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嶋田叡元知事の遺骨捜し

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    沖縄戦の間、知事の職責をまっとうした嶋田叡元知事の遺骨捜しが、今年の秋に行われるようです。

    牛島中将が摩文仁の壕で自決した日は昭和20年6月23日。つまり、慰霊の日です。嶋田知事はこの時、牛島中将と同じ壕におり、4日後の6月27日にその壕を出ていったことが、生存者の証言で明らかになっています。

    以降、嶋田知事は消息を絶つのですが、後に、嶋田知事を目撃したという元軍人が現れました。その元軍人の話によると、嶋田知事と会ったのは摩文仁の丘から海岸に出てすぐの壕とのこと。新聞の地図によると、今回の遺骨捜しは、その壕が対象となっているようなので、元軍人の話は信憑性が高いと判断されたということですね。

    なんとか遺骨が発見されて、遺族の元へ届けられることを願います。


    元軍人が嶋田知事を目撃したのは、7月上旬とされています。つまり、嶋田知事は牛島中将の自決後、少なくとも10日程度は生きていたことになります。嶋田知事は、多くの県民を死に追いやった責任をとり自決したとされていますが、その10日間、どんなことを考えていたのでしょうか。

    当時の県庁職員で、沖縄戦を生き抜いた方は「嶋田知事が自決するはずがない。」と言っています。

    「私もそう思う」などと思い上がったことは言いませんが、そうであってほしいと思います。

    戦争で死ぬなど馬鹿馬鹿しい、とにかく逃げろ、これ以上は逃げれないと思ったら投降しろと、県民に訴え続けた方が自決するでしょうか。牛島中将が軍部の指揮者として、敗戦の責任をとることは、当時としては当然でしょうが、知事は民間人ですから、理屈の上では戦争責任を負う必要はありません。

    多くの県民を死に追いやったので、知事としての責任をとったのだとすれば、たいへん美しく、収まりが良いのですが、生き残った県民のほうが、ずっと多いわけですから、知事としての責任とは、生き抜くことではなかったかと思います。

    その上、本土に家族を残しているんですからね。


    元の話に戻って、嶋田知事は牛島中将の死後10日間、何を考えていたのか。もし、自決するつもりなら、牛島中将の死後、ためらい無く、ただちに命を絶たれただろうと思います。

    私としては、生き延びようとして戦死されたか、事故で亡くなったのだと思いたい。


    いずれにせよ、無事、遺骨が見つかれば、死因(自決されたかどうか)が明らかになるでしょう。その結果を待ちたいと思います。


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