JUGEMテーマ:地域/ローカル
一週間ほど前、国場川にサメが遡上してきたとニュースになりました。こいつがそのサメ。
発見場所は国場で「近くに小学校や幼稚園があるので心配です」だそうなので、仲井真小学校のウラあたりでしょう。
サイオンスクゥエア付近の安里川には普通にサメが泳いでるようですが、国場川では珍しいです。で、まだいやしまいかと探してみましたが、見つかりませんでした(^^)
さて、ここは国場川(左)と長堂川(右)の分岐点。外出の目的は変更となり(笑)、長堂川を遡ってみることになりました。
国場川の源流は池田ダムなので、も一つワクワク感がありません。長堂川はどうなっているのか。
南部農林高校にある長堂の石橋。ここは長堂川の支流です。
南部農林はワタリグチ君の母校です。
彼は毎日のようにこの橋を渡ってたはずですが、石橋だったとは知らないでしょう。「それがどうかしたんスか?」みたいな(笑)
南風原町山川まで来ました。
先程から気づいてましたが、私は軽便鉄道糸満線の跡を走ってるんですよ。四年前に、同じ橋の上から写真を撮ってます。
国場駅で分岐した軽便鉄道糸満線は、真っ直ぐ糸満へ向かわず、山川橋あたりから大きく東へ迂回します。それは当時の衆議院議員大城幸之一が政治力で迂回させたと考えられて、幸之一カーブと名付けられたんです。
しかしね。こうして川に沿って走っていると、なるべく傾斜の緩やかなルートを走らせようとしたことが実感できます。軽便鉄道は馬力が小さかったのでね。
つまり、直進させると高い丘を越すことになるので、長堂川に沿って、その丘を迂回させたということ。多少は幸之一議員の影響もあったかもしれませんが、理にかなったルート選択だったと思います。
南風原町喜屋武まで来ました。長堂川を渡るために築かれた軽便鉄道の堤(土手)です。
未舗装の道路が線路跡で、ガードレールの下を長堂川が流れています。この辺りで軽便鉄道跡は南へ、長堂川は東へと別れます。
南城市大里に入りました。長堂川はもはや畑の用水路です。
そして、南城市大里仲間でおしまい(^^)
すぐそこに島添大里グスクの丘が見えています。あの丘の標高が150m。
そして、私がいる場所の標高が25m。
つまりですね。太平洋から急激に立ち上がった丘が150m。そこから西に向かって125m下った所に、今私が立っています。そして、ここから那覇港まで約10kmの距離を、緩やかに25m下がっていくと。
だから、ここから東シナ海まで上り坂は一切ありません。驚きますけど、川が流れるってそういうことですからね。
国場川の本流は南風原町兼城あたりでも分岐して、宮平川となり東へ向かいます。宮平川の源流も南城市大里。私がかつて配達していたヤギの保育園の付近です。
つまり、島添大里の丘に降った雨が地下水となり、西側の斜面から湧き出して、国場川になってると。そういうことですね。