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沖縄の復帰から40年(3)喜屋武眞榮さん(その1)

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    戦後の沖縄は、多くの教職員を失い、校舎も焼け、まったく劣悪な教育環境にありました。知念高校の校長を務め、その後群島政府の文教部長の職にあった屋良朝苗さんは、半年間にわたり日本全国の自治体、教職員組合などを行脚し、沖縄への寄付を呼びかけることにしました。その時、屋良さんから指名され同行したのが、教員で10歳年下の喜屋武眞榮さんだったのです。

    全国から集まった寄付は6,000万円を超え、図書やピアノなど、新品の教育備品が「愛の教具」として沖縄の学校へ届けられたのは1955年のことでした。(写真は久茂地小学校)

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    「愛の教具」により、沖縄の人達は本土の人達の暖かさにふれ、本土の人達は沖縄の状況を理解する機会となりました。このことは、沖縄の本土復帰の土壌が、双方で醸成されるきっかけになったのです。

    この活動以降、屋良さんは新たに発足した沖縄県祖国復帰協議会の初代会長(1960)となり、後に琉球政府主席(1968)、初代沖縄県知事(1972)に就任しました。一方、喜屋武さんは1962年に屋良さんの後継として、沖縄県祖国復帰協議会の会長に就任し、1970年に沖縄県初の参議院議員に選出されました。

    元々、沖縄の高校の校長と教員であったお二人は、沖縄復帰の中心人物となっていったのでした。

    (続く)

     


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