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不発弾の恐怖

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    沖縄戦で地中に残された不発弾は、推定1万トン。これまでに7千5百トンが処理済みです。

    一方、最近の不発弾処理量は、毎年、20〜30トン。処理量が年々減ると考えれば、不発弾を一掃するには、あと百年かかる計算です。



    これまで、最も多くの犠牲者が生じた事故は昭和49年に起きました。小禄の幼稚園前で下水道工事中の重機が、地雷に接触し爆発。作業員3名と幼児1名が死亡し、34名が重軽傷を負ったものです。

    新聞に掲載された事故現場の写真がありました。





    事故当日、幼稚園ではひな祭りのお遊戯会が行われており、幸いにも、園児達は園舎の中にいました。

    ところが、お遊戯会に出席した父兄が、入園前の幼児を連れて来ており、そのうち二人が園庭で遊んでいたのです。一人は砂場で、一人はブランコで。

    地雷が爆発し、その爆風で二人は吹き飛ばされ、飛んできた土砂で生き埋めになりました。一人は亡くなり、一人は意識不明の重体となりましたが、懸命な治療により、奇跡的に回復しました。


    ところで、不発弾の除去に投入されている費用は、こんな実績です。



    2009年まで、ず〜っと4億円弱。その後は25億円弱まで、費用が増加しています。

    増加に転じた要因は、工事前の不発弾探査費用を、従来は公共事業に限り国が負担していたものを、民間事業にも適用範囲を広げたことによります。

    ところが、それでは費用分担が変わっただけで、不発弾の処理量は変化しません。

    第一、25億円なんて少な過ぎませんか。

    海外の紛争地区で、機雷や地雷を除去するために、日本が支出している額と比べれば、1桁、いや2桁少ない印象です。

    「沖縄県内の道路、空き地、畑など、今すぐ調査できる場所は、国の責任でさっさと済ませなさい。」。

    「米軍は、自分たちでばら撒いた爆弾は、基地に持って帰りなさい。」

    と言いたい。


    今年の夏、ちょといい話が新聞に掲載されました。



    手前の女性は、ブランコで遊んでいた女の子。男性は、彼女の命を救った医師で、与儀にある沖縄セントラル病院の理事長、大仲良一さんです。

    事故以来、40年ぶりの再会。女性は看護師だそうです。


    せっかくのいい話に水をさすようですが、多くの不発弾が残っている現状を考えれば、良かったで話は終わりません。

    むしろ、不発弾に対する警戒心が弱くなりつつあるのではと心配になります。


    さて、私は小禄の某所に立っています。

    先ほどの写真と見比べると、










    古い二枚の写真は、逆方向から撮ったものですが、いずれも、奥の方に三階建ての建物が見えます。

    そのいずれもが、今も残っているので、場所の特定が簡単でした。つまり、私の足元で、地雷が爆発したということ。


    さあ、日本政府も米軍も、「もうこれ以上見つかりません。」ってなるまで、不発弾を探しなさい。

    ドッカーンとなった後で反省しても、何にもなりませんからね。


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