JUGEMテーマ:地域/ローカル
国頭・中頭方東海道、西海道から外れた場所を少し。
ここは首里城の東にある鳥堀交差点。モノレール首里駅のすぐ近くです。

西(左)から来た龍潭通りが鳥堀交差点の手前で二本に分かれます。南(下)側が龍潭通りで、県道82号線を横切り、星印を付けたスージに繋がります。この道は弁が岳の参道です。
県道82号線(南北)と県道29号線(東西)は戦後に新しくできた幹線道路で、それまで鳥堀交差点はありませんでした。
鳥堀交差点の下をミーマガーラ(嶺間川)が東から西へ今も流れていて、戦前までは、そこに新橋(ミーバシ)が架かっていました。木造橋がミーマガーラの氾濫に耐えられず、1680年に石造アーチ橋が建設され、新橋と名付けられたのです。
鳥小堀村と汀志良次村の境にあったその橋が・・・


こんなことになってるとは。
日本軍が破壊し、戦後に米軍が道路建設で踏み潰したんですね。
本当に申し訳ない。
振り返った景色を見れば、誰でも知ってる場所で、新橋は飲食店の床の下です。

新橋を北に渡ると、現在の首里中学校前あたりが坂の頂上でした。
その呼び名が「坂の頂(フィランチジ)」
さて、私は最初の地図の星印のあたりにいます。
坂の頂方向を写真に撮り、

拡大すると。

おお!!
確かに、坂の頂。
想像力を働かせ、県道を視界から消し去ります。
手前に石橋。それを渡った先は石畳道が坂を上り、坂の向こうに消えゆきます。
石畳道の幅は車道の一車線分くらい。
_| ̄|◯
正月早々、このオヤジは何をやっとるのか。
写真を撮るために車道に出て、石橋だの石畳道だのと(笑)。
金城橋(先代の石橋)の建設が1677年で、新橋の3年前です。この頃、琉球王府は首里城周辺の橋を、積極的に架け替えていたのですね。
これは首里那覇屏風図に描かれた金城橋。金城橋の案内板にありました。

橋の上流には滝があり、現在の繁多川公園のあたりに滝見台があったようです。
金城橋の名前は残りましたが、新橋は・・・。
やっぱ、可哀想ですねぇ。