首里城はどうなってるのか?

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    明日から保育園が始まるので、朝がた少し仕事をしましたが、一日をダラダラと終わらせないために、家には帰らず、首里城へ行くことにしました。火災以来、初めてです。



    ポカポカ陽気の中、木曳門から入って、

     

     

    西のアザナへ上がりました。

     

    ここからの眺望は那覇で一番だと私は思っています。何度来ても素晴らしい。

     

     

     

    西のアザナから京の内を抜けて、奉神門に出るあたりで、南殿・番所が見えました。

     

     

    写真を拡大しましょう。正殿は完全に焼失し、背後の淑順門や女官居室が見えてます。二本の龍柱は残ってました。

     

     

    こちらは、広福門を出た所から見た北殿。

     

     

    1986年以来続いた首里城整備事業は260億円を費やして、昨年完了しました。そのうち73億円分が焼失したことになります。

     

     

    火災以降、沖縄県民が悲しみに暮れているとか、心のよりどころを失ったなどと、繰り返し報道されました。そして、全国から集まった寄付や募金は10億円を超えました。

     

    「ちょっと待て」と言いたい。

     

    今、議論すべきは、首里城をいかに復興するかではなくて、何故、火災が起きてしまったかでしょう。

     

    出火原因が判明したとは聞いていないし、管理者である沖縄県知事が責任を取ったとも聞いていません。

     

    県民の心のよりどころを灰にし、国民に73億円もの損害を与えたのですから、ウヤムヤで終わらせては駄目ですよ。

     

     

    りゅうちぇる君。貴方は「悲しくて泣いちゃいました」と言うてたけど、学校の遠足やテレビのロケ以外で首里城に行ったことがあるの?

     

    正殿が燃えて「心のよりどころを失った」と言うてる人。首里城以外のグスクに正殿は無いけど、中城も勝連も今帰仁も、グスクは心のよりどころになってるじゃないですか。

     

    首里城の火災については、言いたいことが多いのよ(^^)

     

     

    首里城の無料区画は従来通り開放されていて、火災の影響はありません。

     

     

    もちろん、守礼門も健在です。



    観光客の皆様。「火事になったから、首里城へは行かない」なんて言わないで、考え直して下さいね。


    今帰仁グスクの石積み

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      今帰仁グスク、大庭(ウーミヤー)の石垣。

       

       

      この石垣をよく眺めると、少なくとも3世代の石積みがあることが分かります。石垣の根の部分の石積みとその上に古い石積み、さらにその上に新しい石積み。

       

      いずれも野面(のづら)積みではあっても、石積みのスタイルが明らかに異なります。例えば、古い石積みは目地にこだわらずに乱積みされていますが、新しい石積みは目地を水平方向に揃えようとしています。

       

       

      今帰仁グスクは2000年に世界遺産に登録され、その直後に大改修を行ないました。新しい石積みは、おそらくその時のもの。

       

       

      不細工だと思いませんか?。どうして古い石積みに揃えようとしないんでしょ。

       

      何かの理由があるのなら、是非それを知りたいし、特に理由が無いのなら、やりたいようにやったってこと。それならば、呆れるしかありません。

       

      もしかして、石積みの技術を持たない、そこらの業者にやらせんじゃあないでしょうね。

       

       

      野面積みは加工しない自然石を積み上げるもので、プロの石工技術者が積むと大変強固な石垣になり、素人が積むといとも簡単に崩れてしまうとのこと。

       

      こちらは一昨年の台風で崩落した城壁です。

       

       

      「プロに頼んだんでしょうね」

       

      と言いたい。

       

       

      単なる観光施設ならともかく、今帰仁グスクは600年続いたグスクで、その歴史が郷土の誇りのはず。それをたったの15年で崩してしまって(^^)

       

      御先祖様に顔向けできないとはこのこと。「なめてんのか」と叱られますよ。


      今帰仁グスクが地味な理由

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        前回に引き続き、今帰仁グスクの志慶真門(シジマジョウ)郭です。

         

         

        地面に杭が打たれている場所が家臣の住居跡で、復元模型ではこのように。

         

         

        それらしくは見えますが、何しろ資料不足。きっと何かが違うんでしょうね。奥の志慶真門の形状もしかり。

         

         

        今帰仁グスクは首里城に匹敵する規模を誇りますが、世界遺産に登録されたグスク(首里、中城、勝連、座喜味、今帰仁)の中では存在感がイマイチ。

         

        それはグスクに纏わる物語が少ないからではないかと思います。国王の攀安知や家臣の本部平原が北山の主役ではありますが、名前が知られてるとは言えません。

         

        その他のグスクには、主役に護佐丸と阿麻和利がいて、脇役に百十踏揚、大城賢勇、金丸、尚泰久。これではちょっと勝負になりません(^^)

         

         

        今帰仁グスクに纏わる歴史的な事件と言えば、北山王国の終焉(1416年)と、島津藩による琉球侵攻(1609年)でしょう。

         

        1416年。今帰仁グスク落城の大きな要因となったのが、家臣本部平原の裏切りでした。さて、本部平原の行為は善なのか悪なのか。

         

        今帰仁グスク正面には尚巴志が陣取り、志慶真門には護佐丸。このシーンが今帰仁グスクの歴史的ハイライトではないかと思います。

         

        護佐丸の曽祖父は今帰仁グスクの元城主で、攀安知の祖父に討たれています。護佐丸にとっては敵討ちの戦いでもあったんですね。

         

         

        今帰仁グスク落城の時、攀安知に仕えていた乙樽(絶世の美女)は生後間もない世継ぎの子を背負って、東の山へ逃げました。

         

        ウチナーグチで背負うはウッパ。それ以来、その山はウッパ山と呼ばれるようになったと。本当か?(笑)

         

        では、ウッパ山からの眺望をお楽しみ下さい。最初に見えてる丸い島は古宇利島です。

         


        今帰仁グスク「志慶真門郭」

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          今帰仁グスクの交流センター前に置かれているグスクの模型です。

           

           

          7つの郭を持つ大規模なグスクですから、グスクに入る前に、この模型を頭に入れておくと良いでしょう。

           

           

          反対側からも見ましょう。

           

           

          主郭裏側の断崖絶壁の更に外側にも城壁が築かれていて、グスクの守りをより強固なものにしています。

           

          手前の門がグスクの裏門にあたる志慶真門(シジマジョウ)。城壁の内側が志慶真門郭です。

           

           

          主郭から見下ろした志慶真門郭。杭が並んでいる場所からは、家臣らの住居跡が発掘されたとのことです。

           

           

          志慶真門郭から見上げた主郭。

           

           

          今帰仁グスクの撮影ポイントは御内原(ウーチバル)から見下ろした大隅(ウーシミ)の城壁が定番ですが、城壁に囲まれた志慶真門郭も良い撮影ポイントだと思います。

           

           


          尚巴志が今帰仁グスクを攻めた時の北山王は攀安知(ハンアンチ)。難攻不落のグスクを攻めあぐねた尚巴志は、北山軍大将の本部平原(モトブタイハラ)を寝返らせ、志慶真門から兵をグスク内に送り込みました。

           

          こちらが志慶真門跡。

           

           

          この門から真っ先に突入してきたのが、若き日の護佐丸だったと言われています。

           

          護佐丸は首里軍の大将格でしたし、北山王国崩壊後の北山守護職に就きましたから、今帰仁グスク攻略に貢献したことは間違い無いでしょう。

           

          そして、今帰仁グスクに真っ先に突入したのが護佐丸であって欲しいと思う護佐丸ファンは多いはず。


          だったら、先頭は護佐丸でいいんじゃないでしょうか(笑)


          安慶名の按司はどう考えたのか(2)

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            兵糧攻めにあったグスクは、将棋に例えれば「詰み」の状態にあり、頭を下げて投了する局面です。そこから長考する(籠城する)ことに意味はありません。

             

            安慶名の按司が天変地異(天願川が氾濫するとか、神風が吹くとか)を期待して籠城したのなら、それはリーダー失格と言うほか無いでしょう。

             

             

            話は逸れますが、先の大戦で南方からの補給路を断たれた日本が、何故、沖縄で戦争を続けたのか。本土決戦に備えたなどと言われていますが、あの時、何らかの備えができたものか、甚だ疑問です。

             

            籠城して時間を稼ぐことに意味があるのは、援軍が期待できる場合に限られるでしょう。しかし、首里王府に背いてまで、安慶名の按司を助けようとする按司はいなかったはず。大戦における日本の立場も同じです。

             

             

            首里軍は安慶名グスクの水の供給路を断ったとされていますが、私が思うに、派兵したかどうかも疑わしい。安慶名の按司に「グスクには井戸が無いそうだね」と言うだけで、按司は忠誠を誓うほかなかったと思いますからね。グスクに井戸が無いのは、それほどに致命的でした。

             

             

            話は変わりますが、安慶名グスクの城壁に奇妙な穴が開いてます。

             

             

            拡大してみましょう。

             

             

             

            この穴の深さは城壁の厚さと同じですから、銃を撃ったり、矢を射ることはできません。歴史家の調査で、この穴が真東を向いていることが分かり、玉城グスクの城門のように、宗教的な意味を持つものではないかとされています。

             

            つまり、よくわからないと(笑)

             

             

            安慶名の按司が、直ちに降参したのか、何らかの意図を持って籠城したのかも、よくわかっていません。

             

            しかし、わからないからこそ色々なことを想像できるし、それを論破されることもありません。楽しいじゃないですか(笑)

             

            何もかも分かってしまうのは、いかがなものかと思いますよ。

             

            安慶名グスクを訪ねることがあれば、城壁の上に立ち、按司になったつもりで「う〜む」と腕組みをしてみて下さい(^^)


            安慶名の按司はどう考えたのか(1)

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              先日投稿した安慶名グスクについてもう少し。

               

              難攻不落の安慶名グスク。その自信があってか、安慶名の按司は首里王府に対して従順ではありませんでした。

               

              一方、首里王府は中央集権体制を確立するために、安慶名の按司を服従させる必要がありました。

               

               

              岩山と一体化した安慶名グスクの城壁を見上げると、攻める側にとって厳しい戦いになることが容易に予想できます。

               

              言い換えれば、そのためのグスク。兵力が劣っていたとしても、グスクの攻防ならば守る側が有利。攻める側の戦意を萎えさせることがでれば勝ちです。

               

               

              安慶名グスクの水源はグスク北側を流れる天願川。当時は「大川」と呼ばれた水量の多い川で、グスクが水不足に悩まされることはありませんでした。一方、グスク内には井戸が一本も無かったんです。岩山ですからね。

               

              それを知っていた首里王府は天願川南岸に兵を展開し、グスクへの水の供給路を断つ作戦をとりました。

               

               

              安慶名グスクの城壁から眺めた天願川。赤い屋根の建物は北岸ですから、川は目と鼻の先にあります。

               

               

              さて、水の供給路を断たれた安慶名の按司は、どう考えたのでしょう。

               

              グスクから兵を出して水の供給路を奪回することは良い作戦とは言えません。平地に降りてしまえば、条件は五分五分。兵力に勝る首里軍には敵わなかったでしょう。

               

              では、籠城したのか。

               

              ヤマトでは兵糧攻めにあった城が何ヶ月も籠城し、城内に餓死者が出るほど辛抱した例があります。それはいったい何のための辛抱だったのでしょう。

               

              (続く)


              兵糧攻めに屈した安慶名グスク

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                安慶名闘牛場から見上げた安慶名グスクの城壁です。

                 

                 

                安慶名グスクは天願川流域の岩山に築かれています。城壁は郭内と郭外を仕切ると言うよりは、岩山への登攀を阻止することが役目のように見えます。

                 

                その姿から連想する言葉は「難攻不落」。防御力の高いグスクだということが一目でわかります。

                 

                 

                郭内への進入路は一本だけです。急な石段を登り切った所にある岩の切れ目が城門。

                 

                 

                郭内から見た城門です。敵の侵入ルートはここだけということ。

                 

                 

                さもなくば、この城壁を登るか。

                 

                 

                自然の巨岩と巨岩の間を埋める城壁。ここを登って来るのは無理でしょう。

                 

                 

                 

                琉球統一以前の沖縄は群雄割拠の時代。そこへ各地の按司を束ねる強力な王が現れ、沖縄は三山時代を迎えました。

                 

                安慶名の按司は中山国に属してはいたものの、首里の言うことを聞かなかったようです。支配力を強めたい首里と反発する安慶名。やがて、首里の大軍が安慶名へ向かうことになりました。

                 

                 

                難攻不落の安慶名グスクを首里がどう攻略したのか?

                 

                ところが、安慶名グスクはあっけなく落城してしまいます。岩山に築かれた安慶名グスクには井戸が無かった。首里はそれを知っていたんですね。

                 

                首里軍は安慶名グスクと水源の天願川の間に駐留し、水の供給路を断ちました。

                 

                 

                ナイチでは秀吉が得意としていた「兵糧攻め」は食料を遮断するもので、城の攻略には数ヶ月を要しました。城内は飢餓状態になり、多くの兵が餓死したようです。

                 

                一方、安慶名グスクに無かったのは水。落城までそれほどの時間はかからなかったと思います。

                 

                 

                安慶名グスクの郭内から天願川方向に開ける眺望です。水を断たれた安慶名の按司は、どんな気持ちでここに立っていたんでしょう。

                 

                 

                 

                秀吉は城主の自決を条件に、兵の命を保証しました。そして、城主の自決を見届けた後、兵を皆殺しにしたんですね。

                 

                「酷いっ!!」って話ですが、金丸がクーデターに成功した後、第一尚氏の王族を根絶やしにしたことと発想は同じです。


                首里城炎上

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                  首里城が燃えてしまいました。

                   

                   

                  今朝はナイチの読者の皆さんから、お見舞いのメッセージをいただきまして、ありがとうございました。

                   

                   

                  今年、御内原の公開により城内の復元が完了し、次は円覚寺や中城御殿など、首里城周辺の整備を期待していた矢先に、肝心の正殿を失なってしまいました。北殿、南殿にも延焼したと報道されていますし、城門の櫓なども含めて、被害は甚大な様子です。

                   

                  復興費用は莫大な額になるでしょうし、重要な観光資源を失ったことによる経済的な損失は計り知れません。

                   

                   

                  火災が起きてしまったその日に、不謹慎かもしれませんが、それでも沖縄は大丈夫です。

                   

                  世界遺産に登録されているのは、正殿や城壁の基礎部分で、そこは石ですから燃えません。建物は再度建てられるし、展示されていたレプリカも同様です。

                   

                  また、首里城へ一度も行ったことが無いウチナーンチュは沢山いて、行ったことがあっても遠足で。「沖縄県民は悲しみに包まれた」、「心のよりどころを失った」などという報道はナイーブ過ぎると言えるでしょう。

                   

                  今朝は相棒のAが「デージなってるさ」と言うので、「生まれて一度も行ったことが無いくせに、お前が言うな」と言っておきました。

                   

                  だから、ナイチの皆さん。お葬式のような気持ちにならなくても大丈夫。首里城観光を予定していた方には申し訳ないことになりましたが、予定通り沖縄旅行を楽しんで下さい。

                   

                   

                  念のため付け加えますと、首里城は御嶽でもあり、拝みに来る人は沢山います。そして首里人の喪失感を他の地域の人達が共有することはできません。一般的な沖縄県民にとってどうなのかって話です。


                  西原集落の散歩(2)島添大里グスク跡

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                    ては、島添大里グスクの想像復元図を頭に入れて、グスクに入りましょう。

                     

                     

                    島添大里グスクには二重の城壁がありました。外側の城壁跡を入った所が外郭の平場。

                     

                     

                    外郭から内郭へ上ります。

                     

                     

                    内郭は手前が御庭(うなー)。右奥には正殿のあった下の平場。中央の高い所が拝所のあった上の平場です。

                     

                     

                    上の平場から下の平場を見下ろして、そこにあった正殿を想像してみました。

                     

                     

                    正殿跡の裏手は急峻な斜面で、外敵の侵入を防げます。グスクの立地としては理想的ですね。

                     

                     

                    グスクの城壁はほとんど残っていません。内郭と外郭の間の数ヶ所に石積みがありますが、これは各時代の事情で、右に寄せられ左に寄せられした結果。今の石積みがかつての城壁とは限りません。

                     

                    城壁を見るには、森の中などの採石が難しい場所を探すことになります。この石積みは城壁のようです。

                     

                     

                     

                    内郭の井戸は「スクナシカー」。底無しなんでしょうね、きっと(笑)

                     

                     

                    城壁のすぐ外にある井戸「チチンガー」。右手の石組みは拝所、左手の石段を降りた所に井戸があります。

                     

                     

                    階段を途中まで降りた所。

                     

                     

                    振り返れば、階段を保護している石積み。

                     

                     

                    立派な井戸です。

                     

                    この井戸が城壁の中にあれば便利だったでしょうが、不思議なことに城壁で囲むと水が止まり、元に戻すと再び水が湧いたそうです。

                     

                    それで「チチマランカー」と名付けられ、それが「チチンガー」の由来だと。真偽は知りませんが、納得感は抜群です。

                     

                    (続く)


                    西原集落の散歩(1)島添大里グスク物見台

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                       

                      久しぶりに南城市大里の西原集落を散歩しました。

                       

                      以前はヤギの保育園(あおぞらこども園)へ配達があったので、島添大里グスクへ寄り道して、お昼を食べたり休憩したりしてました。だから、なじみのある場所です。

                       

                       

                      こちらは島添大里グスクの想像復元図。

                       

                       

                      グスク正殿の左下に描かれた集落が西原。ナイチの城下町にあたります。グスク東側のミーグスクと西側のギリムイグスクに物見台があり、気持ちの良い眺望が開けています。ではさっそく、ミーグスク展望台からの眺望をお楽しみ下さい。

                       

                       

                      天候によっては海はより青く、久高島も津堅島もくっきりと見えます。まあ、皆さんがこの場所に立った時に、「うわぁ〜」と歓声を上げる余地を残す意味で、今日はこのくらいにしといたるかな(笑)

                       

                       

                      島添大里グスクは三山時代の南山王の居城でした。佐敷按司の尚巴志による三山統一の過程で落城しましたが、その後も首里城の離宮として使われ、戦前まではグスクの原形を留めていたはず。

                       

                      ところが、戦争中に日本軍の陣地を構築するために城壁が壊され、米軍に爆破され、戦後の復興期に石を持ち出され、グスクは酷い目にあいました。だから、世界遺産級のグスクでありながら、復元にはかなりの時間がかかりそうです。

                       

                       

                      ミーグスクの物見台に立つと、中山の首里、浦添、中城、勝連の各グスクを見渡せ、眼下には領内の与那原や馬天の港が望めます。理想的な物見台と言えるでしょう。


                      また、振り返れば那覇はもちろん、東シナ海のチービシや慶良間までの眺望が得られます。本島南部では標高ベスト5に入る場所だと思います。

                       

                      (続く)

                       

                       

                      私の長女が運営しているセレクトショップ「みちのたより」。大阪の京阪モールに店舗がありますが、全国各地の催事にも出店しているようです。

                       

                      先週、岡山一番街の催事会場に「沖縄の風景」の読者が来られたと、娘から報告がありました。わざわざ起こしいただいたのに娘が不在で失礼しました。

                       

                      今後とも、(父も娘も)どうかよろしくお願い致しますm(_ _)m


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                      念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
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