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浦添城跡のハナリジー(2)

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    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    ハナリジーから矢を放った為朝に、

    「あぶないやないかっ!!」

    などと叫ぶ私に、

    「伝説あんに。伝説ってそういうものさぁ〜ね。」

    とおっしゃる気持ちはわかります。

    桃太郎は何故、桃に入ってたのかとか、浦島太郎は何故、海中で呼吸できたのかとか。そんな事を言うてたらアホですからね。

    しかし、桃太郎や浦島太郎の伝説には、愛があったり、教訓があったり、後世に伝える意味があります。

    その点、ハナリジーから矢を放った為朝伝説に、どのような意味があったのか。

    そこを問いたい。


    南風原集落の投稿と重複しますが、為朝の生涯を振り返ってみましょう。

    源為朝(ためとも:1139-1170)は平安時代末期の武将で、義経や頼朝の叔父にあたります。戦に敗れて伊豆大島に島流しになりますが、他の島へ移る際、船が遭難し、琉球に漂着します。

    一方、舜天(しゅんてん:1166-1237)は、尚巴志が琉球統一を果たす前、古琉球の中山王で、琉球初の国王です。

    南風原集落の石碑や案内板によれば、為朝は大里按司の妹との間に子を授かり、その子が後の舜天王であると。

    為朝は母子を琉球に置いたままナイチに帰り、31歳でその生涯を終えます。


    為朝が琉球に来たことは、「中山世鑑」や「おもろそうし」に記されています。しかし、正史と呼ばれる記録であっても、時の権力者が自らの都合で作成したり、改竄した例がいくらでもあります。だから、為朝は琉球に来たかもしれないし、来なかったかもしれないのです。

    仮に、為朝が琉球に来たとして、現代まで語り継がれている為朝伝説には、どんな意味があるのか。

    結局のところ、琉球初の国王となった舜天に、ナイチの高名な武将の血が流れていること。この一点に尽きるのです。

    どの時代にも、琉球王統にナイチャーの血が流れていると都合の良い人がいて、為朝伝説は語り継がれてきたのです。


    伊豆から漂流した為朝が「運を天にまかせて」漂着した場所が運天とか、琉球に残された母子が為朝の帰りを待った場所がマチナト(牧港)とか。

    そんな話を聞くと、私は斜に構えてしまいます。歴史を自分の都合で解釈し、それらしい話を作ってる気がするんですよね。

    運天には「源為朝上陸記念碑」なんて、立派な石碑があるそうですが、

    「それがどうしたんやっ!!」

    と言いたくなります。

    (終わり)


    コメント
    為朝伝説は明治の琉球処分で沖縄の日本同化政策の一環として明治政府がプロパガンダで流布させたという説がありますね。(「<日本人>の境界」小熊英二著)この話は現地沖縄の人にとって受け入れやすく出来ている。
    • nobu
    • 2015/03/08 3:04 PM
    コメントありがとうございます。

    確かに受け入れやすいんでしょうね。それにしても、受け入れ過ぎですよ。

    このブログも同じような事をやってそうですから、良く注意します。
    • coralway
    • 2015/03/08 3:32 PM
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