南風原町宮平の善縄御嶽

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    いつもの午後の配達。私は南城市大里にある山羊のいる保育園に向かってました。

    そしたら、南風原の丸大スーパーの前を走行中に、右手に何かの赤瓦がチラッと見えたんです。「ほんなら帰りに寄ってみましょうか」ってなりますね。当然。

    おお〜!!



    何か知りませんが、立派な拝所が完成していました。

    善縄大屋子之墓。



    あっ、そうなんや。ここは善縄(ヨクツナ)御嶽があった場所かぁ。

    2、3度来てるはずですが、雑草が多くて蚊に刺される雰囲気と言うか、アシバーがたむろする雰囲気と言うか、語るべき事も無かったのか、投稿もしてませんね。

    それがまあ、立派になっちゃって。拝所の前は広場(ウガンヌ前公園)になり、ジョギングレーンあり、ステージあり、バスケのゴールやトイレまで完備。



    南風原町はいつの間にかウェーキンチュなったんやぁ(笑)。


    善縄大屋子は(現在の)南風原町宮平に住んでいた漁師で、使者の亀とともにニライカナイ(天国)へ行ったとされています。ナイチの天国は空の上にありますが、沖縄の天国は海の彼方にあり、使者はたいていの場合、美女と亀。

    このあたりは(沖縄版)浦島太郎が住んでいたり、空から天女が舞い降りたりする民話の里です。


    宮平は南風原間切の番所があった集落で、今も番所のフクギが健在です。古くから交通の要所であり、最近(?)では軽便鉄道の駅がありました。

    繁栄した集落だから民話が生まれる土壌(豊かさ)があったのか、辛く厳しい生活の中で、現実逃避の手段として民話が生まれたのか。それはおそらく後者。

    善縄大屋子はかけがえの無い人物で、集落の人達は彼の死を認めるわけにいかず、ニライカナイで生きていることにしたのではないでしょうか。例えばね。


    立派な拝所とお墓を建ててもらった大屋子は、(昔と比べれば)豊かになった集落の様子に満足していることでしょう。

    それにしても、南風原町はどうやって予算を工面したんでしょ。カボチャを大増産したのかな(笑)


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