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(2)金城大樋川(カナグシクウフフィージャー)と琉球紙
金城村屋のすぐ隣にある、かつての共同井戸です。
立派な井戸ですねぇ。大樋川を名乗るだけのことはあります。
井戸が急斜面にあるため、背後に加えて左右にも強固な石積みが必要になり、規模を大きくせざるを得ません。だから、貯水槽や広場はむしろ小さめ。
一方、水量が豊富なので、かけ樋は二本あり、貯水槽から溢れ出した水は直ちに手前の排水溝に吸い込まれる構造です。
まとめますと、大規模ながらもコンパクトかつ高性能。
素晴らしい井戸だと思います。
大見武憑武(おおみたけひょうぶ)が薩摩で紙漉きの技法を学び、金城大樋川のそばで紙漉所を開設したのは17世紀のことでした。
中国福建省は紙の生産地で、琉球は良質で安価な紙をいつでも手に入れることができました。だから、薩摩で学ぶ必要は無かったんですよ。ところが、既に琉球を支配していた薩摩が「公文書の紙を薩摩と同じにしなさい」と。
しょ、しょうもなっ(笑)
こういっちゃあナンですが、薩摩なんてのは、企業に例えれば債務超過で倒産寸前だっんですよ。それが、中国貿易で利益を上げていた琉球に目をつけて、武力で、すなわち恫喝して子会社化したんですよ。そして、上納金(品)を吸い上げ続けたと。
つまり、物乞いのようなもの。物乞いは物乞いらしく大人しくしていれば良いものを、何もしないとますます物乞いに見えてしまうので、「紙漉きを学んで、紙を薩摩と同じにしなさい」と。
「他にやることは無かったんかい」と言いたい。
薩長土肥などと呼ばれ、薩摩は明治維新の立役者フージーしてますが、琉球のおかげでお金の心配が無くなったから、そこに加われただけじゃないの。
そうでしょ?。
(続く)