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琉球王朝の傑作 「長虹堤」

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    かつて、那覇は島であった。ということを、今日初めて知りました。

    昔の地形にゆいレールを走らせたとすると、旭橋から県庁前を経て美栄橋までの間、左手の窓からは海が見え、そのすぐ先には「浮島」という島があったということになります。

    つまり、現在の松山、若狭、辻、東町、西町などは島だったのです。

    国道58号線の旭橋から泊までの間は海の底だったということですね。
    びっくりしました。

    今から500年以上前、ヤマトは室町時代です。

    琉球王朝は、牧志のあたりから、松山交差点のあたりまで、海中道路を建設したのです。
    その名は長虹堤(ちょうこうてい)。

    レインボーブリッジじゃないですか。すごいことをしますねぇ。

    当時の写真はもちろんありませんが、絵ならあります。

    葛飾北斎の琉球八景の一枚「長虹秋霽(ちょうこうしゅうせい)」です。

    北斎は、富士山ばっかり描いていたのかと思ったら、ちゃぁんと沖縄にも来ていたのですね。
    (一番奥に、富士山が見えているような気がしますが、気のせいでしょうか。)



    アーチ型の石堤です。ちゃんと海水が流れるように配慮してあります。

    沖縄本島中部の島に石油基地を造るために、『海中道路』が造られましたが、こちらは、海の流れを堰き止め、周辺海域の水質を一気に悪化させてしまいました。

    えっらい違いです。

    話は逸れますが、普天間移設案として、「勝連の沖に海上基地を造ればいい。」と、政府に入れ知恵した人は、その『海中道路』を造った人ですよ。賛成しては駄目ですからね。

    この話題になると気分が悪くなるので、話を戻します。

    レインボーブリッジにより、那覇(浮島)は第一級の港となり、各国の貿易船で賑わいます。
    琉球王朝は大交易時代を迎えたのです。

    大都市「那覇」は、この時生まれたと言っても良いでしょう。

    それにしても、昨日の真玉橋、今日の長虹堤、いずれも、現在の那覇を形成した歴史的建造物ですが、それらを復元することもなく、埋もれたままにしておいて良いものでしょうか。

    京都や奈良も、相当にコンクリートの圧迫を受けてはいますが、那覇ほどではありません。

    コメント
    北斎は実際に琉球に来ていません。「琉球国志略」という報告書をもとに琉球八景を描いたようです。
    http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_060624.htm

    http://www.city.urasoe.lg.jp/archive/8761234/art/tenji/kikaku/h18/hakkei/hakkei.html
    • ウッディー
    • 2010/03/28 9:48 PM
    ありがとうございます。
    そうだったんですか。
    確かに、北斎が当時の琉球にどうして来たのかなとは思いましたが、そうだったのですね。
    では、何枚かの絵も、模写だったわけですね。

    なるほど。
    • CoralWay
    • 2010/03/28 10:17 PM
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