一つ前に投稿した散歩の後、同じ南風原町内の高津嘉山に向かいました。高津嘉山は山の名前です。
これまで「いつかは登ろう」と考えてはいたものの、「また今度にするか」と考え直すことを、延々と繰り返してきました。今や、それが頭にあること自体が面倒になってきたので、この日で決着をつけようと。
なにしろ、南風原町民のワタリグチでさえ「はぁ?。何でまたそんな所に登るんスかぁ?」と言いかねない所。静かに目立たないように登りました。
さて、高津嘉山と言えば「飛び安里」。The first flight in the worldを成し遂げた南風原町の有名人です。山の南側登り口に「飛び安里初飛翔の記念碑」まで240mと案内がありました。
飛び安里がどのようにして飛んだかについては諸説があります。
(1)鳥のようにして飛んだ
(2)ハンググライダーのようにして飛んだ
(3)凧に乗って飛んだ
凧ヒモは飛び安里の奥さんが掴んだ
(4)鳥に乗って飛んだ
この中から、南風原町教育委員会は(2)を有力と見做し、沖縄工業高校に機体の製作を依頼したんです。高校生が製作した機体は見事に空を飛び「おぉ。やはり、飛び安里は空を飛んだのだ」ということになってます(^^)
こちらはその機体の1/2サイズレプリカ。南風原町役場に展示されています。
では、先に進みましょう。
階段を登ること231段。飛び安里の記念碑に到着しました。
安里のAと力強く広げた両翼。飛び安里にふさわしい記念碑と言えましょう。糸数グスク方面の視界が開けているので、そちらへフライトしたのかもしれません。
記念碑のそばに大きな岩がありまして、横に案内がありました。「飛び安里はこの岩から飛んだと伝えられている」などと書かれてるんじゃないかと身構えましたが、記念碑の案内だったので安心して下さい(^^)
山頂はこのすぐ先ですが、特に眺めが良いわけではなく、(海の無い南風原町から)海が見えるわけでもなく、特に申し上げることはございません。
ところで先ほど、鳥に乗って飛んでいた飛び安里は、コザ十字路のコザ十字路絵巻に描かれたもの。コザがこんなことを言ってるんです。
「飛び安里はコザ(越来)の人。泡瀬の崖地や高津嘉山から飛んだかもしれないが、彼がコザンチュであることは疑いようも無い」
飛び安里の出自をめぐり、コザと南風原町が対立するかと思われましたが、今のところ、大きな問題にはなっていません。
以降は私の見立てです。
南風原町の飛び安里に対する思い入れは並大抵ではありません。機体製作をはじめとし、グッズを販売したり、企画展を開催したり、南風原町の学習指導要領には「飛び安里を教えなさい」と書いてあります。だから、南風原町民の9割は飛び安里を知ってます。
一方、飛び安里を知ってるコザンチュは半数にも満たないでしょう。
つまり、コザは余裕なんですよ。越来の大城賢勇・百十踏揚ご夫妻をはじめ、コザには有名人がいくらでもいますからね。一方の南風原町は飛び安里をコザに奪われてしまうと、残る有名人はウルトラマンだけ。もう、後には引けないんです。
そして南風原町は町のホームページに「飛び安里の子孫はコザへ移住し、その後、ハワイに移住した」と記載する念の入れよう(^^)。コザは「そこまで言うんなら、それはそれでいいんちゃう?」という姿勢です。
南風原町の有名人は二人とも空を飛ぶので、これからは飛ばない人も有名になっていただきたい(笑)
さて、高津嘉山一帯は公園化事業が進行中。予算が少ないので3年がかりだそうです。
このあたりには総延長2kmにおよぶ日本軍の地下壕がありました。公園造成中に、その壕がパカっと口を開けたはずですが、そのまま埋めたのではないかと。
こちらはつかざんトンネル横の、すでに造成が終わった公園。南風原町から委託を受けた作業員が除草中です(^^)