<< 那覇市沿岸漁協の朝 | main | 農連市場のマルキン海産 >>

与儀市場通りの山城医院

0
    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    先日の投稿で、与儀、樋川の空撮写真(1950年代)を掲載しました。

    南から北にまっすぐに、ひめゆり通りが延びています。通りを挟んで、左右の黒い部分が農業試験場。写真右下の角にある大きな建物は校舎で、現在の与儀小学校です。

    20130303203415_0.jpg

    その校舎の位置、つまり楚辺交差点から左(つまり、西)へ向かう坂道を少し登った最初の角が、与儀市場通りの入口です。

    そこを拡大した写真がこちらです。

    20130303203540_0.jpg

    この記事にkeiharuさんから、次のコメントをいただきました。

    一番最後の写真は確かにシケンジョーマチグワァーの南側です。手前の路地の確認はできませんが写真右下にはハイカラ湯なる銭湯があり、マチグワァー入り口の右角の平屋は食堂兼惣菜屋、通り中央の左手は山城医院だと思いす。


    つまり、楚辺交差点の角に、はいから湯があったのですが、今、そこには「ヴィラはいから」という名のマンションが建っています。

    20130314165722_0.jpg

    そして、そこから城岳へ向かう坂道を「はいから湯通り」と呼びます。

    20130314165659_0.jpg

    はいから湯の存在感ですね。名を残しています。


    そして、山城医院ですが、keiharuさんのコメントによれば、与儀市場通りの左側、手前から4軒目の正方形の建物のようです。

    その場所には、今も山城医院が健在でした。

    20130314100551_0.jpg

    看板の奥を覗き込むと、

    「ほ〜〜〜!!」

    何でこんな、うまいこといくんでしょう。あるじゃないですか。その建物が。

    20130314100641_0.jpg

    今もこの建物で診察が行われているのなら、病気でなくても入ってみたいくらいです。

    ところが、写真を見ていただければわかるように、現在の山城医院は奥に移っていまして、この赤瓦の建物は民家として使われていました。


    なお、keiharuさんのコメントにある、通り入口の食堂兼惣菜屋ですが、今は駐車場になっています。


    何なんですかね、この極めて安上がりのタノシミ。

    この記事、続編ありです。


    コメント
    ひめゆり通りが不自然なほど直線なのは、かつての線路跡だからなんでしょうか?
     古波蔵から与那原線と分岐して、ほぼひめゆり通りと同じ方へ北上していくんですよね。現在の与儀公園前には与儀駅があったそうですし。
     また勝手な推測でしかないですが、今でも当時の線路跡が県内各地に不思議な建物として面影を残しているので、線路跡が道路になったってのもあながち外れではないかもしれません?(笑)
    • ahaha
    • 2013/03/14 6:19 PM
    軽便嘉手納線に間違いありません。

    このあたり、戦前は湿地帯で何も無かったはずですから、線路をカーブさせる必要は無かったんでしょうね。
    • coralway
    • 2013/03/14 6:25 PM
    コメントする









    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    calendar
         12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    31      
    << March 2024 >>
    プロフィール
    profilephoto


    念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
    沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@yahoo.ne.jp)
    Twitter
    お勧めの本と映画
    selected entries
    categories
    archives
    recent comment
    recent trackback
    profile
    search this site.
    others
    mobile
    qrcode
    powered
    無料ブログ作成サービス JUGEM