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大里南風原集落の散歩(4)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    もちろん例外はありますが、村獅子がきちんとしている集落には、 きちんとした御嶽があります。

    獅子は琉球石灰岩を彫ったものなので、長い年月を経て風化が進みます。それは致し方ないことで、むしろ、そんな獅子には味わいを感じます。



    きちんとしていると言うのは、獅子が台座の上にあるとか、周辺の雑草が刈られているとか、人の手がかけられているということ。そして、年中行事で拝まれているということ。

    南風原集落の村獅子を見れば、その背後にきちんとした御嶽があることが、容易に想像できます。また、食栄森御嶽はその通りの御嶽でした。御嶽の姿が保たれており、将来も保たれるであろうと確信できます。

    絶賛してしまいますが、南風原集落には、集落としての品格を感じます。


    ところで、食栄森御嶽の拝所に、古い石碑があり、そこには、次のように記されていることは、既に紹介しました。

    「此に骨あり世に遠くして其の人知らず、然れども崇ありて嘉慶20年8月其散骸を此葬」



    そして、御嶽の案内板には、このような説明がありました。

    一説によれば、源為朝と大里按司の妹の間にできた舜天王の墓と言われている。


    源為朝(ためとも:1139-1170)は平安時代末期の武将で、義経の叔父にあたります。戦に敗れて伊豆大島に島流しになりますが、船が遭難し、琉球に漂着したとされています。

    一方、舜天(しゅんてん:1166-1237)は、尚巴志が琉球統一を果たす前、古琉球の中山王で、琉球初の国王です。


    つまり、石碑に記された「世に遠くして其の人知らず」とは舜天王のことだと。

    舜天王の墓が、何故ここにあるかと言えば、為朝と大里按司の妹との間に生まれた子であるからだと。

    う〜む(笑)。


    為朝を語ると長くなりますし、その前に、浦添の某所を訪ねる必要があります。そのため、この投稿はここで終わりです。

    (終わり)


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