JUGEMテーマ:地域/ローカル
下与座の高嶺製糖工場跡と軽便高嶺駅跡を歩いた後、上与座に向かいました。
上与座と下与座の位置関係はこうです。
写真右下が与座岳山頂で、白い建造物がガメラレーダーです。そして、写真上部で蛇行している川が報得川。つまり、与座は写真の下から上に向かう傾斜地です。
そして、与座岳に近い集落を上与座、報得川に近い集落を下与座と呼びます。
本来、与座集落は上与座にありましたが、戦後、米軍に占領されたため、住民が高嶺製糖工場跡地に移り住み、下与座を形成しました。そして、上与座が返還された後、一部の住民がそこへ戻ったのです。
集落で最初に住んだ人の家、もしくは場所を「根家(ニーヤ)」と呼びますが、与座集落の根家は上与座にあります。
次の写真は与座の馬場跡。左手の建物は与座コミュニティセンター(公民館)です。
コミュニティセンターの敷地に村獅子がいました。
正面からアップにすると、
なかなかいい表情です。人が良さそうな獅子ですね。
報得川対岸の座波集落への返し(ケーシ)が彼の役割だそうですが、この表情ではねぇ。川を挟むと仲が悪いってのは沖縄全域で不変の法則のようです。
与座馬場を進むと、突き当たりのやや手前右手に、アカチチグスクがありました。
アカチチは「暁(あかつき)」。グスクは御嶽を意味することがあります。
上与座には多くの御嶽がありますが、石組みがある御嶽は、アカチチグスクと与座ヌ御嶽。
ところが、与座ヌ御嶽がみつかりません。
事前に写真で見た与座ヌ御嶽がこちら。
この大木を目印に集落内を探しましたが、どこにも見当たりません。
仕方なく、コミュニティセンターに戻りました。応対してくれた女性職員が、前方の赤瓦の建物を指し、その近くだと教えてくれましたが、
さっき、ここには来たんですよねぇ。
彼女はこの建物を「殿内(ドゥンチ)」と呼びましたから、御嶽を管理するノロが、この場所に住んでいたんでしょう。
だとすれば、やはり、御嶽があるはずです。
ありました。
ありましたが、写真で見た大木がありません。だから、気づかなかったんですね。
御嶽の石組みは、御嶽の祠(ほこら)にすぎません。アカチチグスクは背後の森が、与座ヌ御嶽は大木が、神が宿る場所(すなわち御嶽)のはず。
その大木が無くなったら、拝みができませんね。
どうするんでしょう。
コミュニティセンターに戻り、そこんとこをどう考えるのか聞こうとしましたが、「そんな事を聞いてどうするんや。」と言われそうなのでやめておきました。
そのかわりに、御嶽が見つかったお礼を言うと、先ほどは無愛想、いや、緊張していたかに見えた女性が、とても嬉しそうにニコニコしてくれてなによりでした。
最後に、与座ガーを久しぶりに訪ねました。
相変わらずの水量で、ガーは元気です。
この湧き水は今でも農業用水として使われていますが、戦前は、製糖工場で使われ、軽便の機関車への給水にも使われました。
それから、写真と同じ形状の水車が製糖工場に設置され、サトウキビから糖液を絞る動力となっていたようです。
昔も今も、集落にはなくてはならない湧き水です。
ところで、最近の水質検査の結果、ガーの水が飲み水としては不適となったそうです。与座岳にできたゴルフ場がアヤシイってことになっていますが、因果関係は不明です。
(終わり)