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教育者 志喜屋孝信さん(1)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    農連市場最寄りのバス停は「開南」。町の名前ではなく、開南交差点一帯の通称で、かつてこの地にあった開南中学校に由来します。

    沖縄県立第二中学校(現在の那覇高校)の校長を務めた志喜屋孝信(しきやこうしん:1884-1955)さんが、同校を退職後、私立開南中学校を設立したのは1936年。沖縄戦の9年前のことでした。

    つまり、「開南」の名付け親は志喜屋さんってことになりますね。

    残念ながら開南中学校は沖縄戦で失われ、その跡地は那覇市立開南小学校となりました。


    沖縄戦の終結後、沖縄県を統治下に置いた米軍は、県内に12ヶ所の収容所を設置しました。米軍は占領後に沖縄県民が必要とする食料を、あらかじめ準備していたんですね。国力の違いを感じます。

    沖縄占領後、本土攻撃の準備に取り掛かった米軍は、沖縄県民の管理に兵力を使う余裕がありません。そこで、その業務を沖縄県民に任せることにし、発足させた組織が沖縄諮詢会(しじゅんかい)です。

    沖縄諮詢会は15人の沖縄県民により構成され、その委員長に選ばれたのが志喜屋さん。前列中央。米国人の隣に座っている方(黒のパンツ)です。




    *諮詢
    参考として問い尋ねること。意見をきくこと。


    (続く)


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