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読谷村立古堅小学校の校庭に建てられた、対馬丸の慰霊碑。
阿麻和利の墓がすぐ近くなので、古堅小学校は知っていましたが、そこに対馬丸の慰霊碑があることは知りませんでした。
古堅小学校の前身、古堅国民学校の学童20人が、対馬丸事件で亡くなっているんですね。
その慰霊碑には、これまで私が何度か紹介してきた、この歌が刻まれていました。
痛恨
春めぐり
花は咲けども
悪石の
水底の子ら
あの齢のまま
渡久山朝章 謹詠
上間楠峰 謹書
対馬丸記念館でこの歌を知り、私の頭から離れなかったのは、作者が「で、貴方はどうするの?」と訴えているように思えたから。「かわいそうだけじゃ済まないでしょ」と。
この度、この歌の作者を初めて知りました。
渡久山朝章(1928-)さんは、1990年にこの慰霊碑を建てた元古堅小学校長。元学徒兵だそうです。
慰霊碑が建てられて30年。卒業生達は親となり、その子供達の世代が古堅小学校に通っています。
そんな中、古堅小学校の6年生が、対馬丸の慰霊碑建立の経緯を再現した劇を自作しました。タイトルは「僕らが語り継いでいくべきこと」。
一昨年開催された上演会には、渡久山元校長も招かれたはず。
渡久山さんは、沖縄戦経験者として、慰霊碑を建立した元校長として、「春めぐり」で始まる歌の作者として、感慨無量だったのではないかと。
沖縄県の小学校で、対馬丸の慰霊碑を建立したのは古堅小学校だけ。
沖縄戦を、対馬丸の悲劇を語り継ぐ上で、古堅小学校の取り組みを一つのお手本にしたいと思います。