公事清明祭(クージヌシーミー)

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    沖縄は清明祭の季節です。

     

    先週、玉陵では尚家の清明祭が40年ぶりに、しかも琉球王朝時代の古式に則って行われたようです。

     

    途絶えていた清明祭を40年ではなく、140年前に遡って復活させるって、いったいどうしたのかと思ったら、その答えは伊是名島にあったんですね。

     

     

    伊是名島は第二尚氏の始祖である尚円王が生まれた島で、伊是名玉陵には尚円王の両親らが眠っています。

     

     

    琉球王朝の末期。琉球王府は伊是名島の銘苅家に公事清明祭を行うように命じ、什器などの道具一式と、清明祭の手順を記したマニュアルを与えました。そのマニュアルが「伊是名銘苅家文書(もんじょ)」。

     

    伊是名島ではその文書に従って、公事清明祭を行ってきました。

     

     

    清明祭にはつきものの重箱が見あたりませんが、元々重箱は弁当箱ですからね。公事清明祭では、一皿一皿に料理を盛り付けます。

     

    文書に記載された料理の種類と位置。一枚目が上の写真の左側。二枚目が右側です。

     

     

     

     国宝級の什器が使用されていたものの、痛みが激しく、最近は新しい什器に更新されたようです。

     

    先週、玉陵で行われた尚家の清明祭は、伊是名島の公事清明祭に習ったということ。これは、公事清明祭を引き継いできた伊是名島の皆さんと「伊是名銘苅家文書」のおかげです。

     

     

    何事も記録に残すことは大切ってことが良く分かるニュースでしたが、大切な記録を捨てたり改竄したりしても平気な男がヤマトにいますね。爪の垢を与えるのも惜しいので、伊是名の浜の砂でも食わせればどうでしょうね。


    うりずんの糸数グスク

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      暑い日が続いていた沖縄でしたが、今日は最高気温が20度ほどで、気持ちの良い一日でした。それはうりずんの気候。どこかに出かけたくなったので糸数グスクに向かいました。

       

      東側の頑丈な城壁と、

       

       

      その内側。

       

       

      城壁を登って来る敵兵を、この出っ張りから左右方向に撃ちます。

       

      そして、城壁内側を兵が移動するための武者走り。

       

       

      大手門から城内に入りましょう。

       

       

      城門の切石積みが厚いこと。

       

       

      城内に入り、城廓のあった場所から東側の城壁を見上げます。

       

       

      そうなんです。自然の絶壁により防御に優れた西側に比べて、東側は城内が城外より低く、グスクの大きな欠点でした。そのため、糸数按司は東側に頑丈な城壁を築いたんですね。

       

       

      糸数グスクを攻めた上間按司の兵は東側の城壁を登ることはせず、空気が乾燥し、東風の強い日に火を放ちました。

       

      糸数グスク陥落にまつわる二つのお話(2) 

       

      高い位置から次々に投げ込まれた火により城廓は燃え上がり、糸数グスクはあっけなく落城してしまいます。

       

      最近の調査で東側の城壁をより頑丈にするための工事跡が見つかりました。それは糸数按司の「怯え」の表れでもありました。城壁のはるか上空を飛んで来る火を見た時に、糸数按司は落城を覚悟したことでしょう。

       

      この城壁を「あだ花」と呼んでしまうのは失礼でしょうが、「実を結ぶことなく、はかなく散り去る花」と言われれば、その通りに思えます。


      首里城から延びる道(9) 国頭・中頭方西海道1

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        首里城を起点とする五本の宿道を歩く。三本目は国頭・中頭方西海道です。

        (国頭・中頭方西海道)
        久慶門、龍淵橋、松崎馬場、当蔵カジマヤー、安谷川御嶽、平良橋


        スタートは久慶門。



        美しい御門です。左右の城壁が羽根を広げたように見え、その姿に胸がすく思いがします。

        いや、実に美しい。


        円鑑池(えんかんち)に沿って、龍潭に下ります。

        円鑑池の天女橋(てんにょばし)と、

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        龍潭への水路に架かる龍淵橋(りゅうえんきょう)。



        かつて、国内最古の石造アーチ橋は長崎眼鏡橋(1634年架橋)でしたが、琉球が日本に併合された日から、最古の石造アーチ橋は天女橋と龍淵橋になりました。

        二つの橋が同時に造られたのは1502年。長崎眼鏡橋の架橋より130年も前のことでした。


        龍淵橋をアップで撮りました。



        アーチを構成する石材を迫石(せりいし)と呼びますが、龍淵橋の迫石は左右に一つずつ。アーチの頂点が迫石の接点となる合掌形です。

        これはつまり、グスクの城門。いくつもの迫石を半円形に積み、アーチ頂点に楔石を打ち込む形式とは異なります。



        「じゅあ、楔形の石造アーチ橋では長崎眼鏡橋が最古じゃん。やっぱ、石造アーチ橋と言えば楔形でしょ。」

        と言いたいでしょうが、国内最古の楔形石造アーチ橋は浦添の安波茶橋。架橋は1597年のことでした。

        20110414220017_0.jpg

        フッフッフ。

        まあ、どっからでもかかって来なさい(笑)


        この時代、文化の流れはすべからく西から東。長崎眼鏡橋が大和の西端にあることは偶然ではありません。

        国頭・中頭方西海道を歩けば、歴史的石造アーチ橋トップ3を体感できます。


        さて私は、龍潭東岸を歩きたいのですが、遊歩道が通行止め。仕方ないので西岸を歩きます。



        龍潭の東岸から突き出た小さな半島には松が植えられ、松崎と名付けられました。



        冊封使を歓待する爬龍船競漕の際には、ここに桟敷き席が用意され、その後方には松崎馬場がありました。


        龍潭をぐるっと周り、龍潭通り側から馬場跡へ入ろうとしましたが、県立芸大の敷地ってことで通行止め。門の位置から写真に撮りました。



        松崎馬場は私の位置から、写真左奥の森に向かって延びていたようです。石垣が見えているので、あそこまで行ってみたいのに、「関係者以外おことわり」って貴方。芸大は松崎馬場の関係者なんでしょうか。

        松崎馬場は、石灰岩を細かく砕いて舗装され硬く締まっていたそうで、今も当時のまま地中に眠っています。

        そのうち馬場が復興されるでしょうから、馬場と関係の無い芸大は、この門を後ろに下げなさい。


        宿道は首里城を出て龍潭通りに出ました。当蔵カジマヤーと呼ばれる交差点です。

        (続く)


        首里城から延びる道(4) 真珠道3

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          真珠道について2本の投稿をしながら、まだ私は首里城の中。この調子では真珠道だけで年が明けてしまいます。

          私は随分前に真珠道のマップを作成し、投稿しました。



          そして、真珠道を幾つかのパートに分けて紹介しています。沖縄に来て間もない時期で内容の薄さは否めませんが、真珠道の基礎コースにはなっているでしょう。

          真珠道を歩く(1) 金城橋〜識名坂
          20110224162652_0.jpg

          真珠道を歩く(2) 真玉橋〜石火矢橋
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          真珠道を歩く(3) 識名坂上〜識名宮
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          真珠道を歩く(4) 山下南〜小禄
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          真珠道を歩く(5) 首里城〜赤マルソー通り
          20110807161127_0.jpg


          その後、冒頭のマップを読者から求められ、拡大版を投稿しています。

          真珠道マップをどうぞ

          このマップは、石火矢橋から小禄までのルートが欠落していますが、後にわかりましたので、ここで追記します。



          石火矢橋を渡った真珠道は、豊見城グスクを迂回するルートと城内を抜けるルートに分かれていたんですね。

          当時の豊見城グスクは機能していて、必要があれば城内に入り、屋良座森グスクに直行する場合は迂回したようです。


          それにしても豊見城グスクは立派なグスクだったようです。広い敷地と三層の城壁。城門は北と南に2ヶ所と、城内に一つ。次の写真は城内の門だそうです(今は無い)。



          城壁の一部は残っているそうですが、私有地のため城内には入れません。

          いや、入れます(笑)

          城内の御嶽で拝みをする人は出入りできるそうですからね。

          だから私が、

          「拝んできましょ〜ね」

          と言えればいいわけです。

          最近、「あんたもウチナーンチュみたいな顔つきになってきたね」と言われることが増えましたが、半分はお愛想。

          私の「拝んできましょ〜ね」は通用しないのですよ。たぶん。

          (真珠道は終わり)


          首里城から延びる道(3) 真珠道2

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            坂本万七写真集「沖縄・昭和10年代」に収録されている守礼門です。



            坂本万七さんは戦前の「沖縄の風景」を数多くの写真に収めています。

            真玉橋(まだんばし)

            __.JPG

            石火矢橋(いしびゃーし)

            20110226124912_0.jpg

            いずれも真珠道の通る橋です。


            先ほどの守礼門の写真に戻ります。

            守礼門の先の右手に見える石造物を石門(いしじょう)と呼びました。今はありません。



            そこが真珠道の起点です。


            今朝の守礼門です。



            緑色のカバーが施された正方形のスペースに、戦前まで、真珠湊碑文がありました。



            碑文は石室の中にあり、石室の開口部は右を向いていました。その左手に2メートルほどの間を空けて同じような石室があり、そこに国王頌徳碑文がありました。その石室の開口部は左。

            すると、二つの石室の壁が並ぶことになり、それが石門のように見えたんですね。

            真珠道は二つの石室の間に挟まれた石段を上ることで始まったのでした。


            次の写真は綾門大道(あやじょううふみち)の発掘調査を行っているところ。二枚上の写真と同じアングルで、奥に守礼門が見えます。



            真珠湊碑文のあった場所(左上)で男性が作業しています。

            守礼門に向かう綾門大道と排水溝がわかりますね。その排水溝を跨いで左手に向かう石畳道が1メートルほど露出しています。

            嗚呼、おいたわしや。真珠道の起点です。

            「もっと左手に掘り進みなさい!!」と言いたい(笑)

            やはり、本物の首里城は地中に埋まっているんですねぇ。


            真珠道(地中ですが)を少し進むと、島添ビラ(シマシービラ)の入口があります。



            今は、この場所が真珠道の起点と思われていますね。

            そこから守礼門方向を振り返ります。



            この車道の歩道部分が、概ね、真珠道と重なっていると考えて良いでしょう。


            話は変わりますが、この車道は守礼門の後ろや円覚寺の前を抜けて、龍潭通りに繋がっています。以前は車で通り抜けることができました。

            首里城を車から見える場所は案外少なく、龍潭の脇から数秒見える程度です。首里城をゆっくり歩く時間が無い観光客にとって、先ほどの車道は便利でした。夜は首里城のライトアップが美しく「まあ素敵」と喜んでいただけたものです。

            ところが、数年前から通行止めになってしまいました。そもそも首里城に無かった車道を造っておきながら、今度はそれを通行止めにする。

            「何しとんねんっ!!」

            と言いたい。

            通行止めにした理由は知りませんが、交通整理が面倒くさくなったのではないかと思います。そんなことなら、最初から造らなけりゃあいいのに。

            「真珠道を元どおりに戻せ!!」

            と言いたい。


            真珠湊碑文と国王頌徳碑文のレプリカを本来の位置に戻す予定があるそうですから、その時は車道を無くして、真珠道を掘り返していただきたい。

            ボロクソに言っておきながらではありますが、何卒、よろしくお願い致します。m(__)m


            首里城から延びる道(2) 真珠道1

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              首里城を起点とする五本の宿道を歩く。最初は真珠道です。

              (真珠道)
              真珠湊碑文、島添ビラ、金城町石畳、金城橋


              真珠道の起点は真珠湊碑文(まだまみなとひもん)。沖縄戦で失われましたが、首里城の首里杜館(すいむいかん)前の公園にレプリカがあります。



              左手が国王頌徳碑文(こくおうしょうとくひもん)。

              「首里おきやかもいかなしの御代に、ミやこよりち金丸ミこしミ玉のわたり申候時にたて申候ひのもん」

              第二尚氏王統の第三代国王尚真の神名が於義也嘉茂慧(おぎやかもい)。加那志(かなし)は様ですね。宮古島から(宝剣)治金丸と真珠が献上された際に建てられた碑文とあります。

              そこには、尚真王が立派な王だということが記してあります。

              何が立派かと言うと、それまでの王は、自分が死んだ時に家臣を同道させていたが、尚真王はそれを禁止させたと。

              同道って、グソー(あの世)に同道させるってことです。

              うぇ〜!!

              無茶苦茶しますねぇ。

              尚真王はそれを「非道の義」と見なしたと。

              そりゃそうでしょ。

              ところで、同道させる家臣はどうやって選ばれたのか。

              王の言うことを良く聞いて、真面目に仕事をした家臣が選ばれたのか。王の言うことをまったく聞かず、「こいつは生かしておいても役に立たんな」と思われた家臣が選ばれたのか。

              真面目にやってもやらなくても殺されたってことじゃないですか。_| ̄|◯

              それは非道と言うより、極悪非道。よくもまあと思ったら、この碑文には「男女とも競いすすんで同道し、その数二、三十人に及ぶ」と記されています。

              「本当かっ!!」と言いたい。


              呆れかえりますが、気を取り直して真珠湊碑文に進みましょう。





              「首里の王、おきやかもいかなし天のみ御ミ事に、ま玉ミなとのミちつくり、はしわたし申候時のひのもん」

              尚真様のご命令により、真玉湊の道をつくり、橋を渡した時の碑文とあります。

              有事の際はこの道を通り那覇港を守れと。


              さて、国王頌徳碑文と真珠湊碑文のレプリカは首里杜館(つまり駐車場の上)前の芝地にありますが、そこが真珠道の起点のはずがありません。

              真珠道の起点を守礼門の近くで見つけました。

              (続く)


              首里城から延びる道(1) 琉球惣絵図

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                琉球惣絵図は18世紀後半に作成された、沖縄本島ならびに周辺離島の地図です。



                各間切が色分けされている上、主要な集落、建築物、河川、井泉などの名称が書き込まれています。

                また、道路が白く塗られているため、首里城を起点とした宿道のネットワークが一目でわかります。

                も〜、いつまでも眺めていたい(笑)


                こうした宿道は18世紀初頭には整備されていたと思われ、18世紀前半の蔡温による検地(乾隆検地)で精密に測量されています。

                琉球惣絵図は乾隆検地の情報に新たな情報を加えて色付けをしたもので、琉球王朝を知る上で第一級の資料と言えます。


                琉球惣絵図は幾つかの間切をまとめて描かれていて、全部で25枚あったと推定されています。そのうち現存するものは、わずかに6枚。2001年に米国で見つかりました。

                残る19枚も米国の何処かにあるんじゃないかと思いますね。

                「早く返せ!!」と言いたい。

                て言うか、

                「勝手に持ってくな!!」と言いたい。


                現存する6枚に描かれている間切は以下の通りで、冒頭の写真が(1)です。

                (1)首里、那覇、真和志、小禄、南風原、豊見城

                (2)兼城、高嶺、真壁、喜屋武、摩文仁、東風平、具志頭

                (3)大里、佐敷、知念、玉城

                (4)浦添、宜野湾、西原、中城

                (5)北谷、越来

                (6)国頭西半分


                琉球惣絵図によると、首里城から各方面に延びる宿道は次の5本です。主要な経由地を書きましたが、全部は書ききれないので、首里近辺に限りました。宿道はその先も続いています。

                (1)真珠道
                真珠湊碑文、島添ビラ、金城町石畳、金城橋、識名坂

                (2)島尻方西海道
                久慶門、守礼門、綾門大道、中山門、茶湯崎橋、安里橋、長虹堤

                (3)島尻方東海道
                継世門、崎山馬場、下川原橋、ウフジョービラ

                (4)国頭・中頭方西海道
                久慶門、龍淵橋、松崎馬場、当蔵カジマヤー、安谷川御嶽、平良橋

                (5)国頭・中頭方東海道
                歓会門、円覚寺南側、天王寺東側、読谷山御殿西側、久場川ビラ


                宿道ではないものの、魅力的な古道がもう一本あります。それはハンタ道。首里城から弁ヶ岳を抜け、中城グスクに延びています。


                「5本+1。全部歩くつもりか?」と問われれば、その通り。ただし、首里を出るあたりまでね(笑)

                もちろん、新しい道路や宅地により、宿道はあちこちで寸断されています。道を辿れない時は、現代の都市開発に憎しみを覚えます。

                一方で、新しい道路や宅地をマスキングと考えれば、宿道の経路を推測する楽しみが生まれます。途中で途絶えた宿道が離れた場所で復活し、それを発見した時のヨロコビ。

                どうなんですかね。この屈折した、憎しみとヨロコビの調和(笑)


                西原町幸地の刻時森(3) 首里城日影台

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                  刻時森で1年8ヶ月を要した古波津里恒の測定は完了し、首里城の漏刻門近くに日影台(にちえいだい)が設置されました。



                  日影台が太陽の南中を示すと、里恒の採取した測定値によって時刻が補正され、補正後の時刻が漏刻(水時計)に与えられました。

                  もっとも、漏刻の誤差は日に数十秒といったところでしたから、日時計による時刻の補正を毎日行う必要はなく、24節季のタイミング、つまり約2週間に1度行われたと言われています。


                  こうして琉球王府は、正確な時刻を手に入れることができました。所定の時刻になると、首里城で漏刻を担当する役人が太鼓をたたき、東西のアザナで鐘が鳴らされたそうです。

                  里恒の苦労が報われましたが、前述の通り、太陽の南中時刻のブレは最大で16分30秒です。

                  う〜む。そのくらいはいいじゃんって気もします。

                  昔のウチナーンチュは時間にうるさかったってことですかね。今と違って(笑)


                  8時からの飲み会に9時、10時に平気な顔で現れるウチナーンチュの時間感覚をウチナータイムと言いますね。

                  それに比べたら、16分30秒なんて。ねぇ。


                  まあ、多少、ウチナーンチュの味方をすると、誰もが飲み会は8時からだとわかってはいるんです。

                  そこでAさんは「おっ、8時だ。ヤッベェ急がないと。」と思い、

                  Bさんは「おっ、8時だ。そろそろ出かけるか。」と思い、

                  Cさんは「おっ、8時だ。そろそろシャワーをするか。」と思う。

                  これは、それぞれの行動規範なのでありまして、時間にルーズっていうことではありません。

                  あんまり、味方になってない?

                  そうですか(笑)

                  (終わり)


                  西原町幸地の刻時森(2) 刻時森

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                    さて、この小さな山が刻時森(ククジムイ)です。アドベンチストメディカルセンターの駐車場から撮りました。



                    漏刻(水時計)の誤差を補正するために、琉球王府は日時計の開発に着手しました。国王は第13代尚敬(1700-1751)、三司官は蔡温(1682-1762)の時代です。

                    それを任されたのは、数学者の古波津里恒(こはつ りこう:1663-1753)でした。


                    太陽の南中時刻は日によって異なります。日時計が正午を示していても、実際の時刻は、例えば11月3日なら16分30秒進んでいて、2月13日なら14分30秒遅れているそうです。里恒が知りたかった数学です。

                    これは、地球が太陽を周回する軌道が楕円であることと、周回速度が変化することによります。

                    そのため、少なくとも一年間は継続して、太陽の南中時刻を測定する必要がありました。幸地の丘陵地の上にポコッと突き出た刻時森は、周囲に障害物が無く、たいへん都合が良かったのです。


                    刻時森に登るには、しま模様のタンクを目指します。



                    長い階段の先がフェンスで遮られているかのように見えますが、大丈夫。

                    階段を登りきった後、フェンスに沿って歩きます。



                    この時点でこの眺望。北谷の海や読谷が見えます。



                    フェンス沿いに歩き終わると、刻時森の入口があります。



                    登ります。



                    登ります。




                    おお、頂上が見えてきました。



                    頂上には3m四方の平地があると聞いていましたが、

                    ありました。




                    この場所で、古波津里恒が太陽の南中時刻の測定を続けたのは1740年のことでした。

                    抜群の能力の持ち主だったようですが、それにしても苦労の連続だったと思います。また、日照時間が短い沖縄で、肝心な時に太陽が出ないってこともあったでしょう。


                    刻時森の頂上まで、病院駐車場から10分もかかりません。樹木が邪魔をして眺望は今ひとつですが、正面に首里城が見えます。



                    (続く)


                    西原町幸地の刻時森(1) 首里城漏刻門

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                      先日、西原町の幸地グスクを訪ねた時に、グスクから延びるハンタ道の先に小さな森が見えました。



                      その森は刻時森(ククジムイ)と呼ばれています。

                      「はっはぁん。時を刻むんやな。」

                      ってまんまじゃないですか。


                      琉球王朝時代の時計は中国から伝わった水時計でした。その水時計を漏刻(ろうこく)と呼びます。



                      複数の水桶をパイプでつなぎ、先頭の水海に水を溜めます。水桶がいくつもあるのは、水海への流入量を一定にするためです。

                      で、水海の水位上昇に伴ってオヤジの人形が浮上し、時刻を指差すと。

                      う〜む。オヤジの人形に仕事をさせるところが、いかにも中国な気がします。


                      ところが、この漏刻では時間の長さは測れても時刻はわかりません。つまり、ストップウォッチと同じ。ストップウォッチで時刻を知るには、起点となる時刻が必要ですね。

                      「はっはぁん。首里城に漏刻門ってのがあって、その奥のテラスに日時計があったけど、それかっ!!」



                      正解です。



                      漏刻は首里城漏刻門の櫓の中に設置されていたそうです。あの櫓の中でチャイニーズなオヤジが浮いたり沈んだりしていたんでしょう(笑)


                      つまり、漏刻だけでは誤差が拡大するので、日時計で正午を測り、それで漏刻の起点となる時刻をセットしたということ。

                      で、刻時森の話に続きます。

                      (続く)


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                      念願の沖縄生活を始めて8年になりました。
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