーバービューホテルの近くに獅子がいると聞き、寄ってみました。







            コンクリート製ですから、どんなに古くても戦後の獅子。獅子に歴史的な価値は無さそうです。


            以下は仮説です。

            湧田村に陶工が集まりヤチムンの生産地となった。そのシンボルとしてヤチムンの獅子が据えられ、獅子周辺の松林が獅子松尾と呼ばれるようになった。その後、ヤチムンの獅子は失われたが、陶工の子孫がその場所にコンクリート製の獅子を据えた。

            だとすれば、獅子の据えてある場所には意味があります。


            獅子は短い階段の上にいて、階段の上り口にこんなことが書いてありました。



            ここが拝所であるとわざわざ書く必要があるんでしょうか。「長命富を司る」や「祈願成就」などの文言も拝所には似合わず、神社と勘違いしているかのようです。

            先ほどの仮説が当たっているとすれば、この壁の文言は場違いな気がしますが、とは言え、それを余計なお世話だと言われれば、まったくその通りでございます。


            志多伯集落の散歩(1) 村獅子と馬場跡

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              八重瀬町東風平の志多伯(したはく)集落に来ました。



              こちらは、集落の南端にあった八重瀬町の看板。



              この獅子舞の獅子が、志多伯の獅子加那志(しーしがなし)。加那志は尊敬の意味を表す言葉で、直訳すれば獅子様です。

              志多伯の獅子舞は300年の歴史があるそうで、その存在はもはや神です。


              志多伯集落の地図を見ましょう。ピンの位置が公民館です。



              集落は南向きの斜面にあり、南北に二本の筋が通っています。おそらく、左がナカミチで右がクシミチ。

              わかりやすいです。

              おおよそですが、根屋、井戸、村獅子などの位置が予想できます。


              志多伯公民館に着きました。



              この裏手に村獅子がいます。午ヌ端の獅子。



              牛(うま)は南ですから、南の獅子。八重瀬岳に向かってヒーゲーシしています。




              集落の西側に馬場跡がありました。今は集落の広場として使われていて、集落の催しはここか、公民館のどちらかで行われます。




              馬場跡の西端にいたのが、酉ヌ端の獅子。酉(とり)は西ですから、西の獅子。



              ううっ。

              ちょっと扱われかたが、南の獅子とは違うのか?

              馬場のフェンスの外にいて、台座は割れています。



              集落の守り神として、実績がイマイチだったか?(笑)

              (続く)


              東方の村獅子

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                与那原と佐敷の村獅子を3ヶ所見て歩きました。

                本島南部の東海岸は東方(あがりかた)と呼ばれ、ニライカナイの方角に向くことから、古くから多くの聖地があります。

                ところが、沖縄戦の初期。この海に米国の大艦隊が押し寄せ、各集落は無数の砲弾を浴びてしまいます。鉄の暴風の中、形のあるものが残っていることが不思議です。


                先日投稿した「よーんなあ道路」の近く。板良敷集落の村獅子です。



                広い国道が開通すると、集落が分断されるばかりか、国道に沿った街づくりが行われるので、集落の形が曖昧になります。

                この村獅子の立つ場所が、かつての集落入口だったのか。あまり居心地が良さそうには見えません。



                石灰岩が朽ちることは仕方ありませんが、この村獅子は顔の左側に何かの衝撃を受けていますね。

                足を見れば、後にコンクリートで整形された形跡がありました。



                こんな内股にしなくても(笑)。

                まったくの想像ですが、この村獅子は沖縄戦で左方向から何らかの衝撃を受け、倒れてしまったのではないでしょうか。

                地面に転がった(あるいは地中に埋まった)村獅子が後に整形され、この場所に置かれたように見えました。


                次に向かったのは、佐敷冨祖崎の村獅子です。



                このあたりの村獅子はちゃんと獅子の形をしていますね。ウェストがありますからね(笑)。



                足に指がある獅子は珍しいなと思ったら、



                どうやらこの足も、後から整形されたようです。


                最後は、冨祖崎獅子のすぐ近くにいる、外間集落の村獅子です。



                ああ、こいつも左足をケガしていますね。



                そして、左の首筋に銃弾の跡が二つ。


                私の勘違いもあるでしょうが、どの村獅子も、戦火をくぐり抜けてきた様子がうかがえました。

                村獅子は、集落の守護神として、その場所に立ち続けることが役目です。その役目を果たそうとして、酷い目に合いました。


                板良敷から冨祖崎までの間で、私は他の村獅子を知りません。この日の村獅子達は、転がされたり、銃で撃たれたりはしましたが、粉々になることは免れたわけです。

                つまり、多くの村獅子が跡形もなく消えてしまったのだと思います。


                何しろ、村獅子は動くわけにはいきませんからねぇ。

                「よく頑張ったな。」って気持ちになります。


                大里平良集落のプライド(4) 平良の村獅子

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                  さて私は、字平良の東入口から南入口へ向かうことにしました。そこには平良の村獅子がいるはずです。

                  以前投稿した、お隣、南風原集落の村獅子がこちら。



                  かなりユニークな獅子ですよねぇ。またこんなのが現れるんじゃないかと、楽しみです。


                  いました(笑)。



                  (笑)

                  _| ̄|◯

                  (笑)

                  「おまえ、子供にボールをぶつけられたりするやろ。」

                  「八重瀬岳のヒーゲーシか?」

                  「で、返したことはあんのかいな。」



                  「大里按司は八重瀬按司に討たれてしもたやん。おまえ、何してた。」

                  「まだ生まれてなかったんか。ふ〜ん。」

                  「おっ、そうや。平良の字昇格おめでとう。」

                  「おまえは字平良の獅子や。良かったな。」

                  「じゃあな。またゆっくり来るわ。」


                  海の見える家

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                    那覇で暮らしていると、海を眺めることがありません。

                    相棒のAに付き合って、中央卸売市場の岸壁で弁当を食べる時か、その帰りに泊大橋を渡る時か、普段はそんなもんです。

                    その代わり、たまに海に出ると、旅行者の気持ちになれるので、それはそんでエエやんって気もします。


                    一方、本土の仕事をリタイヤするなどして、沖縄移住を決心した皆さんは、これはもう、何が何でも海の見える家が欲しいところ。

                    沖縄本島のあちこちで、海の見える家が建売りされています。


                    今、私は南城市大里の某所に立ち、知念の海を眺めています。



                    毎朝、目を覚ましてカーテンを開けるとこの景色。海の見える家としては最高の立地と言えるでしょう。

                    と思ったら、斬新なデザインのお宅がありました。



                    ちょっと角度を変えると、このお宅が平屋建てだとわかります。抜群の採光が望めそうです。庭は芝生が良いと思いますが、コンクリートになってますね。まあ、掃除が楽でいいか(笑)。



                    玄関に回ります。



                    う〜む。堂々としています。間取りは1LDKでしょうか?

                    窓が少ないところが気になりますが、こんな家で、海を眺めながら暮らすのもエエなぁ、と思いました。

                    アハハ(笑)。


                    糸数村獅子、カマンカジ、糸数樋川(1)

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                      南城市の糸数集落に来ています。

                      古くからの集落に必ずいるのがこいつ。



                      昔、糸数集落に住む男性が、フーチゲーシの村獅子四体を彫り、集落の各入口に配置しました。

                      こいつはそのうちの一体で、集落の南口に立っています。



                      昔はキリッとした男前でしたが、寄る年波には勝てず、体型もメタボです。




                      私は集落を散歩する際に、そこの村獅子に「はい、ちょっとお邪魔しますよ。」と挨拶する意識があります。

                      ところが最近、少し気に入らないことがあります。どの集落も口を揃えて村獅子に救われたと言うが、それはホンマかいなということ。

                      火事が多かったのがピタッとやんだとか、疫病が流行ってたのに全員が治癒したとかですね。

                      糸数集落の場合は、赤ん坊の死亡率が高かったところ、獅子のおかげで、みんな元気に育つようになったと。

                      これが、ど〜も嘘くさい。


                      私は、何十ヶ所も村獅子を訪ね歩いているのですから、たまには、

                      「干ばつが何年も続くので村獅子を彫ったけど、ちっとも雨は降りませんでした。この役立たずっ!!」

                      みたいな獅子が、いても良さそうなものです。

                      集落の伝承は、その集落にとって良い話になりがちです。役所の文化財課の皆さんは、それを鵜呑みにせず、獅子が彫られた時代背景を、きちんと調べて欲しいものです。


                      さて、村獅子に挨拶が終わりましたので、井戸に向かいましょう。


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                      念願の沖縄生活を始めて7年になりました。
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