JUGEMテーマ:地域/ローカル
ベッテルハイムは琉球で充分な成果を得られませんでしたが、英国と琉球の国交が無い中、琉球王府から迫害を受け続けながらも、宣教に取り組んだ8年間は、やはり評価に値します。
ベッテルハイム一家は、琉球で初めて生活した西洋人家族でした。ベッテルハイムの娘リューチューは、琉球で初めて生まれた西洋人となりました。
本当に良く頑張ったと思います。
波之上の護国寺には、プロテスタント教会により石碑が建てられ、そこには「ベッテルハイム博士居住の跡」と記されています。
ベッテルハイムの長男は、英国から琉球へ向かう船上で生まれました。その長男の娘、つまりベッテルハイムの孫が、この碑が建立された時に、ここへ来ています。
その時はまだ、一家が使った井戸が残っていたそうです。
彼女は、ベッテルハイムがこの地で暮らした8年間を想い、祖父を誇りに思ったことでしょう。
ベッテルハイムは米国に渡った後、体調が優れず、再度、海外で宣教することはありませんでした。そして、58歳で病死しています。人生のピークを過ごした琉球を振り返る毎日だったそうです。