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泊港の風景(2)ペリー来航

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    泊港のすぐそばにある外国人墓地です。

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    沖縄に居住していた米国人、英国人、中国人などとともに、沖縄に漂着した人が葬られています。

    日本国内で有名な外国人墓地は、函館、東京、横浜、大阪、神戸、長崎などにあります。つまり、国際交易港。泊港もその一つだったのです。


    こちらは、墓地内にあるペリー記念碑。

    「ペルリ提督上陸之地」とあります。

    20130409140244_0.jpg

    記念碑の裏に廻ると、1853年6月6日の日付が刻まれていました。

    ペリーは那覇に5月26日に到着していますが、上陸が許され、船を下りたのがこの日でした。

    20130409125333_0.jpg

    首里城では、ペリーら一行をもてなす饗宴が開かれました。琉球国王は、王国最後の王、年齢わずか10歳の尚泰でした。

    その饗宴の席で、ペリーはこのようなスピーチを行ったとされています。

    20130409125313_0.jpg

    「琉球人の繁栄を祈り、且つ琉球人とアメリカ人とが、常に友人たらんことを望む」

    琉米友好のムードが漂いますね。しかし、実情はそうではなかったようです。


    琉球王国にとって、ペリーは招かれざる客でした。しかし、黒船の脅威を目のあたりにした琉球王府は、渋々、国王への謁見を許したのですね。

    そのため、饗宴に用意された食事は、中国の冊封使に提供されるものより、グレードが低いものだったようです。つまり、歓迎していないことの意思表示なのですね。

    一方のペリーは、この一ヶ月後に浦賀に現れ、日本に開国を迫りますが、それに失敗した場合、アジアの補給基地として、琉球を占領するつもりだったようです。

    お互いに、表情と心の内は異なりますが、外交って、そういうことなんですよね。


    後に、ペリーは琉球踏査隊を編成し、沖縄本島中南部をくまなく調査させています。そして、その様子が青い目が見た「大琉球」に記されています。

    視察した場所は、現在の地名で言えば那覇市からうるま市石川までの範囲でした。つまり、那覇軍港から嘉手納基地まで。

    これは、偶然ではありませんよ。皆さん。


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