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富里集落の散歩(1)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    南城市玉城の富里(ふさと)集落へ出かけました。

    南城市玉城庁舎のすぐ脇にある「番所公園」が散歩の起点です。



    番所は琉球王府の村役場。かつてこの場所に玉城間切番所がありました。

    公園内には樋川があり、湧き水が噴き出しています。



    見覚えのある樋川だと思ったら、同じ玉城にある仲村渠樋川に似せて造ったそうで、これは言わばレプリカです。

    本物はこちら。

    20110504184205_0.jpg


    玉城間切番所はもともと玉城グスク内にあり、後に富里に移ったそうです。玉城グスクから富里まで、人の往来が多い宿道(街道)が通じており、当時の石畳道や屋敷の石塀が断片的ながら、今も残っています。


    石畳道と石塀。



    この石塀にはアーチが造られていますね。普通の民家の石塀です。

    有名な史跡でもなく、観光客が集まるスポットでもなく、富里集落の日常的な風景がこれですからね。素晴らしい。


    古い集落特有の細いスージが網の目のように通っていて、あるスージを覗き込むと、



    も〜、私は富里のファンになりました。


    こちらは集落の中心にある御嶽です。



    小さな丘が御嶽を形成し、丘の斜面に樋川があります。そして御嶽を守る石垣。

    こんな井戸も道端にありました。




    富里集落から急な坂道を登った場所がグスクロード公園で、玉城グスクはその先です。

    その坂道に着きました。



    この坂道の名はウザファビラ。荒れ放題になっていましたが、グスクロード公園とともに整備されました。


    この坂道を登らず左へ進むと、百十踏揚の墓があります。

    話は逸れますが、金丸のクーデターにより第一尚氏王統は滅び、旧王族は首里から各地に逃れることになりました。

    百十踏揚は玉城で余生を過ごしたのですが、誰に匿われてどのような暮らしをしていたのか、私はイメージできませんでした。

    踏揚が富里にいたのかどうかは知りませんが、この集落なら、彼女が安全に過ごせる環境があった気がします。集落の持つ気品がそう感じさせてくれるのかもしれません。


    さて、ウザファビラに戻ります。

    短い石の階段を登ると、傾斜が緩やかになり、石畳道に変わります。



    石畳道の先に手すりが見えます。

    そこまで歩くと、こんな景色が得られます。



    何でこいつ(私)はもっと天気の良い日に来んのかな、と思いました。

    そして眼下には、こじんまりとした富里集落が見えました。




    ワタクシ、近々またここに来て、スージというスージをすべて歩くつもりです。


    コメント
    首里以外にまだまだ石畳道が残っている場所があるんですねー!
     嬉しい発見です(^^)/
    • ahaha
    • 2015/02/25 11:40 AM
    今回は予備知識無しで訪問したので、富里のほんの一部しか歩いていません。石畳道はまだあると思いますので、後日、真面目に歩きます。
    • coralway
    • 2015/02/25 12:19 PM
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