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首里山川町「さくの川」(4) 芭蕉紙の復興

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    さて、人間国宝の故 安部榮四郎さんは弟子を持たないことで有名だったそうですが、あまりの熱意に折れ、生涯、たった一人だけ、弟子入りを許した人がいました。

    その方が、(2)で紹介した、神奈川県生まれの故 勝公彦さんだったのです。


    正倉院で発見された芭蕉紙の製法を探るべく、勝さんは沖縄へやってきました。ところが、芭蕉の紙漉き技術を有する人物はもちろん、それを記した文献も無く、当時二十代の勝さんは、自ら芭蕉紙を復興することを決意したんですね。


    沖縄に移り住んだ勝さんは、さくの川下流の、つまり、琉球王府の芭蕉園があった土地に居(て言うか小屋)を構え、芭蕉紙の復興に没頭しました。

    ところが、草から紙を漉くことは予想以上に難しく、芭蕉はさっぱり紙になりません。

    ある日、勝さんは、大宜味村喜如嘉(きじょか)に、重要無形文化財「芭蕉布」の保持者、平良敏子(1921-)さんを訪ねました。



    勝さんとの議論の中で、平良さんが「ひょっとしたら、これじゃないの?」と手にしたのは、芭蕉布の製造過程で生じる繊維屑でした。

    これが、正解だったんですね。


    ヤマトと沖縄、二人の人間国宝から助言を得て、勝さんの熱意は実を結びました。40歳の若さで他界した勝さんは、生涯をかけて、芭蕉紙の復興を果たしたと言えます。


    さくの川を訪ねる機会があれば、その下流の谷を、是非、眺めてみて下さい。そこは既に住宅地になっていますが、わずかに残された緑地に、風になびく芭蕉が見えますよ。


    コメント
    まだ若いのに肺炎で亡くなるとは・・・
    芭蕉は家の玄関にもあり、バナナの樹ではない
    生育が早いのでいつもハサミで切ってますがそういう歴史があるのですね
    ジャングルみたいでとても好きな樹(草)です
    • なんとなく思うのですが
    • 2014/01/08 7:56 PM
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