JUGEMテーマ:地域/ローカル
読谷村楚辺のユー(世)バンタ浜。
私は海を眺めながら、朝ご飯の弁当を食べてます。
朝早く那覇の自宅を原チャリで出て片道28km。原チャリの行動範囲としては北限に近いでしょう。
何故私がここで朝ご飯を食べてるかについては追い追いお話しするとして、まずこちらをご覧ください。
「艦砲ぬ喰え残(ぬく)さー」は、沖縄の四姉妹ユニット「でいご娘」が50年近く唄い続けている反(厭)戦歌。その歌碑がここにあります。
ここに歌碑を置いたのは、でいご娘の実家がこの近所にあることや、この浜が米軍の上陸地点だったことによります。
「艦砲ぬ喰え残(ぬく)さー」の作者はでいご娘のお父さんの比嘉恒敏さん。比嘉さんは対馬丸で父親と長男を失い、疎開した大阪で空襲により妻と次男を失ってしまいます。
比嘉さんは自分を「艦砲の喰い残し」と比喩し、どうしてあんな戦争を始めてしまったのか、恨んでも恨みきれない、悔やんでも悔やみきれないと唄いました。その想いを孫子の代にも、またそれ以降の世代にも伝えたいと願いました。
この唄を四人の娘達に託した直後、比嘉さんと母親が乗った車に米兵が運転する車が衝突し、母と子はこの世を去りました。
でいご娘が唄った「艦砲ぬ喰え残さー」はウチナーンチュから圧倒的な支持を得ました。四姉妹が50年近くも唄い続けた理由も、この場所に歌碑を建立した理由も、よくよく分かりますね。
過去にも同じような投稿をしていますが、楚辺に来たので再度、投稿しました。