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幸之一カーブを走ってみた(2)

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    大城幸之一は、糸満線建設当時の県議会議員です。彼の地元に鉄道を通すため、政治力で糸満線を迂回させました。それで、この迂回部分を幸之一カーブと呼びます。


    前方に国道507号線の高架が見えてきました。



    山川駅跡を出て以降、鉄道跡は長堂川から離れず、川の向こうには、八重瀬町友寄から南風原町神里へかけて、丘陵地が続いています。



    大城幸之一の政治力で糸満線を迂回させたことは事実ですが、この丘陵地を避ける目的もあったと言われています。

    馬力の小さい軽便鉄道は、与那原線与那原駅近くの穏やかな坂道さえ、やっとのことで登ったようです。

    こうして、神里の丘陵地を眺めてみれば、長堂川沿いに鉄道を敷設したことは、遠回りにはなりますが、確かに一理あると思えます。少し東に走って、丘陵地が低くなったら南に向かおうとしたということ。


    鉄道跡は国道507号線の高架をくぐり、



    喜屋武駅跡に向かいます。




    那覇空港道の高架に到着しました。



    この高架下が、かつての喜屋武駅です。もちろん、影も形もありません。

    鉄道跡はすぐに高架下を離れ、信号待ちしている車のあたりから、再開します。



    そこに、幸之一カーブで唯一の未舗装部分がありました。



    ガードレールは、長堂川に架かる橋です。横からみると、鉄道跡が盛り土され、堤になっていることがわかります。



    幸之一カーブは、道路として残っていはいますが、その道路は舗装され、拡張されています。

    ですから、この未舗装部分だけが当時のまま。つまり軽便鉄道の遺構と言えます。

    (続く)


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