沖縄1935(1) 糸満の鱶取り名人

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    朝日新聞社の倉庫で見つかった戦前沖縄の写真

    その中に、こんな写真があります。



    糸満の鱶取り名人、上原亀さん(1880-1954)。身長は180cmを越えて筋骨隆々。一日に50匹の鱶(つまり、サメ)を獲ったそうです。高級食材のフカヒレ、カマボコの原料、サメ油などの需要が多く、当時の漁師は争って鱶を獲っていました。

    1935年(昭和10年)の写真ですから、この時、亀さんは55歳。いやぁ、男前です。てことは、鱶も女性も入れ食いだったんですかねぇ(笑)。いや、すみません。

    そして亀さんは、糸満の女傑三羽ガラスの一人で金城商事の創業者金城カネさんのお父さんだそうです。人口が少なく世間が狭い割に有名人が多いから、繋がるんですよね。沖縄では。


    さきほどより少し引いた写真があります。



    ここで、鱶取りのお勉強です。

    亀さんが担いでる漁具は手前が鱶延縄の幹縄、奥が枝縄だと思います。布のようなものはサバニの帆でしょうか。

    サバニで沖に出て、まず魚を釣ります。魚の種類は問わないそうで、ブツ切りにして海に撒き、血の匂いで鱶を集めて延縄を繰り出します。

    沖縄各地の漁港で頻繁にサメが捕獲され、ニュースになりますが、あれは魚の血の匂いにサメが集まってるってこと。だから、漁港で海に飛び込むのはサメの餌になるようなものです。


    延縄に掛かった鱶は、このように銛(ウーギン)で刺します。



    先端に返しが無い銛だそうで、鱶をサバニに取り込む前に弱らせることが目的だと思われます。


    ところで、サバニは漢字で書くと鱶(サバ)舟(フニ)。ウチナーグチで鱶、あるいは魚類をサバと呼びます。サバニの語源は確定はしていないようですが、鱶舟を当てることが多いので、かなり有力な説として認められてると言えます。


    あまりにもプライベートな写真なので掲載は控えましたが、亀さんとその一族が集まった写真がネット上にありまして、そこに確かに金城カネさんが写ってました。

    私の中で、糸満の上原さんと言えば(りんけんバンドの)上原知子さん。その写真に知子さんがいないものかと探しました。だけど考えてみれば、亀さんが健在の時、知子さんはまだ生まれてないのでした。

    しょうもないオチですみません。


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