安慶名の按司はどう考えたのか(2)

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    兵糧攻めにあったグスクは、将棋に例えれば「詰み」の状態にあり、頭を下げて投了する局面です。そこから長考する(籠城する)ことに意味はありません。

     

    安慶名の按司が天変地異(天願川が氾濫するとか、神風が吹くとか)を期待して籠城したのなら、それはリーダー失格と言うほか無いでしょう。

     

     

    話は逸れますが、先の大戦で南方からの補給路を断たれた日本が、何故、沖縄で戦争を続けたのか。本土決戦に備えたなどと言われていますが、あの時、何らかの備えができたものか、甚だ疑問です。

     

    籠城して時間を稼ぐことに意味があるのは、援軍が期待できる場合に限られるでしょう。しかし、首里王府に背いてまで、安慶名の按司を助けようとする按司はいなかったはず。大戦における日本の立場も同じです。

     

     

    首里軍は安慶名グスクの水の供給路を断ったとされていますが、私が思うに、派兵したかどうかも疑わしい。安慶名の按司に「グスクには井戸が無いそうだね」と言うだけで、按司は忠誠を誓うほかなかったと思いますからね。グスクに井戸が無いのは、それほどに致命的でした。

     

     

    話は変わりますが、安慶名グスクの城壁に奇妙な穴が開いてます。

     

     

    拡大してみましょう。

     

     

     

    この穴の深さは城壁の厚さと同じですから、銃を撃ったり、矢を射ることはできません。歴史家の調査で、この穴が真東を向いていることが分かり、玉城グスクの城門のように、宗教的な意味を持つものではないかとされています。

     

    つまり、よくわからないと(笑)

     

     

    安慶名の按司が、直ちに降参したのか、何らかの意図を持って籠城したのかも、よくわかっていません。

     

    しかし、わからないからこそ色々なことを想像できるし、それを論破されることもありません。楽しいじゃないですか(笑)

     

    何もかも分かってしまうのは、いかがなものかと思いますよ。

     

    安慶名グスクを訪ねることがあれば、城壁の上に立ち、按司になったつもりで「う〜む」と腕組みをしてみて下さい(^^)


    安慶名の按司はどう考えたのか(1)

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      先日投稿した安慶名グスクについてもう少し。

       

      難攻不落の安慶名グスク。その自信があってか、安慶名の按司は首里王府に対して従順ではありませんでした。

       

      一方、首里王府は中央集権体制を確立するために、安慶名の按司を服従させる必要がありました。

       

       

      岩山と一体化した安慶名グスクの城壁を見上げると、攻める側にとって厳しい戦いになることが容易に予想できます。

       

      言い換えれば、そのためのグスク。兵力が劣っていたとしても、グスクの攻防ならば守る側が有利。攻める側の戦意を萎えさせることがでれば勝ちです。

       

       

      安慶名グスクの水源はグスク北側を流れる天願川。当時は「大川」と呼ばれた水量の多い川で、グスクが水不足に悩まされることはありませんでした。一方、グスク内には井戸が一本も無かったんです。岩山ですからね。

       

      それを知っていた首里王府は天願川南岸に兵を展開し、グスクへの水の供給路を断つ作戦をとりました。

       

       

      安慶名グスクの城壁から眺めた天願川。赤い屋根の建物は北岸ですから、川は目と鼻の先にあります。

       

       

      さて、水の供給路を断たれた安慶名の按司は、どう考えたのでしょう。

       

      グスクから兵を出して水の供給路を奪回することは良い作戦とは言えません。平地に降りてしまえば、条件は五分五分。兵力に勝る首里軍には敵わなかったでしょう。

       

      では、籠城したのか。

       

      ヤマトでは兵糧攻めにあった城が何ヶ月も籠城し、城内に餓死者が出るほど辛抱した例があります。それはいったい何のための辛抱だったのでしょう。

       

      (続く)


      兵糧攻めに屈した安慶名グスク

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        安慶名闘牛場から見上げた安慶名グスクの城壁です。

         

         

        安慶名グスクは天願川流域の岩山に築かれています。城壁は郭内と郭外を仕切ると言うよりは、岩山への登攀を阻止することが役目のように見えます。

         

        その姿から連想する言葉は「難攻不落」。防御力の高いグスクだということが一目でわかります。

         

         

        郭内への進入路は一本だけです。急な石段を登り切った所にある岩の切れ目が城門。

         

         

        郭内から見た城門です。敵の侵入ルートはここだけということ。

         

         

        さもなくば、この城壁を登るか。

         

         

        自然の巨岩と巨岩の間を埋める城壁。ここを登って来るのは無理でしょう。

         

         

         

        琉球統一以前の沖縄は群雄割拠の時代。そこへ各地の按司を束ねる強力な王が現れ、沖縄は三山時代を迎えました。

         

        安慶名の按司は中山国に属してはいたものの、首里の言うことを聞かなかったようです。支配力を強めたい首里と反発する安慶名。やがて、首里の大軍が安慶名へ向かうことになりました。

         

         

        難攻不落の安慶名グスクを首里がどう攻略したのか?

         

        ところが、安慶名グスクはあっけなく落城してしまいます。岩山に築かれた安慶名グスクには井戸が無かった。首里はそれを知っていたんですね。

         

        首里軍は安慶名グスクと水源の天願川の間に駐留し、水の供給路を断ちました。

         

         

        ナイチでは秀吉が得意としていた「兵糧攻め」は食料を遮断するもので、城の攻略には数ヶ月を要しました。城内は飢餓状態になり、多くの兵が餓死したようです。

         

        一方、安慶名グスクに無かったのは水。落城までそれほどの時間はかからなかったと思います。

         

         

        安慶名グスクの郭内から天願川方向に開ける眺望です。水を断たれた安慶名の按司は、どんな気持ちでここに立っていたんでしょう。

         

         

         

        秀吉は城主の自決を条件に、兵の命を保証しました。そして、城主の自決を見届けた後、兵を皆殺しにしたんですね。

         

        「酷いっ!!」って話ですが、金丸がクーデターに成功した後、第一尚氏の王族を根絶やしにしたことと発想は同じです。


        首里城炎上

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          首里城が燃えてしまいました。

           

           

          今朝はナイチの読者の皆さんから、お見舞いのメッセージをいただきまして、ありがとうございました。

           

           

          今年、御内原の公開により城内の復元が完了し、次は円覚寺や中城御殿など、首里城周辺の整備を期待していた矢先に、肝心の正殿を失なってしまいました。北殿、南殿にも延焼したと報道されていますし、城門の櫓なども含めて、被害は甚大な様子です。

           

          復興費用は莫大な額になるでしょうし、重要な観光資源を失ったことによる経済的な損失は計り知れません。

           

           

          火災が起きてしまったその日に、不謹慎かもしれませんが、それでも沖縄は大丈夫です。

           

          世界遺産に登録されているのは、正殿や城壁の基礎部分で、そこは石ですから燃えません。建物は再度建てられるし、展示されていたレプリカも同様です。

           

          また、首里城へ一度も行ったことが無いウチナーンチュは沢山いて、行ったことがあっても遠足で。「沖縄県民は悲しみに包まれた」、「心のよりどころを失った」などという報道はナイーブ過ぎると言えるでしょう。

           

          今朝は相棒のAが「デージなってるさ」と言うので、「生まれて一度も行ったことが無いくせに、お前が言うな」と言っておきました。

           

          だから、ナイチの皆さん。お葬式のような気持ちにならなくても大丈夫。首里城観光を予定していた方には申し訳ないことになりましたが、予定通り沖縄旅行を楽しんで下さい。

           

           

          念のため付け加えますと、首里城は御嶽でもあり、拝みに来る人は沢山います。そして首里人の喪失感を他の地域の人達が共有することはできません。一般的な沖縄県民にとってどうなのかって話です。


          西原集落の散歩(2)島添大里グスク跡

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            ては、島添大里グスクの想像復元図を頭に入れて、グスクに入りましょう。

             

             

            島添大里グスクには二重の城壁がありました。外側の城壁跡を入った所が外郭の平場。

             

             

            外郭から内郭へ上ります。

             

             

            内郭は手前が御庭(うなー)。右奥には正殿のあった下の平場。中央の高い所が拝所のあった上の平場です。

             

             

            上の平場から下の平場を見下ろして、そこにあった正殿を想像してみました。

             

             

            正殿跡の裏手は急峻な斜面で、外敵の侵入を防げます。グスクの立地としては理想的ですね。

             

             

            グスクの城壁はほとんど残っていません。内郭と外郭の間の数ヶ所に石積みがありますが、これは各時代の事情で、右に寄せられ左に寄せられした結果。今の石積みがかつての城壁とは限りません。

             

            城壁を見るには、森の中などの採石が難しい場所を探すことになります。この石積みは城壁のようです。

             

             

             

            内郭の井戸は「スクナシカー」。底無しなんでしょうね、きっと(笑)

             

             

            城壁のすぐ外にある井戸「チチンガー」。右手の石組みは拝所、左手の石段を降りた所に井戸があります。

             

             

            階段を途中まで降りた所。

             

             

            振り返れば、階段を保護している石積み。

             

             

            立派な井戸です。

             

            この井戸が城壁の中にあれば便利だったでしょうが、不思議なことに城壁で囲むと水が止まり、元に戻すと再び水が湧いたそうです。

             

            それで「チチマランカー」と名付けられ、それが「チチンガー」の由来だと。真偽は知りませんが、納得感は抜群です。

             

            (続く)


            西原集落の散歩(1)島添大里グスク物見台

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              久しぶりに南城市大里の西原集落を散歩しました。

               

              以前はヤギの保育園(あおぞらこども園)へ配達があったので、島添大里グスクへ寄り道して、お昼を食べたり休憩したりしてました。だから、なじみのある場所です。

               

               

              こちらは島添大里グスクの想像復元図。

               

               

              グスク正殿の左下に描かれた集落が西原。ナイチの城下町にあたります。グスク東側のミーグスクと西側のギリムイグスクに物見台があり、気持ちの良い眺望が開けています。ではさっそく、ミーグスク展望台からの眺望をお楽しみ下さい。

               

               

              天候によっては海はより青く、久高島も津堅島もくっきりと見えます。まあ、皆さんがこの場所に立った時に、「うわぁ〜」と歓声を上げる余地を残す意味で、今日はこのくらいにしといたるかな(笑)

               

               

              島添大里グスクは三山時代の南山王の居城でした。佐敷按司の尚巴志による三山統一の過程で落城しましたが、その後も首里城の離宮として使われ、戦前まではグスクの原形を留めていたはず。

               

              ところが、戦争中に日本軍の陣地を構築するために城壁が壊され、米軍に爆破され、戦後の復興期に石を持ち出され、グスクは酷い目にあいました。だから、世界遺産級のグスクでありながら、復元にはかなりの時間がかかりそうです。

               

               

              ミーグスクの物見台に立つと、中山の首里、浦添、中城、勝連の各グスクを見渡せ、眼下には領内の与那原や馬天の港が望めます。理想的な物見台と言えるでしょう。


              また、振り返れば那覇はもちろん、東シナ海のチービシや慶良間までの眺望が得られます。本島南部では標高ベスト5に入る場所だと思います。

               

              (続く)

               

               

              私の長女が運営しているセレクトショップ「みちのたより」。大阪の京阪モールに店舗がありますが、全国各地の催事にも出店しているようです。

               

              先週、岡山一番街の催事会場に「沖縄の風景」の読者が来られたと、娘から報告がありました。わざわざ起こしいただいたのに娘が不在で失礼しました。

               

              今後とも、(父も娘も)どうかよろしくお願い致しますm(_ _)m


              玉城グスクの南壁

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                5月最後の日曜日。目が覚めて、今日は何処へ出かけようかと考えました。


                梅雨なのに今日もいい天気です。14時から広島カープの応援なので、それまでには帰って来るとして、まず、南城市の大里図書館へ向かいました。


                「南城市のグスク」(南城市教育委員会)



                読者のへそまがりさんに「良い本が出た」と知らせてもらった本です。表紙は糸数グスクの北のアザナ。最近、この続編で「南城市の御嶽」が発行されてます。


                玉城グスクのページを熟読し、玉城村誌などでお勉強。その後、玉城グスクへ向かいました。青い空にグスクが映えます。



                こちらはグスク前の広場。主郭へはこの先を右手に上がりますが、今日は直進。グスクの裏側へ回ります。



                玉城グスクの裏側がどうなってるか知ってますか?。行ってみましょうね。



                玉城グスクは岩山の頂上に築かれていまして、ここはその根の部分。カメラを縦にしても収まらない巨岩がありました。



                進みます。



                進みます。



                先日、多々名グスクに入り込もうとする私に、皆さんが「一人ではやめとけ」と言われるので、あそこは無期延期にしました。


                多々名グスクが上級コースとすれば、玉城グスクは中級コース。頭を岩にぶつけないように注意すれば危険はありません。地形だけで比べれば、初級コースは斎場御嶽になりますね。



                20分ほど歩いて、玉城グスクの裏まで来たので、引き返します。



                引き返します。



                「こんな所へ入るんかい」みたいな穴ですが、人の字になってる岩の隙間です。




                那覇空港に南から着陸する便は南部の海岸を飛び、右手の海岸線に沢山の巨岩が見えますね。


                南部全体が隆起珊瑚ですから、海岸であろうが地上であろうが岩だらけ。岩が地上に露出していれば、この場所のようになるし、地中にあれば鍾乳洞になります。


                そうした出入りが不便な場所に、沖縄の人々は御嶽や(風葬墓の)墓所、暗しん御門(クラシンウジョー)のような意味づけをしてきました。クラシンウジョーは現世とあの世の境界。まったくそう感じさせる地形ではあります。



                さて、そろそろ出発地点に戻るはずだけど、ありゃ、橋がある。



                こんな橋を渡った記憶はまったくありません。ひょっとして現世に戻れないのかな(^^)



                私が歩いたルートは、玉城グスクのすぐ横にある県立青少年の家がオリエンテーリングのコースに使ってます。



                また、珍しい昆虫がいるらしく、OISTの研究チームが出入りしているようです。



                ikokaさんが私を「川口浩探検隊みた〜い」と馬鹿にしてましたが、彼女の王子が来たら、日が暮れてもここを離れないことでしょう(笑)



                さあ、今日の探検は終わりましたので、近くの湧き水で汗を流してリフレッシュしましょう。お疲れ様でした(^-^)/


                  



                多々名グスク地溝帯

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                  Google Earthで見た多々名グスク跡。

                   

                   

                  グスクは朽ち果て、丘全体が密林となり、グスク跡を訪ねようにも道がありません。

                   

                  7、8年前、八重瀬町がこの丘の地形調査を専門家に依頼したところ、全国でも珍しいカルスト地形だということが判明しました。そして、多くのフィッシャー(岩の割れ目)が存在することから、「多々名グスク地溝帯」と名付けられたんです。

                   

                   

                  琉球新報に掲載された写真がこちら。驚きますよねぇ、こんな所なんです。

                   

                   

                  「南の駅 やえせ」を起点に「多々名グスク地溝帯」を巡るツアー(有料)が開催されています。そのツアーのチラシをたまたま手にした私は、ムラムラしてきたんですよね(^^)

                   

                  「いっ、行ってみたい」

                   

                  「ツッ、ツアーじゃなくて、一人で・・」

                   

                  何故一人がいいのかについては、話が長くなるので省略しますが、それでは密林の入口さえ分かりません。

                   

                  それで、この間のGWに「おそらくここ」と思った場所に立ってみたんです。そしたら、密林の奥から人の声が聞こえてきました。ツアーガイドの声のようだったので、「よし。入口はここで間違い無い」と。

                   

                   

                  チラシによれば、ツアーは30のチェックポイントを巡るようです。その5番目が「天空の絶景」。一つ前の投稿で紹介した丘の頂上です。

                   

                   

                  この日。下見を兼ねて、そこまで行ってみました。入口から5分ほどの所です。

                   

                  道はありませんが、ツアーの主催者が草を刈り、迷いそうな箇所にはロープを張ってくれてます。地面には岩が露出しているので歩きにくく、かなりの急斜面でした。

                   

                   

                  6番目以降に進むか否かは検討中。

                   

                  一人では危険かなとも思います。地面に板が置いてあったので「これは何かな?」と思ったら、フィッシャーの頂部に渡してある橋だったんです。気付かずに足を踏み外したら、フィッシャーの底まで落下です。

                   

                  う〜む。どうするか。

                   

                  ここを歩けるのは、ツアーの主催者がルートを開拓し、歩けるようにしてくれたおかげ。そこをツアーに参加せずに(タダで)歩くのは道義的にも問題ですよねぇ。

                   

                  う〜む。

                   

                  偶然にこの投稿を目にした八重瀬町役場から、「一人では危険です。ツアーに参加して下さい」とコメントがあったりして(^^)

                   

                  (終わり)


                  多々名グスクの眺望

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                    昨日紹介した果報バンタ。眼下には「誰もたどり着けない」と言われているビーチがありました。

                     

                    ところが、陸からも海からもビーチへ向かうツアーがあり、ビーチ近くのリーフではオッさんが魚釣り。これでは「誰でもたどり着けるじゃん」と言われても仕方がありません。

                     

                     

                    そこで、今日、紹介するのは「誰もたどり着けない」グスク跡です(笑)

                     

                    最初に場所の案内をします。

                     

                    南風原から国道507号線をどこまでも南下すると、具志頭で国道331号線に突き当たります。左手に「南の駅 やえせ」。

                     

                    そこの信号はT字路に見えて、実は交差点。そのまま直進できまして、具志頭体育館に到着します。体育館の裏にある丘が多々名グスク跡。14世紀のグスクです。

                     

                     

                    Google Earthで、海側へ回ってみましょう。多々名グスク跡の丘とその奥に具志頭体育館の銀屋根が見えます。

                     

                     

                    このグスク跡に「誰もたどり着けない」のは道が無いから。深いヤブをかき分けながら急な斜面を這い上がる覚悟があるのなら、もちろんたどり着けますが、それをするのは歴史研究者ぐらいでしょう。

                     

                     

                    で、私は丘のピークへ登りました(^-^)/

                     

                     

                    絶景でした。

                     

                    ところが、ビデオの最初と最後にチラッと見えている塔のような建物は、お隣のゴルフ場のクラブハウス。

                     

                    「あそこに行けば、同じような景色が見えるじゃん」と思った貴方。それは間違いです。貴方は「どこから眺めても太平洋は太平洋」と言ってるようなもの。何しろ私は「誰もたどり着けない」グスク跡から眺めてるのですから、ゴルフ場の景色と一緒にされては困るんです(笑)

                     

                    この場所に立ったウチナーンチュは、一万人に一人とまでは言いませんが、千人に一人よりは少ないでしょう。多々名グスクの名前を知ってる人が千人に一人な気もします。

                     

                     

                    さて、どのようにして私がここに立てたのか。それは今日の仕事が終わった後でまた(^^)

                     

                    (続く)


                    中城御殿跡の発掘調査(2) 発掘現場

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                       

                      一つ前に投稿した琉球古地図。黄色の破線がかつての道路で、青く塗られた部分が発掘調査の区画です。

                       

                       

                      地図では狭く見えますが、現場に来てみればこの広さ。中城御殿は大御殿だったんですねぇ。

                       

                       

                      この場所にあった中城御殿が龍潭の向かいに移ったのは1875年のことでした。琉球藩設置が1872年、廃藩置県が1879年。

                       

                      ヤマトの松田処分官か誰かが、尚泰王にこんなことを言ったんでしょう。たぶん。

                       

                      「中城御殿の敷地は広いから学校かナニかにしましょうね。近々、首里城は明け渡してもらいますので、御殿を龍潭の向かいに移してから、貴方達はそこに住みなさいね。少し狭くなるけろ」

                       

                      首里城明け渡しの日。首里城継世門を出た尚泰王の一行は、龍潭向かいの中城御殿に向かったことになりますね。

                       

                       

                      さて、いよいよ発掘現場に入ろうとしたら、この日はたまたま現地説明会の日。昼休みに急いで来た私は説明会に参加する時間がありません。「じゃあ、写真を2、3枚撮りましょうね」と言ったら、埋蔵センターの職員が「それは駄目です」と。

                       

                      「ヤッター(おまえ達)のヤー(家)なんかいっ!!」と言いたい。

                       

                      へそまがりさん。写真を使わせていただきます。え〜っと、職員が立っている平面が、黄色の破線で示されていた道路です。

                       

                       

                      終わり(笑)

                       

                      別に怒ってるわけではありません。今回の発掘は道路の場所を特定して、御殿全体の位置関係を把握することが目的。中城御殿の全貌が明らかになるのは次回以降です。

                       

                      だから、怒ってるわけではありません。

                       

                       

                      せっかく来たので、首里高校の話題を一つだけ。

                       

                      1958年。米軍統治下の沖縄から、首里高校が戦後初めての夏の甲子園出場を果たしました。残念ながら初戦で負けてしまいましたが、甲子園の土はちゃんと袋に詰めました。

                       

                      ところが、那覇港の検疫で止められてしまい、球児達は泣く泣く甲子園の土を海に撒くことに。

                       

                       

                      そのニュースを聞いたのが、日本航空のスチュワーデスの皆さんでした。私達に何かできることはないかと考えた末、甲子園球場近くの浜で小石を拾い、首里高校へ届けることにしました。

                       

                      小石が届けられた首里高校では、球児はもちろん、校長から教頭から、皆さんがカチャーシー(笑)。嬉しかったと思います。

                       

                      その小石が今ここに(^^)

                       

                       

                       

                      それから52年。2010年に興南高校が沖縄県勢初の全国制覇を成し遂げ、那覇空港は球児達を迎える人々で溢れました。

                       

                      球児達が搭乗した便の機長が「今、真紅の優勝旗が、初めて太平洋を渡っています」とアナウンスした話が知られていますね。

                       

                      (終わり)


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                      念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
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