唄者松田末吉さん

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    かなり前になりますが、名護市宮里の島唄居酒屋「結い唄」を訪ねました。唄者松田末吉さんのお店です。

     

     

    過去の投稿はこちらから。

     

    唄者松田末吉さんとの接点はあるのか?(1) 

    唄者松田末吉さんとの接点はあるのか?(2) 

     

     

    私が松田さんを知ったのは映画「ホテル・ハイビスカス」でした。父ちゃんがいる東村のパイナップル畑に向かう美恵子が乗ったバスの運転手役。

     

    「ホテル・ハイビスカス」でキジムナータンメーを演じたのは登川誠仁さんでした。そして、誠仁さんの一番弟子が知名定男さん。定男さんはネーネーズやザ・フェーレーのプロデューサーとしても知られています。

     

    松田さんは初代ネーネーズのバックバンドで三線を担当し、ザ・フェーレーのメンバーでもありました。

     

    沖縄民謡界における松田さんのポジションが分かってきますね。

     

     

    松田さんは「こいつ、ただの観光客かと思ったら、よく知ってるなぁ」と、感心したお顔。

     

    C「私は大阪の大正で松田さんのお兄さんと親しくさせていただいてたんですよ」

     

    松「え〜っ!!」

     

    C「私はお兄さんが出演されていた民謡居酒屋の客で、二、三度店の外でもご一緒させていただきました」

     

    松「驚いたなぁ。ほら、寒イボ寒イボ(笑)」

     

    C「そうした経緯があって、やっと今日、松田さんにお会いできたわけです」

     

    松「なるほど。よく分かりました。携帯番号を教えますから、Cさんの番号も教えて下さい。そして、次から来店の際には必ず連絡して下さい」

     

    そして、次のステージで紹介された私は、店内の皆さんから「よく来た」と声をかけていただいたのでした。

     

     

    松田さんの唄三線、明るい雰囲気の店内、美味しい料理。名護近辺に滞在の際は『結い唄』をお勧めします。


     

    松田末吉さんのナークニー。いいアレンジです。



    唄者松田末吉さんとの接点はあるのか?(2)

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      松田末吉さんのアルバム「唄うんじ」(2008)のジャケットです。うんじは恩義。

       

       

      もうね。見た瞬間に農連市場(^-^)v

       

      左手に見える木枠は豆腐屋のヨシエさんの商品台。隠れていますが、この右手にはトモコオバァのかまぼこ屋があります。

       

      私が沖縄に来たのが2009年ですから、その少し前。末吉さんは映画「ホテル・ハイビスカス」(2002)に出演された時の顔立ちですね。

       

       

      ところで、末吉さんは名護の人。名護にも絵になる市場があるのに、どうして農連市場だったんでしょう。

       

       

      この時期、末吉さんは那覇の西町で民謡酒場を経営してらしたようです。つまり当時のホームは那覇だったんですね。

       

      私は2006年から2009年まで西町に本社があったベンチャー企業に勤めていました。調べてみると、会社から末吉さんの店まで徒歩3分。

       

      毎月のように東京から出張で来て、約一週間、本社近辺で食事をしてたのにねぇ。どうしてそこだけ外すのか、ひょっとしてお店に入ったことを忘れてんのか(^^)

       

       

      大城美佐子さんは那覇で「島思い」を始める前に、名護でお店をやってらしたそうです。少し意外でしたが、美佐子さんは辺野古の方ですから、当然なのかもしれません。

       

      そこには末吉さんのお兄さん(おそらく忠弘さん)がいて、末吉さんを美佐子さんに会わせたそうです。末吉さんは美佐子さんを通して知名定男さんと会い、弟子入りしたと。

       

       

      知名定男さんが会主を務める二代目定絃会には、松田末吉さん、松田弘一さん、徳原清文さん、波田間武雄さんら錚々たる唄者が所属しています。もちろん大城美佐子さんも。

       

      それから、私が観光客時代に何度かお邪魔した「名護ヌ前」の吉田安男さん、吉田康子さんも同じ会派です。吉田康子さんは初代ネーネーズのメンバーですね。

       

      初代ネーネーズと言えば、末吉さんはそのバックバンド(スピリチュアルユニティ)を知名定男さんらと務めていて、YouTubeでその姿を見ることができます。

       

       

      名護の島唄居酒屋「結い唄」にお邪魔するにあたり、松田末吉さんを起点に色々連想してみました。これらを頭に入れて名護に向かいましょう(^-^)v


      唄者松田末吉さんとの接点はあるのか?(1)

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        かつて私は、映画「ホテル・ハイビスカス」のロケ地をくまなく巡り、その過程で松田末吉さん(美恵子が乗ったバスの運転手役)が名護で居酒屋を経営されていることを知りました。島唄居酒屋「結い唄」。

         

        以来、その店にお邪魔するタイミングを計っていました。名護で飲むなら泊りがけ。旅行クーポンが使えることが望ましいわけですね。

         

        その旅行クーポン制度(おきなわ彩発見NEXT)が先週から始まりました。期間は12月20日まで。よって、その間の何処かの土曜日に私は名護に向かいます(^-^)v

         

         

        結い唄のサイトからお借りした写真。中央に末吉さん。もうね、この写真を見ただけで楽しそうじゃないですか(笑)

         

         

        ところがねぇ。相手は知名定男さんの一番弟子であり、ザ・フェーレーのリーダーでもある大御所。バスの運転手の話題だけでは「話にならない」わけですよ。

         

        そこで、私と末吉さんとの接点が無いものかと色々調べてみました。

         

         

        ここに一枚の写真があります。場所はJR大阪環状線大正駅近くの沖縄料理店「うすぱれ豊年」。

         

         

        太鼓を叩いている内原まりえさん(石垣島白保産)とは20年近く前に共通の知人を介して知り合いました。

         

        彼女は私が沖縄病に罹患していることを知り、リトル沖縄と呼ばれている大正区の沖縄料理店やスナックを連れて歩いてくれて、いつでも私が飲みにいける環境を作ってくれたんです。

         

         

        そして、三線を弾いている男性が松田忠弘さん。三線や唄はもちろん人柄の素晴らしい唄者で、まりえさんと三人で何度か飲みました。

         

        忠弘さんに「Cさんは誰の唄が好き?」と聞かれ、「山里勇吉、大工哲弘、新良幸人」と答えると、「おっ、そうね!」と。どこかに電話をかけて「ほら、哲っちゃんだよ」と。

         

        突然の展開に何を話したかもよく覚えていません。しょーもないことを言ったはず(^^)

         

        そして、その日の帰り道。タクシーの中でまりえさんが「じゃあ、今度は私が」と。どこかに電話をかけて「ほら、勇吉おじさん」と(笑)。お二人とも白保だからね。

         

        この話は新良幸人に続きますが、長くなるのでこちらの投稿をご覧ください。

         

        魅惑の民謡酒場(男性編)

         

         

        その忠弘さんが末吉さんのお兄さんだとつい最近知りました。これは話しになりますよね。

         

        (続く)


        大城美佐子さんと辺野古集落

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          (故)大城美佐子さんの出身地(生まれ育った場所)は名護市辺野古で、生誕地は大阪市大正区北恩加島(きたおかじま)。生誕地とは例えば産婦人科の住所ですから、出身地と異なることはあり得ます。

           

          そのためでしょう。大城美佐子さんの写真展には何枚か辺野古の写真がありました。

           

           

          一枚目はレストラン「ワシントン」。写真左側に「ントン」の看板(直書き)が見えてます。

           

           

          場所は渡具知商店(閉店してしまいました)の近く。美恵子達が能登島をカートに乗せてこの坂道を下りました。

           

           

          二枚目はBar「Cassey」。発音はキャシーなんでしょうね。

           

           

          場所はホテル・ハイビスカスから少し下った所。すぐ近くにある星条旗の壁がよく知られています。

           

           

          三枚目はナントカCLUB。ちょっと読めませんから、近々、読みに寄ってきます(笑)

           

           

          場所はレストラン「ワシントン」の一本海側です。

           

           

          最後にBar「Flamingo」。美佐子さんのアルバム「唄ウムイ」のジャケットに使われた写真です。

           

           

          このアルバムに収録されている「瓦屋情話」は私が暮らしている那覇市国場の瓦屋原が舞台の沖縄民謡。

           

          以前、この曲の由来を投稿しました。

           

          「瓦屋情話」 

           

          残念ながらBar「Flamingo」は取り壊されて、現在は更地になっているそうです。

           

           

          辺野古自治会は歓楽街時代の集落マップを作ってはいかがかと思います。地図を片手に散策する人が増えるはず。


          そのためにも、古い建物をなるべく残していただきたい。色々と都合があるでしょうが、どうか宜しくお願いいたします。


          沖縄民謡「だんじゅかりゆし」

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            コザの照屋林助三線店で高校生が唄っているのは「だんじゅかりゆし」。祝い事や旅立ちの時に唄われる船出唄です。



            「だんじゅかりゆし」

             

            だんじゅかりゆしや いらでぃさしみしぇる

            (なんと縁起の良い日に出発されるものだ)

             

            はりよーふによー ゆーはいせ

            なんちゃゆーはいせ ささゆーはいせ

            (走れよ舟よ よく走る なるほどよく走る ササよく走る)

             

            ふにぬちなとぅりば かじやまとむ

            (舟の綱を取れば風は順風だ)

             

            はりよーふによー ゆーはいせ

            なんちゃゆーはいせ ささゆーはいせ

            (走れよ舟よ よく走る なるほどよく走る ササよく走る)

             

             

            1975年に沖縄に来られた平成天皇(当時は皇太子)が名護の愛楽園を訪問された時のこと。入所者にこの唄で見送られたことが陛下の胸に深く残り、後にその気持ちを琉歌に残されました。

             

            そして、2019年の在位30年記念式典で、その琉歌に皇后が曲をつけた「歌声の響き」を、沖縄出身の三浦大知さんが独唱しました。


            三浦大知さんの歌が最高。沖縄出身の歌手が沢山いる中で彼を選んだ人選が良かった。

             

            数えきれないほどの沖縄民謡に数え切れないほどの名曲があり、今もなお新唄が生まれ続けています。そしてその一曲一曲から様々なエピソードが生まれているということですね。

             

             

            さて、先程の高校生は在学中にプロ歌手となり、2018年のてるりん祭に出演してました。ティンクティンクの屋嘉比奈々さん。

             

             

            そして今、彼女は22歳に。

             

             

            昨年の春以来、コロナ禍でカラハーイが閉鎖される中、ティンクティンクはほぼ毎日ライブの配信を続けています。ネット配信の成果で国内、海外にファンが増えているとのこと。継続は力なりです。

             

             

            ある日の配信を観ていたら、屋嘉比奈々さんは南風原町出身で、知念のワタリグチと同じシマ。

             

            さっそくワタリグチを捕まえました。

             

            C「お前のシマには歌手がいるんだなぁ」

             

            ワ「そんなのいないっスよ」

             

            C「奈々ちゃんやんか」

             

            ワ「えっ?。誰っスか、それ」

             

            C「ティンクティンクの屋嘉比奈々ちゃんや」

             

            ワ「あっ!!。はいはい。おニィの友達の妹っス」

             

            C「頑張ってるんやから、たまにはYouTubeを観なさいよ」

             

            ワ「でも、俺は付き合いが無いっスよ」

             

            C「付き合いが無くても応援しなさいよ」

             

            ワ「はぁ、じゃあ」

             

            ウチナーンチュは芸能人に対する特別意識が少なめで、まず、自分との関係があって、その人がたまたま芸能人って意識。

             

            だからこんな。せっかく教えてやったのに(^^)


            大城美佐子のナークニー

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              昨日、大城美佐子さんのお別れ会がありました。告別式は親族だけで行われたので、そこに参列できなかった人達の集まりです。

               

              開場まであと1時間。仕事中の私は会場の前で手を合わせただけで失礼しました。

               

               

              何度も同じ話で恐縮ですが、映画「涙そうそう」に出演した美佐子さんが良かった。

               

              厳しく接しながらも、常に気にかけていた洋太郎(妻夫木聡)の死が市場に伝えられ、美佐子さんが唄った哀惜のナークニー。

               

               

              昔事やしが

              肝に 今までぃんよ

              忘りらたんなさや ありが情き

               

              昔の事だけど

              心に残り 今になっても 

              忘れられないのは あの人の情け 

               

               

              このシーンのために出演いただいたとは言え、いやもう、ビッシー!!っと。これぞプロ。まさにプロ。

               

              「涙そうそう」は好きな映画で、妻夫木聡さんも長澤まさみさんも好演してました。再開発前の農連市場も良かった。ではあるけど、私が最も印象に残ったのは美佐子さんのナークニーでした。

               

               

              帰る途中に東町の「島思い」に寄りました。どなたかが継承して看板を残してくれるんでしょうか。

               

               

               

               

               

              可愛がってくれた林助さん、林昌さん、誠仁さんを失い、美佐子さんは寂しい思いをしていたはず。久しぶりに皆さんと顔を合わせて、昔話をしたり唄ったりされてることでしょう。

               

               

              沖縄の女性民謡歌手のトップは誰かと問われれば大城美佐子と答えてましたし、それを頭から否定する人はいないでしょう。これからは誰の名前を挙げればいいのか。うーむ。ちょっとすぐには決められないな(^^)


              二人のアナウンサー

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                以前、ブラタモリに出演していたアナウンサーが、「本当に何も知らない」と視聴者から馬鹿にされてました。

                 

                 

                「少しは勉強してこいよ」と(笑)

                 

                皆さんご存知の通り、この番組のウリは専門家とタモリの会話にあります。

                 

                専「どうしてこうなったと思われますか?」

                 

                タ「◯◯ですか?」

                 

                専「正解です」

                 

                そこで、ちょっと考えてみて下さい。アナウンサーが少し勉強したくらいで、この会話に入ってこれると思いますか?。もしそれが役目なら、アナウンサーではなく、解説委員を連れて来るべきでしょう。

                 

                 

                実は彼女。番組プロデューサーから「絶対に勉強してはいけない」と厳命されていました。視聴者の疑問を代弁することが彼女の役目だったんです。

                 

                彼女はその役目をきちんと果たしたので、やがて視聴者から支持され、惜しまれつつ番組を卒業しました。

                 

                 

                一方、先週のバイキングに出演したフリーアナウンサー。彼女は保育士がコロナウイルスに感染したことに関して、

                 

                「たくさんの命を預かっている先生なんだよってことを本当に自覚してほしい」

                 

                と言い放ちました。

                 

                 

                このアナウンサーはスポーツ選手の元旦那と離婚して、ワンオペ育児中。子供を保育園に預けてるそうです。そんなお母さんが、保育士が置かれている立場を理解できていないことに驚きます。

                 

                言うまでもなく、保育園は働くお母さんの味方です。小中学校が休校する中、コロナウイルスの感染リスクを抱えながら子供達を預かっています。

                 

                そこで何故、「自覚が足りない」などと言えてしまうのか。

                 

                 

                全国ネットの放送局のプロデューサーはそれほど馬鹿ではありませんから、このアナウンサーにわざと言わせてるんですよ。炎上すれば視聴率は上がりますからね。

                 

                つまり、久保田アナウンサーは自分の立場をきちんと理解した上で、役割を果たした。

                 

                大島アナウンサーは自分の立場を勘違いしてますが、勘違いしてることで、結果的には役割を果たしてる。

                 

                つまり、そういうことだな(笑)


                鳥刺し舞(とぅいさしめー)

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                  新宿エイサーまつり。創作太鼓集団心〜SHIN〜による「鳥刺し舞」

                   

                   

                  不安な気持ちにさせる曲調と、何かに取り憑かれてしまったかのような踊り。演舞の最後に演者がクバ笠を脱ぐと、ホッとする気がします。

                   

                  これを観たナイチの皆さんは異文化を感じたのではないかと。

                   

                   

                  ところが、「鳥刺し舞」はナイチから沖縄に伝わった大道芸の一つ。鳥刺しとはモチ竿を使った鳥猟のことで、全国各地に様々な「鳥刺し舞」が伝承されているようです。

                   

                  「鳥刺し舞」を琉球に伝えたのが、京から渡来した芸能集団の京太郎(チョンダラー)でした。

                   

                  彼らのレパートリーには「早口説」、「扇子の舞」、「御知行の歌」、「馬舞者」、「鳥刺し舞」とあり、門口に立ち、芸を見せることで金品を受け取る門付芸でした。

                   

                   

                  京太郎は門付が下火なると沖縄芝居や各地のエイサーに入り込むことで生き残り、泡瀬と宜野座では地域の伝統芸能として継承されています。

                   

                  その過程で沖縄独自の進化を遂げ、その進化の独自性がナイチから見て異文化に見えるってことですね。

                   

                   

                  なお、先ほどのレパートリーにあった「馬舞者(ゥンマメーサー)」はヤマトでは「春駒」。そして沖縄ではこちらです。

                   

                   

                  「せんする節」
                    京の小太郎が作たんばい
                    尻ほげ破れ手籠緒すげて
                    板片目貫ち乗い来たる

                   

                  京太郎が作ったのは

                  尻に穴が空いた

                  破れ手籠に緒をつけたもの

                  板切れに穴を通したもの(馬)に乗って来た

                   

                   

                  沖縄の鳥刺しはどんな鳥猟をしていたのか。戦前の、野鳥を自由に捕まえることができた時代。美味しい順に鳥を並べると、ニワトリ(ブロイラー)は11位か12位だったそうです。

                   

                  ニワトリと鴨ぐらいしか食べたことがない現代人としては、誠に羨ましい限りです。


                  壺屋の徳利小

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                    JUGEMテーマ:地域/ローカル

                     

                    沖縄芝居の「トゥックイ小」で使われている「徳利小節」は、テンヨー節の歌詞を芝居用に書き換えたもの。

                     

                    それとは別に「徳利小」というわらべ歌があり、「壺屋(チブヤ)の徳利小」と呼んで芝居唄との混同を防いでいます。

                     

                     

                    「壺屋の徳利小」

                     

                    徳利小よ徳利小

                    まーから出(ん)じたる徳利小

                    壺屋の窯から出じたる

                    嘉利吉徳利小

                     

                    子供「トゥックイさん、トゥックイさん。何処から出て来たの?。トゥックイさん」

                    徳利「壺屋の窯から出て来たよ。かりゆしのトゥックイだよ」

                     

                    この唄を使って、園児が三人一組で行うお遊戯があります。まず、二人が向かい合って間に一人を挟みます。そして、向かい合った二人が両手を合わせたり離したりする中、挟まれた一人が座ったり、両手を挙げて立ち上がったりして「窯から出じたる徳利小」を表現します。

                     

                     

                    ところで、酔っ払い御用達の徳利が、わらべ歌に登場したのは何故か?

                     

                     

                    知りませんが(笑)、こんなことではないかと。

                     

                    (1)トゥックイ小の語呂が良い

                    (2)徳利がいかにも窯から出てきた形だ

                    (3)徳利にお酒を入れるとは限らない

                     

                    徳利は酒器ですが、醤油や油などを入れる器でもありました。サキドゥックイ、ソーユードゥックイ、アンダドゥックイ。

                     

                     

                    沖縄の酒器はカラカラ、ユシビン(嘉瓶)、ダチビン(抱瓶)とありまして、もちろん泡盛を入れます。

                     

                    こちらがカラカラ。

                     

                     

                    日本酒は熱燗で飲むため、徳利は温めやすい形をしています。一方、泡盛は燗をしませんから、カラカラは倒れにくい形。

                     

                    次にユシビン。

                     

                     

                    お酒を持ち帰る時に使う器で、飲み終わったらユシビンはお返しします。そんな用途が無くなったためか、最近は「花瓶」と呼ばれています(笑)

                     

                     

                    最後にダチビン。

                     

                     

                    こちらは泡盛を携帯するためのもの。ダチビンの曲面が腰にフィットします。

                     

                     

                    えーっと。泡盛が徳利で出されても驚きませんが、日本酒がカラカラで出されると驚きます。意味が分からなくても、そうして下さい(笑)


                    みるく世(ユ)ぬ声合(クイチャー)

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                       

                      宮古島民謡「漲水のクイチャー」は人頭税廃止を祝う歓喜の唄。

                       

                       

                      人頭税の廃止を伝える舟が宮古島に到着した時、島民には浜辺の砂が、粟となり米となって打ち寄せて来るように見えたと。

                       

                      この動画は千回以上再生されていますが、反応の多くは「宮沢和史が踊ってる! 凄〜い!!」というもの。宮沢和史が踊るって凄いことだったんですね(笑)

                       

                       

                      宮古島で開催されている「クイチャーフェスティバル」は今年で18回目を迎えます。

                       

                       

                      沖縄民謡の音源を集める活動に取り組んでいた宮沢さんは、2015年にフェスティバルの全工程を視察したそうです。そして、その直後の活動休止宣言。

                       

                      宮沢さんとの交流を続けたいと願ったフェスティバルの実行委員達は、沖縄最後のライブ会場となった音市場の楽屋に宮沢さんを訪ね、意を決して、あるお願いをしました。

                       

                      それは、「宮古島のために、クイチャーをモチーフにした楽曲を提供いただけないか」というもの。宮沢さんは「私でよければ」と、その場で快諾したそうです。

                       

                       

                      夜空の月の美しさ

                      八重山の言葉じゃ何と言う

                      宮古言葉ならこう言うさ

                      月夜ぬ美さや島ぬ美さ

                       

                      世賀富ぬ世や世や実れ

                      吾達が島愛す島

                      宮古となぎ島となぎ

                      故郷の訛りで揃い皆踊り

                       

                      ヒヤサッサクヤサッサ

                      アリアリアリヤッサ

                       

                      「みるく世ぬクイチャー」はフェスティバルのテーマ曲となり、島の保育園では発表会の定番になっているそうです。

                       

                       

                      宮沢さんの「島唄」は発売当初、沖縄の民謡界から猛反発を受けました。「観光客の分際で沖縄民謡の真似事をするな」というもの。

                       

                      ところが「島唄」は、沖縄民謡の真似事どころか、沖縄の島唄を世に広める役割を果たしました。「みるく世ぬクイチャー」も「漲水のクイチャー」を更に押し上げてくれそうです。

                       

                       

                      宮沢さんが沖縄に受け入れられた理由は様々あるでしょうが、音市場の楽屋で発した「私でよければ」の一言に集約されると、私には思えます。


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                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
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