JUGEMテーマ:地域/ローカル
金城町石畳道の代表的なショット。石敢當をフレームの左端に置くと構図が決まり、しゃがんで撮れば石塀を強調できます(^^)
ここから金城橋まで250mの下り坂が続きます。
坂の途中にある金城村屋(ムラヤ)です。坂を歩く人にとってはありがたい休憩所。木陰で涼んだり、冷たいものを飲んだり。
そして、坂下まで下りて振り返ると(^^)
「うっへぇ、これをまた上るのかぁ」と誰もが思うことでしょう。スキー場のようなリフトがあればねぇ(笑)
石畳道の周辺には井戸や御嶽などの文化財が沢山あります。この日は復習も兼ねて、一通り見て歩くことにしました。
(1)大アカギと内金城御嶽
先ほどの石敢當を東に入ったところにある、6本の大アカギ。いずれも樹齢は2百年以上ですから、黒船来航も琉球処分も、このアカギは知っています。
沖縄戦で、米軍は首里を北から攻めたので、首里の丘の北側は何も残らないほど破壊されました。一方、丘の南側は比較的被害が少なくて済みました。
そこにあった大アカギや石畳道が残ったのは、塹壕に身を隠す兵士の姿を想像すると分かりやすいでしょう。
それにしても立派なアカギです。琉球の人達がこの大木に、あるいはこの森に神が宿ると考えたのは当然です。
内金城御嶽の小嶽(クタキ)と、
大嶽(ウフタキ)。
首里の丘にはこのような大アカギが普通に生育していたようです。アカギの森は雨水を蓄え、湧き水になりました。近くに沢山の井戸がある理由がそこにあります(井戸が枯れた理由も)。
首里の丘の南斜面には、石畳だけではなく、アカギや御嶽や井戸が残っていて、琉球や戦前の沖縄を感じることができます。
石畳道を真っ直ぐ下りて、真っ直ぐ上って、「疲れただけ」と言ってるようでは、まだまだなんですよ(笑)
(続く)