JUGEMテーマ:地域/ローカル
沖縄市住吉1丁目の社交街跡。入口は閉鎖されています。
私はこの社交街について何も知りませんので、この投稿は私の推測。信用してはいけません(^^)
沖縄戦が終わった1945年。嘉間良収容所(キャンプ・コザ)による人口増で、越来村は胡差市に昇格しました。初めて沖縄の地名にコザの名前が付いたものの、収容所の縮小により1年も経たないうちに再び越来村に降格してしまいます。
畑以外には何も無い越来村でしたが、そこからの10年間、嘉手納基地の建設に併せて、村は飛躍的な発展をとげることになります。そして、1956年に再び市政を敷き、コザ市と名付けられたのです。
1959年のコザの地図です。
琉球政府道の13号線と24号線が交わった場所がコザ十字路。茶色に塗られた区域が市街地で、地図の左上に白人街があった八重島。右上に越来。右下に黒人街があった照屋。
コザ十字路を起点に幹線道路に沿って、さらにはスージへと、触手を伸ばすように街が広がりました。
コザ十字路に近い住吉にも繁華街が形成され、映画館(コザセントラル劇場)が営業を始めました。この社交街が出来たのは、その頃でしょう。
建物の中を覗いてみましょう。
中央に廊下があり、両側にホテルの部屋のように店が配置されてました。と思ったら、これは二つの建物の上に屋根を乗せてるようです。一種のアーケードか?
戦争で建物が焼け、高い塀だけが残っていた敷地があって、長屋のような建物を建てて飲食店を入れました。今で言うスナックビルのようなもの。
組合があるような、つまり住吉社交街と呼べるようなシロモノではなくて、看板に社交街と書いただけの社交街。
建物に歴史的な価値があるわけではなく、特筆すべき出来事もないまま60年が経過し、当時は若かったママも客も老いてしまったと。
そういうこと?(笑)