JUGEMテーマ:地域/ローカル
糸満の山巓毛に来ました。ここは糸満の重要な拝所であり、ハーレー到来を告げる鉦(かね)を打ち鳴らす場所でもあります。
見下ろせば、糸満ロータリー。
何故、ここに来たかと言えば、沖縄1935
のこの写真。
朝日新聞の記者が山巓毛から撮ったと言うのですから、それは私にとって、山巓毛に来いと言われたも同じです(笑)
記者の写真では、スージの先が直ぐに船溜り。今はその場所は埋め立てられ、少し先がハーリー会場の糸満漁港。手前の樹木が当時は無かったり、種々勘案すれば、記者の写真に見られる、スージ左側三軒続きの赤瓦のうち、真ん中の一軒が現存しているようです。
次に北西方面。
その82年後。
わかりませんてば(笑)
右手に白銀堂の森が見えてまして、手がかりはそれだけ。
記者の写真に見える島が「アナギ」。1958年の写真が糸満市のホームページにありました。
干潮時には干潟となり、潮干狩りができたようです。アナギまで歩いていけたんですね。この写真、島の向こう側(沖)から撮ってるでしょ?
アナギは、今の写真奥に見えるマンションあたりにあったはず。
今も島の一部がありました。おいたわしや。
なんと言えばいいのか。言葉がありません。
糸満の海岸がこんなにも広い干潟だったとは、今回初めて知りました。干潟という干潟を片っ端から埋め立てて、得られたものは何?、失ったものは何?
「沖縄に干潟がある→埋め立てる」と「カエルの前に蝿がとまる→パクっと食べる」の思考ロジックはほぼ同じです。沖縄県は埋め立ての損得勘定が合ってると、胸を張って言えんのか?
沖縄1935シリーズ。断続的に続きます。はず(笑)