日常・家族・ヒロシマ

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    先日、NHKで放送された映画「この世界の片隅に」

     

     

    こちらを振り向いた主人公のすずさん。皆さんの家族の一人が、こんな風に振り向いたシーンを覚えてませんか?。「そこで何しとるん?」と声をかけた時に。

     

     

    ウチナーグチのウチアタイは「思い当たる」を意味し、そこに「後ろめたさ」や「恥ずかしさ」といったニュアンスが加わります。私はこの言葉が持つウチナーフィーリングが好きです。ウチ(内面に)アタイ(当たる)。

     

    この映画は全編にわたって、すずさんの日常が描かれています。その日常の一コマ一コマが私の内面に当たるんですよ(後ろめたさや恥ずかしさは横に置くとして)。

     

     

    すずさんのファンになった人達が、呉のロケ地を歩くことを「聖地巡礼」と呼ぶそうです。

     

     

    すずさんが暮らした場所に立った時、映画で感じた以上に、内面に当たるものがあるのだと思います。言い換えれば、すずさんの日常を他人事とは思えなくなっているということ。それは、家族と過ごした懐かしい日常の記憶と、深く関わっている気がします。

     

     

    私がジャパニーズビジネスマンだった頃の話。海外へ出張し、仕事を終えた後の懇親会で、私の出生地が広島だと自己紹介することにしてました。もちろん、それを聞いた人達の反応を知りたい気持ちがあって。

     

    その反応は、アジアでも米国でもヨーロッパでも変わりはありませんでした。まず、驚いた顔で「あのヒロシマなのか」と。そして、痛ましい出来事を思い浮かべた時の表情をしました。

     

    私が海外で共に仕事をした人達の全員が「ヒロシマ」を知っていました。そして、米国が落とした日本が落とされたみたいな話ではなく、原爆の投下を人類史における最も悲惨な出来事の一つと捉えているようでした。

     

    映画「この世界の片隅に」は既に60以上の国々で上映され、高い評価を得ているようです。それはすずさんの日常が、世界の人々の内面にも当たるからでしょう。

     

     

    呉から見えた原爆雲です。この時9歳の母は、山の向こうにこの雲を見たと話してました。

     

     

    この年の10年後に母は嫁ぎ、その2年後に私が生まれました。今年で母は84歳。すずさんは生きていれば94歳です。

     

     

    今日は原爆の日。犠牲者を追悼すると共に、今も呉で暮らす母や妹、亡くなった祖父母や父と、共に過ごした懐かしい日常を思い出す日にしたいと思います。

     

     

    母はまだまだ元気で長生きをしてくれそうですが、いったい私はあと何度、顔を合わせることができるのか。それを考えた時、ひょっとしたら片手で足りてしまうのではないかと。それで今、ちょっとうろたえてます。


    京阪シティモール「みちのたより」

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      7年前に長女が心斎橋で始めたセレクトショップ「みちのたより」。

       

      この春、天満橋の京阪シティモール(B1F)に店舗を移したので、見学に来ました。

       

       

      店主らしい佇まいで立っているのが、ウチの長女です。美緒さん。

       

       

      店舗の開設が急に決まったことから、売場はいまだに催事仕様。これから店舗らしく改装するそうです。

       

       

      全国を車で周って仕入れをするので、長女の車は走行36万キロ。道路が繋がってない沖縄には来てません。そう言えば、日本地図に沖縄が無い(^^)

       

       

      この日、店頭に並んでいたのは栃木の温泉パン。

       

       

       

      四万十のタマネギドレッシングから、

       

       

      青森のリンゴジュースから。

       

       

      京阪シティモールは大阪の都心にあり、客層は良いようです。本物の富裕層は昔から都心に住んでいて、まとめ買いをしてくれると。

       

      京阪シティモール「みちのたより」 

       

      そして、お隣が成城石井。

       

       

      店舗と併行して、今月は神戸、来月は神戸と石巻で、ショッピングモールの催事に出店するそうで、商売はそれなりに順調な様子でした。

       

       

      この後、長女の車で新大阪駅に移動し、3日間を共に過ごした家族は再び解散。次女は東京へ向かい、私は頼まれていたチーズケーキを買って、伊丹空港へ向かいました。

       

       

       

      私の家族は義母を含めて5人。私以外は女性です。

       

      一昨日、大阪へ戻ったら、集合場所が弁天町駅前の巨大な風呂屋。昨日は高速バスに乗って淡路島の温泉ホテルへ日帰りツアー。

       

      どうしてあんなに風呂に浸かってられるのか不思議です。世の中には水が苦手な生き物もいるのでね。それを無理矢理に沼へ引きずり込むようなマネをしてはいけません(^^)


      「みちのたより」が京阪モールで店舗開設

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        私の長女がやってるセレクトショップ「みちのたより」が、大阪京橋の京阪シティモールで店舗を開設しました。

         

         

        次の写真は、同じく京阪シティモールで開催された催事の様子。2週間ほど前、読者のikokaさんが送ってくれました。毎度のお買い上げありがとうございますm(_ _)m

         

         

         

        全国の道の駅で見つけた商品を仕入れて、通販ショップを始めたのは2011年のことでした。そしてその翌年に大阪南船場で店舗を開設。

         

         

        以降、長女は店舗販売と併行して、各地のモールで開催される催事に出店することを繰り返していました。やがて扱い量が増え、倉庫が狭い南船場の店舗では業態に合わなくてなってきたようです。

         

        そうこうしてるうちに、店舗は閉めて催事に専念することに。

         

        「それじゃあ、テキ屋じゃん」

         

         

        と、お父さんは静かに思いましたが、店舗でお客さんを待つスタイルより、長女の性分に合ってたんでしょう。

         

        そして、催事に度々参加させていただいていた京阪シティモールから店舗の開設を持ちかけられ、それに応じたようです。

         

        地下一階にある店舗スペースは、看板をかけた以外はまるで常設展フージー(^^)。時間をかけ、お金はかけず、店舗らしく改装するつもりのようです。

         

         

        家族でお祝いを送ろうということになり、東京に住む次女が花を選んでくれました。ポストの色と似てますね。

         

         

        このポストは南船場の店舗前に置いてあったもの。赤いままだと郵便物を投函されてしまうので、緑のペンキを塗ったそうです(^^)

         

         

        過去の投稿はこちらから(^^)/

         

        娘が始めた通販ショップ「みちのたより」 

        娘が開いたショップ「みちのたより」 

        毎日放送「ポテトな時間」 

        「みちのたより」もうすぐ開店一周年 

        検索キーワードでわかったこと 

        「みちのたより」開店2周年 

        「みかんジュース」と「わさびごまだれ」


        母ちゃんの茶色い弁当

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          朝の仕入れが終わり、領収書を集計してみると予定額と微妙に違います。そこで領収書をチェックしてみると、コンニャク屋のオバハンが切コンニャクを糸コンニャクの単価で計算してました。損してるやないの(笑)

           

          いつもならこんなことは後回しですが、知念精肉店に注文していた春巻の皮が未入荷だったので、それをコンニャク屋で待つことにしました。隣りなんで。

           

           

          レシートを再発行して、差額を返金してもらうだけのはずが、コンニャク屋のオバハンは、

           

          「まず、糸コンニャクの代金を返しました。はい、これ」

           

          「そっから、切コンニャクの代金を貰って。と思ったら、丁度にならないからお釣りが、え〜っと、いくらになる?」

           

          とやり始めたので、それは相手にせず、オバハンが読んでいた雑誌を手に取りました。

           

          レタスクラブ2018年12月号

           

          初めて見るレシピ本で、今月の特集は「茶色い極上おかず」

           

          おおっ、表紙を飾るのはラフテーか?。美味しそうやないの。と思ったら「豚バラのコックリ煮」ですって。

           

          「こっくり」

          色などが、じみに落ち着いて上品なさま。食物にうまみがあって味わいが深いさま。

           

          ふ〜ん。それがこっくりなのね。何でかね(笑)

           

          こっくりだれっていうのがあるそうで、材料はおろしニンニクと梅酒と醤油。それを、三枚肉、長ネギ、ゆで卵にからめてコトコト煮ると。

           

          美味しそうやないの(笑)

           

          他にも、豚のハチミツ生姜焼きとか、ナスと挽肉の味噌炒めとか、ページをめくるたびに、「おおっ」となるような茶色い料理が次々と。コンニャクのお金はいらんから、この本をくれんかな(笑)

           

           

          子供の頃、ウチの母ちゃんが作る弁当がど〜も茶色いことに気づき、「友達の弁当のように、赤や黄色の弁当にしてぇや」と頼んだことがありました。

           

          ところが、この母ちゃんはそれを一向に改めようとせず、弁当のフタを開けるたびにまた茶色。私は深くため息をついたのでした。

           

          「あんねぇ。友達の弁当のように、これはウィンナー、これは卵焼きってわかるようにしてぇや。母ちゃんのオカズはみな同じ色じゃけえ、何か分からんのよ」

           

          と再び抗議したものの、また同じ(笑)

           

           

          広島の実家に帰る時は、母ちゃんから「何が食べたいんね?」と必ず連絡があります。そこで私がリクエストする料理は、これが茶色いものばかり(笑)

           

          飼い慣らされるってのは恐ろしいもので、今や私は、母ちゃんの茶色い料理を「他では絶対に食べることができない味」と確信してるのでした(笑)


          娘からのギフト

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            クリスマスイブでも、天皇誕生日でも、保育園が休みでも、某青果店は営業日。いつもより遅い7時に出勤して、3時間ほど仕事をしてきました。

             

            ウチに帰ってグダグダしてたら、Amazonからギフトが届き、差出人は次女(25)。開けてみると「クッション?マッサージャー?」だそうで(笑)

             

             

            クッションかな〜と思って油断していると、いきなりグリグリやってくれるみたいです。

             

             

            お嬢様ではないのに、神戸のお嬢様大学の建築科に進んだ次女は、建築の会社に就職して今年が3年目。横浜で一人暮らしをしています。

             

            その次女が、先日、二級建築士の試験に合格し、戸建住宅なら建てることができるのだと。

             

            在学中に「両親の家を設計する」みたいなレポートを書くことがあり、「どんな家がいいか?」と聞いてきたので、「こんな感じで頼む」と申しつけてありました。

             

             

            この御殿を戸建住宅と呼べるのかどうか知りませんが、似たようなモノなら建てれるでしょう。

             

             

            次女としては、建築士の端くれになったことで「大学を卒業させた甲斐があったでしょ」と言いたいのだと思います。体裁はクリスマスギフトだけど。

             

            大学を卒業したことを喜ぶよりは、卒業して何を為したかに喜びを感じて欲しいところ、次女は一つの成果を出しました。

             

            ギフトのタイミングとして「なかなかやるじゃん」と思いつつ、後ほど、グリグリやってもらいます(^^)


            還暦同窓会をどうするか

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              私の故郷は「この世界の片隅に」の舞台、広島県呉市。先日、中学・高校(一貫制)の同窓会の案内が届きました。今回は同期生だけで集まって還暦祝いをやろうというもの。なるべく沢山集めようと幹事は気合いが入ってるみたいです。

               

               

               

              開催日は9月22日(土)。翌週月曜日は秋分の日の振替休日なので、日程的には大丈夫。

               

               

              ところがねぇ。那覇・広島間の飛行機は1日1往復だけ。山奥の広島空港に着くのが17時半で、同窓会の受付が始まる時刻です。空港からレンタカーを飛ばしても、会場に着くのは19時を回るでしょう。

               

              そして、1日1便の航空チケットですから、これがほぼ定価。往復のチケット代とレンタカー代、同窓会の会費などを計算すると、ざっと8万円はかかります。

               

              う〜む。と考え込んでいたら、携帯が鳴りました。知らない番号だったので、放ったらかしておいたら、しばらくして広島県人会事務局長のシッチーから連絡があり「広島からの電話じゃけぇ、出てあげんさいや」と。

               

               

              どうやってシッチーにたどり着いたのか不思議ですが、幹事のやる気がなせる技と言えるでしょう。さっそく先程の番号にかけてみると、電話に出たのは高校時代の私のモトカノでした。

               

              「久しぶりじゃけぇ、C君に会いたいわ」

               

              「絶対に来(き)んさいよ。絶対よ」

               

              「ウチはボーっとしとる間に年をとってしもうて、結婚してないんよ」

               

              「あっ、ウチの携帯番号は登録しといてよ。またかけるけぇ」

               

              などと、スズさんのような声で甘く優しい言葉を並べられ、私はググッと出席の方向に傾いたのでした。何しろ、私の中で彼女は可愛い女子高生のままなんです。

               

              「C君は来るのが遅おなったけぇ、2人で2次会をやろうやぁ」

               

              などと言われたら、私には自分を保てる自信がございません。

               

               

              実家に2泊できて、久しぶりに母や妹に会えることだし「よし、行くか」と考えながら、私は寝転がって熱中症の頭を氷で冷やしていました。

               

               

              そして頭が程よく冷えた頃、あることに気付きました。私のモトカノは、熱心に幹事の役目を果たそうとしただけなんですよ。つまり、スナックのオネエちゃんの営業トークみたいなもん。彼女は「いやぁ、それはちょっと違うけぇ」と言ってくれるかもしれませんが、違っていてもちょっとよね。

               

              なんだ、そうか。

               

              じゃあ、どうするか。イマココ(笑)


              同級生の佐々木君と飲んだ

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                昨夜は広島から旅行で沖縄に来た同級生の佐々木君と飲みました。



                泊港近くの居酒屋へ入ったら、掘りごたつ風の席は二人で飲むには充分広く、店内は静か。30年ぶりの同級生と語り合うには良い店でした。しかしまあ、那覇中心街の居酒屋料金が高いこと。



                私が沖縄に住んでいることを、佐々木君や一部の同級生は知っています。


                すると、


                「ど〜して沖縄(なんか)におってんかね?」


                「非合法組織の構成員になっとるんかのぉ」


                「人相が変わっとってかもしれんねぇ」


                とかになるのよね。


                ナイチから見れば、沖縄はリゾートするか、移住して静かに余生を過ごす島。そのどちらでもない私は「何故今沖縄に」を説明する必要があります。そして、ここ十数年の経緯を聞いた佐々木君は大いに安心してくれて、その顔を見て私も安心したのでした。それから最近の彼はこのブログを読んでくれていて、大変お利口さんです(笑)



                40年も前の話とは言え、私の記憶がいかにいいかげんなものなのか。昨夜はそれを思い知らされることになりました。例えば、私は彼が九州の西南学院に進んだものと思っていたら「青山学院よね」と。


                C「えっ、それじゃあ、大学時代は東京にいたのか。知らんかったなぁ。すまんすまん」


                佐「何を言ようるん?。あんたは俺が住んどった中目黒のアパートに突然現れて『おい、ちょっと部屋を貸してくれ』って言うたんよ」


                C「えっ。それでおまえはどうした?」


                佐「部屋から出て行って、しばらく時間を潰したわいね」


                C「それ本当かぁ?。確かに俺なのか?」


                そしたら彼は私がそんな行動をとるに至った状況を覚えていて、説明してくれた一言一言のすべてが事実(笑)


                C「おまえはなんていいやつなんやぁ」


                図らずも私は、迷惑をかけた側とかけられた側の記憶格差を立証してしまったのでした。



                佐々木君が同窓生名簿を持って来てくれてまして、懐かしい(高校生の)顔を順に思い出していたところ、同級生の一部でやってるLINEのグループがあるとのこと。さっそく、お互いの写真を撮りあい投稿したら、既読数がバババッと上がるじゃないですか。そして数人からリプライもありました。


                佐「みんな暇なんじゃね」


                C「暇なら電話してみるか」


                ってなりまして、先ほどの名簿から一人の女子高生(記憶の中のね)が選ばれたのでした。地元で彼女と付き合いのある佐々木君が電話をかけ、那覇で"ある同級生"と飲んでることまでを明かして、私と代わりました。


                私としては一応サプライズ。名乗らないまま話を進めようとしたら、


                「あの〜、私をご存知なんでしょうか?」


                「本当に私と同級生の方ですか?」


                それではと、彼女と私だけが知ってる話をしたら、


                「ごめんなさい。まったく覚えがなくて。それは私のお話なんでしょうか?」


                まあね、40年も声さえ聞いたことが無い同級生なんて、お亡くなりになったも同然。名前を明かしたところで、死人が生き返ったようなものです。


                彼女は私のモトカノですが、そのことさえも忘れてるかもしれないと心配になり、私は自らショックを受けるようなマネはせず、当たり障り無い話で電話を切ったのでした。



                佐々木君は地元で暮らしてるだけあって、実に色々なことを知ってます。つまり「当時は言えんかったけど、今なら言える」みたいな話を沢山聞いてるのよね。


                それから、こんな船を造った同級生の話もしてくれました。



                C「おいおい、何億円もする船がなんで『じょうみち丸』やねん。みちるの"る"はどした?」


                佐「まあ、城谷を好きなんじゃろうね。自分で造った船じゃから、自分で名前を決めるわいね」


                この船は鋼材を積み、今日も瀬戸内海を航海中とのこと。城みちる君はついさっきNHKに出演してたみたいです。



                こちらは佐々木君のお土産で、もみじ饅頭風味のキットカット(笑)



                明日は二人でコザしんきんスタジアムに向かい、広島カープのオープン戦を観戦します。楽天戦。


                5ヶ月ぶりの大阪

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                  この連休は大阪に帰ってます。

                   

                   

                  昨日の土曜日は、昼過ぎの便に乗るために午後の配達を朝に変更してもらいました。そしたらその保育園の調理師が同じように名古屋へ帰ると。

                  調「Cさんは何時の便ですか?」

                  C「昼過ぎ」

                  調「えっ?。航空会社はどこですか?」

                  C「ジェットスター」

                  調「ざっ、座席の指定してるんですかっ?」

                  C「してないけど、近くの席だといいね」

                  調「案外、隣だったりして(笑)」

                  笑わしてくれます。何処へ帰るつもりなんでしょうねぇ(笑)。

                   

                   

                  万博公園の入口にライカムみたいな商業施設ができてました。

                   

                   

                  私は万博公園のソラード(森の空中観察路)に行っても良かったんですが「寒いのでまた今度」になり、そのエキスポシティへ。

                   

                  観覧車のデカいこと。直径114.7mだそうです。北谷の2倍半。てことは外周は8倍!!。大阪市内はもちろん、淡路島や四国も見えるんではないかと。観覧車の床はシースルーだそうです。

                   

                   

                  エキスポシティの内部に入ると、やっぱりライカムでした。

                   

                   

                  そこのシネマで、コテコテの米国産SF映画を観ました。

                   

                   

                  辻褄の合わないところは力で突き抜けるのが米国産。そして強引に感動のラストへ。

                   

                  映画の後はフードコートでタイ料理を食べました。シンハービールはオリオンより美味いかもしれません。


                   

                  この後私は岩盤浴へ行くそうです。

                   

                  今日の大阪の気温は上が7度で下が0度。寒さが新鮮でいい気持ちです。


                  広島から同級生が来る(^O^)/

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                    先日投稿した同窓会の写真を再び。

                     

                     

                    広島県呉市にあった中高6年制の私立学校で、同級生はわずか75人。高校2年までは呉市内の学舎で、最後の1年間は全寮制で山奥の学舎で学ぶシステムだったため、同級生との関係は濃厚でした。上の写真はその同級生だけの集まりで、4期生だったことから「くれよん会」と名付けられています。ところが、いくら濃厚とは言え40年以上前のこと。10人ほどの顔と名前が一致せず、左端に立ってる佐々木君に教えてもらったのでした。

                     

                    そんなことがあったためか、佐々木君から今月末に沖縄に来ると連絡がありました。二人で広島カープのキャンプを観たり飲んだり、オープン戦を観たり飲んだりします。広島カープのキャンプ地はコザしんきんスタジアム。オープン戦の相手は楽天イーグルスで、広島県人会事務局長のシッチー君にチケットをお願いしました。

                     

                    シッチー君によれば、球団から県人会にチケットの割当てがあるそうで、同じ内野席でもバックネット裏やカープベンチの真上の席が買えるとのこと。ところが楽天戦の内野席はすべて自由席だそうで、その特典を生かせませんでした。楽天球団はもっと沖縄のファンを開拓してくれないと困ります。

                     

                     

                    佐々木君は家業の酒屋を継ぎましたが、後にコンビニのオーナーに転身しました。コンビニの経営はなかなかタフな仕事と聞いてますが、お店の住所を聞いて私は彼の成功を確信しました。なにしろそこは市内の一等地。駐車場も広くとれてるようです。

                     

                    今はお店が入ってるマンションが建て替え中で、しばらくの間、他店の応援に回ったりしてるようです。つまり、経営者の責任から一時的に解放されてるということ。図らずも長期休暇を手に入れたようなものです。

                     

                    私は沖縄に来た後に6ヶ月間の失業保険受給者生活を経験していますが、今思えば、あの時せめて1ヶ月くらいを離島巡りに使えば良かったと後悔しています。とはいえ、再度同じ状況になったら「それどころじゃない」と言いつつ、職探しをするんでしょうね。悲しいわ(笑)

                     

                     

                    記憶の中の同級生は皆んな高校生のままなのに、いきなり還暦ですからねぇ(笑)。体細胞は幾度も入れ替わってるのに、どうやって原型を留めているのか不思議です。もちろん、概ね年齢に応じて劣化傾向にはあるものの、中には改善されているかのように見える人もいて驚きです。


                    19年前の今日

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル


                      今日、5月5日は父の命日です。父が亡くなった年、私は40歳でしたから、19年前になります。

                      定年退職を迎えた年、近所の本屋へバイクで出かけた父は軽トラックと出会い頭に衝突し、意識不明の重体になりました。昏睡状態のまま事故から4、5日が過ぎた頃、「俺がわかるかっ!!」と呼びかける私に、父が初めて目を開き「おお、ヤス(泰弘)か」と。待ちわびていた父の声を聞き、泣き崩れる母。

                      頚椎に損傷を負った父は、以降、身体の自由を取り戻すためのリハビリーに励みました。そして事故から10年。父は杖を使って散歩ができる程度に回復していましたが、敗血症で帰らぬ人となりました。70歳でした。

                      父の告別式。喪主は母でしたが、母に代わって私が概ねこんな挨拶をしました。


                      本日は父の告別式にお集まりいただき、誠にありがとうございます。

                      私が産まれるずっと前の話です。父は、中学の入学手続きに戸籍謄本が必要になり、役所に出掛けました。そこで、そこまで両親と思っていた、つまり私の祖父母が実の親ではないことを知りました。父には実の姉がいましたが、その時既に病死しており、父はこの世に自分と血の繋がった人間が一人もいないことも知りました。祖父母に問いただす訳にもいかず、ずっと、知らないことにしていたそうです。

                      それから十数年が過ぎ、父は母と結婚し、やがて私が産まれました。父にとっては、初めて自分と血の繋がった人間が現れたことになり、それはそれは喜んでくれたようです。

                      10年前の事故で身体の自由を奪われ、リハビリーを続けていまして、一昨年、リハビリーの環境を変えようと母と共に大阪に来ました。こちらに来てからも徐々にではありますが、自分でできることが増えていたように思います。

                      定年まで仕事を勤め上げ、悠々自適な毎日を送れるはずでしたが、そんな矢先に事故に遭い、つくづく父はツイてないと思いました。しかし事故後の10年は、私の横にいる母と妹が、何事よりも父を優先した毎日を送ってくれて、一昨年からは私の家族がそこに加わりました。

                      事故に遭ったことは、返す返すも残念ではありますが、その後の10年には、父は満足してくれたのではないでしょうか。また、本日はこのように沢山の皆様にお集まりいただき、父も喜んでくれていると思います。

                      遺族を代表して、重ねてお礼申し上げます。本日は本当にありがとうございました。



                      この電気カミソリは父が使っていたもので、今は私が使っています。



                      既に替え刃も生産されておらず、剃り味はイマイチですが、動いてるうちは使うつもりです。私が時々、アゴの下あたりにチョロンとヒゲを剃り残しているのは、こいつのせいです。

                      19年も経つと、命日がいつだったかと考えるはずですが、父の命日は子供の日。ついでに誕生日は節分なので、どちらも絶対に忘れない仕掛けになっています。


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                      念願の沖縄生活を始めて9年になりました。
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