沖縄1935(3) 糸満前端の路地

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    沖縄1935に載っているこの写真。鱶取り名人、上原亀さんのお宅(現存)の前の路地だそうです。



    沖縄を訪れた朝日新聞の記者が、糸満の風景を撮ろうとウロウロしてたら、たまたま着物姿の女性が現れたので「ちょっと撮らせて下さい」と言ったら、「どーぞ」と。

    絶対にそんなはず無いと思うのであります。

    そして、もう一枚。



    傘に「ミス」。何度見ても「ミス」。

    あれですかね。ナイチから記者が来たのでミス糸満を呼んで、スナップを撮らせたんですかね。つ〜か、昭和10年にミス糸満はいたのかな?

    あるいは、亀さんを取材したら「私の姪はカーギが良いから、撮っていきなさい」と言われたか。

    そこら辺は考えても分かる気がしないのでほっといて、写真の場所を探しましょう。


    亀さんは糸満の前端(マエハタ)に住んでいました。

    現在の前端区の境界がこちら。



    これだけの範囲の路地をしらみ潰しすることはかなり骨が折れます。そこで、埋め立て地をバッサリとカットします。糸満公設市場の界隈も古いとは言え成立は戦後ですから、ここもカットできます。すると、糸満漁港東岸のラインを真っ直ぐ南に下ろして、そこから東を探せば良いことになります。そこが旧前端で、前端の中の前端です。


    「前端公民館かそこらの人に、亀さんの家を聞けばすぐわかるじゃない」

    だから。それは私の「美学」が許さないのよね。写真をよく見て何とか手がかりを探すとかして、目的地にたどり着くまでのプロセスが大切で、かつ楽しいわけよ。

    ピンポイントでその場所に着いたら楽でいいけど、失うものも大きいってこと。


    よっし!!



    見つけました。



    私は記者の位置に立ちましたが、路上に美女はいません(笑)。

    沖縄1935の脚注では、石塀は両側とも港川石になってました。左手の石塀は間違いなく琉球石灰岩。ところが右手はコンクリートなので、当時の石塀ではないようです。


    琉球石灰岩と、



    コンクリート。



    違いは一目瞭然です。


    「で、そこに立って何やのん?」

    だから、現場に立つことは大切なのよ。沖縄1935のすべての写真を見た私より、それぞれの現場に立った私の方が、理解度は断然上と言えるでしょう。そして、繰り返しになりますが、色々調べながら現場に立つことが大切です。

    こいつ(私)、上手く見つかったものだから、言うことが偉そうです(笑)


    私もここに立ちたいと思われた方。メールをいただければ、場所をお知らせします。糸満ロータリーからの道順はひとことで説明できて、超簡単です(^o^)/


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