豊見城城址はどうなっとるのか

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    とよみ大橋から見た豊見城城址です。



    北に国場川、東に饒波川、西に崖地。もう「グスクを築いてちょうだい」と訴えてるかのような地形です。今やグスクの跡形もありませんが、この地形を眺めるだけでも、グスクの風格を感じさせてくれます。


    豊見城グスクは三山時代の南山王、汪応祖(おうおうそ)が15世紀に築城したと言われています。中山との国境の川である国場川を挟んで、首里城と対峙するグスクでした。

    豊見城グスクの城壁はこのように築かれていたようです。



    立派なグスクだったようですね。広い敷地と三層の城壁。城門は北に西原門と南に南風原門。

    次の写真は最も内側の城壁に設けられていた門(豊見瀬門?)だそうです。




    これらの城壁や城門は、戦後、昭和30年代まで、かなりの部分が残っていたそうです。60年ほど前ですから、今、80代、90代の方は、豊見城グスクの実物を見たことがあり、記憶にも残っているはず。

    ところがねぇ。鹿児島の企業が土地を買収し、ここを公園にしてしまったのですよ。豊見城城址公園。その際、城壁や城門は綺麗さっぱり取り除かれてしまいました。

    「グスクを残して公園にしろよっ!!」

    と、言いたい。


    そして、最近になって、その企業が土地を手放すことになり、沖縄県が買い戻し、今年の3月に空手会館が完成しました。

    かつての南風原門跡を入ると、



    真っ白な空手会館が見えてきます。



    空手会館全体を写真に撮ることが難しいので、模型を見ましょう。



    本館には空手道場と研修施設が併設され、左手の建物が展示室。さらに左手の瓦屋根は特別道場だそうです。


    まあね。琉球王国は空手の発祥国ですから、これはこれでいいんですが、グスクを復興させてよねぇ。

    幸いと言っていいのかどうか。空手会館の敷地は広大な城址のほんの一部です。

    グスクを見たことがある人が健康なうちに復興させないと、わけがわからんくなるんですけどねぇ。

    あんまり、時間が無いんですよねぇ。


    空手会館の建設を県民が本当に望んでいたのかとか、ハコモノだったら何でも良かったんじゃないのかとか、そんなことは一切言いません。

    言いませんから、グスクをなんとかしてちょうだい。m(_ _)m


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