JUGEMテーマ:地域/ローカル
軽便鉄道の枕木が、楚辺と国場に残っていることを知り、先日、楚辺の枕木は確認しました。
ところが、私が住んでいる国場の枕木は、その場所がわかりません。
手がかりはこの写真。
左奥に、文字は見えませんが、何かの店舗が写っています。あの店を探そうと思っていたところ、業務番長さんからコメントをいただき、場所がわかりました。
看板が変わっていますね。これでは、いつまで経っても気づかなかったでしょう。ヘアサロン「キャスター」。真玉橋交差点から国場交差点に向かう左側にあります。
業務番長さん、ありがとうございました。
枕木の数は楚辺が1本でしたが、こちらは12〜13本ありました。
軽便鉄道が走っていた頃、つまり戦前の国場は、現在の国道507号線より丘側に集落があり、国道と国場川に挟まれた土地は野菜畑でした。
軽便鉄道は、その野菜畑を現在の国道沿いに走っていましたから、最後の写真の路地は鉄道跡で間違いないと思います。
廃線後の軽便鉄道。線路は鉄ですから、利用価値がありますね。一方、コンクリート製の枕木は邪魔者扱いされていたはず。
鉄道跡地に住宅を建てようとしたら、枕木があり、運ぼうとしたら重いし、このように路地の「ぬかるみ防止」に使われたと。国場川の底にも、投げ込まれた枕木が何本かあるかもしれません。
枕木の場所から国場川へ出ると、そこはかつての国場馬場跡があります。
河岸の馬場は珍しいです。
このあたりの畑で収穫された野菜は、国場川を船で那覇市場へ運搬されていたした(帰り荷は肥料)。そのため、国場には数カ所の船着き場がありました。船といっても、動力船ではなくサバニです。
この馬場は、船に野菜を積み込む際の集荷場としても利用されたのではないかと思います。
枕木の場所を軽便鉄道が走り、すぐ先に国場駅がありました。駅のホームに立つと一面野菜畑が広がり、その向こうの馬場ではサバニで運ぶ野菜が積まれている。そんな風景だったのだと想像してみました。