首里城から延びる道(12) 新橋と坂の頂

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    国頭・中頭方東海道、西海道から外れた場所を少し。

    ここは首里城の東にある鳥堀交差点。モノレール首里駅のすぐ近くです。



    西(左)から来た龍潭通りが鳥堀交差点の手前で二本に分かれます。南(下)側が龍潭通りで、県道82号線を横切り、星印を付けたスージに繋がります。この道は弁が岳の参道です。

    県道82号線(南北)と県道29号線(東西)は戦後に新しくできた幹線道路で、それまで鳥堀交差点はありませんでした。


    鳥堀交差点の下をミーマガーラ(嶺間川)が東から西へ今も流れていて、戦前までは、そこに新橋(ミーバシ)が架かっていました。木造橋がミーマガーラの氾濫に耐えられず、1680年に石造アーチ橋が建設され、新橋と名付けられたのです。

    鳥小堀村と汀志良次村の境にあったその橋が・・・





    こんなことになってるとは。

    日本軍が破壊し、戦後に米軍が道路建設で踏み潰したんですね。

    本当に申し訳ない。

    振り返った景色を見れば、誰でも知ってる場所で、新橋は飲食店の床の下です。




    新橋を北に渡ると、現在の首里中学校前あたりが坂の頂上でした。

    その呼び名が「坂の頂(フィランチジ)」


    さて、私は最初の地図の星印のあたりにいます。

    坂の頂方向を写真に撮り、



    拡大すると。



    おお!!

    確かに、坂の頂。

    想像力を働かせ、県道を視界から消し去ります。

    手前に石橋。それを渡った先は石畳道が坂を上り、坂の向こうに消えゆきます。

    石畳道の幅は車道の一車線分くらい。


    _| ̄|◯


    正月早々、このオヤジは何をやっとるのか。

    写真を撮るために車道に出て、石橋だの石畳道だのと(笑)。


    金城橋(先代の石橋)の建設が1677年で、新橋の3年前です。この頃、琉球王府は首里城周辺の橋を、積極的に架け替えていたのですね。

    これは首里那覇屏風図に描かれた金城橋。金城橋の案内板にありました。



    橋の上流には滝があり、現在の繁多川公園のあたりに滝見台があったようです。

    金城橋の名前は残りましたが、新橋は・・・。

    やっぱ、可哀想ですねぇ。


    首里城から延びる道(11) 国頭・中頭方西海道3

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      安谷川坂で首里当蔵町と首里大中町の町境を下って来ましたが、下之橋を渡れば首里儀保町です。「トーヌクラ」、「ウフチュン」から「ジーブ」。

      儀保大通りに出ました。かつての儀保大道(ジーブウフミチ)です。



      右手が上儀保(ウィジーブ)で左手が下儀保(シムジーブ)。

      大道を進むと儀保交差点に出ます。



      儀保大道はこの先の太平橋(平良橋)まで続きますが、今は、ここから先は石嶺大通りです。おかしな名前を付けますね。石嶺ってずっと先なのに。


      首里城久慶門からここまでの間、宿道から多くのスージが分岐し、また交わっていました。今回は国頭・中頭方西海道に沿って歩くことが目的なので、泣く泣く省略しています。

      ミーマクビリだけはその名前に負けて寄り道しましたが、そのおかげで奥武殿内の石門、石垣を見ることができました。




      儀保交差点から太平橋までは、つい最近歩きましたので、その投稿をリンクします。

      儀保交差点から太平橋(1) 儀保御待所
      儀保交差点から太平橋(2) 儀保ビラ


      「太平橋」発掘中(1)
      「太平橋」発掘中(2)
      「太平橋」発掘中(3)



      まあそれで、スージに入ると(笑)

      ここは亀川小路(カミガースージ)。下道(シムミチ)から上道(ウィミチ)に抜けています。



      このスージには、亀川盛武(せいぶ)の生家がありました。

      盛武は琉球王府の三司官でしたが、琉球処分に反対し頑固党を結成しました。更に、孫の盛棟(せいとう)が脱清し、清に琉球王国の復興を請願しました。

      先ほどの奥武殿内を興した奥武親方朝昇の五男、義村朝明も頑固党の中心メンバーでした。


      廃藩置県による首里城明け渡しが1879年。当時の清は欧州列強の侵略を防ぐことで精一杯で琉球どころではありませんでした。

      そして、日清戦争(1895年)。

      日本政府の弾圧により、頑固党は衰退してしまいます。

      首里は士族の街でしたから、こうしたスージに、亀川家の名が残ることは当然でしょう。そして、そこに今も「チクショウ感」が伺える気がします。

      (国頭・中頭方西海道は終わり)


      首里城から延びる道(10) 国頭・中頭方西海道2

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        当蔵カジマヤーの向こうには中城御殿跡の東南角。



        「♪大村御殿の角なかい 耳切坊主の立っちょんど」

        と、首里の子供達が歌ってるように、ここに耳切坊主が現れていました。

        黒金座主の耳を切り落とした北谷王子の屋敷(大村御殿)がここにあったのですね。しかし、後に中城御殿が移って来たので、大村御殿は他の場所に移りました。

        だから、耳切坊主はもうここにはいません。

        ここからの下り坂が安谷川坂(アダニガービラ)で坂下には石造アーチの下之橋(シムヌハシ)があります。


        以前の投稿「首里、安谷川坂の風景」で、

        安谷川御嶽と

        20110604064008_0.jpg

        安谷川、

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        下之橋を訪ねました。

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        そして、士族屋敷(仲田殿内)跡で創業した玉那覇味噌醤油工場(跡地)。

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        今日は、前回見逃した場所を訪ねます。

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        (1)安谷川御嶽の洞窟

        拝所の左手を抜けると、



        こんな場所に出て、



        その奥に洞窟があります。



        こちらが本来の拝所だそうで、洞窟内には数人が座れるスペースがありました。分かりにくい所に隠れていますが「絶対にある」と思って探せば見つけることができるでしょう。


        (2)ミーマクビリ

        次に、下之橋の手前のスージを左に入ります。

        その先にある、この小さな坂道がミーマクビリ。左手の敷地が二代目聞得大君の嶺間御殿跡です。



        先日、国頭・中頭方東海道でミーマガーラ(嶺間川)を知り、そのネーミングの美しさに感激しました。また、少し前に西原の御茶多理クビリを歩き、そのくびれに魅了されたのでした。

        それがミーマクビリって。もう、最高じゃないですか。

        ところが、このミーマクビリはまったくくびれていません。何かの意図があったのか、単なる誤用か、クビリとビラの混在がありますね。


        (3)奥武殿内跡

        こちらは、ミーマクビリのすぐ近く。奥武殿内のお屋敷です。



        立派な石垣と石門です。分厚さが違います。

        奥武殿内は玉城間切奥武村の脇地頭職を務めた家系です。つまり士族。

        上の写真を見ると、石段の面に傾斜があります。石段と石垣の関係も微妙に垂直ではありません。そして最初の石段は石垣に食い込んでいます。

        私の位置から左手奥の屋敷に入るには、左折、右折、左折となります。ここを前後で担いだ籠が入る様子を想像してみましょう。

        実に入りやすい気がします。

        微妙なバランスの悪さは籠が入りやすくするための工夫で、それを知れば、絶妙なバランスに見えてくるから不思議です。

        やはり、優れた機能には美しさがあるのですねぇ。


        下之橋を通過した宿道は儀保(ジーブ)に向かって、徐々に上り坂となります。

        (続く)


        首里城から延びる道(8) 国頭・中頭方東海道4

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          県道82号線を渡った私は、首里中学校の西側を歩いています。つまり、右手が首里中学校。



          かつて、首里中学校の敷地には聞得大君御殿がありました。



          「いつかまた豊かな王国を造ろうぞ」
          聞得大君になるために生まれ、聞得大君として生きるために生涯を費やした真牛は、王朝歴代最高の聞得大君になった。放物線を描いて大地に落ちていく肉体から離れた魂は自由に空を舞う。
          「祖神アマミクが創造したこの国、祝福されたこの大地、その全てを包んで今、私は風になる」


          (泣)

          ドラマ「テンペスト」から3年になるんですねぇ。


          さて、御殿の西側にはウサンシチと呼ばれた場所がありました。那覇港がよく見え、御殿の神女が港を出る船にティサージ(手拭い)を振り、航海の安全を祈ったそうです。今は住宅地となり、その場所はわかりません。


          宿道がアジマァに出ました。



          ここを直進するとあやぐ食堂の横に出ます。

          20110527113052_0.jpg


          宿道は左折です。少し歩くと崖地に出ました。



          これで、ウサンシチからの眺望がわかります。もっとも、左手のマンションや右手のニセ首里城が視界を遮るので、視界はイマイチ。左手のマンションの向こうが泊港です。

          この崖地にアムトゥ嶽という御嶽があったそうで、ウチナーグチ辞書を引くとアムトゥは土手でした。急斜面ということになるんでしょう。

          こんな文例がありました。

          シュリチューガッコーヌ イリンカイ(首里中学校の西に) アムトゥダキンチ アンドー(アムトゥ嶽があるよ)

          あらまあ。ここのことじゃないですか。辞書に載るくらいだから、有名な御嶽だったんでしょう。しかしアムトゥ嶽もまた、宅地開発により消滅しています。


          宿道は、崖地の急坂は下りずに右折です。



          少しづつ下り坂が急になり、久場川ビラ(坂)に出て、



          坂を下った所に久場川ガー(跡)がありました。



          かつては水量豊かな湧水でした。井戸の周囲はターンム(田芋)畑が広がり、トゥーンナジャー(田鰻)が捕れたそうです。今は高層住宅が建ち並び、湧水も枯れています。


          だんだんと、気が重くなってきましたが、首里の端っこまで歩きましょう。

          宿道は、久場川ガーの脇にある駐車場を横切り、



          その先の住宅地に入ります。



          小さなアップダウンがあり、



          見覚えのある道に出ました。




          おお、のー饅頭じゃないですか。



          その味は「まるでお日様に干したやわらかい布団のようななつかしさ(平松洋子さん)」。

          CIMG4202s.jpg


          のー饅頭のおかげで、なんとなく区切りがつきました。国頭・中頭方東海道の紹介はここで終わりです。

          首里から中城に向かう道は三本ありました。

          (1)クンディムイ橋から久場川ビラに抜ける、今歩いたルート

          (2)首里中学校の東側から、クシヌミチ、立川ビラを抜けるルート

          (3)継世門を出て、弁が岳へ抜けるルート

          三本のルートは現在の城東小学校のあたりで合流し、その先で、再度分岐します。

          このブログでは、一応、(1)を国頭・中頭方東海道とし、(3)をハンタ道としましたが、正しいかどうかは不明です。

          もっとも私には、それほどのこだわりは無く、道が三本あれば、歩く楽しみが三通りになり嬉しいってこと(笑)

          間違いがあっても、ご容赦のホド。

          (国頭・中頭方東海道は終わり)


          首里城から延びる道(7) 国頭・中頭方東海道3

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            クンディムイ橋を渡り、首里当蔵町から首里汀良町に入りました。

            橋のたもと右手の空間がアスイ御嶽です。



            そこにベンチがあり、その横の看板には「このベンチで腰を伸ばせ」と書いてありました。

            う〜む。御嶽で腰伸ばし(笑)


            この岩の前と、



            ガジュマルの前が拝所のようです。



            石畳道があり、



            その先にあるのが、汀志良次ヌ新井戸(ティシラジヌミーガー)。



            手前のブロックは事故防止のために、後に積まれたもので、元は開口した造りだったようです。

            水質が良く、豆腐水(トーフミジ)として人気がありました。野菜を洗ったり、洗濯をしたり、多くの村人が集まる場所だったようです。


            井戸の横にこんな坂があり(写真は坂上から)、



            そこを上った所に首里汀良町ふれあい館(公民館)がありました。



            この場所が橋の名前になっていたクンディ森(ムイ)。八月十五夜には、ここで獅子舞が行われるそうです。



            その獅子舞はシーシケェラセーと呼ばれ、凄みのある勇猛な舞とのこと。来年はぜひ観に来ましょう。


            公民館の前で、オジぃが日向ぼっこをしてました。クンディ森にはそのオジぃと私の二人だけ。

            「え〜、何してる。拝みね。」

            おお、拝みに来たように見えるのか?

            てことは、私が豊見城グスクに潜入する日も近いのか?(笑)

            先ほどの井戸を、上から写真に撮っていると、



            「え〜、何してる」

            「いや、ちょっと井戸の写真を」

            「井戸ならいくらでもあるさ。教えよ〜ね。」

            集落の古老は、問われたことに静かに答えるもの。言いたがりのオジぃの言うことは、概ね、たいしたことはありません。

            「あなたは下の御嶽で腰を伸ばしていなさい」

            と、心で思ったのでした。


            さて、クンディ森を後にした私は、県道82号線に出ました。モノレールが走る坂道で、右手に行くと首里駅です。



            (続く)


            首里城から延びる道(6) 国頭・中頭方東海道2

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              龍潭通りを渡り、パナソニックの横のスージを、



              川に向かって下ります。




              この川は、安里川上流の嶺間川(ミーマガーラ)。



              「ミーマガーラ」

              ウチナーグチで呼ぶと、なんでこうも美しい響きになるんでしょうねぇ。大和口ではミネマガワ。あらそうって感じです。

              そこに架かる橋がクンディムイ橋。近くのクンディ森(ムイ)にちなんだ名前です。


              首里の古地図を見ましょう。



              龍潭通りに面した天王寺と、その裏手に石橋のクンディムイ橋が記されています。

              橋の下流で川が湾曲していますが、そこで川蝦(タナガー)、鮒(ターイユ)、川蟹(ガニ)などが捕れたそうです。

              ミーマガーラは今では生活排水路ですが、かつては清流だったんですねぇ。

              ウチナーグチ辞書で「ガニ」を引いてみるとこんな文例がありました。

              「ティーイービ(手の指を)クーラチ(食わせて)ガニ トゥティ アッチャン(蟹を捕ってやった)」

              川遊びをする子供の様子が目に浮かびます。これはもはや桃源郷です(笑)


              さて、現実に戻りましょう。

              ミーマガーラは護岸工事でコンクリートの川となり、橋の下流の湾曲も見あたりません。



              残念ですが、度々氾濫した川だそうですから、護岸工事で良いこともあったってことにしておきましょう。


              クンディムイ橋のたもとに高い石垣がありました。



              これはかなりの年代物です。戦前ってことは間違いなく、琉球王朝時代のものだとすれば、いったい何処の石垣なんでしょう。

              ありゃ!!

              天王寺かっ!?

              龍潭通りに引き返しました。

              天王寺跡は以前訪ねたことがあります。石垣が残っていて、敷地は首里教会になってたはず。(→詳しくはこちらから)

              20120327191842_0.jpg

              表と裏が繋がっているのか確かめてみると、どうやら繋がっているようです。先ほどの石垣は天王寺のもので間違い無いでしょう。

              天王寺の石垣が裏側にも残っていることは、あまり知られてないと思います。敷地内が民家なので、積極的にPRしていないってことでしょうか。


              この投稿のテーマは国頭・中頭方東海道なんですが、どんどん首里の散歩みたいになっていますね(笑)

              まっ、一応、宿道に沿って進んではいますので、ご了承のホド。

              (続く)


              首里城から延びる道(5) 国頭・中頭方東海道1

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                首里城を起点とする五本の宿道を歩く。二本目は国頭・中頭方東海道です。

                (国頭・中頭方東海道)
                歓会門、円覚寺南側、天王寺東側、読谷山御殿西側、久場川ビラ


                スタートは歓会門。首里城のウェルカムゲートです。



                対に配置された獅子が城を護ります。

                向かって右手に、口を開けた阿形と、



                左手に口を閉じた・・



                ありゃ、おまえ。何してんの?

                口を閉じなさい。

                「何で?」と問われたら、返す言葉は無いんやけど。なら、まあええか(笑)


                歓会門を出て、園比屋武御嶽で道中の安全を拝み、ハンタン山の坂を下ります。



                坂の途中に大アカギがあるはずが、そこにあるのはガジュマル。



                アカギは戦火で枯れてしまいましたが、その幹は硬くて丈夫。それにガジュマルが巻きついたんです。→詳しくはこちら


                左手に円覚寺を見ながら、城壁に沿って歩きます。



                再び、坂本万七写真集「沖縄・昭和10年代」を見ましょう。



                さすがは琉球王朝の菩提寺。その風格にため息が出ます。いつになったら復興されるものやら。御内原が終わったら、是非、着手いただきたい。


                城壁に沿った石畳道になりました。



                ところが、この石畳道は歩かずに、左手のコンクリートを歩きなさいってことになっています。

                何のために石畳道を復興したんやっ!!

                ちゅうことですわ。

                そして、最近造った石畳道は歩いてよろしいと。はいはい。




                坂を下りた所に、建善寺の入口跡がありました。



                第二尚氏の時代、円覚寺、天界寺、天王寺は三大廟と呼ばれていました。建善寺は天王寺の末寺。つまり、本山である天王寺の支配下にあったということ。

                本山と末寺。それが、本末転倒の言葉の由来です。

                建善寺には広い庭園があったそうで、今も当時の井戸が残っているそうです。ところがそこは民家の庭。

                「ちょっと井戸を見ましょうね」とは言いにくいのよね。


                この辺りは寺院が集まっていた場所で、言わば首里の寺町でした。このスージを抜けると龍潭通りです。



                (続く)


                首里石嶺町からの眺望

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                  先日紹介した豆腐小坂(トーフグヮービラ)の痕跡を、もう少し探してみました。

                  西原町池田の運玉食堂付近で見つけた古道がこれ。



                  豆腐小坂を登ると弁が岳ですから、今日はそちらからアプローチしてみましょう。

                  Google earthで大雑把な見当をつけます。



                  北東から県道155号線が南下し、運玉食堂前で北西にカーブしています。そして、高速道路をくぐり北にカーブします。

                  その二つ目のカーブの西側、丘の上に緑色のタンクが見えますが、そのタンクは弁ヶ岳から300mほど東に位置し、新川霊園の入口にあります。

                  その付近を拡大します。



                  緑色のタンクの右上(北東)に、一段高くなった広場があります。

                  県道155号線からその広場に向かって、尾根に挟まれた谷間があります。樹木の色が黒っぽくなっている部分です。

                  私はそこに豆腐小坂があったと見当をつけていて、写真を撮った古道はその坂下でした。


                  坂上の広場は、琉球王朝時代の火立(ヒータティ)所があった場所です。



                  火立所は沖縄戦で破壊され、石碑の一部だけが残りました。石碑は磨耗が激しく、ほとんど読み取ることができません。



                  火立所跡からの眺望です。



                  肉眼では左手の端に北谷の海が見え、中城の丘(琉大病院)、中城湾、右端の運玉森まで眺望できます。


                  残念ながら、豆腐小坂の手がかりは得られませんでした。

                  上のパノラマ写真を撮った場所が坂上になるはずですが、樹木が邪魔をして、道はもちろん地形もわからないので、どうしようもありません。



                  まあ、収穫無しはよくあることなので、今日は火立所跡を見て、美しい眺望が得られたのでヨシとします。


                  せっかく投稿を読んでいただいたのですから、ここより更に良い眺望が得られる場所を紹介します。



                  右手に車が停まっている場所は、Yellow stone(首里石嶺町2丁目167番11号)というレストランの駐車場です。

                  そして、私が立っている場所はテラスになっていて、おそらく、yellow stoneさんが設置されたもの。

                  テラスには自由に上がれますが、yellow stoneさんのお客さん用ですから、食事をした後に上がらせていただくのが礼儀ってものでしょう。

                  食事をしない人は、(私のように)申し訳無さそうにコソコソと上がりましょうね(笑)。


                  儀保交差点から太平橋(2) 儀保ビラ

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                    再び、首里の古地図です。



                    太平橋の南で二つに分かれる宿道は、右がイーミチ、左がシムミチ。二つの道に挟まれて儀保御待所(4の枠)がありました。

                    御待所の近くに横長の小さな森が記されています。この森は丘陵地で、太平橋から首里に向かうには急な坂道を登り、そして下る必要がありました。

                    そのため、イーミチは森の東側(右)を、シムミチは西側(左)を抜け、少しでも坂道がなだらかになるような工夫をしています。


                    Google earthで付近の航空写真を見ましょう。



                    かなり細めになりましたが、横長の小さな森は健在です。その北側をイーミチが抜けています。

                    で、シムミチはどうなったか?

                    広い県道が開通して、シムミチは飲み込まれてしまいました。この県道は、更に拡張される予定で、その工事の過程で太平橋の遺構が見つかったのです。


                    あえて、シムミチの痕跡を辿るとすれば、この階段です。



                    この場所にあった坂道は儀保ビラ(ジーブビラ)と呼ばれていました。県道の開通により丘陵地が(ビラも)削り取られ、その急斜面に階段を造ったということ。



                    儀保ビラは頂上付近で切り通しとなっていて、儀保くびりと呼ばれていましたが、その形跡は見当たりません。


                    沖縄では切り通しをワイトゥイ(割り取り)と呼びます。

                    首里近辺では玉陵坂のワイトゥイが、その原型を保っています。



                    重機の無い時代に、岩にクサビを打ち込み、文字通り割り取って開通させた道です。岩肌に残るクサビの跡を触ると、結構、ジーンときたりします(笑)

                    儀保くびりは、地形から考えて、玉陵坂のワイトゥイほど深くはなかったと思いますが、雰囲気は似ていたでしょう。写真も見あたらず残念です。


                    さて、儀保ビラの跡にできた階段を上ってみましょう。

                    眼下には拡張工事中の県道があり、道路の向こう側に西森(ニシムイ)が見えます。儀保の御嶽がある神聖な森です。



                    私が立っている丘陵地と西森は、そもそも繋がっていて、そこに県道を切り通したのです。

                    私としては、この切り通しをワイトゥイと呼びたくはありませんね。重機を使って道を通したのですから、それはインチキというもの(笑)

                    ワイトゥイの仲間には入れてあげません(笑)

                    (続く)


                    儀保交差点から太平橋(1) 儀保御待所

                    0
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                      首里平良町で太平橋の遺構が発見されたので、先日、その発掘現場を見てきました。

                      残念ながら、石橋のアーチ部分は沖縄戦で失われていて、発掘中の遺構は橋の取付道路の擁壁です。



                      それにしても、見事な石積みです。太平橋が首里の北玄関にふさわしい橋だったことがよくわかります。


                      首里の古地図を見ましょう。



                      5の枠が太平橋。

                      南に下って4の枠で宿道が二つに分かれます。右が「上道(ウィミチ)」、左が「下道(シムミチ)」。いずれも首里城へ向かいます。

                      その分岐を拡大すると。



                      御待所(ウマチドゥクル)と記されています。

                      この建物は儀保(ジーブ)御待所。国王が北部へ行幸(ぎょうこう)した帰路、家臣らがここで出迎えました。

                      あるいは、王府直轄の祭祀の際、各地のノロがここに集合し、揃って首里城へ向かいました。


                      以前、聞得大君の御新下りに関連して、赤田御待所を紹介しました。

                      赤田御待所は現在の大角座歩道橋の近くにあり、首里の東玄関でした。

                      御待所で出迎えることを坂迎え(サカンケー)、あるいは境迎えと言います。儀保も赤田も、首里と他界との境だったのですね。


                      北から首里城に向かう人は、太平橋を渡り儀保御待所に入りました。そこで暫し休憩し、身支度を整えたのです。

                      まあ、こう言っちゃあナンですが、汚れた格好のまま、儀保御待所前を素通りしたのは、1609年の島津軍と1945年の米軍でした。

                      礼儀を知らない「バ〜ロ〜」は、これだから困ります。

                      (続く)


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                      念願の沖縄生活を始めて8年になりました。
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