JUGEMテーマ:地域/ローカル
先日の投稿で、与儀、樋川の空撮写真(1950年代)を掲載しました。
南から北にまっすぐに、ひめゆり通りが延びています。通りを挟んで、左右の黒い部分が農業試験場。写真右下の角にある大きな建物は校舎で、現在の与儀小学校です。
その校舎の位置、つまり楚辺交差点から左(つまり、西)へ向かう坂道を少し登った最初の角が、与儀市場通りの入口です。
そこを拡大した写真がこちらです。
この記事にkeiharuさんから、次のコメントをいただきました。
一番最後の写真は確かにシケンジョーマチグワァーの南側です。手前の路地の確認はできませんが写真右下にはハイカラ湯なる銭湯があり、マチグワァー入り口の右角の平屋は食堂兼惣菜屋、通り中央の左手は山城医院だと思いす。
つまり、楚辺交差点の角に、はいから湯があったのですが、今、そこには「ヴィラはいから」という名のマンションが建っています。
そして、そこから城岳へ向かう坂道を「はいから湯通り」と呼びます。
はいから湯の存在感ですね。名を残しています。
そして、山城医院ですが、keiharuさんのコメントによれば、与儀市場通りの左側、手前から4軒目の正方形の建物のようです。
その場所には、今も山城医院が健在でした。
看板の奥を覗き込むと、
「ほ〜〜〜!!」
何でこんな、うまいこといくんでしょう。あるじゃないですか。その建物が。
今もこの建物で診察が行われているのなら、病気でなくても入ってみたいくらいです。
ところが、写真を見ていただければわかるように、現在の山城医院は奥に移っていまして、この赤瓦の建物は民家として使われていました。
なお、keiharuさんのコメントにある、通り入口の食堂兼惣菜屋ですが、今は駐車場になっています。
何なんですかね、この極めて安上がりのタノシミ。
この記事、続編ありです。