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神里原の落日(3)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    1950年代の前半、沖縄一の繁華街として賑わった神里原。大通り沿いには、劇場や芝居小屋、百貨店に大小の商店が軒を並べ、それを取り囲むように、飲食店街と社交街が形成されました。沖縄で社交街とは色街の意味ですね。


    ところが、1950年代の後半、那覇の中心部が米軍から開放され、神里原は、田舎の一本道だった県道(現在の国際通り)に主役の座を奪われたのでした。

    百貨店、劇場、商店は、次々と神里原を去り、一部の飲食店と社交街が残りました。

    以降、50年以上の時間が過ぎましたが、神里原は道路も建物も、そこで生活する人も、当時と同じです。

    そりゃあ、15歳の女の子は、70歳のお母さんになりますよね。だから、スナックやおでん屋のママさん、社交街のプレイヤーは、この年代が中心です。


    そして、時間の止まっていた街に、広い道路が開通します。この道路、ヤンバルの森に造られた林道を連想しますね。

    林道の建設により、日の当たるはずの無い場所に日が当たり、抜けるはずの無い風が抜け、崩れるはずの無い斜面が崩れます。森の生態系が乱れますよね。

    20130105135942_0.jpg

    お隣の農連市場は再開発が決まりました。付近の道路は次々に拡張され、その後、高層ビルが建設されます。神原大通りの拡張は、その事業の一部なのです。


    街の雰囲気は一変し、外部から多くの住民が流れ込んできます。そして、久茂地やおもろまちのような、どこにでもある街になるんでしょう。

    おでん屋やスナックは、新築ビルに入るなどして姿を変え、社交街は公園になるかもしれません。神里原から昔の面影は消えてしまいますね。

    中核都市を目指す那覇市としては、ゴチャゴチャした細いスージ、古い建物などは無いほうが都合が良さそうです。まして社交街なんて、すぐにでも無くしたいでしょう。

    そもそも、神里原は町名ではなく、この付近の通称です。街とともに、その名前も消滅してしまうかもしれません。


    コメント
    あぁ。いい記事ですねぇ。 いいなぁ

    私は、この街に来ると、うっとりします。 

    あっ、あさって行きます。

    • ひよこ
    • 2013/01/05 8:00 PM
    あさってですか!!

    まあ、以前ほどには驚きませんが、お正月客が帰ったタイミングを狙うあたり、さすがです。

    神里原のおでん屋は是非ですが、社交街の見学はおやめになったほうがよろしいかと。

    万一ってことがありますからね。

    で、その万一が起こったら、それはそれで、詳しい話を聞かせて下さい(笑)
    • coralway
    • 2013/01/05 9:18 PM
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